第二十話「夜間飛行」

    一  空飛ぶ手紙



 このアウトグランの空には雲以外にも動いているものがあるが、それはごくありふれた景色。その空は二段の空域に分かれている。人々が移動するための低度空域、郵便物が移動するための高度空域である。

 これらはあくまで遠くの目的地に限る話であり、近隣であれば学院での手紙のやり取りの様に飛ばしたり、あるいは飛んだりといったことができるのだ。

 とはいえこれらの移動手段や郵便物の移動はこのアウトグランの中でも有数の人々、取り分け貴族連中などが使うものであり、とくに郵便物を移動する天候に左右されない数少ない「贅沢」なことなのである。

 例えば労働者階級の移動手段と言えばもっぱら車で、そうでないとするならば傘を使って飛行魔法を適切に発動できるものでなければならないとなるとそれ相応の金額が必要だ。郵便物もその多くは手紙だが物品を送ることもできる。しかしこれもまたアウトグラン郵便局が牛耳ぎゅうじっている関係で安心安全な代わりに一通一通の送料がやや多くなっているのだ。


——かつん


 こうして目的地にたどり着いた手紙のだいたいは扉に向かってぶつかり落ちる。翌朝の玄関先の扉の下には注意しなければならないのだ。

 「だいたい」でない場合であるが個人で出す場合に郵便を介さなくても飛ばすことができる。それらに高度空域を使用することはできないため、極低空飛行……つまり一般人の頭上辺りを移動することになる。そうなれば単に盗まれる可能性が生まれるから使用されることは少ない。


——かつん


 「ねえ、ミシェル。来たみたいだけどいいの?」

 窓に当たった一通の手紙はぽとりと地に落ちた。それらは積み重なり崩れていた。

 つい先日の外出から体調が優れず、今のところ様子見として医者からの自宅療養を余儀よぎなくされていた。しかし現在かの有名人ツェレカ・ステロからの熱烈な手紙に悩まされているのである。

 「ええまあ。最初こそ楽しかったのだけれど頻度が……ねえ。うう」

 そう言って窓の方を見て、しんどそうに顔をそちらに向ける。というのもこの空飛ぶ手紙は数日あまりに対し数十通の割合で、実に一日十通は届いていたのだ。

 「ああ頭が割れそうだわ」

 イフリートはぽこんと頭に肉球を乗せる。

 「猫の姿にもすっかり慣れたのね。かわいくていいけれど」

 「ああ……まあね。こっちの方ががいいんだ。主に君からのね……ああ、熱いね。熱が上がってきたのかも」

 「あなたって体温あったの?」

 「酷いな、人並みにはあるよ!」

 「あう、叫ばないでちょうだい。あ、頭が……」

 「あ、ごめん……そういえばその、あれの中身はどんなだったの? ってそんな状況では読めないよね」

 「ううん。でも読まなきゃ……返事を書かなければ相手に申し訳ないわ。ちょっと読んでくれないかしら」

 「いいよ。かいつまんで読むね。なになに……『ああ愛しの君よ。どの光よりも輝く星のような君よ。この出会いはまるでこの私に向かって隕石が降ってきたようだ』『その美しい金の髪を、その潤いを帯びた肌をこの手にできなければ私の手は存在していないようなものだ』『天使の中に私は見たのだ。この天使は私のことを捉えはなさない。ああこれは罪深き悪魔のようである。しかし君が望むなら私は罪びとにもなろう』」

 「まって。ああ」

 ミシェルは布団上でまるで芋虫の様にくねくねとしながら頭を押さえた。

 「流石ね(お砂糖を一袋入れたってこんな甘さにはならないわよ!)」

 「んま。ミシェルに相応しいのは結局僕だけってことだよね」

 「どちらかというと『不戦勝』ってところかしら……」


——こつん


 「うげ! なんて速さだ!」

 「避難しましょう。ここはもうだめ。リンダに……」


——がしゃん!


 「な、なに!? 敵襲!?」

 二人が耳を扉に近づけてぴとりとくっ付けた(それが淑女らしくないことも承知の上で)。

 「(「あなたねえ! 無断でミシュを連れ出したかと思えば熱出させて!」)」


——がしゃん!


 「(「ミシュに何かあったらどうするの! 息奪いジャックにやられたかと思ったじゃない!」)」

 「(「わ、悪かったって」)」

 「(「『悪かった』で済んだら議会は魔女を裁かないのよ!!」)」


——がしゃん!


 机を叩く音とそれの振動で食器が震える音が一階から聞こえる。下ではミシェルに無理をさせたリンダが受付嬢エミリーにこっぴどく叱られているようであった。

 澄ませていた耳を塞ぎ、ため息を吐いた。

 「リンダには後で謝らないと。私が走り慣れていなかったばかりに」

 「いいんじゃない? たまには。ずっとミシェルに馴れ馴れしかったし」

 「やきもち焼かないの。いい歳でしょう?」

 「おんなじくらいじゃん。あくまで悪魔だけど」

 「ちょっと耳に手を入れて塞いでくれない? 今は何も聞きたくないわ」

 「しょうがないな。ほい」

 そういって小さな毛並みのある手をずぽっと耳に入れてすっぽりと塞いだ。

 「んん……ああこれ、心地いいわ。よく、眠れ……そ……」

 「ミシェル? って僕が塞いでるんだから聞こえるわけないか……しばらくこうしてやろう。特権ってやつだね」

 多少不服ながらもミシェルは熱を冷ますべく、しばし仮眠をとるのであった。



    二  祝い



 ——がらんかららん、がらんかららん


 さてこの世界、アウトグラン上空の遥か高く飛ぶもの。馬車と言っても引いているのは傘の上の人だが、その中に積むのは大きな荷物や郵便物である。普通は。

 秘密裏にそれは運ばれている。貴族御仁ごじん、王族などの限られた人間にのみ許容される馬車はしばしば長距離移動に愛用される。自らの力を使わずに済み、なにより地上の悪道で尻を痛めずに済むからである。

 さてそんな馬車の中にいるのはこのアウトグランの実権を掌握する二人の貴族。

 「法王自ら送ってくれるとはな! いやそれとも、見張られているのだろうか?」

 「……満足したろう。なんせミシェル・シュールズマンを葬れたのだから。学長殿」

 黒光りするシルクハットを深くかぶったままにかりと笑うセイン・トルトット学長と、大きな杖を立て車窓の淵に肘を立て頬をつくトリファ・チャズリック法王の姿であった。

 二人の間には簡素に机が備え付けてあり、その上にはボトルワインとグラスが置いてあった。

 「満足? 何か勘違いをしてるんじゃないのか? 焼きが回ったか? これで法王の元にある『光』は七つになるな……これでは不平等だな」

 「ふっ、我々にまだ平等という文字があったとはな……ここではなんだ、着いたらな」

 「気遣いどうも」

 随分使い古した漆黒のコートの間からステッキが、そしてほぼ同時に年季の入った手で杖が握られた。錠のかけられた扉がその錠ごとがたがたと鳴り響く。

 「風が強いな」

 「ふっ……そのようだな。兄弟セインよ。じきに予言の日になるな」

 「そうだったな。百年の歳月が経った」

 「随分長い年月としつきだった……」

 「私には一瞬だったがね。銘銘めいめい準備が整いつつあるようだ。あるものは城を築き騎士を携えた。あるものは法王の名の元に有象無象を集めた」

 「お前は力を集めた。魔法を使う猛き少女らを、な」

 「自分を卑下するような言い方だな」

 「有象無象も迷えるからこそ集まったのだ」


——この世界の光は消えた。しかし絶望をしてはいけない。

  この世界の秩序は乱れた。しかし優しさを忘れてはいけない。

  この世界の愛は冷めた。しかし孤独をおそれてはいけない。

  この世界の知恵は失せた。しかし正義を捨ててはならない。


 「……だったか?」

 「随分と熱心なことだな。感心するよ」

 「いいや……ただ一から作ったにしてはよくできているからな。読み物として興味深い」

 「褒めてくれて嬉しいよ。作った甲斐がある」

 「そうだな……まあなんだ。互いに気を付けようじゃないか。良き同胞共犯者として」

 あいつは相変わらず自分の正妻に首ったけなだけのようだがな

 ボトルの中身をグラスに注ぐ。吊り下げられたランプの明かりを受けて赤黒い液体が無邪気に駆け回る。芳醇ほうじゅんな香りがいっぱいに広がった。

 「運命に乾杯」

 「予言に乾杯」


—きん



 白い外壁に赤い屋根。その多くは茨によって覆われており、そのとげはあらゆるものを排除するかのようにそこかしこに生えていた。

 がしゃんがしゃんと巡回警備の鎧の重なる音が絶えず響き渡り、その道中は全て爛爛らんらんとしていた。

 屈強な茨の先にある幾重にも重なる花弁。さらにその中心の高い部分にあるそれは既に見えない程に折り重なっている。そこには美しき女性が薄暗い笑みを浮かべていた。

 「彼らはきっと、私が薔薇騎士R.O.S.E.しか備えていないとお思いでしょうね」

 くすくすと笑う口元を扇子で隠すうら若き女王はその視線の先にあるのは深紅の液体。

 「『魔人の血』とでも言うべきかしら。失敗作は老人法王潰しついでに街に売り払う……こういう手が通じるのはあいつくらいだけれど」

 「姉様あねさま!! 姉様あねさま!!」

 水分の無い声が無様に呼応する宮殿内。

 「愛しの妹。どうしたの? 月の魔女は見つかった?」

 「い、いえ」

 「じゃあなあに?」

 「ミシェルの処刑、及び光の移動が行われたよ……!」

 近くの椅子に静かに座りたじろぐ偽りの冠を被った老婆をなだめ、自身の顔を冷ましつつ、指で机をとんとんと叩き使用人を呼ぶ。

 「あのワインを。にも注いでちょうだいね」

 そうして束の間のワインの匂いを楽しんだ。女王は近くにより共にグラスを持った。

 「姉様あねさま……」

 「エリーベル。こういう時程楽しまなくては。淑女として、ね」


——きん



 一軒の家にしては巨大な狭い檻とも言える豪華にしてどこか単調なシュールズマン邸。

 人々が絶え間のない光を広大な庭に張り、その反射で輝く白い壁面はまるで月のようだった。

 その邸宅に執拗に隠された一室。モイラを含む全ての使用人が知らない一室……そのおかしくなりそうなほど白い部屋の中心の天蓋てんがい付きベッドに横たわる、眠れる檻の美女。

 その前に跪く男が力のない手を握り口づけをしきりにする。

 「もうすぐ一つになれるね。愛しのクラーク……ああ今日も美しい」

 髪を一本一本梳くように時間をかけてそのかけがえのないひと時を楽しんだ。

 「……君は絶対に渡さない。安心して誰の目にも触れさせないからね」

 手をまるで既にひび割れたガラスを置くように丁寧に降ろした。クラークの体ごと寝返りを打った様に男側に向け直す。

 「君と出会ってから、百と十数年が経った。お互い変わらないね」

 まだ湯気立つ料理を香りつつ、二つのグラスにワインを注いだ。

 「二人で祝おうとおもってね……使用人に作らせた食事だ。もちろん二人分ある。香り良いだろう? ほら、港の新鮮な魚だ。それに君の一番好きなワインも用意してある。年代物なんだ」

 半ば乱暴にグラスを握らせてこうつぶやいた。

 「誕生日おめでとう」


——きん



    三  本当の月の魔女



 アウトグランの北の方、そこにはアウトグランのほぼ半分を占める樹海が広がっている。

 別名「鉱虫こうちゅう」とも言われておりその場所には数多あまたの鉱虫が生息してる禁足地きんそくちである。

 そんな森の上空に閃光が二、三回走った後、雨が降る。とびきりの大雨である。

 「ひぃっひっひっひああっはっは」

 地面にぶつかる雨音よりも大きく不気味な笑い声が三人分。山奥の森の中で木霊した。

 まるで百年の断食から解放され一口目のスプーン一杯の肉入りスープを食べた時のように、心の底から笑い合っていた。

 「もういくつ寝たかいね?」

 「ざっと百年くらいかしらねぇケケッ」

 「ああじゃあもう約束の日だねぇ」

 雷が一つ二つ落ち、ついに地面をえぐった時にその高笑いは最高潮になる。

 「天もアタシらを祝っているようなね」

 「そうだね。なんせたーんと待ったからね」

 「さあてから返してもらうとしようかね」

 三人が持つそれぞれの折れた杖、折れた傘、折れた剣を天に掲げた。降り注ぐ雨は速度を増し無数の糸が上から降りてきた風になるとその雨の糸を手繰り寄せて雲ごと振り回した。

 それらがすっかり晴れ渡り、月があらわになった時、既にそこに三人の姿はなかったのである。森の表面が白く輝き、その下にあるうごめくすべてもまた隠されたのであった。

 

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