第6話 伽藍 宗高

 部活着からポロシャツに着替え、教室に入る。

 少し遅れたはずなのに、教室には十名もおらず、全体の四分の一程度の人数だった。

 夏休みにわざわざ文化祭についての話し合いをする、なんていう面倒事に集まっている人数だと思えば多い方なのかもしれない。

「ガランー。こっちこっちー」

 真神と麗が前後に座り、隣の空いた席を指差す。

 別に一緒にいる必要もないのだが、あえて避ける理由もないので隣に座る。

 黒板の前に文化祭実行委員が話を進めていた。

 どうやら文化祭当日までのスケジュールを具体的にし、それぞれに仕事を振るということらしい。

 本来であれば、一学期末にはここまで決めておくべきなのだが、クラスの意見がまとまらず時間がかかってしまった。

 最終的には真神の、というよりは元町のプレゼンにより、たこ焼きを出店することでまとまった。今日俺がわざわざ来たのは、そのたこ焼きを焼く係に任命されてしまったからだ。欠席すると色んな奴から文句を言われて面倒なのは予想がつく。

 いつもは七人で固まっているものの、文化祭に関しては俺を含めて三人しか来ていない。

 元町と森は文化祭でライブをするのでそっちがメインになり、クラスの準備にはたまにしか来ない。進藤は自転車で琵琶湖まで行くということで夏休み中は来られない。祖父江はバレー部の夏合宿と大会が夏休み中にあるらしい。

 暇なのは俺と真神と麗だけだった。麗は黙っていれば本を読み始めるので楽でいい。真神は元町がいない分、相手をしなきゃいけない時間が多くて疲れる。ただ、嫌いなのであれば俺はこのグループからいなくなっているはずなので、意外と自分が真神を気に入っているんだと思う。放っておいても勝手に喋ってるからな。それはそれで楽ではある。

「じゃあ、伽藍くんとライラさんはたこ焼き機の使い方をマスターしておいてください」

 文化祭実行委員にそう告げられるも、話を聞いていなかったので流れがよく分からない。

 とりあえず真神についていけば大丈夫だろ。

「じゃあ、ライラちゃん、伽藍くん頑張ってね。私は看板作る係だから」

 そういって教室の外に出ていく。きっとスペースのあるところでベニヤ板を切ったりペンキを塗ったりするんだろう。

「ガランはたこ焼き作ったことある? 私はねー、いつも声出しばっかりだからあんまりないんだー」

 俺も経験はない。文化祭実行委員に説明すると困惑された。どうも真神は完璧に出来るものだと思っていたらしく、俺もあっさり引き受けたから自信があると受け取られていたようだ。

「まあ練習がてら作ってみてどんどんつまみ食いしよ! 中に何入れる? チョコとか入れたら不味いかな?」

 真神を止める人がいないため、あれこれ好き勝手やろうとしている。

 文化祭実行委員が伽藍くん頼むよ、と丸投げしてきたので相手をすることになる。早く帰りたい。

「文化祭楽しみだねー。ヒメノも来るんだって。ヒメノって知ってる? ハジメの妹なんだけど超かわいいの! ほら、この写真見て! 可愛いでしょ」

「元町に似てないな」

「そうなの! ハジメはママ似なんだけど、ヒメノはパパ似なの。ヒメノは中学三年生でこの高校に行きたいんだって。ハジメは口では嫌がってたけど、勉強見てあげてるし本当は来てほしいんだよ。素直じゃないよね!」

「元町はそういうやつだ」

「そうなんだよー。ツンデレなんだよ。チヨコはツンデレが好きじゃないのかな」

「どうなんだろうな」

 花火大会の数日後、元町は麗に告白をしたらしい。

 進藤に影響されたんだろうが、よく振られたやつを見た直後に告白する気になれるなと思った。

 詳細は知らないが元町は振られ、気を紛らわすように文化祭の練習に明け暮れているらしい。振られていなかったら麗と一緒にいるために文化祭準備にも顔を出していたのだろうか。だとしたらもう少し後で告白してほしかった。そうすれば真神の相手をしてくれていたはずだ。

「そういえばアイリの彼氏見た? 大人っぽい人だったよ」

 逆に祖父江は三年の先輩に告白をされて付き合い始めたらしい。あっちでもこっちでも恋愛している。些細なことで一喜一憂している姿は俺にはまだ理解できない。

「みんな恋愛してて凄いよねー。ガランは好きな人いないの?」

「いない。俺はそういうタイプじゃないんだ」

「そうなんだー。サンゴもそんなこと言ってた。ガランとサンゴって似てるよね!」

 森は比較的俺に近いタイプの人間だが、あっちの方が人情的だ。単に自分のことを話したくないだけかもしれない。俺は話したくないんじゃなくて話せるような話題もない人間だ。

「みんな好きな人と付き合えればいいのにね。あ、でもそれだとみんなで遊べなくなっちゃうのか」

 進藤のようにバイトの先輩をこっちに呼ぶ、というケースもあるがかなり稀だろうな。

 そもそも進藤は働いていることが多くて校外で遊ぶ時には不参加なことが多い。その上彼女が出来たら今以上に顔を出せなくなるだろう。

 そう上手くはいかないもんだな。

「あ、ミドリせんせー。見てみて、たこ焼き焼いてんの。食べるー?」

 たまたま廊下を通りかかったらしい平織先生が教室を覗く。

「みんな頑張ってるわね。伽藍もいるじゃない。あとで物理準備室に来なさい」

「じゃあ、今行きます」

「行ってらっしゃい。たこ焼きマスターしておくから!」

 先生からの呼び出されるのは面倒だが、話をするだけなら教室に残るよりは楽だろう。

 と、思っていたのだが想像より面倒なことで呼び出されていたようだった。

「まだ進路希望出してないわよね。夏休み中にこっちも処理しなきゃいけないの。今ここで書いちゃいなさい」

 白紙の進路希望書を渡される。就職か進学か。それぞれ希望はあるのかを提出しなければならない。

 なんだかんだみんなやりたいことが決まっているようだが、俺は何も決まっていない。

 決まっていないというか、やりたいことが何もない。

「就職も進学もしない場合はどうすればいいんですか」

「そう書くしかないけど、その場合は私と面談をする必要があるわ」

 それも面倒だ。何を話したところで進学しておけの一点張りだろう。平織先生は比較的生徒の意見を尊重しているので不快感はないのだが、簡単には逃がしてくれない。

 ここは適当に進学と書いて、適当な大学名を記入しておけばいいだろう。

 MARCHに含まれる大学を記入して渡す。が、受け取ってもらえない。

 腕を組んで俺の目をジッと見つめる。思わず溜息が出てしまう。

「大学行きたくないの?」

「行きたくないではなく、行く必要がないと思ってしまいます。高い学費に見合う価値があるように思えません」

「学費が安かったら行くの?」

「行かない理由が一つ減りますが、行く理由にはなりません」

 適当に合わせて帰るのが一番楽なことは分かっているが、嘘をついて大人をあしらいたいわけではない。俺はただ融通が利かない怠惰な人間なだけだ。

「じゃあ就職じゃない?」

「お金のために働くっていうのはわかりますが、俺たちの時代は頑張っても昔ほど収入も上がりませんよね。いつかは働くと思いますが、高校卒業と同時に働く意味が見出せません」

「そんなこと言っても再来年の四月には大学生か社会人になっているんでしょ? あなたは高校二年生の夏休みだから子供みたいなことを言っているだけで、その時が来たら何かを選べる人よ。だって選ばない方が面倒くさそうでしょ?」

 仰る通り。今の気持ちも決して嘘ではない。が、本心でもない。

 周りからの指摘や忠告をかわすために恐らく進学を選ぶと思う。

 そして無難な大学、無難な学部に行って、無難な就職先を選ぶ。俺はそういう生き方をしてしまう。

 そして、それを悪いことだとは思えない。

「進藤みたいに自転車で遠くに行け、とは言わないけど高校生のうちに何でも挑戦しておいた方がいいわよ、と立場上言っておくわ。個人的にはやる気がないなら家にいても構わないと思うけど」

「そうですね。一応部活は真面目にやっているんで傍から見たらスポーツに勤しんでいる様に見えるんじゃないですかね」

 バスケ部で真面目に練習しているのは本当だ。しかし、バスケが好きなわけじゃない。たまたま身長が高く、運動部から毎度のように勧誘をされ、運動していないともったいないだの勝手なことを言われるのが煩わしいので、分かりやすいバスケ部に入部して余計な質問をされないようにした。

 本気で取り組んでいるやつの邪魔をする気はないので、自分なりに真面目に練習はしている。しかし、必要以上のことはしない。そこまでの情熱はない。

「伽藍は好きな人とかいるの?」

「いません」

「欲しいものは?」

「ありません」

「したいこと」

「ありません」

「何もないのね」

「ありません」

 平織先生はこんな舐めた態度を取っても笑って流してくれる。

 他の大人は怒るか説教するか憐れんでくるので面倒くさい。だから俺も適当に返して最小限のやり取りで終わらせる。

 しかし、嘘ばかりついていても気持ちが悪い。本心を話しても面倒なことにならない人には甘えてしまう。

 だから俺は元町や進藤、祖父江、森、麗、真神と一緒にいるんだろう。

 あいつらは良くも悪くも俺に特別な興味があるわけではない。

 そして目の前にいる平織先生もそうだろう。

「先生の仕事の邪魔をするつもりはありませんので、進路希望書はそれで提出させてください。もしそこの大学だと他の先生に何か言われるようであれば、何も言われなさそうな大学に直しておいていいですから」

 物理準備室を出ようとすると最後に声をかけられた。

「甘えたくなったらいつでもいらっしゃい」

 失礼しました、と扉を閉めて教室に戻る。

 甘えられるなら甘えたい。だが、それも面倒なので自分からは行かないだろうな。

 部活の後に度々時間を取られるなんてたまったもんじゃない。さっさとたこ焼きを焼けるようになってあとは人に任せよう。

「お、伽藍じゃん。どこ行ってたんだよ」

 元町と森が連れ立って教室に来ていた。

「平織先生と話していた。練習は終わったのか」

「ちょっと休憩。珊瑚が気合入っちゃってて。もう腕がパンパンだ」

 指を広げたり、手首を回したりとストレッチをしながら文句を言う。森は真神の作ったたこ焼きを食べながら何かアドバイスをしている。

「チヨコ―。チヨコもたこ焼き食べなよー」

 仕事が一段落したのか暑そうに携帯扇風機を顔に当てながら教室に入ってくる。

 元町の顔を見て一瞬動きが固くなったが、気にせず真神と森のところに行く。

 少し罰の悪そうな顔をしながら元町がクラスメイトに進捗を聞きに行く。

 別に間を取り持てと言われたわけではないので、何かするつもりはないが、気になるので前のように普通に話していてほしい。

 まあ、振られた直後じゃそれも難しいか。

 俺は真神にどいてもらい、たこ焼きを作り始めた。

 無心で生地を回し綺麗な球になるように焼き上げる作業は想像よりは楽しかった。


 夏休みが明けて二学期に入ったばかりの九月十日。

 曙高校の文化祭一日目ということで朝早くから多くの生徒が登校をしていた。

 俺のクラスも開店準備のため、当日は普段の一時間目の始業よりも三十分早く集合するように指示されていた。

 時間ギリギリに登校したいところだが、たこ焼き屋の焼き物担当が何かの事故で遅れるとなると非常に面倒なので早めに登校する。

 駅から学校まで伸びる通学路には浮足立つ高校生が列をなしている。

 この高校は文化祭の翌週に体育祭をやるという過密スケジュールが引かれている。

 何でも受験勉強や中間試験に影響が出にくくするための苦肉の策なのだそうだ。

 そこまでしてイベントをさせたいという学校側の配慮は素晴らしいと思うが、あまり興味のない人間からすると、祭りに乗じて開放的になるやつらが多くて鬱陶しい。

 何か事件を起こす、ということはない。むしろ全校生徒が楽しみにしているイベントを誰かが馬鹿をやって中止にでもされたら全員から糾弾されてしまうだろう。そういう意味では普段以上に治安が良いので、悪いことばかりではない。

 悪いことではないんだが…………。

「伽藍先輩! あの、もし良ければうちのクラスのクレープ食べに来てください!」

 昇降口で上履きに履き替えようとしていると、おそらく一年生だろう女子に声をかけられる。その子の付き添いなのだろう二人の生徒も隠れてこちらの様子を伺っている。

 クレープの食券を渡してくる辺り、お金を負担させる訳にはいかない、という配慮は伝わってくる。こんな俺でも少しは微笑ましいと感じる。

「ありがとう」

 本当は受け取りたくないし、透けて見える好意に対し拒絶をしたいが、そんなことをしようものなら泣かれたり、怒られたり、余計な噂を立てられたり面倒くさい。

 食券を受け取ってそのまま自分の教室を目指す。後ろでキャーキャー言っているのは好きにすればいいのだが、それを聞いてジロジロこっちを見てくる周りの生徒が鬱陶しい。

 文化祭だの体育祭だのイベントがあると、さして仲も良くない人間が寄ってくる。

 相手の好意を邪険に扱いたい訳じゃない。傷つけることで自分の価値を高めようとなんて思ってもいない。ただ放っておいてほしい。

 そんなことを考えて重い気持ちで三階の教室に入ろうとすると、真っ黒に焼けた進藤が後ろから声をかけてきた。

「おい、伽藍。見てたぞ。大変だなー、いつもいつも。お、クレープか。みんなで行こうぜ!」

「ああ、助かるよ」

 行かないことで不要な恨みを買いたくない。集団で行けば周りが勝手に対応してくれるだろうから俺は義理を果たせる。

 俺の友達は俺の真意をどこまで汲み取っているのか、俺が望む方向に動いてくれることが多い。

 いや、これは自意識過剰だな。こいつらはお互い好き勝手やっているだけだろう。

 クラスで作ったTシャツに着替え、みんな開店前の最後の準備に向けて忙しく働く。

 元町が俺に気付いたようで軽く手を挙げるが、今日、明日とライブをするのでギターの近くでソワソワしている。そっとしておこう。

 同じバンドのはずの森は、接客係の麗と進藤がウエイトレスの格好をしているのを楽しそうに写真に撮っていた。進藤はキャラ的に女装をしていることに違和感はないが、真っ黒に焼けた肌がより一層悪目立ちをしていた。

 教室正面には既にたこ焼き機がセットされており、真神と祖父江が何やら話しながら準備を進めている。

 俺に気が付いた真神が、

「ガラン―。早く鉢巻してー」

 と白地に水玉模様の布を振り回している。真神たっての希望で焼き物係は鉢巻を標準装備になった。それで真神が満足するなら拒否するつもりはない。

 ありがたいことにほとんど準備は終わっており、あとは文化祭開始のアナウンスを待つのみとなった。立ち位置についていると、真神が俺の真似をして腕を組んで横に立ってくる。

「いいじゃん、伽藍。頑固おやじっぽさが出てるぞ!」

 進藤が面白そうに写真を撮っていると他のクラスメイトも面白がって囲み始めた。

 迷惑そうな顔をすればするほど、求めている絵になるのかみんな嬉しそうにしている。まあ、勝手に楽しんでくれる分には結構なことだ。

 そうこうしているうちにスピーカーから文化祭一日目の開始アナウンスが流れ、学校全体から唸り声が聞こえてくる。

 元町と森の演奏を聞きに行ける様に昼過ぎに休憩をもらう為、午前中は俺と真神で延々とたこ焼きを焼き続ける。

 教室には客席を置き、目の前でたこ焼きを焼いては教室の中で食べてもらうシステムだ。

 トラブル防止のために教室外での飲食は禁じられている。一般客も入るので服を汚したりそういったことへの対策だろう。

 進藤はバイトで培われたホールでの動き方が様になっており、ふざけた女装をしているにも関わらず、誰よりもキビキビと働き、不慣れなクラスメイトをサポートしていた。

 あっという間に満席になり、教室の外に列が出来るぐらいには繁盛してきた。

 席の回転を気にかけ、麗が入り口を出たり入ったりしているのを見るに客寄せパンダになっているのだろう。思えば男性客が割合多いように思える。

 廊下からは定期的に祖父江をはじめとした元気な生徒による宣伝が聞こえてくる。

 まだ九月上旬で、たこ焼きを焼く為のプレートの前にいるのは相当熱いが、この熱気はおそらく学校中で起こっているんだろう。

 首に巻いたタオルで顔を拭く。

 鉢巻が思ったよりも機能していて真神に感謝する。


 それは教室の中に入った時から違和感を発していた。

 空気が張り詰め、異物が混入したことを教室の人間が全員理解し、見て見ぬふりをした。

 二人掛けの席に通された男達は、自分を誇示するように不十分な声量で話し、乱暴な言葉遣いをしていた。

 跳ねる油が俺に注意する。しっかり焼けと。

「めっちゃ可愛いじゃん。君、連絡先おしえてよ」

 顔を上げると明るい色の髪をしている男が真神に声をかけていた。

「日本人じゃないよね。ハーフ? 留学生?」

「ハーフじゃないよ。留学生みたいなやつ」

 真神が答えたことにより、男はグイグイと距離を詰めはじめた。真神はどんなやつにも気安く接してしまうので、迷惑がっているのか判断がつかない。

「お客様、他のお客様のご迷惑になりますのでお席にお戻りください」

 作り笑いを浮かべ、麗が止めに入る。

「おお、さっきの子じゃん。え、っていうかここ女子のレベル高くね?」

 自分の席に戻りながら連れの男に真神と麗を指差し、盛り上がっている。

「ライラちゃん、大丈夫?」

 小声で真神の心配をする麗は表情こそ毅然としていたが、少し震えているようにも見えた。

 教室は何事もなかったかのように時間が過ぎていく。

 しかし、二人の男の周囲が強調されているような、全員の注意がそこに向けられているように思えた。

 大勢の客が入ればそういう輩だって少しはいるだろう。まして高校の文化祭だ。ナンパ目的に来るやつだっているのは知っている。

 真神や麗のような目立つ女子であれば、声ぐらいかけられるだろう。

 プレートから引き揚げたたこ焼きをプラスチックの容器に並べていく。仕上げを任されている真神からいつもとは違う落ち着きのなさを感じるが、これは俺の主観なのだろうか。

 その男達が注文したたこ焼きをホールのスタッフに持って行ってもらおうとするが、みんな自分は今別の仕事をしているので運べない、という訴えを背中から発していた。

 廊下で列整理をしていた何も知らない進藤が戻ってきて、ホールの仕事に戻ろうとする。

 出来上がったたこ焼きと注文があった席を確認し、男達の席へ運んでいく。

「お待たせいたしました。たこ焼き二つですね」

「は? 何その格好。滑ってんぞ。そこの女子に持って来させてよ」

 麗を指差し、手を挙げて声をかける。教室内の会話を全て遮るような声で麗を呼ぶ。

「すみません、文化祭のノリなんで滑ってんのは見逃してください。あと、大きな声出しちゃうとみんなびっくりするんで。勘弁してください」

 普段のバイトでも毛色は違えどクレームや態度の悪い客を相手にしているのか、角が立たないように穏便に済ませようとする。あいつはこういう時に頼りになるな。

「しつけーなあ。お前はもうあっち行っていいから。これは次の客に出していいよ。次はあの子に持って来させろよ」

 進藤の対応では満足いかない様子で、頑として引かない。

 隣の席にいた男性が注意をすると、もう片方の黒髪の男がそちらを睨んで立ち上がる。

「ちょっと、マジでやめましょ! 文化祭なんすから、ね? 他のお客さんを巻き込むのは違くないっすか?」

 進藤が焦りながらも注意をした男性を庇う様に間に入り止める。

 問題の男達も自分に嚙みついてきた相手への苛立ちもあるが、ギリギリ暴力や恫喝にならない様に圧をかけてトラブルを楽しんでいる風にも見える。

 不運なことに注意をした男性も気が短いようで、引く気はない様だ。

 他の客が無かったことにしようと教室から出ようと席を立つ。が、異変に気付いた野次馬が教室の扉を塞いでしまい、収拾がつかない。

 これだと誰かしら教師が仲裁に来る頃には、もう一波乱起きてしまいそうだ。

 何でみんな気が大きくなってしまうんだろう。そもそもナンパをするつもりならもう少しスマートにした方が成功するだろうに。

 たこ焼き機を真神に任せ、事態を収めようと向かうが、麗が先に動いてしまった。

「何なんですか、さっきから。迷惑だから帰ってください」

 当事者として反射的に口を出してしまったのだろう。ただ、もう少しだけ待って欲しかった。動きが遅かった俺にも非はあるが。

 事の発端となった麗への興味は失せたらしく、自分に噛みついてきた生意気な相手と見做したようで黒髪の男が麗を黙らせるように凄む。

 麗の肩を引き寄せ、前に出る。

「落ち着いてください。この騒ぎなのですぐに教師が駆け付けます。面倒だと思うのでここはお引き取りください」

 進藤から離れる様にわざとらしく右腕で制する。

「あ? 何だてめえ、この手は? 先に手出したのはおめえだからな」

 俺の右腕が胸に当たった瞬間、待っていましたと言わんばかりに手首を掴み、嬉しそうに笑う。

「離してください」

「格好つけて先に手出してきたのはてめえだろ?」

 身長は若干俺の方が高いものの、十分大きいその男は俺の胸倉を掴む。先に目を逸らしたら負けだとばかりに鋭くこちらを睨んでくる。

「やめなさい! あなたたち! ちょっと、離れなさい! 関係者は全員職員室に来てください!」

 野次馬を押しのけて三名の先生が駆け付けてくれた。

 さっきまで楽しそうにしていたクラスメイトも悲しそうな顔をし、泣き出す生徒もいた。

 廊下の人混みがサッと割れて道を空ける。

 遅れてきた先生達がガヤガヤとした生徒たちを落ち着かせながら、散っていくように指示をする。

 二階にある職員室までの道のりで二人の男に因縁をつけられたが、俺は時間が気になってしょうがなかった。元町達のライブには間に合うように終わるだろうか。


 結論から言うと開始時間には間に合わず、最後の曲のサビ辺りから聞くことができた。ほんの二分ぐらいだろうか。

 進藤と走って四階の音楽室に向かい、何とか音楽室の前に到着した時には満員で入りきらなかった人が溢れ、音楽室の中から珊瑚の歌声が聞こえるだけだった。

 問題が起きてからここまで一切感情を出さなかった進藤が悔しそうに舌打ちをする。

「ふざけんなよ、マジで…………。おお、伽藍も珍しくキレてんじゃん」

 さっきまで眉間に皺を寄せていた進藤が、俺と目が合いフッと笑う。

 咄嗟に自分の顔を触る。そんな感情的な表情になっていたのか。

 零したものをかき集める様に、くぐもって聞こえる珊瑚の歌に集中する。元町が鳴らしているだろうギターの音が曲の終わりを告げ、盛大な拍手が聞こえてきた。

 二人並んで手を叩き、溜息をつく。

「わりいな、一回で引くと思って対応ミスったわ」

「いや、俺も遅かった。悪い」

 ぞろぞろと音楽室から観客が出始め、次のグループを見に来た人たちが入場を今か今かと待つ。

 人混みの中から祖父江が俺たちに気付き、人混みを抜けて合流しようと階段を指差す。

「大変だったねえ。怒られた?」

 その場にいなかった祖父江も麗や真神から話を聞いたようで労ってくれる。

「まあ最低限はな。俺達が被害者だっていうのは先生達も分かってくれているから。建前上って感じ」

 問題になった三名は部外者ということで個人情報の観点から職員室には入れられず、すぐ横の謎の準備室に通された。こんな部屋あったんだな。

 しょうもない結末だが問題を起こした二名と止めにはいった男性はいずれも学校の卒業生だった。

 発端となった男二人の主張としては、自分たちはナンパをしていたものの、常識の範囲内であり、自分たちの代ではあれぐらい普通だったと話し、半端な正義感で問題を大きくされたと弁解する。

 が、二年前に卒業したという二名は当時お世話になったのであろう教師が来ると、それ以上の抵抗はしなくなった。

 止めに入った男性も母校の文化祭を輩に台無しにされてはいけない、と穏便に注意したつもりだったが逆効果になってしまったことを学校に謝罪していた。

 教師陣も広義的には学校関係者だけで完結できることにホッとしたのか、それぞれに注意をし、俺たちは解放された。

「シンド―、ガラン、ありがとね。私が相手にしちゃったから」

 真神が見るからに意気消沈しており、泣かないまでも顔を曇らせていた。

「真神は悪くないから気にするな。あそこで止められなかった俺のせいだ。悪かった」

 何で俺はあそこで動けなかったのか。あの時に上手く止めていればこんな面倒なことにはならなかったし、元町達のライブもしっかり見られていたはずだ。

 自分が面倒臭がったことで周りに迷惑をかけてしまったし、自分も損をした。

 自己嫌悪に苛まれていると、不機嫌そうな麗が進藤に礼を言う。

「進藤くん、ありがとう。伽藍くんも間に入ってくれてありがとう」

 明日もあるし切り替えて行こうぜ、と進藤が快活に笑う。

 教室に戻ると騒ぎなど無かったかのように賑わっていた。装飾が破壊される様な目に見える変化がなかったのは不幸中の幸いだな。

「あ、ヒメノとママ! 来たんだねー。ハジメのライブ見た?」

 元町の母親と妹か。元町は母親似なんだろうな。眉の辺りが特に似ている気がする。

 対して妹はあまり似ていないから父親似なんだろうか。見知った真神がいて安心しているようだが、高校の文化祭の騒がしさに縮こまっているようにも見えた。

 真神は二人とも回ってくる、と言って連れ立って行ってしまった。

 さて、まだ休憩時間だしどこで暇を潰すか。

「クレープ屋行くか。さっき伽藍が一年の子に招待されてたんだよ。伽藍の奢りってことで二人も行こうぜ」

「いや、食券は一枚しか貰っていないなんだ」

 祖父江と進藤はクレープに気持ちを高ぶらせ、一年生の教室がある四階への階段を再び登り始める。麗も甘いものが好きなのか、さっきまでの不機嫌さの上に表に出さない喜びを重ねているように見えた。

 まあ、三人がいれば何かあっても適当にあしらってくれるか。

 繫盛はしているものの、そこまで長くは待たされないようで四人でクレープ屋の列に並ぶ。

 三人が何味にするか楽しそうに話し合っていると、呼び込みをしていた女子生徒がこっちを見た途端にわざとらしく教室に駆け込んでいった。

 数秒後、教室の扉から別の生徒が顔を出した。おそらく食券をくれた子だろう。ハッキリ顔を見ていなかったが、あんな顔だったと思う。

 俺にわざわざ見せつけようとしているのかはわからないが、キャーキャー言っている声が廊下でも聞こえる。

「さっすが伽藍先輩はおモテになりますねー。一人ぐらい俺にも紹介してくださいよー」

 進藤が下品さを誇張してからかってくる。相手にする気もないので聞き流していると、一緒になってニヤニヤしていた祖父江を上級生らしき男が呼びかける。

 どうやら祖父江の彼氏らしい。話には聞いていたが直接会うのは初めてだ。

 前に自分の身長を気にしない人、熱い人が好きと言っていたが、確かにその二つは満たしていそうだ。身長は進藤と同じぐらいなので祖父江より数センチ高く、何かしらの運動部に所属していそうな雰囲気を醸し出している。

「ごめん、すぐ戻るから。悪いけどこれで買っておいて。チョコバナナね」

 クレープの代金を渡し、彼氏に連れられて何やら話し込んでいる。

 見ようと思えば難なく見られるが気を遣って三人ともわざと視界に入れない様にしていると、進藤がスマホを取り出し慌てる。

「やべえ、桜さんから連絡来てる! ちょっと下まで迎えに行ってくるから後頼んだ! 何味でもいいから二つ買っておいて」

 こちらの返答も聞かずに足早に駆けて行ってしまった。

 麗と二人取り残されてしまうが、麗は大人しいので楽でいい。

「伽藍くんって甘いもの好きなの?」

 間を取り持つというよりは、好きじゃなさそうという予想の答え合わせをされているように見えた。

「いや、好きではない。食券をもらったからな」

 やっぱりそうだよね、と言って会話が終わる。無駄に詮索してこなくて助かる。

 あっという間に列は進み、教室の中に通される。

 入り口で注文をし、空いている席に案内されるようだが、桜さんも入れて五人になるので、混雑時用の立ち食いスペースを希望する。

 どうも教室にいた女子生徒はみんな俺のことを知っている様で、仕事の傍らに食券の子に目配せをしている。

 俺の気のせいだと思いたいが、きっと気のせいじゃないのだろう。

 視線が俺よりも麗に集まっているように感じる。そして麗もそれに気が付かない振りをしているように見える。

 俺に好意を持っている子を応援したり、面白がったりしているのだろう。そんな中に女子と二人で来店すれば彼女だと思うか何かしら親しい関係性なのかと勘繰られるのはしょうがない。あの二人がいてくれればこうはならなかったのに。運が悪い。

 食券の子が俺たちに出来上がったクレープを順番に渡してくれるのだが、不満と悲しさを隠さず黙々と渡してくる。

 キャーキャー言われるのよりも楽でいいのだが、麗に向けられた視線は徐々に敵意に変わっているように思える。

 麗には申し訳ないと思うものの、何かされたり起こった訳ではないので謝るのもおかしな話だ。

 クレープを受け取って立ち食いのスペースに行くと、麗は不機嫌そうな表情に戻っていた。

「伽藍くんさ、さっき助けてくれてありがとね。あれぐらいじゃ好きにならないから安心して」

「そうか、ありがとう」

 俺がどうのということはなくても、変な男に絡まれて怖い思いをしたところを助けてもらった、なんてことがあれば好意を持たれる理由としては十分だろう。

 しかし、元町の好きな人であり、友達である麗に好意を持たれたいとは思わない。

 勘違いするなよ、というのは勇気がいるだろうに、俺に変な気苦労をさせないために言ってくれたんだろう。少し安らいだ気持ちになる。

 話を済ませた祖父江が教室に入ってきて麗からクレープを受け取る。

「あれ、千夜子怒ってんの? 伽藍とケンカでもした?」

「別に。後で話すよ」

 祖父江が来るまで我慢していたのであろうストロベリーのクレープを思い切りかぶりつく。

 普段よりも豪快に見える食べっぷりを見て、さっきの言葉は俺への気遣いではなく、八つ当たりだったのかもしれないと考え直す。

「まあクレープ食べて元気出しなよ。って伽藍は何で笑ってるの?」

 何でもない、と言って二人がクレープを食べているのを眺める。

 俺はちゃんと文化祭を楽しんでいた。


 文化祭の初日が終わり、教室に戻ってきたクラスメイトたちはガヤガヤと話をしながら、明日に向けての反省と準備に終われる。

 元町と森は明日クラスの仕事に参加するものの、後夜祭でステージに立つのでゆっくりと散策する時間がない。

「はあ、疲れた…………。俺も色々回りたかったなあ」

「来年は受験も控えているから演奏するかわからないし、来年みんなで回ればいいじゃん」

 祖父江に買い与えられた焼きそばを食べながら森が突き放しつつも励ます。

 元町は焼きそばを貰いながら、いつもの様にぐちぐち文句を言っている。明日どっかに連れていくか。

「あーあ、明日で終わりかー。ぼちぼち本格的に受験勉強する人も増えてくるんだろうなー。嫌だー!」

 祖父江が進藤に八つ当たりをし、言葉とは裏腹に祭りの後を楽しそうにしている。

「でも、明日も文化祭だし、来週は体育祭でしょ。で、十月末には修学旅行があって。まだまだ楽しそうなイベントはいっぱいあるじゃん」

「そうだよー! 沖縄楽しみだなー! 海行きたい!」

 麗と真神が祖父江を元気づけつつ、他人事のように今後の計画を楽しそうに話す。

 もう二年の九月なのか。本当にあっという間だな。

 イベントがあって楽しみではあるが、祖父江の言う様に本格的に受験生になるし、気が付けば卒業してしまうんだろう。

 もう折り返し地点は過ぎている。いつまでも子供のままではいられない。

 進路は決まらず、何も変わっていないが、今は楽しい高校生活を満喫しよう。

「明日はどのクラスを回ることにする?」

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