第十八話「ローゼンドーン観光記」
一 息奪いのジャック
「と、いうわけで、だ」
アウトグランの大地にある最先端の街ローゼンドーン。ここではあらゆる流行の中心におり、活気はランプ街の比ではない。眠らない街とはよく言ったもので、ここではいつまでも人が存在し続ける。寂しさとは遠縁の存在であった。
「ミシュにはこのロンドンという魅力ある街を堪能してほしいんだ」
短い赤髪を上下に揺らしながらリンダは腕を組み、ミシェルに語り掛けていた。
「はあ」
「食べ物も飲み物も、娯楽も芸術は……あーわかんないけど、この街のことを知らなさそうだからな。先輩として教えてやる。どうせしばらく『天使たちの止まり木』は客の入りを抑えるし、一件のすぐだからあいつらも警戒してるだろ。ってなわけで、ほい!」
そういってリンダは無邪気に手を差し出してくる。
「ええっと、では、よろしくお願いいたします……わ?!」
リンダはミシェルの手を勢いよく引くと馬の様な速度で走った。耳元では風を切る音がする。
丘にあった宿から足場の悪い場所も僅かに魔法を駆使しながらすたすたと走り、いつの間にか街の入り口とも言える高層建築(といってもこの世界では三階層程度)の密集地に辿り着いた。
「ちょちょっと待ってリンダ! もう足が動かないわ!」
「おいおい、なんだよミシュ。へばるには早すぎるぜ?」
「なんて元気なのかしら」
「さっそく背負ってやってもいいが、ここはミシュに合わせて優雅にてぃーたいむといこう」
「この近くにお店が?」
「ああ! 美味しい所を知っているんだ!」
そういって今度は歩幅を合わせてリンダを隣りに目的の場所へと歩みを進めた。
「……何やら生臭いわ」
「おお、ここいらは漁業が盛んだからな」
「こんなところで?」
「ああ。そんなことより着いたぜ。ここだよ。おーい姉貴ー!」
疑問の晴れないまま、直角以上に建てられた膨れた建物の前でリンダは声を出す。片手で扉を開けミシェルの手も握ったまま、ぬいぐるみでも持っているかのように連れ去られた。
「あら、リンダ店は……って誰?
「違うよ。宿に来た後輩! ごめんな、ミシュ。そこらへん適当に座って。おすすめは窓際」
そういって有無を言わさず厨房らしき扉を潜ってしまったリンダ。手を掴まれていないのにも関わらず振り回されているミシェルは、言われた通り窓際を見やる。繁盛しているのか、もう既に埋まっていたのだが、視界に看板が入る。二階にも席があるようだった。
厨房にいるであろうリンダを少し待ったが、来そうにもなかったためミシェルは先んじて二階へと上がる。そして再び窓際に目を向けた。今度は空いていたが、そもそも二階には人があまりいないようだった。
使い古され、何度も使用された形跡のある大衆の椅子にハンカチを乗せてから座る。開いた窓から生ぬるい風が吹くが、先ほどよりも生臭さは強くなっていた。
「ミシェル。楽しそうだね」
ふいに聞きなれた声がする。窓の外からである。
「結局ついてきたの?」
「もちろん! 悪い虫が寄り付かないように用心棒は必要でしょ?」
「用心棒、ね」
窓の外からひょっこり現れたのは猫。の姿をしたイフリートであった。
「来るって言っていたのに現れないし、どうしたのかと思ったわ」
「行ったさ! でも彼女が君の手を取って走っていくのが見えたからね。約束を破ったのかと思ったよ」
「……もしかして、妬いているの?」
「いいや別に!」
「ふふ」
「ヘイミッシュ! 遅くなったね……って猫? こんなところに珍しいな。ほらほら、あっち行った!」
「ま、まあいいじゃない」
手で追い払おうとするリンダをなだめるとひょいと猫、もといイフリートはミシェルの膝で丸くなった。
「っとしょうがないな。このませ猫め……ま、いっか。あそうそう姉貴からかっぱらってきたぜ。飲もうぜ!」
机にはいろいろと乗っていた。やたら茶色い皿に甘い匂い漂う椀、そしてなにより美味しそうな紅茶である。
「てらてらと光る茶色い棒群は……?」
「これはフィッシュチップ。フライだよ。んでこれはポリージェっていうお菓子みたいなもんだよ。あっためた牛乳と蜂蜜、少しの果物を入れた簡単だけど美味しいやつさ。このスプーンでお
そういいながらフォークを差してもぐもぐと食べ始める。頬を膨らましたまま、次から次へと口へ放り込んでいく。
ミシェルはスプーンが綺麗であることを確認してから音もなくミルクとその具材を乗せ、口へと運んだ。垂れる髪を片手で押さえながら、意を決して……食べた。
「(あ、甘い……! 甘ったるい)」
「……」
「お、
「おう……そ、そうだな!
「? どうしたの?」
「いや、別に」
猫は赤面気味のリンダをじーっと見た。ミシェルはその様子を察し猫を撫でた。ごろごろと小さく気持ちよさそうにないた。
「それで、さっきなんか行ってたよな? 生臭いとかなんとか……」
「そうそう。漁業が盛んってどういうことなの?」
「それは、あそこを見てごらん」
「どこ?」
「ほら、あれさ。煙が出ているところ」
指を差したところを凝視すると、確かにもくもくと黒い煙が立ち上っているのが見え、それはどうやらゆっくり動いている様にも見えた。
「あれは?」
「レムズ川。アウトグラン広しと言えど、これほど広く凍っていない川はそうない。ここには多くの魚が無限にいるからな。氷結を免れるために集まって来たんだろうな。女王直下の会社が育てては放流しているんだ。このアウトグランの大規模産業の内のひとつだよ」
――からんらん! からんらん!
「今のは?」
「ああ、今のは寄港の合図だな。何隻もあるから順番を指揮しているんだけど」
「だけど?」
「いや、いつもと違った気がするけれど、気のせいかな?」
「いんや、気のせいじゃないさ。よくわかったねリンダ!」
ワインボトルをどんと置きながらにこやかで快活な女性が現れた。どことなくリンダに雰囲気が似ているようにミシェルは感じた。
「初めまして、アタシはリンダの姉でナタリア。妹が世話になってるよ! あれはね、
「
「無理もない。なんたってあれは魔女の呪いだからね……この前処刑された魔女のね」
体が震える。ミシェルは咄嗟に顔を背けた。それとは気が付かずナタリアは話を続けた。
「噂だと魔女が最後に何かを呟いたんだって。それが世にもおぞましい呪いの言葉だったらしくてね。その日からさ。
窓ガラスは小さな水滴をじわりと纏っていく。外を見ると霧が出てきた。それはまるで舞台の演出のように、それはこのローゼンドーンに静かに腰を下ろした。
「……!」
「窓をおしめ。呪いの言葉が流れてくる。それが耳に入った瞬間、お前は死んでしまうよ」
「や、やめろよ姉貴!」
そういいながらもリンダの手は開いた窓の錠を閉めていた。
「ず、随分と俗説的ですのね」
「もちろん! 根も葉もない噂でも出会っちまったらそれこそ命が幾つあっても足りないからねえ……自分の命は自分で守らなくちゃ! それに、現に人はおっ
「
「知らないのかい? 女王陛下のおひざ元で、選りすぐりの中の選りすぐりさ! 実力は悪魔にも負けず劣らずなんだよ。今回の事件は
「法王が居るのにわざわざ騎士が来るの?」
「ああ、あんた本当になんにも知らないんだねぇ」
「ミシュ。法王は何にもできない奴だぜ? 高い献金を求めることと無実の人々を公開処刑する以外できない無能な天の使い。いつだってどこだって困窮しているのに良い食事に豪華な寝床に納めなくていい税金……羨ましさを通り越して、腹が立つぜ……」
「女王も法王の怠慢は目に余るってコト。全然信用されてないのさ」
「(あれだけの力を持っているのに?)」
ミシェルは聞きながらも二人の言葉を信用していなかった。何故ならその実力をこの体を持ってして経験したからである。枢機卿らの反応や信頼感を見てもそのカリスマ性は垣間見えるものがある。なのにも関わらず、さも常識のように無能であるとされていることに疑問を抱いた。
「へいミッシュ。どうした?」
「いえ、別になんでもありませんわ」
「そらこんな辛気臭い話していたら本当に
「わ、私は遠慮しておこうかしら……」
「ミシュはおこちゃまだなあ」
「あなたもそこまで変わらないのでなくて?」
「……」
「姉貴?」
「……」
「どうしたんだ? おーい」
「いや、なんとなくこの嬢ちゃんに見覚えがあるような……」
「さあ、あなたとは初めましてですわ」
「ふーん……」
「ちょい姉貴、覗きすぎ」
「あらあらごめんなさい。さ、乾杯しましょう。無理強いはしないわ。紅茶でどうぞ」
「あ、ありがとう」
かんと無邪気な音が鳴り響き、ナタリアは「じゃ、仲良くやってね」と言い行ってしまった。油のぎとぎとと戦いながら胃にそれらを突っ込んだ。そのほとんどは紅茶で流したのだが。
「そういえば、ここ以外に行く当てはあるの?」
「そうだな……」
外を見てみるとすっかりと霧は晴れていた。町は再び活気付き、灯りと傘が往来している。
「うん。じゃあ、せっかくだしレムズ川行こうぜ!」
「え、ええ」
ミシェルは生臭さをより感じる所へと向かうことに多少の嫌悪感を抱いたがそれも紅茶と共に飲み込んだのであった。
二 黒煙とローゼンドーン大橋
黒煙が呼吸のように吐き出される小さめの船が幅広の川にいくつか漂っている。この船に乗った小さな画家たちは暗雲の中に黒を塗り足すようにしてローゼンドーンの街をより暗くするようだった。時折網や竿を引き上げてはどっさりと釣った魚を船に放り込んでいる。
なお猫は両の手で抱え込んでおり、それにすっかり収まっているという風である。
「(う、生臭い……)」
「いっやー! 風が気持ちいいな!」
内陸側は基本的に生ぬるい風が吹いているのだが、この海に面した川には海からの冷風が常に吹いているようだ。それによりより爽やかな魚の香りを直接嗅ぐことになってしまっている。
「おい、大丈夫か?」
「ええ。まあ……たぶん」
「なんだ? ミシュは魚嫌いなのか?」
「い、いや嫌いというわけでは……(調理済みしか食べたことがないなんて言えない!)」
「そっか。良かった! 釣りもああいう船を使わないないのなら誰でもできるからな。そうだ今度釣竿を貸してやるよ! あの橋の下あたりが穴場なんだ」
リンダは橋を渡った対面側の下の細道を指差した。
「あそこは静かだし誰もいない。都会の騒がしさの中にある秘密の基地なんだ」
意気揚々と語るリンダはそう言うや否やミシェルの手を引いて再び走り出した。
「ちょ、ちょっと!」
「走った方が気持ちいいだろ?」
先ほどを踏まえたのかミシェルがぎりぎり転ばないような速度で走っているリンダ。「走る」ということ教わっていなかったため、流れる景色と滲む汗を拭う風が気持ちよくなかったとは思わなかった。
「っと……!」
突然その足を緩め止まったリンダ。その背中にとんとぶつかってしまった。
「なにかありまして?」
「いや、こっからはあっち向いていた方が良い。見ていて気持ちがいいもんじゃないしな」
そういってミシェルとその何かの間に割って入り視線を遮った。怒号が列を成しているように感じる。
「最近増えているんだ。ああいう反貴族派の労働者が……そのほとんどが新体制を望んでる」
「なぜ貴族に反対しているの?」
「そりゃ、金持ちだからな。私たちにはそのほとんどの恩恵を受けていない……辛い日々をしかたなく過ごしてる。好きな時に遊んで、好きなこと学んで、好きな時に寝る。恋愛し放題で、なによりご飯に出てくる料理であたることないだろ?」
「ま、まあ」
「正真正銘の貴族が来ようもんなら、集団で何されるかわからない。ミシュは立ち振る舞いが貴族っぽいからそういうやつが居たら逃げろよ。流石に助けられるかわからないし」
「肝に銘じておきますわ」
「おう。さ、この辺りに階段があるんだ」
そういうと見えにくい所に随分と使われていなさそうな石階段があるのを見つける。
「ん?」
「どうしたの?」
「いや、いつもはもっと隠されている気がするんだけど……まいっか。行こうぜ! 涼しいし座って足を水につけるのも気持ちいいんだ」
そういって手を引いていくリンダの足取りはどこか重い。いつの間にか足音を立てることすらなくなりついに止まった。
「しっ……やっぱり何かおかしいのかもしれない。声が聞こえる気がする。ミシュも聞いてみてくれ」
橋の脇にある長い石階段の下の方。ずっと暗く、その隙間からその上を行きかう人々の明かりがちらりちらりと横を切る。ちかちかとする通路の静かな奥からなにやら小さく声が聞こえた。
「実はこの橋の下は旧路地裏と繋がっていて、地下街が広がっているんだ」
「そんな大きな街だったの?」
「ははっ、そりゃ上にばっかり伸ばしても限界が来ちまうし。それに元々は地下にあった都市だからな。その話はまた今度な! 今はこの
「危ないのではなくて?」
「大丈夫さ。ここは入り組んでるし、もしかしたら友達が増えるかも。しっ……この辺りだ」
——「くれるんだろ? 『悪魔の血』を」
「あく」
ミシェルはむぐっとリンダの口を手で塞いだ。
「(ごめんごめん、ありがと! でも今『悪魔の血』って!)」
「(ええ、少なくともお友達にはなれそうにありませんわね)」
——「君ほどの者が、本当に。求めているとは。ツェレカ・ステロ……取引だ」
「(ツェレカ・ステロ!?)」
「(知っているのか?)」
「(し、知っているもなにも有名人じゃない! 大聖堂もあの橋も、なによりステロ座も彼の設計だったはずだけれど……)」
——「これを、さあ早く寄こしてくれ。今後に関わる」
「(建築家なのか?)」
——「っは! 時代の
「(いえ、今は劇作家よ。だけれど多彩過ぎて、ある時は音楽を、あるときは建築を、ある時はシナリオ制作を……)」
「天才なのか!?」
——「誰だ!?」
リンダが
「しまった! 逃げるぞミシュ」
またも答える前に既に手を取られてしまっていた。リンダはその軽快な足取りで階段の方ではなく別の道を進んだ。
「え? 登るんではなくて?」
「ああ。入り組んだ
そういうと小さな階段や段差を越える。遥か後ろの方ではあるが複数の太い足音が聞こえる。
「あそこの木箱を越えるぞ! それとべ!」
「きゃっ」
ミシェルは今一歩超えることができず、上の方に足を引っかけてしまった。ミシェルはこういった体を動かすことが苦手で既に関節に痛みがでていたのである。
「おっと、大丈夫か?」
寸前のところで抱えてくれたので怪我はしなかった。背後からの足音はこれを機と言わんばかりに大きくなっていく。向こうは魔法を使い破壊したり、動かしたりしているようだった。
「ごめんなさい」
「いいって、それより急ぐぞ。おんぶするからとりあえず乗って!」
そういうとミシェルは自分の靴を持ち背中に体を預けた。と、そこへ猫(イフリート)が飛んで乗って来たのである。少し毛が逆立っているようだ。
「おいおい、アタシだって乗せられる限界があるって猫助! んまあいいけど」
猫と一人の少女を乗せたたくましい背中は、馬のように上下しながら、障害物を越えていく。
風を文字通り切って走る全速力のリンダの上で、静かに目を輝かせていた。
いくつかの路地を走り込み空き家の中を越えたところで、ついに追っ手を
「よしうまいこと撒けたな!」
「も、もう大丈夫よ。ありがとうリンダ」
「おう、良いってコトよ! っはー! 猫助意外と重いな」
「ふしゃー!」
「怒んなって! って、そういえばずっと猫助連れているけど、いいのか?」
「まあ……ええと、飼い猫ではないようですし、ね」
「にゃ」
「ミシュは猫と喋れるのか。まあ猫が良いならいっか。我が
「んにゃ」
「ところで、ここはどこかわかるのかしら?」
「当然!
二人と一匹は
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