第9話 元町 一
俺は大学受験が終わったら千夜子さんに告白するつもりでいた。
まさか、こんなに早くそのチャンスが訪れるとは思っていなかった。
バレンタインデーに呼び出されてチョコを渡され、告白したら断られるとは思わなかった。
ショックだったが、何だか笑えて来た。
「こんな風にチョコ貰ったら勘違いするって」
強がりもあるが、客観的に考えてひどいことをするなあ、という愉快さも感じていた。
これは俺が悪い訳じゃないと思う。
「ねえ、進藤くんと桜さんのことがあったじゃない? もうすぐ念願の大学生だね。早いよね」
急に話題を変えてくるが、俺のことはお構いなしという感じで話し続ける。
「私ね、最初に二人の話を聞いた時に、凄いなあと思ったの。それだけ長く相手のことを好きでいられるなんてって感心していた。そしたら一くんに告白されて。一年以上前のことなのに今日もこうして好きだって言ってくれて。正直感動している」
「じゃあ、振らなくても良くない?」
「そうだね。断る理由はないかもしれない」
千夜子さんの気持ちがわからない。ただ、全く脈がないという訳でもなさそうだ。
「まあ、チョコを貰えて舞い上がって告白したのは否定できないからなあ。卒業までに告白したいとは思っていたけど、今日告白することになるとは俺も思っていなかったし」
「何で私に告白するの?」
「そんなの好きだからに決まってるじゃん」
「好きだと思いたい、とかじゃなくて?」
何を言われているか理解が追いつかない。
「どういう意味?」
「一くんはさ、私のことを好きでいないといけないと思ってない?」
千夜子さんは言葉とは裏腹に穏やかな顔で話を続ける。
「好きでいてくれたのは疑っていないよ。それは本当に嬉しいの。迷惑だなんて思ってない。でも、それは前の話じゃない?」
「何でそう思うの?」
「去年告白されて、一くんのことを意識するようになったの。それまでは仲の良い男友達だと思っていたし、恋愛感情を持たれているなんて思ってなかったから。改めて見ていて思ったの。一くんはライラちゃんのことが好きなんでしょ」
ライラのことは大切に思っている。けど、年末頃からあまり話もしなくなった。俺の勉強の邪魔をしていない様に見えたが、どこか元気が無いようにも思えた。
「二年生の文化祭で私とライラちゃんがナンパされたって話あったよね。あの時は告白を断ったばかりだったからかな、とは思ったけどライラちゃんの方を心配してるように見えたし、修学旅行で他のクラスの男の子にライラちゃんが告白されているのを待っている様子はただの同居人って感じじゃなかったよ? 三年生に上がる時にみんなで水族館に行ったよね? あの時もライラちゃんのことばかり目で追っていたの自分で気が付いてた?」
違う…………。
俺は…………。
「一くんは何で私に固執するの? まるで私に告白しなきゃいけないって決められているみたいに見えるよ」
喉から胃袋にかけてドロリとまとわりつくようなムカつきがある。
好きな人にこんなことを言われて、自分を諦めろって言われているようで、どうしようもなく悲しいはずなのに。
俺はまだ諦めていなかった。千夜子さんのことを好きだと思い続けることを諦めなかった。
「ライラのことは確かに大事に思っている。でも、それは妃乃に向ける感情と同じで家族だと思っているからだ。シスコンなんだとは思うけど、俺が好きなのは千夜子さんだ」
「妃乃ちゃんへの感情とは違うでしょ。それはさすがに無理があるよ。人の感情をこうだって証明するのは難しいけど…………」
溜息を吐いて俺の目をジッと見据える。
「私にそう思われちゃった時点でもう無理だよ…………」
何も言い返せなかった。俺は千夜子さんが好きだ。受験勉強も千夜子さんを支えに頑張ってきた。
「…………どうしたら俺が千夜子さんを好きだって証明できるかな」
「ライラちゃんに告白して付き合ったらわかるんじゃないかな。本当はライラちゃんが好きだったんだなって。それで満たされず、ずっと私に気持ちがあるようであれば、私のことが好きだってことになるかもね」
「そんなのライラを傷つけるだけだろ…………。今日の千夜子さん変だよ」
「そうだね。ライラちゃんを傷つけるようなことはしたくない。でもね、どうして私が変かどうかを一くんが決めるの? 残念だけど、私は元々こんな人間だし、それが最近になって表に出せる様になっただけだよ」
「…………それでも俺は千夜子さんが好きだ」
「ずっとそう言い続けるの? そこまで好いてもらえるなんて本当に嬉しいよ。じゃあ、付き合う?」
急に聞かれて言葉に詰まってしまった。即答できなかった。ライラの顔が頭に浮かんでしまった。
「ね? 一くんが諦めないで私を口説き続けるって言うなら、いつか私が折れるかもしれない。けど、その時の一くんは私と付き合う為じゃなくて、私への告白を成功させることが目的になっているだけだと思うよ」
何か言わなきゃいけないのに何も言葉が出てこない。
「一くんは私と付き合って本当に幸せなの?」
ライラと初めて出会った時のことを思い出す。幸せにする為に願いを叶えると言っていた。俺は何回告白しても嫌われない様になり、何回でも告白できる諦めない心を手に入れ、幸せになる為にライラからアドバイスを貰うことになった。
俺の幸せか。
俺は何がしたいんだ…………。
「一途に誰かを思い続けるのは格好いいと思うけど、一途な自分を演じる為の相手には私だってなりたくないよ…………」
千夜子さんの声が震えている。俺は喉と胸が締め付けられたが涙は出そうになかった。
「一くんの告白を受け入れれば、私はきっと幸せになれる。でも、私が一人幸せになるだけで、一くんとライラちゃんは不幸になる。私は私の大好きな友達と大好きな人が幸せになってほしいと本当に思っている。だって、二人のお陰でこんなに毎日楽しかったんだもん…………」
肩を上下に揺らし、ハンカチで目と鼻を覆ってしまい表情は見えない。
いや、表情なんか見なくたってわかる。
俺は何をやっているんだろう。
千夜子さんを傷つけてしまった。
大好きだった女の子を傷つけてしまった。
グッと歯を食いしばる様に呼吸を整えている。大きな溜息をついてゆっくりと顔を上げる。
「出来れば今は顔見ないで欲しいかな…………」
「…………ごめん」
「何で私が泣いているのか理由がわからないのに謝っているんだとしたら怒るよ」
「俺が、ライラを好きな気持ちがあるのに千夜子さんに告白したから…………?」
力無く肩を殴られる。もう一度さっきよりも力を込めて殴られる。
「それは私がそうなるように仕向けただけだから。チョコ渡して告白されないとこんな話できないでしょ」
もう一度殴られるものの、体重を預けられるような熱が伝わってきた。
「そうやって適当に謝る人は嫌い。私を当て馬みたいに扱う人は嫌い。振られて気まずいからって露骨に避ける人も嫌い。結局友達の為なら一生懸命になるのに文句ばかり言う人も嫌い。一年生の冬までに告白して来ない人も嫌い」
寄りかかっていた拳が解け、肩を握られる。撫でる様に二の腕を触られたが、スッと離れていく。
ハンカチで目頭と鼻を抑えながら、指を差す。
「温かい飲み物買ってきて。一くんの奢りで」
何でもいいから、と言われ公園の外にあった自動販売機に向かう。
あんなに感情的になっている千夜子さんを初めて見た。それを可愛らしいと思ってしまった。
それと同時に自分の気持ちにも気が付いてしまった。
俺は千夜子さんよりもライラが好きだ。ライラが魔神だからなのか、一緒に暮らしているからなのか、俺はライラを除いた誰かを好きにならなければいけないと自分に言い聞かせていた。
千夜子さんへの気持ちがゼロになった訳ではない。でも、去年の夏に告白をした時ほどの感情ではない。
自動販売機で買った飲み物を渡し、再び横に座る。
「こんな時にミルクティー買う人は嫌い」
何しても嫌われるなあ。ライラの魔法で嫌われないようになっていると思ったんだけど、あれはあくまで告白をしても、という意味なんだろう。
自分が撒いた種であれば、普通に嫌われるんだろうな。
不機嫌そうにミルクティーを飲みながら、温かさをじっくりと味わっていた。
「謝られるのは嫌だろうけど、ごめん。もうごめんしか言葉が出てこない」
「ライラちゃんのこと好き?」
「ああ、好きだよ」
「私のことは?」
「好きだったよ」
「最低だね。ここでハッキリ言える人は好きだよ」
フフッと笑う顔は憑き物が落ちたように明るかった。
それから少し下らない話をした。
受験中のこと、みんなのこと、卒業後のこと。
いくらでも話せた。千夜子さんとこんなに話したのは初めてかもしれない。
話も一段落した時、千夜子さんが寒そうに足を擦った。
「こんなに長話になると思わなかったから、さすがに冷えるね。一くんがすぐに認めないからだよ」
いたずらっぽく笑い、立ち上がる。
「ねえ、いつライラちゃんに告白するの?」
「今日帰ったら言うよ」
「そうして。すぐに行動に移せる人は好きだよ」
立川駅まで歩き、あっさりと別れる。
すっかり暗くなってしまった。寒かっただろうに千夜子さんには悪いことをした。本当に、謝っても謝り切れないほど悪いことをした。
モノレールの車窓から見える夜景をぼんやりと眺める。
窓に映る自分に問い詰められている気がして、目を伏せてしまう。
千夜子さんと別れ、家に着いたのは二〇時をまわっていた。
最寄り駅を降りてからの十分間は、暗さが不安を増長させたが、寒さが思考を鮮明にさせた。
ライラと話をしよう。
全てはそこからだ。
台所からはミネストローネの香りがしたが、既に夕飯は片付けられ、母さんと妃乃とライラがリビングでテレビを観ていた。
「ライラ、ちょっといいか」
客間に移り、ライラと向き合うと目に力がなく、物語の結末を察しているような顔をしていた。
千夜子さんから既に聞いているのだろうか。彼女のことだから事前にライラと話していてもおかしくない。
「二人で話がしたいんだけど、部屋に来てくれるか?」
「いいけど、外がいいかな。寒そうだけど暖かくしていく」
わかった、と言ってライラの準備を待ち、リビングにいる二人にも少し出掛けてくると伝えておく。寒いのに、という呆れた声が聞こえるものの、大学受験が終わった直後ということで大目に見てもらえたようだ。
ライラは帽子、手袋、コート、マフラーにカイロと万全の体調で玄関に来た。
着膨れたその格好は何だか滑稽で、これから真面目な話をしても締まらないな、とおかしくなってしまう。
雪は降らないまでも吐いた息がハッキリと見えるほどに寒く、鼻の奥がツンとする。
「千夜子さんと話してたんだけどさ、チョコ貰ったからいけるかなと思って告白したらあっさり振られてさ。酷くねえか」
そうだね、と微笑むものの会話が弾まない。静まり返った住宅地を目的もなく歩いていく。
いざ、ライラが好きだ、と伝えたところで別の女子に告白したその足で自分に告白してくる男なんて全く信用ならないだろう。
しかし、ここで淡い期待を打ち崩されて、こっぴどい振られ方をした方が良いのかもしれない。俺はそれぐらい最低なことをしようとしている。
ライラにかけられた魔法はライラ自身にも効果があるのだろうか。例えばライラに告白をしても嫌われないのだろうか。
「あのさ…………」
確認しようと喉まで出かかったがギリギリで思いとどまれた。
何をしようとしているんだ俺は。仮にライラの魔法がライラ自身にも効果があったとして、それなら大丈夫かと保険を打ってから告白するとでもいうのか。
どこまで俺はおめでたいやつなんだ。
俺が口ごもったことにライラは気が付いていないかのように、表情を変えず半歩後ろを遅れてついて来る。
「あのさ、こうやって二人で話すのも久しぶりだな」
そうだね、と静かに頷く。
「受験勉強の邪魔しないようにしてくれたんだろ? ありがとな、まだ一か月ぐらいあるからみんなと色んなところに行きたいな」
そうだね、と優しく同意する。
「ライラも大学行きたくなって来たんじゃないのか? 場所は違えどみんな大学や専門学校に行くとなると羨ましいとか思わないのか?」
そうだね、と落ち着いた調子で受け流す。
心ここにあらずといった具合ではあるが、それは俺も同じだ。
他愛ない話で間を埋めようとしているが、これだけ夜が広がっている中では、いくら言葉を重ねても埋めようのない溝が出来上がっている様に思えた。
「ハジメ、自動販売機で何か買っていい?」
俺の返事を聞く前にライラが自動販売機の明かりに吸い寄せられていく。
ガタン、と音をたててミルクティーを拾い上げる。
「ライラがミルクティー飲むなんて珍しいな」
「そうかな………。前から飲んでみたいなとは思っていたんだけどね」
あたかも初めからそこを目指していたかのように、お互い口に出さず近くの公園に入っていく。
この時間は当然のように誰もいないが、歓迎するかのように外灯がベンチを照らしていた。
寒くないか確認すると、短く頷くので二人で座ることにする。
切り出し方が全く浮かばないでいると、ライラが小包を取り出した。
「これ、チョコ。あげる」
普段だったら片言になっているのを面白がるが、絞り出すような声に、とてもそんな茶々は入れられなかった。
包みを開けると写真立てほどの大きさの箱が入っており、ピンク色の紙パッキンが敷き詰められた中にシンプルなハート型のチョコレートが一つ入っていた。
端をかじると、パキンと音を立てて割れた。
俺はお菓子を作ったことがないので大変さが分からないが、俺の反応を気にする臆病な顔を見れば一生懸命作ってくれたことは十分に伝わってくる。
「美味しいよ、ありがとう」
「本当に? 良かった」
ライラの笑顔を久しぶりに見た気がした。受験勉強が忙しくて話していなかったからだろうか。それともライラと真正面から向き合って来なかったからだろうか。
またチョコをきっかけに想いを伝えるのか。我ながら手札の少なさに呆れる。
「俺、ライラのことが好きだ。千夜子さんに告白しておいて何言ってんだって感じだろうけど、前からライラのことが好きだった」
「…………チヨコに何て言われたの?」
誤魔化すことはしたくなかった。ありのままの自分を受け入れてほしい、ということではなく、ライラと千夜子さんの関係が悪くならないようにしたかったから。
「俺が千夜子さんに告白して断られた。理由として意地になって告白しているって指摘された。本当はライラのことが好きなくせに、一途に思い続けるのが格好いいと思って千夜子さんに告白しているだけだって。そんな感じのことを言われた」
「それで? そう言われてハジメはどう思ったの?」
「最初はそんなはずないって反発してたんだ。だけど、ライラのことを好きになっちゃいけないって初めから決めつけていたのは事実で。ライラを除いて誰が好きかっていうことで千夜子さんを好きでい続けたことに気が付いたんだ」
ライラの目は物悲しい様にも、責める様にも、不安そうにも見えたが、呑気に緑色に輝く瞳を綺麗だと思ってしまった。
さっき買ったばかりの缶コーヒーがもう冷たくなっている。
「虫が良いのも分かっている。最低で節操がないことも自覚している。その上で聞いてほしい。俺はライラが好きだ」
「…………でも、私、普通の人間じゃないし…………」
「ああ、そこは俺もどうしようかと思っている。けど、人が魔神を好きになったっていいんじゃないか? 魔神側にもルールとかあるのか?」
「…………聞いたことない」
「ライラに迷惑をかけないならそれでいいや。結婚も出来ないかもしれない。いつかライラがいなくなってしまうのかもしれない。それでも好きだっていう気持ちを伝えたいと思ったんだ」
ありがとう、と小さく呟いた。
外灯に照らされているせいで、夜だってことを忘れてしまいそうになる。照らされている数メートルの光が境界の様に円の外を別世界にしていた。
「でも、正直どうしたらいいか分からない。チヨコのこともあるし、人間じゃないし…………」
「俺の叶えてもらった願いって覚えているか? 『何回告白しても相手から嫌われない』『諦めず挫けない心』『好きな子と付き合うためのアドバイスを貰う』っていう内容だったはずだ」
ライラが鼻をピクリと動かす。鼻先がほんのり赤くなっているのが見える。
「俺はこの後も何回だってライラに好きだと言い続ける。絶対に諦めない。だから、俺がライラと付き合うためのアドバイスをくれないか」
緑色の瞳から涙が溢れている。
「俺を幸せにする為に願いを叶えてくれたんだろう? 俺の幸せはライラと一緒にいることなんだ」
顔を伏せて、鼻をすする。手の甲で涙を拭う。
「ちゃんとアドバイス聞ける?」
「ああ。頑張るよ」
「これからもチヨコと仲良くできる?」
「ああ、むしろ今まで以上に仲良くなったと思う」
「私がチヨコと気まずくなったら仲直りするのを手伝ってくれる?」
「ああ、その心配はいらないと思うが、その時は全力で仲直りさせる」
「私は人間じゃないから結婚できないかもよ?」
「ああ、一緒にいれるならそれでいい。ずっとこのまま一緒にいよう」
「もう一回好きって言って?」
「好きだよ、ライラ」
「私も好きだよ、ハジメ」
ライラの鼻は冷たくて、涙が俺の頬を伝った。
ファーストキスはミルクティーの味がした。
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