第4話 祖父江 愛里
梅雨真っただ中の六月下旬。
ジメジメとした空気に抱き着かれているような息苦しさの中、申し訳程度に開いた体育館の窓辺に立って外の空気を吸う。
ここ最近の私はどうも調子が悪い。
常に頭を悩ませているこの問題をどうにか解決したいが、打開策が見つからない。
部活が終わり、みんなでネットなどを片付け、更衣室へと走る。
「愛里、どうしたの? 元気ないじゃん」
部員の千夏が声をかけてくれる。しかし、千夏には私の不安は伝わらないだろうな、と少し卑屈になってしまう。
「期末試験が近いじゃん? 家でも勉強しなきゃいけないと思うと憂鬱でねー」
「まだ一か月ぐらい先じゃん。私なんて一週間前にちゃっちゃとやるぐらいだし。赤点じゃなければ良いかな」
他の部員も試験範囲が出ないとやる気にならないだの、今回は一桁を狙いたいだの、口々に好きなことを言う。
みんなのことは好きだし、仲が良い最高のチームだとも思っている。
しかし、こと勉強に関しては、私の悩みは理解してもらえない。いくらやっても出来る様にならないからだ。
他の人と同じだけ勉強しても、人が十割理解する頃に、私は五割も理解できていないかもしれない。
典型的な出来の悪い馬鹿だと自覚している。
身長や見た目を羨ましがられることはあるが、私からすると自分が求めている学力に軽々と到達できている人たちこそが羨ましくてしょうがない。
自分のキャラクターも相まって、テストの結果が悪い時についおどけてしまう。
勉強なんかやっても無駄、女子高生なんだから青春してなんぼだ、と口にしてしまう。
成績が芳しくなかった友達はそれに同調してくれるが、大抵は私より点数がいいか、本当に全く勉強していない人達だ。
私は人並、いや人一倍勉強しているつもりなのに。
中学生の時はそんなに成績が悪い方ではなかった。
しかし、曙高校に入学し、一年生の四月の時点で授業に置いて行かれてしまった。
真ん中よりやや上の自称進学校、という立ち位置の高校ではあるものの、授業のスピードは予想よりも早く、着いていけなくなってしまった。
この高校を選んだことを後悔はしていない。友達もたくさん出来たし、部活もチーム一丸となって頑張れて充実している。
でも、上手くいかない。思う様に結果に結びつかない。
自主性を重んじるという校則もなければ、口出しもしてこない学校のため、成績が悪くても咎められない。
あなたは学業よりも部活や恋愛、青春を選んだのね、と暖かく見守ってもらえてしまう。
今日もまた悔しさで泣きそうになりながら机にかじりつくのだろう。
「また遅くまで勉強していたの?」
バレー部の練習がない日は珊瑚と一緒に登校することになっている。
私が勉強できないことに悩んでいることを知っている唯一の友達だ。
小学校からの幼馴染で、家も近く家族ぐるみで仲が良い。
私と違って女の子らしく小さくて、歌も上手いし、おしゃれ。おまけに頭もいい。
自慢の親友であると共に、なんで私は珊瑚みたいになれないんだろうとコンプレックスを浮き彫りにされてしまう。
こんなことは珊瑚には口が裂けても言えないけれど。
「そんな遅くまではしてないよ。一時前には寝たし」
「試験までまだ時間あるし、愛里が時間ある時に勉強手伝うからいつでも言って」
優しい珊瑚はいつもそうやって私に手を差し伸べてくれる。
しかし、入学してから数えて過去六度の試験勉強を手伝ってもらいながら結果を出せず、自分の馬鹿さを露呈し、教えるのが下手でごめんねと珊瑚に謝らせてしまう自分が嫌になる。
バレー部を辞めて塾に入ることも考えたが、ありがたいことにバレー部としては結果が残せているためエースなんて言ってもらえている。
自惚れではあるが、自分が抜けることがバレー部にとって痛手になることは分かっている。
そもそも私はバレー部が好きだし、辞めたいと思ったことはない。
自分の欲しいものとしたい事を両立できないもどかしさが、ここ半年ほど私を蝕んでいる。
「ハジメー、さっきの授業が全然分からないんだけど、どうしたらいい?」
「知るかよ。とりあえず板書だけしっかりしておけ。後は試験前の勉強で一から覚えるつもりで勉強すれば何とかなる」
そもそもノートの取り方が汚い、と一がライラを叱っている。
席替えをしても一が前になっただけで二人は変わらず前後の席になった。
私はライラの左隣の席になったので、今まで以上に二人のやり取りが間近で聞こえる。
ライラは自分が分からないことを分からないとちゃんと聞けてすごいと思う。
私はそんなことも分からないの? という顔をされるのが怖くて、気まずくてどうしても躊躇ってしまう。
つまらないプライドなのは重々承知の上だが、自意識過剰になってしまう。
「アイリ―、ハジメが優しく教えてくれないよー。日本史教えてー」
泣きそうになりながら助けてくれと懇願されるも、私だって日本史は苦手だ。
「ああー、それなら珊瑚に聞いた方が早いよ。私は頭良くないし」
笑いながら自虐をしてしまう。これをやるごとに自分のことが嫌いになる。
でも、道化にならないと明るく返せない。
「アイリって頭良くないの? 頭良さそうだよ」
ライラは本心からそう言ってくれているのだろう。それは三ヶ月ほどの付き合いではあるが、ライラが嫌味を言うような人でないのは理解している。
しかし、その言い方は私の自虐を加速させてしまう。
「全然馬鹿だよ。いっつも赤点ギリギリだもん。このままじゃ進級も危ういよ」
「そうなの? じゃあ、一緒に頑張ろう! サンゴとチヨコに頼んでみようよ」
私の腕を引き上げて無理やり立たせる。
ライラのこういう強引なところは嫌いではない。
私が一人だとウジウジと悩んでしまいがちだからこうして多少強引にでも引っ張ってもらえることが嬉しい。甘えているだけなのはわかるんだけど。
そして同時に申し訳ないとも思ってしまう。
「サンチョー、私とアイリに勉強教えてー」
「私と千夜子を混ぜて呼ばないで。愛里の都合がつくなら私はいつでもいいよ」
「人に教えるなんてしたことないけど、私で良ければ手伝うよ」
こうなってしまうと断ることもできない。
「じゃあ、お願いしよっかな。でもマジで私馬鹿だから自分の勉強をするつもりでいいからね」
笑って誤魔化そうとするが、上手く笑えていない気がする。
放課後の教室に四人で集まって勉強会を開いてもらう。
図書室では私語厳禁だし、ファミレスに行くと結局遊んでしまう、ということで無難な落としどころになった。
「まだ試験範囲も発表されてないし、日程も分からないから漠然と不安な教科をやるってことでいいかな?」
人に教えたことがない、とは言いつつも千夜子がリードをしてくれる。珊瑚は二人以上だと口数が減っていくので実質千夜子頼みになってしまう。
「二人は何の教科が不安なの?」
「私はねー。全部かな!」
ライラが元気に笑いながらまいったねーと頭をかく。
私一人であれば気を遣ってしまうが、ライラが全部分からないと言ってくれたので私もそれに乗っかれた。
千夜子と珊瑚がお互いに話し合い、それぞれが得意な教科を教えてくれることになった。
珊瑚が理系、千夜子は文系科目という割り振りで授業がスタートする。
それぞれ課題となる場所も違うだろうということで、まずは千夜子が私に、珊瑚がライラにマンツーマンで教えることになった。
「日本史とかの暗記科目ってね。具体的なイメージが出来るかどうか、だと思うの。例えば、今川義元ってどこで出てくる人かわかる?」
名前は聞いたことがあるような気がするものの、何時代の何をした人なのかは全く見当もつかない。
「じゃあ、織田信長は?」
「織田信長はわかるよ。桶狭間の戦いとか本能寺の変の人でしょ?」
「そうそう。じゃあ桶狭間の戦いってどんな戦いだったかわかる?」
「織田信長が出てくる戦いってことしか知らないなあ……。奇襲して勝ったっていうのは桶狭間だっけ?」
「合っているよ。今は奇襲じゃなかったっていう説も出てきているみたいだけど。まあ、それはいいとして織田信長=桶狭間の戦い=奇襲っていうので大丈夫だよ。本能寺の変は?」
「織田信長が家来に裏切られて寺ごと燃やされたってやつ? でも、その家来が誰かは分からないや」
「それだけ分かれば十分だよ。何が言いたいのかっていうと、さっきも言ったけど、具体的なイメージが出来ているかで覚えていられるかって全然違うと思うんだよね」
千夜子が黒板に書いて説明してくれる。千夜子は字も綺麗で羨ましいなあ。
「愛里ちゃんが今川義元と裏切った家来を知らないって言ったのは、見た目がわからないからだよ。織田信長はテレビとかでもよく肖像画が出てくるから、知らず知らずの間に顔と名前が一致させられていると思うんだよね。桶狭間の戦いとか本能寺の変も奇襲とか寺が燃えているっていう映像が頭に浮かびやすいから簡単には説明できるってことだね」
千夜子の言っていることは分かる。確かに戦国武将を答えろって言われると織田信長や豊臣秀吉は答えられるし、顔も浮かぶけど、あとの人は名前が分かっても顔は浮かばない。
「具体的な勉強法というかイメージの仕方なんだけど、資料集を見ていくのが正攻法かな」
「資料集とか開いたことなかったわ。教科書とノートだけで勉強してた」
「文章だけでイメージ出来るなら必須じゃないと思うけど、苦手だったり文字の羅列にしか見えないようであれば、写真とか絵で説明されている資料集を見るだけで理解度が違うと思うよ」
資料集かあ。全く頭になかったな。やっぱり頭の良い人は何でも上手く活用しているんだな。
「資料集を丁寧に見ていくのは時間もかかるし、教科書の内容を全部抑えている訳じゃないからね。一つの手段にしかならないんけどね。かなり強引な方法だけど、私は色や特徴を当てはめて覚えたりしているよ」
黒板に棒人間を二人描き、黄色の魚と湯飲みを横に加える。
「例えば、織田信長は愛知の辺りにいたから鎧に金のシャチホコを付けているところを想像してみたり、ついでに全身金ぴかにしてみたり。今川義元は静岡の辺りにいたからお茶を飲みながら戦っている人を想像するの」
大軍でお茶を飲みながら馬に乗っている人たちを金ぴかのシャチホコがついた鎧の人が襲うところを想像してみて、と千夜子が言う。
馬に乗りながらお茶を飲むっていうのが滑稽だけど、まあインパクトはあるかな。
「あとはお茶を飲んでいるのが今川義元だっていうことを紐づけるんだけど……、今川焼でも持たせてみようか。お茶とも合うし」
黒板のお茶の横に今川焼を表現しているのだろう丸を描く。
もう一度イメージしてみる。今川焼を食べながらお茶を飲んでいる人を金ぴかのシャチホコの人が襲う。確かにこれなら今川義元が織田信長と戦った人だっていうことは覚えやすくなる。
「でも、こんな乱暴なイメージを植え付けちゃっていいのかな。実際に馬に乗って今川焼を食べたり、お茶飲んでたわけじゃないんでしょ? 織田信長だってそんな派手な鎧をつけていなかっただろうし」
「自分の中でちゃんとフィクションだって分かっていれば構わないと思うよ。学者になるっていうならそれはマズいかもしれないけど、学校の試験や大学受験を乗り切るためなら問題ないでしょ」
そんなものか。私は少し潔癖すぎるのかな。
日本史に限らず、暗記系の科目はイメージが出来るかどうか、ということを千夜子はその後も繰り返し教えてくれた。
千夜子のノートを見せてもらったが、綺麗な字で書いてあるのに不釣り合いな様にイラストが散りばめられていた。
自分にしか分からないような謎のイラストが多かったものの、千夜子がどういう具合に知識を詰め込んでいるのかが少しだけわかった気がした。
「愛里ちゃんは次の期末試験で何位になりたい、とか何点とりたいとか目標があるの? 行きたい大学とかでもいいけど」
「具体的な目標はないかな。満遍なく点が取れないから……。大学も考えているけど、行けるところあるかなって感じだし」
「そうしたら、自分の中で日本史は一番高い点数を取る! とかでもいいかもね。本当はざっくりとでも目標があった方がいいと思うし、百点満点を目指しても八十点ぐらいになるものだから、目指した点数より低くなると思って勉強した方がいいからね」
そんなことまで考えて勉強したことがなかったから新鮮だった。
がむしゃらに勉強した時間の長さや元々の頭の良さで決まってしまうと諦めかけていたが、出来が良いと羨んでいた人も自分なりの工夫や試行錯誤を繰り返しているんだと、改めて痛感できた。
千夜子は見た目もおしとやかで優しくて、本をたくさん読んでいて頭の良い人だが、それは家庭環境や教育のおかげだと思っていた。
私の両親は優しいが、勉強なんてしないで運動しなさいっていうタイプだから、勉強を見てもらったことがない。恨むというほどではないが、頭の良い人の親はしっかり勉強を見てもらえているのかな、と親のせいにすることもあった。
しかし、親から教わらなくても友達に教えてもらって出来るようになれば、それでいいじゃないか。
親からは親の良いところを学び、親が苦手なことはそれを得意とする友達から学べばいい。
もう一度、腐らずに勉強を頑張ろうと思えた。
「ありがとう、千夜子。期末試験頑張ってみるよ」
「私はスポーツは苦手だけど、たぶん勉強もスポーツも似ているところがあるんだと思うよ。一週間の練習でエースに慣れるわけじゃないし、一週間の勉強でクラス上位になることは無いんだと思うの。たまにノー勉で満点取ったとか、二ヶ月勉強してあの大学に合格した、みたいな話を聞くけど、そこに行き着くまでの下地というかスタートラインは人それぞれだからね」
私と愛里ちゃんがお互い未経験のスポーツを始めても、愛里ちゃんの方が先に出来る様になるだろうしね、と運動が苦手なことを認めつつも自虐に聞こえず、爽やかに話す。
勉強だけでなく人柄も千夜子みたいな人になりたいと思った。
一通り教えてもらい、今度は珊瑚に理系科目を教わることになる。
珊瑚には昔から勉強を見てもらっているが、かけてもらった時間の割に点数が取れないので申し訳ない、という気持ちが先行してしまう。
「前から思ってたんだけど、全教科満遍なく教えるっているのが効率も悪かったし、中途半端になっちゃっていたと思うんだよね。次の期末試験までは私からは理系を中心に教えるから、文系は千夜子に教えてもらうといいよ。その分私も理系に絞って愛里への教え方を考えるから」
もちろん、文系科目で聞きたいことがあれば聞いてくれて構わないから、と微笑んでくれる。
やっぱり珊瑚は頼りになるなあ。昔から私が困って相談することを根気強く教えてくれた。
私の自慢の幼馴染だ。自慢の幼馴染だからこそ、やってもらったことを無駄にしたくない。珊瑚に誇ってもらえるような幼馴染になりたい。
「でね、さっきライラに教えてて思ったんだけど、理系科目って問題を繰り返し解くしかないっていう根性論も一つの手段だとは思うんだよね。なんだけど、それにプラスして人に教えるっていう勉強の仕方で行こうかと思うんだ」
「私がライラに教えるってこと?」
「それも考えたんだけど、愛里が教えている内容が間違っていたらライラも困るだろうし、愛里も横から訂正されたりすると自信も無くすし、気分も良くないでしょ? だから、愛里が私に教えるっていうことにしようよ」
「でも、珊瑚に教えられるようなことないよ」
「教えるっていうか、先生になったつもりで計算や解き方を解説してみよう、って感じ。文系科目に比べて数学とかって最終的に、そういうものだから覚えて、みたいな結論になっちゃうじゃん? あれはあれでしょうがないけど、ある程度解説した上での最後の段階だから。過程をどこまで人に説明できるのか、っていうことが重要なんだと思う」
私が怪訝な顔をしていたのか、珊瑚はまあ何はともあれ問題解いてみようか、と準備を進める。
「頑張って珊瑚に教えるつもりで勉強するけど、今まで教えられてばかりだったから、そもそも人に何を教えたらいいのかが分からないよ」
「教えるっていうのも上手い、下手はあるからね。いきなり上手に教えなきゃって思わなくていいよ。人に教える、説明するっていう意識で勉強するのが大事だから。私も中学の時から愛里に勉強を教えるってことが自分の勉強にもなってたから満遍なく点数取れるようになったんだと思う。だから、今度は逆に愛里が教える側になれば、愛里も点数取れるようになるよ」
珊瑚にそう言ってもらえると自信が湧く。
高校も珊瑚と同じ学校で本当に良かった。珊瑚の学力であれば、もっと上の学校にも行けたはずなのだが、人見知りだから友達がいる学校から選びたい、校則が緩いところがいい、と言ってこの学校を選んでいた。それも本心なのだろうが、少しは珊瑚も私と一緒の高校に行きたいと思ってくれていたのではないかと期待してしまう。
お互いの両親も仲が良かったので、それが良いと喜んではいたし、高校でも珊瑚と一緒になれるのは純粋に嬉しかった。
でも、珊瑚は本当にそれで良かったのかな、と考えてしまう。
「珊瑚はもっと上の学校いけば良かったとか思ったことないの?」
珊瑚は何て答えたらいいか、と言葉を選んでいる様で窓の外を眺めながら答えた。
「私はこの高校入って良かったと思っているし満足しているよ。入学したての頃はクラスこそ違うけど同じ学校に愛里がいるっている安心感は大きかったし。その安心から勇気を出して友達が作れたのはあると思ってる。学校のレベルにしたって、もっと上にも行けたかもしれないけど、全国一位になるとかそんな目標があるわけじゃないし、何より校則の緩いところ行きたかったしね」
綺麗な金髪を揺らし、耳のピアスをそっと触る。
珊瑚は自分を守るための鎧だと言って髪を染め、耳に穴を開けていたが、私からすると自分をしっかりと形作り、こうありたいという理想像に近づいていこうとする姿を格好いいと思ってしまう。
「そんな風に考えられるなんて、やっぱり珊瑚は頭がいいね」
つい口に出してしまったが、少し嫌味な感じに受け取られてしまっただろうか。
珊瑚は一瞥もくれず、私にやらせる問題を教科書から選んでくれていたので、さほど気にしていないのかもしれない。
「愛里はよくそう言うよね。自分は頭が悪いとか。まあ、どう感じるのかは個人の自由だけど、頭が良いとか悪いとかって曖昧だからね。それこそ、何をもって頭がいいのかを説明出来ていればいいと思うけど」
「例えば?」
「さっきの人に教えられるようにって話と近いけど、自分が考えていることやその言葉が何を示しているかっていうのを細かく説明できる人は頭が良いんだろうなって私は思う。
他にも、話が面白いとか、論理的に話せるとか、知識量が多いとかも頭が良さそうだよね。でもそれだけで伝えるんじゃなくて、話をする際にメリハリがついていて盛り上げることが出来るとか、人が納得しやすいように筋道立てて話せるとか、どこから引用した知識かサラッと言えるとか。何がどう凄いのかっていうのを具体的に説明できると頭が良さそうだなとは感じる。今のがわかりやすかったか自信ないけど」
そんなこと考えたこともなかった。それこそサラッとこういった事を答えられる珊瑚は頭が良いんだと思う。
「人前でどう振る舞えばいいかわかっていて、最適なリアクションが取れるとか、場の空気を壊さないように、っていうのも一種の頭の良さだと思うよ。あとそれを行動に移せるか、とかね。私は知らない人と何かを話す時は思考停止しやすいから、誰とでも仲良くできる愛里は私から見ると頭が良い人に見えるよ」
ライラにも頭が良さそうだと言ってもらえたけど、そういう意味だったのかな。
今まで言い訳のように使っていた頭の良い、悪いという表現に限らず、その言葉が何を指しているのかっていうのを正確に人に伝えることが大事なんだということはわかった。まだ私には上手く説明できないけど。
珊瑚に指定された問題を解いてみる。
授業でやった覚えはあるが、思う様に解けない。
頭を抱えてしまいながらも、いつもより焦りや不安は感じなかった。
七月に入り、期末試験が週明けに始まろうとする金曜日。
進藤が一と伽藍に勉強を手伝ってくれ、と泣きついていた。
それにライラが加わりに行ったが、どちらかというとみんなで一緒にいることを目的にしていそうだ。
案の定ライラはみんなで勉強したいと言い出し、私たち三人にも声をかけてきた。
伽藍と千夜子は一人で勉強するといって、その誘いを断って帰ってしまう。
ちゃんと自分の意思を示せるのは格好いいなあ。
「愛里と珊瑚は? 一人で勉強したい?」
前までの自分であれば、焦燥感から一刻も早く勉強をしなければと自分を追い詰めていたが、
「いいよー。私も行く!」
と快諾できた。
気を遣ったり空気を読んだわけではなく、今日までの試験勉強がこれまでと違い、少しずつ身になっている気がしたからだ。
とはいっても、まだまだ勉強しなければならないが、進藤が人に泣きつく気持ちもわかる。
私なんかが教えられることはないかもしれないけど、この数週間は珊瑚に時間をもらっては勉強を教える練習をしていた。
珊瑚の言う通り、人に教えるのは頭で考えていることを言葉にしなければいけない分、ごまかしが効かないし、上手く説明出来ているかで自分の理解度が確認できた。
進藤を利用するようで悪いけど、私は私の為に勉強を教えに行こうと思えた。
珊瑚も行ってくれるということで、五人で駅前のファミレスを目指す。
進藤が自分のバイト先は避けてほしい、ということだったので別の店を考えるが、周囲に気を遣いながらだとちゃんと勉強できない、という一の提案でカラオケに行くことにした。
ライラはカラオケが初めてだったようで室内に入ってからも興味が尽きず、珊瑚も勉強のために来たということで自制しているようだが、歌いたくてソワソワしていた。
「進藤、俺は英語ぐらいしか教えられないからな。ライラも当てにはできないから他の教科は愛里と珊瑚から教えてもらってくれ」
「愛里が十分教えられるはずだから、よろしく。私は自分の勉強をする」
珊瑚が私に丸投げする。しかし、表情から応援してくれているのが読み取れる。
「愛里ちゃん頼むよー。今度何か奢るからさー」
「ライラにもお願いー。真面目に勉強するからー」
二人は私が受け持つ初めての生徒だ。
勉強ができない人の気持ちは痛いほどわかるから、少しでも不安を取り除きやる気を出させてあげたい。
千夜子に教わったように暗記の仕方を説明し、珊瑚に教えていたように数学の問題を解説する。
進藤とライラは元々の学力が私と大きくは変わらないようで、私と同じ様なところで躓いていた。その分、自分が手こずった箇所については丁寧に説明できた。
「アイリの説明わかりやすいね。ハジメに聞いても覚えろとしか言ってくれないんだよ」
「それはお前が延々と何で? って聞いてくるからだろ。 しかも俺が勉強すると一緒に始めるから自分の勉強が進まないんだよ!」
ライラと一がわちゃわちゃと言い合う中、進藤がいつになく真剣な面持ちでノートに書きこんでいる。
「進藤、わかりづらかった? もしわかりづらかったら珊瑚にも聞いてみて」
「いや、めっちゃわかりやすいよ? 何がわからないのかがわからないっていう状況だったけど、どの辺をどう勉強すればいいのかわかったからマジで助かる! ありがとう!」
嬉しかった。
さすがにこれぐらいじゃ泣いたりはしないけど、初めて自分の勉強が身になったことが証明された気がするし、何より今度は自分が人の為になれたことが堪らなく嬉しかった。
「初めから勉強ができる人よりも、苦労して勉強できるようになった人の方が教えるのが上手だよ。人がどこで躓くかをわかってあげられるからね。そういう意味で愛里は先生に向いていると思う」
珊瑚がドリンクをストローで吸いながら、優しく微笑みかけてくれた。
初耳ではないが、その言葉の意味を実感する。
「確かに進藤とライラをまとめて面倒見られるなんて良い先生になりそうだよな。向いてるよ」
「おい、どういう意味だよ。珊瑚ちゃんの話によると俺だって教師の適性があるはずだぞ。その時は一に英語以外を優しく教えてやるから安心しろ」
「アイリ先生―。この問題はどうやるのー?」
カラオケで良かったと改めて思う。やっぱり五人も集まれば騒がしくなってしまう。
でも、今日は来てよかった。
試験前にこんなことをしている場合じゃないのだけど、二学期の中間や期末、その先にある大学受験に向けての勉強まで考えると、数時間ぐらい回り道しても根性で埋め合わせできる。
もしかしたら私は教師を目指すかもしれない。今決めることでもないし、もっとやりたいことが見つかるかもしれない。
でも、自分が教師になることを初めてイメージし、初めて心が満たされるような充足感を味わった。
とにもかくにも、この期末試験は頑張らなければならない。
期末試験の結果だが、いつもよりは点数が高かったとはいえ、平均点を越えるものと越えないものがそれぞれあった。
千夜子に何度か教えてもらった日本史と、珊瑚に念入りに教えてもらった数学はいずれも平均点を越えたので、とりあえず最低限の目標はクリアできた。
「二人のお陰で平均点取れたよー。本当ありがとう!」
千夜子と珊瑚に抱き着きながら感謝を伝える。
二人からすれば、あれだけやって平均点か、という思いもあるだろうが、今は喜びを噛み締めたい。
「凄いね! 今回のテスト難しかったから平均点取れれば十分だと思うよ」
「愛里に教えてもらったところ、ちゃんとテストに出たね。ありがとう」
二人とも私には勿体ないような素敵な友達だ。私は周りの人に恵まれているとつくづく思う。
無事に試験も終わり、夏合宿やそして八月下旬にある夏季大会に向けて本格的に部活が再開される。
更衣室で着替える中、試験が終わった安堵感からみんなテンションが高い。
「愛里はテストどうだった?」
いつもなら人に見せるのも恥ずかしかったが、今回はむしろ見せびらかしたかった。
「見て見て! 初めて平均点越えたの! 凄くない?」
「あー、愛里裏切ったなー! いつも私と同じで赤点ギリギリだったのに!」
自分だけ赤点圏から脱出したな、と冗談交じりに恨まれる。
他の部員も結果を言い合うが、まだまだ私には追いつけないレベルの人も何人かいる。
しかし、一か月前に同じロッカーの前で頭を抱えていたのが嘘のように、頭を覆う重たい空気は梅雨と共にどこかに消えてしまっていた。
蝉の声が鳴り響く七月下旬。
スパイクを打つのに足を踏み切る。私は前より高く飛べるようになった気がする。
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