第4話 ギリシア

 キャラバンには今までで一番忙しい時期が訪れた。

 レムリア産の果実や工芸品を下ろし、代わりにギリシアの珍しい彫刻を積む。薬になる植物も集めたし、レムリアでは産出しない大理石の板も仕入れた。金塊のかなりの部分は銀の延べ板へと化け、オリーブ油の壺を木の枠に固定して載せる。

 読めない字の書いてある巻物。それにレムリアを見たいという大金持ちの観光客。この地のワイン。異国風の家具。ネコなどの愛玩動物。どこかからこっそりと運んで来られたミイラまであった。

 変わりどころとしては錬金術で作ったフラメル謹製の賢者の石などというものもあった。そいつが本物かどうかは俺は知らない。

 この国にもあるレムリア兵の駐屯地にキャラバン護衛兵の半数を入れ、代わりに帰国予定の兵を入れる。帰りのキャラバンの護衛が今度の彼らの務めだ。国に帰れば駐屯手当と成功報酬を貰っての裕福な生活が待っている。どの兵も笑顔でダンダビュロスに乗り込んだ。


 俺はここでキャラバンを離れることにした。商売もそろそろ飽きて来たからだ。

 もちろん、俺一人で行動しようと言うのではない。レムリアからここまで一緒に来た皇室護衛官たち、つまり諜報員たちも一緒だ。それとレムリア私兵たちもぞろぞろと引き連れることになった。

 ここまで来てようやく、例の異端の人物の消息が入って来た。


 異端狩りの始まりである。



 まず手始めとして俺はアテネに腰を落ち着けることにした。何よりも調査の拠点が必要だ。

 キャラバンの会計士が儲けの中から俺の取り分である一割を置いていったので、適当に屋敷を買って、その中に金貨の入った大箱を積み上げた。大きな部屋から溢れそうになる金貨の世話をするために、この都市にあるレムリアの駐屯地から正直そうな商人を引き抜いて全てを任せた。

 これでようやく俺は諜報活動に専念できる。

 最初は広く思えたこの屋敷も、帝国の諜報員に兵たち、それと現地で雇いいれた案内人たちを加えると、ひどく手狭になってしまった。一日中かがり火を焚いて、まさに不夜城の様相を呈している。近所から苦情が来たが、俺は無視した。

 そうこうしている内に、最初の情報が入った。

 今夜、都市の公共広場で異端の者の演説会があるそうだ。

 いよいよ俺の出番だと思うとようやく冒険に出た実感が湧いて来る。


 この国の公共広場は街の一番広い道の交差点に作られている演説台とそれを取り囲むように配置されている半円形の座席で構成されている。囲いというものはなく、通行人でも外側に立って講演を聴取することが許されている。

 レムリア人から見るとレムリア人はすぐに分かるが、どういうわけかギリシア人には両者の違いが分からないらしい。

 そこで通行人に紛れ込ませて諜報員を十人ほど配置した。通りがかりの人間がふと気を惹かれて演説を聞いている。そんな風に偽装した。

 俺は最前列に席を取った。煌びやかなマントを着て、宝石で指を飾り、逆に目立つようにした。高貴な外国の使節が招待されてという形に見てもらえれば上々だ。俺が目立てば目立つほど配置した諜報員には気が向かなくなる。

 やがて講演開始の口上が告げられると、黒いローブを着た一人の男が壇上に立った。そいつは何かを喚き始めた。俺はワインを飲みながらそれを大人しく聞いていた。じきに男が何を言っているのかが分かって来た。

 男の主張はこうだ。


 大地は丸い。そして太陽の周りを廻っている。


 あり得ない。

 世界は無限に広がる平板な大地だ。そしてその周囲を太陽と月とアーモンデが回っているのは子供でも知っている。

 地球が丸いなどという狂った考えをこの男はどこから得たのだろう?

 さらに注意を集中して聞いてみた。

 男が主張していたのは、海の向こうから船が近づくときはマストの先から現れるという現象だった。それは大地が丸みを帯びているためだと述べていた。男は石板にその絵を描き、大地が丸い場合はマストの先端から見えるということを説明していた。

 だがここは学術を売り物にする街アテネだ。知恵の女神の名を冠したこの街で、こんなトンデモ理論が受け入れられるわけがない。

 講演が終了した後で、諜報員たちに黒ローブの男の後をつけさせて、俺は自分の館に戻った。


 その夜、調和通信機を使ってレムリアのアモデス賢者に連絡を取った。

 調和通信機はレムリア調和魔術の産物だ。どれだけ距離が離れていようが映像で通信ができる。もちろんこいつの値段は恐ろしく高いし、レムリアでさえも数えるほどしか存在していないレア品だ。これ一つでダンダビュロスが数頭買えるぐらいの値段がする。

 動き出すと調和通信機はアモデス賢者の幻を作り出した。当然向こうにも俺の姿が投影されているはずだ。

 今日何があったのかを手短に話す。俺の話を大人しく聞いた後でアモデス賢者は話始めた。

「今まであやつらは密かに活動してきていたのだが、ついに表に現れたのか。となると計画は相当進行しておると考えねばならん」

「計画とは?」

「大地球状化計画と名付けておる。言葉通りにこの大地を丸くするつもりだ」

 俺の目の焦点がぶれた。アモデス賢者は何を言っている?

 アモデス賢者は俺の表情を見て取った。

「世界構築原理は知っているかな?」

「知りません」

「勉強不足だな」

「すみません」

 仕方ないだろう。俺は象牙の塔に棲む賢者では無いんだ。それにアモデス賢者よりも賢い人間はこの世にはいない。いや、無限に広がる大地のどこかには彼より賢い人間がかならず一人はいるはずだが、二人はいないと断言できる。それぐらい、彼は賢い。

「世界構築原理とは簡単に言えば『世界はそこに住む人間の認識に合わせて変化する』ということだ。今我々は大地が平面であると知っているから大地は平面だが、大勢の人間が大地が球だと信じれば大地は球になる」

「わかりません」

 俺の返事をアモデス賢者は無視した。実に賢い態度だ。

「正確に言えば知識階級の大勢がだな。普通の人間は大地が平面だろうが球状だろうが気にはしない。だから彼らの投票は中立に数えられる。つまるところ残りの知識階級がどう考えるかですべてが決まる。知識階級の大部分が大地は球状だと信じれば、世界はそうなる」

「大部分ってどのぐらいですか」

「一つのポリスにつき十人程度だな」

 そんなに少なくて良いのか。俺は驚愕した。ということは一つの都市で本当に頭を働かせている人間は十人に満たないということか。それもびっくりだ。

「でもまだアテネだけです」

「そうでもない。カルトの連中はこれまでの秘密主義をかなぐり捨てて各地で一斉に活動を開始したようだ。すでにギリシア近辺の幾つもの地域から似たような報告が挙がっておる。やがてこの間違った知識が普及したときには世界に大変動が起きるだろう」

「でもまた大地が平面だと信じさせたら元に戻るのでしょう?」

「そうはならない。なぜなら平面の世界よりも球の世界の方が存在させる費用が安上がりだからだ。一度安い方に落ち着けば、二度と高い費用を払いたがらないものなのだ」

「誰が費用を払わないですって?」

「世界がだ」

 俺の耳の穴からしゅっという音と共に蒸気が噴き出した感じがした。うう、賢者ってやつはこれだから。

 しかし大変だ。どうしよう。世界が終わってしまう。でも慌てても仕方がない。

 俺は頭を振り、この考えを追い払った。

「で、結局のところ、大地は平面なのですか球状なのですか」

「無論、平面だ」

「でも今日の講演では船のマストが先端から見え始めるのは大地が球状だからと説明していましたよ。実際そう見えるし」

「ごまかしだよ。いいかね」

 こほんと一つ、アモデス賢者は咳をした。

「海にはいくつもの波が同時に存在している。大きな波ほど数が少なくなるが、その上にさらに小さな波が無数に重なりあっているのが海というものだ。さて、今その大きな大きな波の底に船が浮かんでいたとする。このとき陸地から見えるのは船のどこの部分だね」

 俺はちょっと考えて答えを見つけ出した。窪地の底に船がいるなら、平地から見えるのは・・。

「マストの先端です。残りの部分は大きな波の下に隠れています」

「その通りだ。後は波が盛り上がるにつれて船の残りの部分も見えてくるようになる。つまりはその黒ローブの男は人間の誤解を招くように誘導して大地は丸いと信じさせようとしているのだ」

「大地が丸くなると何が起きるんです。我がレムリア帝国はどうなります?」

「そうだな」

 アモデス賢者はしばらくぶつぶつと何かをつぶやいていた。

「ギリシアの地が最初の変動の出発点となる。そこを中心にして球に収まるように世界が切り取られるだろう。必要な重力係数を繰り込んで、世界の湾曲率に挿入する。それからあれとそれを足し合わせて、三乗根を作り出すと。

 ギリシア周辺の土地とそうだな、レンの大地あたりまでが新しい丸い大地に取り込まれるのではないか」

「となるとレムリアは?」

「存在が許されない領域ということになる。このワシでもその結果がどうなるのかは正確には分からない」

 大変だ。俺の故郷が消滅してしまう。

「お主の任務は極めて重大なものとなっておる。何としてもそやつらの正体を暴き出し、これ以上の活動を止めなくてはならん」

 調和通信機が沈黙し、アモデス賢者の姿が消えた。


 大変なことになったぞと俺は思った。責任の重さに押しつぶされそうだ。

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