第5話 進藤 斑鳩
七月のバイトのシフトを提出する頃、俺は人生の岐路に立たされていた。
同じバイト先の先輩である
同じバイト先で働くようになってから丁度一年が経とうとしている。たまたま近いタイミングで採用されたこともあり、三つも年上なのにも関わらず同期だね、と仲良くしてくれている。
二十歳の大学二年生からすれば、十七歳の高校二年生なんて、いいとこ可愛い弟ポジションにしかなれないだろう。
それは頭ではわかっているし、友達に同じ境遇のやつがいたら無謀だから女子高生と付き合っておけと諦めさせるに決まっている。
しかし、好きになってしまったものはしょうがない。大人の余裕に惹かれ、憧れてしまった気持ちは止まらない。
しかし、普段からそこそこ仲良くしてもらっているとは思うものの、桜さんに彼氏がいるのかを俺は知らない。
怖くて聞けない、ということもあるが、聞いてしまうことで自分が好意を持っていることに気付かれて距離を取られることを思うと、尻込みしてしまう。
好きでもない女の子であれば、冗談交じりにいくらでも声をかけられるのに、いざ本当に好きな人が相手になると、そんなことすら聞けないでいる自分が女々しくてみっともない。
「という訳だ。協力してくれ。彼氏がいるかを聞いてくれるだけでもいいから」
一と伽藍にラーメンを奢り、その見返りとして相談をする。
一瞬で平らげてしまったラーメンと面倒そうな相談内容を天秤にかけて、二人が騙されたという様な顔をする。
「話はわかったけどさ、俺らが聞いたところで桜さんに気付かれると思うぞ? きっと進藤くんが友達経由で探り入れてきたんだろうなって」
「いやあ、そうかもしれないけどさ。その辺も含めて一緒に作戦立ててくれよー」
一は嫌そうな顔をするも、どうしたら上手く聞き出せるか腕を組みながら考えてくれている。面倒だと思っているのは本心だろうが、それでも友達の為に最大限の助力はしてくれる。そういうやつだ。
「何も聞かずに今日この後告白すればいいんじゃないか? 年齢は今後も埋まらないんだから後に回しても結果に影響はないと思うぞ」
「良いわけないだろ! このモヤモヤを晴らしたいって相談じゃねえんだよ! どうにか成功させる方法はないか一緒に考えてくれって言ってんだよ!」
相変わらず伽藍はどこか投げやりというか良くも悪くも成る様にしかならない、という言い方をする。しかし、落ち着いたい話し方はどこか説得力がある気がしてしまい、危うく丸め込まれそうになる。
頼むからラーメン代ぐらいの働きはしろ。
ラーメン屋のおっちゃんからは青春だねえと茶化されたので助言を乞うと、女子高生と付き合えるのなんて今だけだぞ、と羨ましがるスケベ親父的なアドバイスしか貰えず参考にならなかった。
午後の授業に間に合う様に店を出て、学校に戻る。
曙高校は校則らしい校則がない。昼休みであれば外に食べに行っても咎められない。無銭飲食と授業に差し支えるような匂いのするものを食べてこない様に、という法律とマナーを守れば何も言われない。
その為、ラーメンにニンニクを入れまくることは数少ない校則に触れてしまう。厳しい学校だ。
一は文句を言いながらも色々と考えてくれているようだが、見込みのあるような具体案は出てこない様だ。
「女子に相談するっていうのはダメなのか? あんまり話したくないとか?」
「いや、そういうのは無いな。単純に六人分も奢るのが負担だったってだけ」
男子二人を懐柔してしまえば、女子は何だかんだ乗ってくるだろうからな。
二人分のラーメンだって決して安くはない。
とは言っても、確かにこの件に関していえば女子の意見を聞いてから本格的に悩んだ方が良さそうだな。遠回しに聞いてくるなんて女々しい、と一蹴されるかもしれないし。
「遠回しに聞いてくるなんて女々しいから止めた方がいいよ」
俺が危惧していた回答と一言一句違わず、珊瑚ちゃんがど真ん中ストレートに投げ込んできた。
「うーん、気持ちは分かるけどね……。友達経由で聞いているのが分かるとマイナスに思われる可能性はあっても、プラスにはならないだろうからねえ」
千夜子ちゃんも最大限の配慮をしつつ、俺の案にはハッキリ否定している。しっかり意見してもらえるだけありがたいのだが。
「なんでシンド―は直接聞かないの? 聞いても答えてもらえないの?」
いつものようにライラちゃんが痛いところを突いて来る。言い返せない正論は最後にしてくれ。
「これは緑先生に聞くのがいいんじゃない? 女子大生の経験がある人に聞いた方がいいよ」
愛里ちゃんがここに来て実行可能でかつ現実的な提案をしてくれる。
「でも、学校の先生に恋愛相談ってどうなん? 珊瑚ちゃん的には女々しい感じする?」
「遠回しに聞くよりはマシでしょ。桜さんにはバレないし。進藤がちょっと恥かくだけでしょ」
やっぱり恥ずかしいことではあるよな。四の五の言っていられる立場ではないし、使えるものは何でも使っておくか。
物理準備室をノックすると次の授業の準備を進めている先生がいた。
「緑ちゃん、相談があるんだけど今いい?」
「ちゃんと緑先生って言うなら話ぐらい聞いてあげるわよ」
「緑ちゃん先生、相談があるんですが今お時間ございますでしょうか」
「そこまでちゃん付けしたい理由を聞かせてほしいけど。相談って何? 期末試験のこと?」
溜息まじりに手を止めて、真っすぐに俺を見据えてくる。
俺のキャラ的にこういう真面目な話をするのは気が引けるんだよなあ……。
かくかくしかじか事情を説明すると、馬鹿にすることもなく、ちゃんと答えてくれた。
「関係値が分からないから年齢差による成功率については何も言えないわね。彼氏がいるなら諦めようっていうのなら事前に聞いた方がいいし、彼氏がいても思いを伝えたいっていうなら聞かずに告白すれば? 花火大会に誘うのはいいと思うわよ。ある程度仲が良かったら誘われて悪い気はしないだろうし。強いて言うならいきなり二人でって言うよりは他の人も交えてみんなでっていう方が承諾しやすいんじゃないかな。まあこれも関係値次第だけど」
そんなこと気にするような人だったのね、とか言われると思っていたんだけどな。想像の何倍も丁寧に向き合ってくれる。
「先生のストライクゾーンって何歳から何歳まで?」
「プラスマイナス三つぐらいかな。とは言っても素敵なおじさまがいれば一回り上でも構わないし、頼りになるしっかりした人ならいくら若くても惹かれるでしょうね」
言い方から経験即ではない気がした。これまでは近い年齢の人としか付き合ってなかったのかな?
「でも大人になってからかなあ。その子は二十歳なんでしょ? 二十歳ぐらいだと無条件に年上が魅力的に見えたりするからね。もちろん、年下を可愛いって思ってリードしたがる人もいるから個人差あるけど」
「そうだよなあ……。ありがとう。真面目に答えてくれて」
これも仕事の一環だから気にしないで、とクールに言い放つ。
本当に仕事だと思っているならもっと適当にあしらっていると思うんだけど。
礼を言い、物理準備室の扉を閉めながら俺は年上のお姉さんが好きなんだろうな、と自分のストライクゾーンの上限を高めに設定し直す。
教室に戻るとみんなが花火大会の話をしていた。
俺が問題なく誘えれば遠くからニヤニヤと見守って、失敗するなら花火に照らし出された俺の涙を見ようという魂胆らしい。どっちにしろ俺にはマイナスでしかない。
一とライラちゃんが何かに揉めているのを眺めていた千夜子ちゃんが気にかけてくれていたのか尋ねてくる。
「緑先生は何て?」
「いきなり二人で誘うより、他にもいた方がいいんじゃない? 的なことを言われた。とりあえず一緒に花火大会に行ければタイミングさえあれば告白なんて出来るだろうからな。そっちの方向で考えてみるよ」
「じゃあ、サクラも誘ってみんなで行こうよ! サクラともっと話したいと思ってたし」
ライラちゃんがいつも通り突拍子もないことを言ってくる。
さすがに三つ下の高校生七人を引き連れて行くのは桜さんからすると嫌だろう。
一も同じ意見だったようでライラちゃんの暴走を止める。
だが、その提案について賛同する人もいた。
「いいんじゃないか? 俺たちからいきなり彼氏がいるかを聞くよりは何倍もマシだろう。嫌なら断られるだけだ。真神ならいきなり誘っても変じゃない」
伽藍が腕を組みながらライラちゃんを見て話す。
ライラちゃんがハイタッチを要求すると、黙って手だけ出しそのハイタッチを受ける。
そんなもんか、と他の女性陣を見やるも意見は割れていた。
「私が桜さんの立場だったらちょっと困るけど、どうなんだろう……。私よりは断然人当たりはいいし、面白がってくれるのかもしれないけど」
「私はライラと伽藍に賛成かな! とりあえず、聞いてみるだけ聞いてみればいいと思う。嫌そうならリアクションで分かるだろうからすぐに撤退すればいいよ」
賛成三、反対三と綺麗に別れた。残す一人は辛辣にご意見をくださる珊瑚ちゃんだが……。
「桜さんってどこの大学なんだっけ?」
「中大って言ってた。実家はどこか知らないけど一人暮らししているっていうのは聞いたことがある」
「ならいいんじゃない? 聞いてみる価値は十分あると思うよ」
「何で中大だといいんだ?」
「大学っていうより、一人暮らしってことで考えただけなんだけど。地方から立川に来ているなら花火大会に一緒に行く人は少ないと思うんだよね。大学の友達と行く可能性は高いけど、誰かと行くかもなんていう可能性は潰せないから聞く価値はあると思った」
おおー、という歓声を受け、止めてよと顔を赤らめる珊瑚ちゃんの意見が一番納得できた。
多数決上でも賛成四、反対三で桜さんを俺たちと一緒に花火大火に行かないかを誘うことになった。
ライラちゃんのコミュ力の高さは認めているが、同じぐらい要らんことも言ってしまう子だ。転校したての頃に比べればだいぶ落ち着いてくれているが、心配は尽きない。
これだけ友達に協力を求めておきながら図々しくもそんなことを考えてしまう。
バイトのシフトを提出しなければならないこともあり、今日の内に決行に移した。
幸い桜さんは俺と一緒でほぼ毎日働いているので今日も夕方からシフトに入っていた。
これだけバイト漬けの時点で彼氏がいない可能性は高いと思えるが、見た目も性格も良い彼女に彼氏がいる可能性の方がはるかに高い。
伽藍と愛里ちゃんは部活があるということで今回は不参加となり、一、ライラちゃん、千夜子ちゃん、珊瑚ちゃんの四人が作戦を実行してくれる。
細かいことは任せておけ、と一が頼もしいことを言っていたので一任する。
ライラちゃんの扱いは一に任せておくのが一番だ。
みんなより先に店に入り、準備をする。
控室に入ると丁度店の制服に着替え終わった桜さんが出てきた。
「進藤くん、今日もよろしくね」
いつものように明るい笑顔を向けてくれて、それだけで今日も頑張ろうと思える。
入れ違いで男女兼用の更衣室に入ると、制汗剤のような甘い匂いがしてドキドキしてしまう。
「今日はお友達来ないの?」
カーテン越しに声をかけられ、匂いにドキドキしていたことを糾弾されたのかと思って冷や汗をかく。
「全員じゃないけど来るって言ってましたよ」
希望を持てるとすると、桜さんはシフトが重なると毎回みんなが来るのかを聞いて来る、来ると言えば少し嬉しそうにするし、来ないと言えばがっかりするような態度を見せる。
俺の友達に少なからず好印象を持っているのではないかとは思うが、間を埋めるための挨拶のようにも思えるので油断はできない。
着替えを終えて勤務までの数分、控室で二人きりになる。
七月のシフト希望表を確認すると、桜さんはまだ未記入のままだった。
「進藤くんは花火大会行くの?」
想定外に向こうから聞かれてしまった。不用意にシフト希望表なんか確認した数秒前の自分を締め落としてやりたい。
「そっすね。調整中っす」
「そうなんだ。彼女と行くの?」
「え、いやいや。彼女なんかいないですよ」
「あれ、そうなの? てっきりいつものお友達の中の誰かなのかと思っていたのに。みんな可愛いし選びたい放題じゃん」
もう時間だね、と言って控室から出て行ってしまう。
彼女が出来たこともなく、女心のわからない俺には今のがポジティヴな反応なのか、ネガティヴな反応なのかが全くわからなかった。
しばらくすると、一たちが来店してきた。
いつものように席まで案内をするも、意識が仕事に集中しない。
この場合は作戦を決行すべきなのか、一旦立ち止まるべきなのか、もう俺には判断がつけられない。一度みんなに相談したいのだが、近くに店長がいた為、報告が出来ない。
長話をする間もなく、仕事に戻るも去り際にみんなが親指を立てているのだけ見えた。あいつらはすぐにでも作戦を遂行するだろう。
考えたところで正解はわからない。もうどうにでもなってくれ。
出来るだけ一たちの席に近づかないように仕事に集中しているフリをしていると、桜さんが呼び止められて何かを話しているのが目の端で捉えられた。
注文を取っているだけかもしれないし、花火大会に誘っているのかもしれない。
気もそぞろに過ごしていると、厨房から料理を運び出す際に、後で話そうとだけこっそりと声をかけられた。
それからの仕事のことは覚えていない。
花火大会当日。期末試験も無事に終わり、夏休みが始まって一週間が経過した頃だった。
Lineで日常的に連絡を取り合ってはいても、顔を合わせるのは終業式以来だ。
毎日のように顔を合わせていると数日会わないだけでも久しぶりに思えてしまう。
立川駅は花火大会に参加する客で大混雑をしており、六〇〇メートルほど離れた花火大会の会場入り口まで既に長蛇の列が出来ており、警備員が誘導している。
本当にここで待ち合わせでいいのか? と、立川駅の待ち合わせスポットになっている壁画前に立っていると、
「ごめんごめん、お待たせ」
履き慣れていない草履をパタパタと鳴らしながら浴衣姿の桜さんが小走りでやってきた。
「全然待ってないですよ。今来たところです」
「それって結構待ったやつだよね」
本当に一分ぐらいしか待っていないが、わざわざ誤解を解くのも面倒なので話を流す。
一たちが桜さんを花火大会に誘ったその日の帰り際、桜さんが着替え終わって控え室で待っていた。
「外で待ってるね」
怒っている様子はなかったものの、言いたいことだけ言って店を出てしまう。
俺は意味も分からず、ただ桜さんに不快な思いをさせていないことだけを願いながら急いで追いかけた。
「お腹減ったね。牛丼でも食べに行く?」
二一時過ぎなのでまだ人通りは多いものの、今からゆっくりご飯を食べるというには少し遅かった。俺が高校生でなければ、このまま居酒屋とかに行くんだろうけど。
何故か桜さんに切り出されるのを待ってしまい、本題とは関係のない話をしながら北口側の松屋まで歩く。
北口側に出るための地下通路を歩いていると、桜さんが唐突に話し始めた。
「さっき進藤くんの友達の外国の子に花火大会に誘われたよ」
クスクスと笑う仕草にドキッとしながら、何を言われるか身構えてしまう。
「あの子面白いね。『サクラともっと話したいから、花火大会行こうよ!』ってさ。よく来てくれたし一応顔見知りにはなるんだろうけど、まさか遊びに誘われるとはね」
「突然すみません。あの子はそういうところ凄いんですよ」
「進藤くんが言ってくれたの? 私も誘おうって」
桜さんの顔が見られない。暗くてヒンヤリとした地下通路には酔っぱらったサラリーマンが家路に着くのかフラフラと歩いていた。
「みんなで花火大会の話をして、俺がバイトのシフト次第だって言ったらそういう流れになりました。桜さんと話してみたいって人が多くて盛り上がっちゃって。迷惑でした?」
「全然。凄い嬉しかったよ。私可愛い女の子好きだもん。花火大会の日は休みにしておいたから。進藤くんのシフトも」
こらえきれず桜さんの顔を見てしまう。
丁度地上からの光が差し込み、楽しそうな笑顔が見えた。
ああ、良かった。これで一緒に遊びに行ける。
生きた心地のしない数時間だったが、一歩だけ桜さんに近づくことが出来た気がした。
「進藤くん、他のみんなは?」
桜さんに声を掛けられ、ハッと我に返る。
俺以外の連絡先を知らない桜さんはみんなが集合時間に集まっていないため、辺りをキョロキョロして探している。
スマホを確認すると、駅前の混雑が凄いので会場に入ってから合流しようという珊瑚からの提案が来ており、知らない間にみんながそれを承諾していた。
「じゃあ、私たちも行こうか」
列の最後尾に並ぶ。まるで二人で花火大会に参加しているようにも思えてしまい、並んでいる時間は生きた心地がしなかったものの、会場に入る頃にはもう少し二人でいたいと名残惜しんでしまった。
「サクラー! こっちこっちー!」
黄色の浴衣を着たライラちゃんが飛び跳ねながら場所を知らせてくれる。
愛里ちゃんと珊瑚ちゃんは私服だったが、千夜子ちゃんは浴衣だった。文学少女に藍色の浴衣がよく似合っている。
一の様子を伺うと、千夜子ちゃんと話がしたそうにも見えるが、ライラちゃんを大人しくさせることに気が行っている。世話焼きなのが一の良いところだが、もう少し自分のしたいようにすればいいのに。
花火が上がるまで少し時間があるということで、男三人で飲みものを買い出しに行くことになった。
「今日告白するのか?」
ロックバンドのTシャツにデニムといういつも通りの格好で一が聞いてくる。
「そうだな。ここまでやってもらってビビるっていうのもみんなに悪いし」
「成功率で考えた方がいいぞ。撤退は別に悪いことじゃない」
見かけによらず花火大会を楽しみにしていたのか、甚平がよく似合っている伽藍が助言をくれる。
「よっぽど分が悪いようなら止めておくよ。さっき桜さんと二人で会場来たけどさ、やっぱ好きだなって思ったし、ここ逃すと次いつチャンスがあるかも分からないからな。頑張るよ」
それより一はどうすんだよ、と小突いてみるとごにょごにょ言っていたが満更でもないような顔をしていた。
みんながみんな協力してほしいと思うことでも無いしな。お互い成功することを祈ろう。
人数分の飲み物を買っている最中に花火は上がり始めてしまった。
周りの人達が歓声をあげ、一定の間隔をあけて夜の公園が明るく照らされる。
急いで女性陣の待つ場所まで戻ると、ライラちゃんが人一倍興奮しているものの、桜さんも一緒にはしゃいでいたのが分かった。
明るい人だとは思っていたけど、花火でここまでテンションが上がる人だったんだな、と見たことのない表情を見られて、一緒に来られて良かったと満足してしまう。
赤、緑、黄色と代わる代わる花火が空を彩り、開く火薬と少しずれながら、とても大きな太鼓を叩いたような振動が腹に響く。
八人もいるのに誰も話さない。おおーとか綺麗とか独り言のようにつぶやいては花火の音にかき消される。
どれぐらい熱中しているのだろう。この花火を生涯忘れない人もいれば、既に飽きてしまって早く終わらないかと時間を持て余している人もいるかもしれない。
俺は多分大人になっても忘れない。それは花火の綺麗さや迫力ではなく、好きな人と、大切な友達と高校二年生の時に花火大会に行った、という経験だけが思い出として記憶に残るんだと思う。
その証拠に俺は挙がった花火の種類も数も覚えてなどいなかった。
見入っていたらあっという間に花火大会は終わり、会場のアナウンスを周囲の感想がかき消していく。
「綺麗だったねー。今日は誘ってくれてありがとう!」
建前上は桜さんともっと話したいから、ということで誘っているはずだが、正味数分しか話せていない。俺は花火を見ている最中にも、どう呼び出してどこで告白をしようかということで頭がいっぱいだった。
「シンド―とサクラのお店行きたい! でも、これだけ人多いと無理かな?」
「そうだね。駅前だしどこのお店も埋まっているんじゃないかな。花火大会に行きたかったけどバイトしているって人もいるから、どっちにしろ今日はお店に行くのは気まずいけどね」
ええー、サクラともっと喋りたかったのにー、とライラちゃんが残念そうにする。
また誘ってねと言い、このまま解散になりそうな空気が漂う。
駅まで長蛇の列が出来ているので多少進みは遅くなるものの、十数分もすれば駅に着いてしまう。どうやって切り込むか。
と、考えている間に駅に着いてしまった。全くの無策。あれこれ考えるだけ考えて、どれも上手くいく気がせず、日和っていると最後尾にいた伽藍に背中を叩かれた。
「シンプルに行け。誘い方で成功率なんて大して変わらないだろ」
簡単に言ってくれるなあ。まあでも仰る通りだと思うわ。
伽藍に礼を言い、先頭で千夜子ちゃんと話している桜さんの隣に並ぶ。
「桜さん、この後少し時間もらえません?」
「え? ああ、いいよ。二人で?」
「はい」
分かった、と頷き、駅の改札でみんなと別れる。
本当はモノレールで帰るはずの一が事情を察し、ライラちゃんを強引にJR線の改札に連れて行く。マジでありがとう。
行きましょうか、と桜さんを連れ出すも、どこに行くのか決めていない。
南口のどこかに告白できるようなところあったっけ?
「もしかして、私の家に行こうとしてる?」
ねえねえ、とニヤニヤしながらからかってくる。
「行っていいなら行きたいですけど……。いや、やっぱり行きたくないです。緊張するんで」
緊張するんだ、とクスクス笑う声を聞くと、何でもお見通しなんじゃないかと思えてくる。
まあ、わざわざ二人になるように呼び出したんだし、さすがにわかるよなあ。
「私の家ってのいうは冗談だけど、近くに公園あるからそこに行く? 進藤くん時間平気?」
「大丈夫です。終電無くなっても歩いて帰ります」
「私浴衣だから終電まではさすがにしんどいんだけど」
しんどいと言われて俺が慌てているのを見て愉快そうにする。この人は結構Sなんだろうな。そして俺はMなんだろうな。
家が柴崎体育館の近くらしく、立川南駅からモノレールで一駅分だけ移動する。
周りには花火大会から帰る人達でごった返しており、一駅とはいえ満員電車で桜さんと密着してしまう。
俺の胸の位置に桜さんの顔が来る。これから告白しようとしている女性とこんなに近づくのは嬉しい反面、勘弁してほしい。桜さんはこれから告白してくるのであろう男とこれだけ近づくことになるのが嫌ではないだろうか。
心臓に悪い二分が終わり、満員のモノレールから何とか下車する。
桜さんの下駄が乗客を避けていく際に脱げそうになってしまい、反射的に手を掴んでしまう。
ありがとう、とだけ言ってホームから改札への階段を降りていく。
桜さんの手の小ささと柔らかさはまるで子供の手みたいだった。
こっちだよ、と目当ての公園まで先導してくれる。
「小さい公園だから先客がいると話せないかもね。ここまで来てもらって悪いから、その時は本当にうちでいい?」
イエスともノーとも言えないでいると、公園が見えてきた。
どうやら人はいないようで、ホッとした。一人暮らしの女性の家に上がるなんて俺にはまだ無理だ。
小さな砂場と小さな滑り台、ブランコと鉄棒が申し訳程度に設置されている狭い公園だった。
幼児が遊ぶにはいいかもしれないが、小学生はもう窮屈に感じそうだ。
ただ、告白をする場所としては悪くないシチュエーションだと思った。
何も言わずに桜さんはブランコに乗る。目の前にベンチがあるにも関わらず。
「一人じゃブランコに乗れないからね。不審者扱いされちゃう」
前から気になっていたんだ、と無邪気にブランコを揺らす姿を見て、この関係性を壊してしまうかもしれないという事実に裏切りの様な罪悪感がまとわりつく。
「今日はありがとね。誘ってくれて」
「俺も楽しかったです。いいやつらでしょ?」
「本当に羨ましいよ。私は高校生の時、男女で花火大会なんて行ったこと無かったから、やり逃したい青春のイベントを今になって達成したって感じ」
たぶん社交辞令ではなく、本心から今日を楽しんでくれたのだと思う。
地面に擦れる草履がザリザリと小気味良い音を立てる。
「桜さん、わざわざ時間をもらった理由なんですけど」
俺は早く楽になりたいと思って、ムードもへったくれもなく、切り出してしまう。
もうここまで来たら成る様にしかならない、と自分を正当化して突っ走る。
「俺、桜さんのことが好きなんです。俺と付き合ってもらえませんか?」
年下だから云々という言葉が喉元まで出かかっているが、気合で止めた。
分かり切っているネガティヴなポイントをあげつらって保険をかけるような、防衛線を張るようなことだけはしたくなかった。
桜さんは聞こえていなかったかのように何も言わない。ブランコの振り幅にも変化はない。
おそらく数秒なんだろうけど、耐えがたい沈黙を乗り切ると桜さんが口を開いた。
「ありがとう。嬉しいよ。本当に」
それだけ言って徐々にブランコの揺れは収まっていく。
「私からいくつか質問してもいい? それとも私の気持ちだけ答えた方がいい?」
予期せぬ返答に頭が回らない。どちらが正解なんだろう。
「何でも聞いてください」
「いつからそう思ってくれていたの?」
「去年の今頃には。たぶん会ってすぐに好きになっていたと思います」
「周りにあんなに可愛い子たちがいて、何で私だったの?」
「何でって言われると上手く言えないんですけど、一生懸命働いている姿とか、優しく接してもらえたこととか。あと、普通に顔がタイプです」
アハハと笑い、正直だなーと嬉しそうにする。
「進藤くんの勇気は私なりに分かっているつもり。だから、私も正直な気持ちを伝えようと思う。覚悟できてる?」
「…………お手柔らかにお願いします」
多分ショック受けると思うよ、といたずらっぽく笑って再びブランコを揺らし始める。
「さっきの告白に関してだけど、イエスかノーかで答えるならノー。ごめんね」
「いえ、元々勝ち目のある勝負でもなかったので」
嘘だ。本当はほんの少しの可能性を期待していた。根拠もないのにもしかしたらと思っていた。
全身が緊張しているのか弛緩しているのか分からない感覚に陥る。
「でね、こんなこと本当は言いたくないんだけど……。勿体ないなって思っちゃっているの」
桜さんの言葉の意味がわからない。
「最低なこと言うけどさ、進藤くんって面白いし、顔もそこそこ良いし、背も高いし、チャラそうに見えて実は真面目だし、友達も多いし、付き合ったら自慢できると思うんだよね」
振られた後にいくら持ち上げられても嬉しくない。そう思うなら何でノーなんだよ。
「でもさ、十七歳でしょ。高校二年生でしょ。二十歳から見た十七歳ってどうしたって子供に見えちゃうんだよね」
残酷なこと言っているのは自覚しているよ、と少し寂しそうに言う。分かっているから責めないでくれと言っているようにも聞こえる。
「あー…………。でね、何が言いたいかって言うと、大学生になったらまた告白してほしいんだよね。その時に進藤くんは十九歳で、私が二十二歳。うん、大学一年生と四年生っていうことなら今より若干見てくれもいいはず」
桜さんは罪悪感を吹き飛ばすようにブランコの振り幅を大きくしていく。
「最低でしょ? 私は進藤くんをキープしようとしている。それも高校生っていう青春真っただ中の二年間っていう貴重な時間を奪おうとしている。さらに言うなら、君は真面目だからこんなことを言われたら諦めないで二年間私を好きでいてくれるんじゃないかとまで思っている」
俺は今どんな顔をしているんだろう。いつの間にか体の強張りは取れて頭もクリアになってきていた。
「ごめんね。好きになった人が実は腹黒くて最低な女だってわかって驚いたでしょ」
「いや、納得できない理由で振られるよりも一〇〇倍マシです」
強がりではなかった。何となくとかフワッとした理由で振られても諦めるに諦めきれないし、自分を変えることもできない。
「それは二年後にもう一度告白してもいいけど、付き合うっていう約束ではないよってことなんですよね?」
「そうだよ。キープって言ったでしょ。他に好きな人が出来たり、告白されればそっちの人と付き合う可能性は十分にあるよ。私もお年頃だしね。二年は長い」
「それは二年の間、今日みたいに遊んだり、二人でデートに行ったりっていうのはアリなんですか?」
「私が行きたいと思えば行くし、行きたくなかったら断るよ。だって彼氏からのお誘いじゃないからね」
ずっと聞きたかったけど、聞けなかったことをここで確認させてもらう。
「桜さんって彼氏いるんですか?」
少しは緊張していたのか、吹き出すように桜さんが笑った。
「いたら断っているよ。おかしなこと聞くなあ」
「じゃあ、最後に付き合っていたのはいつですか?」
桜さんの笑い声が徐々に小さくなり、ブランコが軋む音が目立ち始める。
「するどいねー。先月振られたの。それこそ一年ぐらい付き合っていた彼氏に」
まだ引きずっているんだろう。告白してきた男に、ではなくバイト先の後輩に愚痴るように話し始める。
「他に好きな人が出来たんだって。大学の同じ学部の人なんだけどね。女子高生に取られちゃった。本当ありえないよね」
「まだ好きなんですか?」
「そうだね…………。頭では嫌いだと思い込んでいるけど、気持ちとしてはまだ好きかな。初めての彼氏だったからね。色々と思い入れが強くて…………」
さっきまでの自虐的な口調とは違い、自嘲的な口調になっていく。
「正直進藤くんから好意を持たれていたのはわかっていたよ。それで自己肯定感を満たしていたんだと思う。可愛い女子高生を差し引いて、自分のことを好いてくれる男子高校生。年齢こそ同じだったらその彼氏よりもスペック高そうだし」
ここまで言うつもりはなかったんだけどなあ、と言って空を見上げる横顔は、普段見せる優しい笑顔とはほど遠く、冷たくて打算的な嫌な女の顔だった。
少し遠くの大通りから車の音が聞こえてくる。腕時計の針は二一時半になろうとしていた。
「…………うち来る?」
「行くわけないでしょ」
「やっぱり付き合おうって言ったらどうする?」
「付き合うわけないでしょ。そんなこと言われて」
だよね、知っていたと笑う彼女からは、何かを諦めるような、全てがどうでもよくなったようなやけっぱちさを感じた。
それを俺は儚いってこういうことかな、と呑気に見とれてしまっていた。
「まあ、長々と話しちゃったけど、そういうことだから。理想を壊すような真似してごめんね。ズルいこと言うけどバイトは続けてほしいな。キープしたいっていう意味じゃなくて後味悪いから」
自分勝手なことを言う。しばらく顔も見たくないっての。
「さっき二年って言っていたけど、一年半ぐらいですよね? 大学生同士ならってことは十九歳の誕生日を迎えてなくてもいいんですよね?」
「そうなるね」
「大学が決まったら、にしません? 大学が決まったらそれはもう大学生みたいなもんでしょ」
それはちょっと違くない? と突っ込む彼女はバイト先でお世話になっている先輩の顔をしていた。
「自己肯定感っていうのは今日いた女子たちを見かける度に満たされるものなんですかね」
「そうだねえ。それか進藤くんのことが好きな女の子を見ても満たされるかな。その子を進藤くんが振ったとなればよりポイントは高いよ」
「あんた最低な女だな」
「全くだね。悪い女に引っかかっちゃって。子供なんだから」
告白は失敗した。俺は振られた。気分的には泣き出したい。だけど、視界はハッキリしており、桜さんの顔を真正面から見ることができた。
さっきはあれほど緊張したのに、今はリラックスした状態で言える。
「好きです。大学生になっても好きだったらまた告白させてください」
「いいよ。その時に私に彼氏がいても遠慮しなくてもいいから。より良い方を選ばせてもらうよ」
ニコッと微笑む笑顔は悪魔のようで綺麗だった。
すぐそこだから、と公園を出て別れる。
また立川駅に行かなければいけないが、モノレールには乗らず一駅分歩こうと思う。
自分が落ち込んでいるのかどうなのか、よく分からなくなっていた。
「…………っていう感じでした。長い報告になってすみません」
物理準備室でコーヒーをいただきながら緑ちゃんに事の顛末を話す。
夏休みにも学校の先生は出勤している、とは聞いたことがあったが目の当たりにすると少し驚く。
職員室には平常時より少し欠けるぐらいの先生たちが仕事をしていたし、緑ちゃんには忙しいから一時間後に出直して、と待たされた。
「次からはもう少し簡潔に報告できるようにしなさい。で、何か言ってほしいの? ただ聞いて欲しかっただけ?」
「できれば、優しく抱きしめてほしいですね」
「そんなことしたら罪悪感から自暴自棄になるでしょ。生徒にそんな酷いことはしないよ」
優しく抱きしめてほしいのは本当だ。ただ、それは桜さんであってほしいし、さらに言うなら一年半後の桜さんでないと意味がない。
なかなか面白い話だったから私も個人的な感想を言いたいんだけど、と丁寧に許可を取ってから話す。
「その先輩は最低で悪魔みたいな人間だけど最高に素敵な女性だと思うわ。人ごとだから勝手なことを言うけど、一年半追い続けるだけの価値はあるんじゃないかしら」
「緑ちゃんから見て、最低で、最高でーっていうのはどういう意味?」
「自分に好意を持っていると分かっていてキープしたり、自己肯定感を満たす道具にしているのは正しい人間ではないわ。ただ間違っているとも思わない。人間誰しも口にしないだけで腹の中では打算的なものよ」
コーヒーを一口飲んでホッと一息つきながら続ける。
「最高に素敵なって言ったのは、あなたにしてあげられる配慮が完璧だったから。のらりくらりと半端な状態にすることだって出来るのに、彼女はそうしなかった。自分の汚い胸の内を全部見せて、諦めて別の女性を好きになっていいという免罪符をくれた。寂しさを紛らわせたいのであれば、みんなには内緒ねと言って付き合って、後で振ればいいのにそうしなかった。直接見ていたわけじゃないからどこまで本心なのかは分からないけど、それを言葉にしているだけ優しいのは伝わるわ。もっとも自分を悪者にすることで罪悪感から目を背けたっていう気持ちもあるんでしょうけど」
そこまで言語化は出来ていなかったが、ぼんやりと同じようなことを感じていた。
第三者として聞いたら最低な女だ、といって吐き捨てるだろうけど、桜さんに好き放題言われた後、俺はより一層桜さんを好きになっていた。
やっぱり俺はMなのかもしれない。
「彼女の手の上で踊らされているのかもしれないけど、もう少し好きでいようと思います」
「それでいいんじゃない? 別の女性と付き合っても身を滅ぼす可能性はゼロにはできないわ。だったら、好きな女性に良いように扱われて地獄を見ることが破滅の中では良い破滅だと思うの」
良い破滅っていう響きが新鮮だけど、言わんとすることはわかる。
「忙しいのにこんな下らない話を聞いてくれてありがとう」
もし良ければ文化祭に誘ってみなさい、私が会いたいって言っていたことを口実にさせてあげるから、と言い放つ。元々こっちは誘うつもりだったよ。
考えておく、と言い返して物理準備室の扉を閉める。
一年半は長いな、と呟きながら廊下を歩く。
しかし、高校生になってからもう一年半経過していたことに気が付く。
あっという間に大学生になれるのでは、と嬉しくなる反面、楽しい学生生活が少しずつ終わりに近づいていることを実感する。
午後からのバイトに間に合う様に学校を出る。
スマホでシフトを確認すると桜さんと勤務時間が被っていた。
バイト先に向かう自転車はいつもより前に進み、風を切りながら自分の熱気を置いて行った。
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