第十九話「息奪いのジャック」

    一  劇的



 ローゼンドーン郊外にある宿「天使たちの止まり木」がその絶え間のない光の揺らめきを眺めるように座っている。二階建てのこぢんまりとした宿の角部屋に可憐な少女が窓を開けていた。

 「涼しいわ」

 海岸から吹く冷たい風がミシェルの火照った身体を抱きしめていた。

 「今日は一段と美しいね」

 イフリートは毛づくろいをしながら布団の上でくるまっていた。

 「ここまで来てくれたら撫でてあげるわよ」

 「ほんとう? じゃあ……って僕は猫じゃないよ!」

 そう言いながらも軽快に窓辺に立つとごろごろと音を立てて目を閉じた。

 「ふふ、ちょっと疲れたみたい。あんなに走ったのは、モイラに怒られたとき以来だわ」

 「ふーー。そんな君も……見てみたい……なあ」

 「きっと幻滅するわ」

 「まさか!」

 「あの時は、相当すさんでいたの。父上あの人が一番私を嫌っていたころだもの。何が何でも淑女になんてなってやるものですか、って意地を張っていたのよ?」

 「可愛らしいじゃないか」

 「ふふふ、今のあなたの方がよっぽど可愛らしいわ」

 窓べりに顔を預け、その視界一杯にイフリートの姿を収めていた。その顔には母の様な笑みが浮かんでいた。



 「ああ!!」

 癇癪かんしゃくによって振り回されている男が一人。を受け取った男は誰かを追っていなくなってしまった男たちを見ながら後ずさりし、その場からひっそりと去っていた。

 この出来事すらなにかに役立てようと頭をぐるぐると回転させていたがそれが上手く回らずに癇癪となって表れていた。

 いくつかの陶器を破壊してからその熱くなった手足を冷やそうと郊外に出た。

 「(人人が鬱陶うっとうしい……まるでありだな)」

 遠のく人々を見てそう言った。男は頭の中であらゆる凡的な詩や言葉を紡ぐがそれを言葉として捨てては新たに紡いでいた。結局それらが手元に残ることはなかった。

 「(はあ、誰が天才だって? ああ私だそうだ。皆は見る目があるなあ……ああ、皆っていうのは蟻のことだったか。蟻にどう思われようが所詮は蟻……無価値だ)」

 頭の中での会話をしているといつの間にか知らないところに来てしまう。これは度々あることで、積み重なった結果ローゼンドーンで知らない道は無くなってしまった。今はこうした外れに来ることが多くなっていたのである。

 「ん? なんだ?」

 思わず口から出た僅かな驚嘆きょうたんは、ついて出たためにそれにすら驚いた。

 「『天使たちの止まり木』? 宿か。こんなところにある明かりの乏しい宿。さぞ素晴らしい女がいるのだろうな……天使達ね、はは!!」

 そう笑うと、上の方から「ふふふ」という声が聞こえてきた、それは無垢な声。

 思わず口を手で覆い、まるで怪盗の様に足音すら立てることをためらった。何故か男は邪魔をしてはいけないと思ったのだ。

 「(あ、あれは……!)」

 男は出会った。天使に。

 「見目麗しいあの娘は誰だ。あまりに、美しい」

 「誰?」

 「君、君、ここだよ下だ!」



 ミシェルは窓の下から明らかに獣ではない物音がしたために声をあげる。

 「誰?」

 「君、君、ここだよ下だ!」

 一瞬見たその姿に気がつくや否や身を下げた。

 「(なんでツェレカ・ステロが居るの!?)」

 「君、名前を教えてくれ! どうして身を隠す! 出て来ておくれ! どうか!」

 そろりと植物のように顔半分だけ出して答える。

 「ああ、名乗るなら自らでなくて?」

 「おっと済まない、私はツェレカ。あのステロ座の座長だ! わかるだろう?」

 「え……ええ、いや知らないわ……それはそうとあなたとはどこかでお会いしたかしら?」

 「? いや、知らないな。少なくとも知っていたら君がそこに行ってしまう前に、この手の中に収めていただろう」

 「(彼、私の姿を見ていなかったのね)」

 「(ちょっと僕が居ながら口説くなんて許せない! 引っかいて追い返してやろうか?)」

 「(駄目よ! やたらと角を立てるのはいけないわ)」

 「(僕が君のこと心配なのはわかっているだろう?)」

 「誰と喋っている? そこに君以外に誰かいるのかい?」

 「ま、まさか! 誰もいないわ。素敵なお方」

 「素敵だなんて……君は上手いな! 余程私よりうまい口を持っているとみた。どうか降りてきてくれないか? もっと近くで話をしたい。もっと紳士的に、君を手に」

 「それは、できないわ」

 足元あたりの服の端をぺしぺしと肉球で弾いているのを感じ、ミシェルは困って見せた。

 「なぜ?」

 「それは……えっと……」

 「なんだか声がすると思ったら、あの子は用心棒だよ!」

 エミリーがほうきを持ってツェレカに向かって走っていく。

 「また来る! ありがとう!」

 追いかけられているのにも関わらず笑顔で闇へと消えていく男を不思議そうに見て、エミリーがふんすかと帰っていった。


——ばんばん!


 「へいミシュ、大丈夫か? 蛮人が出たってエミリーが!」

 リンダの声である。

 「おーい、大丈夫か? ミシュ? おーい!」

 中から猫の鳴き声がする。まるで心配するかのように声高に鳴くのでリンダは扉を開けた。

 「すまないミシュ、扉開けるぞ……ってミシュ! おい、おい!」

 猫がミシェルに半分のりかかり、今にも泣きそうにしている。そのミシェルは息を細かくしている。頬が青白い。

 「何をされたんだ!」


——かーん、かんかーん……


 遠くから警鐘が聞こえる。息奪いジャックが現れたあの鐘の音が遠くから風邪かぜに乗って知らせてくる。

 「まさか、な」

 リンダはミシェルを抱えてベッドに横たわらせる。布を掛けたとき、リンダの開いた背中の肌を逆撫でられるようで思わず窓を閉めた。そうしてリンダは皆に伝えにいったのである。

 ミシュが倒れた、と。



    二  無知と全知



 セシル・ブラックレインは高熱でうなされていた。その状態でたらいまわしにされること早数時間。木は森の中の例の通り病人は病院に、とニコラとオデットは馬車を止めては片端かたっぱしから話かけたがセシルの名前を聞くたびに満室と言われ追い出される始末であった。

 「ここもか!」

 オデットは思わず声を荒げた。馬車にひと飛びするとセシルの小刻みに揺れる肩を憂いた。

 「これで何回目だ!? セシルの名前を出した途端顔色変えやがって!」

 「かといって名前を偽っての入院は面倒なことになりますわ」

 「わかってるけどよ……でもさ、こんなのって」


——こんこん


 「失礼、お嬢さんがた」

 青年というには少し大人びた男が控えめに馬車外から挨拶をする。

 「あー、えと、セシル・ブラックレインを探している娘らは君たちのことかい?」

 皆は一様に顔を見合わせた後、傘に手をかけつつ扉を開けた。

 「おっと、失礼ああ私は決して怪しいものでは……セシル!」

 おどおどしていた男は白衣をはためかせて、気が付いたら中に入ってきていた。

 「ああセシル大丈夫かい? 私は医者だ。近くに家がある、そこへ行こう。私が担ぐ」

 信頼するかどうか判断するにはあまりに時間が無かったため、いざとなれば四人で反撃するとして一先ず男に身を任せることにした。

 一人担ぐ男の足はそれほど速くもなく、時折つまずくためにやがて疑心は心配となっていった。やがて彼の足は一軒の集合住宅の外付けの木製階段に向かっていた。

 「ああ鍵は、鍵は……」

 「ここは?」

 「さてね。貴族の家ではなさそうだけれど……誘いこまれていないでしょうね」

 「聞こえているけれど、心配するだけ筋が強張って疲れるだけだよ。ここはこの娘のご実家。だけど話は後……ちょっと手伝ってくれる? まずは水を。冷えたものとよく温めたものを」

 一行は再び見合い、慌ただしくも手を貸した。部屋の端々にぼろぼろの布や湿った臭いが充満しており、新聞が見かけだけ綺麗に積まれていた。食器類はさび付いているものの抵抗の跡が見えている。ランプは一つだけだったが工夫が施されているのか、部屋全体が仄かに映し出されていた。

 「これでよし。一旦は、ね」



 ほの暗い部屋も時代に元気を取り戻していくローゼンドーンの集合家屋の二階か三階。それすらも外は暗くとも明らかに順立てて建てられた風でありぎの木目と石の違いがローゼンドーンの街をたらしめていた。

 「息が整ってきた!」

 セシルはすうすうと寝ており顔は赤らんでいるものの見違えてすっかり良くなっていた。

 男は特殊な意匠の施された白い手紙を風に乗せて飛ばした。

 「待ちなさい! 今あなた、何を?」

 「ああ、待って。怪しいことをしたわけでは……手紙を送っただけだよ」

 「誰に?」

 「まあ落ち着いて。きっとそのうちわかるさ。僕は憲兵を信頼していないから捕縛する目的なんてないことを信用してはくれないかな? 僕は魔法を使えない。どうだい?」

 四人は見合ってからオデットに耳を澄ませて外側へと、他の三人は男を注視した。

 「まあ、あなたが医者だということは信用しても良いと思うのだけれど……セシルとは一体どういった間柄なのかしら?」

 グレイシアがそういうと医者はひと汗拭うと馴染み過ぎていた眼鏡を外した。

 「そうだな。一度ここから隣の部屋に行こう。彼女は今、症状の初期段階だ。しばらくしたらもっと空気と食事の良い所へ」

 そうして部屋のランプをふっと吹き消し、いそいそと隣の部屋に向かう。もっともセシルの眠るこの部屋と玄関にある隣の部屋しかないのだが。

 「さてそこに座って、ああ別に構わないならそれでもいい。正確に言うとセシルというよりその母親の方にご縁があってね。必要以上のことは医者として省かせていただくが、今、経済的に支えているのは他の誰でもないセシルなんだ」

 「御父上は?」

 「御父上殿は亡くなられた。遠く前にね……そこから御母上の体調が悪くなっていってね、その折に出会ったのがセシルという少女だったというわけだよ」

 「亡くなられたのですね」

 「それからほどなくしてブラックレイン家は百足の家紋を掲げるように」

 ふと顔を見上げると高い所の一番明るい場所に『廻る百足』の家紋が掲げられており、木版が不気味に光を返していた。

 「五輝族のひとつ、だっけか?」

 「ああ。アウトグラン一有名な学院の学長をやっているくらいの名家だ。君たちも名前くらい知っているだろう? それから母親を残して学院に経ってしまった。それから幾日経ったか」

 「セシルさん、そんなことを……」

 「まさかそれで何年も援助を貰うために一定の学力を保ってたとか?」

 「どうでしょう……ですがお金に厳しいのも頷けるような気もしますわ」

 「ん? 君たちはもしかしてセシルの学友かなにかかい?」

 「ええと……まあ似たところだな」

 「となると君たちは貴族か。セシルはどうだい? うまくやっているかな?」

 「それはまあ。そうですわね。とってもわかりやすく頼りにさせていただいております」

 モーリスはうげっという顔をしているがグレイシアはすまし顔でそう答える。

 「もうそろそろ御母上が帰ってくる時間じゃないかな?」


——がちゃん!


 「セシル!! ああ私の天使……!」

 扉がその衝撃の許容を越えんばかりに開け放たれ、酷い部屋に似つかわしくない美麗な淑女が入ってくる。目もくれることなく部屋へと向かった。

 「あれが、セシルのお母さま?」

 「ああ。ヘイリーさ。さっき飛ばした手紙は彼女を呼ぶためさ」

 一行はすっかり聞き耳を立てていた。

 「……君たちは本当にセシルの学友かい?」

 「っし! 静かに!」


 「ああ、セシル……! 会いたかったわ!」

 「お、お母さん? なんで、ここは?」

 「ここは我が家よ。懐かしいでしょ?」

 「お母さまの匂いがする」

 「ふふふ」

 「……お母さん。私、お母さんの手紙……」

 「いいの。わかってるわよ。むしろ謝るのは私……頑張ってくれているのに私ときたら」

 「あやまらないで。お母さん」

 「優しいのね。私の天使……今はゆっくり休んで。私もここで少し休もうかしら。久しぶりに一緒に……寝ましょう、ね」

 「むかしを思いだすわ、お母さん」

 「そうね……そうね……」

 

 「私、実家が恋しくなってきた」

 「私も……ですわ」

 「あなた達ねぇ」

 「グレイシアも帰りたくなったんじゃない?」

 「馬鹿言わないで!」

 「し!」

 三人が声を揃えてそういうと、男はテーブルに紅茶を四つ分置いた。

 「君たちが信頼してくれているのなら、いかがかな? 大衆向けだからあまり口に合わないかもしれないが。どのみち余裕ができたのなら悪くないと思うんだが?」

 男の提案通りにした一行はすっかり疑心を忘れ、ひと時二人の寝息を茶菓子に紅茶を楽しんだのであった。



    三  雨の好きな人



 「すっかり良くなったわ」

 そうは見えないが最初の方から考えれば快方に向かいつつあるセシルは肩を借りてなら歩けるようには、なっていたようであった。

 「セシル、久しぶりだね!」

 「ええ久しぶり」

 「もう帰る頃なのね。体調は大丈夫なの?」

 「ああ、それについては大丈夫だ」

 そう言いながらセシルとヘイリーにわからないようにして男は四人に合図を送る。それは『それについての話がある』ということらしい。それに気が付いたオデットが口火を切った。

 「アタシらは先に外に行ってるから、目一杯おかあ……御母上様と話をしてはいかがです?」

 「ええそうさせていただくわ」

 四人は出ていき男も出ようとすると「あら、あなたも話をしましょうよ」とセシルに止められるが「私はいつでも、会おうと思えば会えるからね。御母上はそうはいかないだろう?」と言い多少訝いぶかしむセシルとヘイリーを後にした。

 

 「で、話って?」

 オデットが聞く。四人は降りながら耳を傾けた。

 「あの娘セシルの熱の話だよ。あの熱はこの辺で流行っているような病ではないだが、別の意味で流行っているものであるかもしれない」

 「別の意味で?」

 「ああ。とある薬を盛られた時ああいった熱が副作用として出るんだ。その名も『悪魔の血』」

 「『悪魔の血』?」

 「最近娼婦しょうふの間で流行っている薬でね。出所も不明、製法も不明、されどその効能は絶大……ここいらはそういった薬と病とで混沌としているんだ」

 「娼婦?」

 オデットにはその意味が解らずに話を続けられる。

 「してその効果は……?」

 「まあ端的に言えば『惚れ薬』だよ。水に盛ればわかるが、赤酒ワインならわからないだろうね。酔った時と似たような雰囲気になって、それがどんどんと過激になる。頭が冴えた様にはきはき喋るものだからわかりづらいんだ」

 「それって……」

 ここを経つ前、時々発言が目に余ったと言えばそうかもしれないと、グレイシアらは思った。

 「君たちはくれぐれも気を付けて。今回はあくまで酷似しているというだけで、流行病はやりやまいしている」

 「なぜそう強調して……」


 「お待たせしたわね!」

 軽快に階段を降りるセシルを男や四人は少しよそよそしく出迎える。そしてそのまま馬車に乗った。中から手を振る。すると上の方からヘイリーの手と顔だけが見えた。

 四人は馬車に乗り込むと最後の方に乗ったグレイシアとオデットに男は声を掛けた。

 「そうだ、記憶にもその症状は出る。そこで判断するんだ。直近の記憶があいまいならそれはきっと『悪魔の血』のせいだ……セシルを頼むよ」

 二人は頷いて中に入る。「何か喋っていたの?」とセシルが言うと一同は「いいや?」「なんにも?」「世間話ですわ」「いろいろとあなたのお話を、ね」という声が聞こえ、馬車は進んだ。

 馬車内からは笑い声が聞こえる。それを聞き届けてから男は再び階段を登った。

 「ヘイリー」

 「あなた。ありがとう」

 「僕と君とのことは言ったのかい?」

 「いいえまだ。おおやけの関係でもありません。それにまだ未亡の身を抜け出そうと思った訳ではありませんわ。あなたには申し訳ないのですけれど」

 「はは! いいさ、でもいつでも待つよ。手紙のことは?」

 「いいの。わかっているのよ。あの子になんにも教えてあげられなかったもの。同じ年の子たちと喋る機会も遅くなってしまったし、私もあまりにあの子に尽くし不足だったもの。わかってあげることくらいはしてあげなくちゃ。あの子、不器用だから過度な節制をしていなければいいのだけれど……ミシェルという女の娘とはちゃんと仲良くしているのか……あの子が部屋を持つなんてこれは喜ばしいこと! でもその分心配なのよ」

 「あの娘は大丈夫です。きっと。何故なら皆笑顔でしたから」

 暗がりの、部屋から出た僅かな僅かな光だけではあったが、彼女らの微笑ほほえみだけはくっきりと浮かんでいた。馬車の向かう光の中を最後まで目で追っていた。

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