第十四話「黒い炎」

    一  裁きの前の静けさ



 薄暗い地下牢の中。遥か高い場所にある格子窓から微かに生ぬるい風を浴びながらミシェル・シュールズマンは一人、いや二人で静かにため息を吐いていた。保健室にて短期の療養を済ませた後、馬車で秘密裏に連行されたミシェルはみじめな虫のように丸まりながら連日のことを振り返っていた。

 つい先日、このアウトグランの天井で国王の元にぶら下がっているシャンデリアのように輝く五輝族の一角であるシュールズマン家から魔女が出た。あるまじき事件が世間をにぎわせたのである。

 さて疑いを掛けられたのはミシェル・シュールズマン。罪状は「反逆罪」である。この罪をもう少し読み解くのならば「ミシェルは悪魔と契約したことによって得られた強大な魔術を用いてしまうことで、場合によっては国家転覆も可能になってしまったことによる不安因子化の罪」である。他にも単純に契約した罪、無許可での危険区域探索の罪などいくつか重なっている。

 しかし、この数々の罪においていくつ罪状が連なろうと「魔女になった疑いの罪」というだけでこの社会ではいかなる貴族らもである。

 「どうしたんだい、愛しい人マイハニー。まさか私と契約したことを後悔していたり?」

 「そんなわけ……ないこともないけど、実際に彼女を助けることができたのはイフリートのおかげだから後悔はしていないわ。あとちょっと距離近いわよ」

 「ごめんごめん。ほら、ひそひそ話さないと看守に聞かれてしまうからさ」

 「まあいいけど……みんなのことと、昔のことを思い出していただけよ」

 「ああみんなね、どうだろう。見てこようか? 小さくなればここを出られるけれど」

 「遠慮しておくわ、本も音楽も蝋燭もないんだもの。イフリートも居なくなってしまっては、きっと寂しさで潰れてしまうわ」

 「そう。じゃあもう少し近くに寄るよ……ありがとう。えーっとそれと……昔のこと? 私はミシェルの子供の頃を見たいな。今も子供だけど」

 「最後の言葉は余計よ。私の話はつまらないけど、この空間がもっとつまらないから特別に話してあげるわ。それにあなたにはいずれ話してみたかったし……こういうなんとなく悪いことをしてしまった気がする日はいつも音楽レコードを聴いていたの……本を開いて。今でも空で言えるわ。

 「かつて、このアウトグランの空は青色に染まっており、そこにはルビーよりも明るい‘太陽’という星が浮かんでいた。そこへよこしまな悪魔が、同じく空に浮かぶ月という星に魔法をかけた。月はたちまち太陽を喰らい尽くし、瞼を閉じても開いても変わらない程に暗くなっていた。そこへひとつの光が人々を照らした。その光は太陽にも負けない強い光であった。その輝く光はただ一人の魔法使いによって唱えられた一つの魔法だったのだ。魔法使いは幾人かの弟子を付けた。最初は小さな光であったが、育まれてゆくうちに、そして新たな仲間が集う内に大きな光となっていった。悪魔の方はというと虫を変異させ人々にけしかけたのだった。その虫は人呼んで‘鉱虫こうちゅう’は悪魔のように強く、多くの力なき人々が殺されてしまった。魔法使いとその弟子たちは悪魔に負けじと、撃退するすべを身に着けた。そして百年経った今も、悪魔と我々魔法使いの戦いは続いている……」

 ミシェルは閉じた目を開けた。パントマイムのように本を丁寧にめくるふりをしながらイフリートに読み聞かせていた。外から吹く風がまるでそういうアドリブ音楽かのように奏でた。

 「ふむふむ美しい」

 「でしょう? この本の序文なんだけれど……」

 「いいや。私が言っているのは君の紡ぐ声さ。確かに文も素晴らしいけれど、それは君の発声でついに完成する」

 「褒め過ぎよ」

 「足りないくらいさ!」

 「話を戻すわよ……あなたは想像できる? サファイアで埋め尽くされた空にルビーなんて日にならないくらいの赤い太陽というものを。一度は見てみたいわ」

 「うーん、どれも君にはかなわないような気がするけれど、確かに美しいだろうね」

 「そういえば、イフリートは本当に悪魔なの?」

 「さあ。皆が言うならそうかもね」

 「そんな適当な」

 「生まれた時から疑問ではあったけどね。なんせ気が付いたらなんでもできたし。ただ生きた心地もしなかった。君に会うまではね」

 「それは……いつもの口説き?」

 「いいや、ああまあ半分くらいはそうかも? でも半分は本気。今まで金でも女でも男でも満たせなかったこの心を君はいとも簡単に満たしてくれた。てっきり自分の針の輪は酷く小さいものだと思っていたけれど、自分の目が悪かっただけみたい」

 「あら、気が付けて良かったわね」

 「ああ!」

 「ふふ……」

 「やっと笑ったね! 君ときたら辛気臭い顔ばかり。笑っていた方が絶対に、美しい」

 「……ありがとう」

 「おっと、この私の目はごまかせないよ? 今、私以外のこと考えていたよね」

 「目が悪いんじゃなかったの?」

 「それはただの比喩さ。もしくは君に出逢ってから良くなった」

 「まあいいけれど……実は昔、同じようなことを言ってくれた人がいてね」

 「それは聞き捨てならない!」

 「大丈夫よ。同性だし、年上だから」

 「関係ないね!」

 「まったく心配性ね。私の教育係のおばあ様兼お母様よ。私、お母様を見たことがないの」

 「それはあ……ヘンだね、とても。まあ僕はそもそも悪魔なんだけれど」

 「やっぱりそうよね。似てるとはよく言われるけれど」

 「お父様は?」

 「あまり好きではないから聞けないし、聞いても無駄なのよ」

 「お父様がお母様を愛してやまないからよ」

 「ああ、独占したいんだ」

 「その通り。どこかの誰かみたいね」

 「あはは……そうだね。おばあ様はどんな人だったんだい? 君を口説いた人というのは」

 「口説かれたわけでは……まあいいわ、おばあ様は正確に血がつながっているわけではないけれど、教育を放棄したお父様に変わって聖書や人道を説いてくれたわ。そういう意味ではわね」

 「へえ」

 「隻眼の魔女……後で聞いたことだけれど、そう言われていたらしいわ」

 「魔女? その人は悪魔と契約を?」

 「いいえ、見た目と怖さから子供達からそう言われているみたい。別に優しい人だけれど」

 「名前はなんて」


——かつん、こつん、かつん


 「しっ……誰か来たわ」

 「おい、さっきから独り言をぶつぶつとうるさいぞ」

 「……失礼あそばせ」

 「処刑が近づいているんだ、情に訴えられると思うなよ」

 「まだ処刑と決まったわけではないはずよ」

 「っふ」

 「何がおかしいんですの?」

 「いいや、っふふ。今まで魔女と疑われた奴は百パーセント死刑だ。例外なくな。ま、せいぜい神に祈ってればいいさ。おっと、魔女にはできないか」


——こつん、かつん、こつん


 「行ったわね」

 「言ってくれるね。こんなところでなければその腕の一本や二本……」

 「おやめなさい。紳士淑女は暴力とは無縁でなければならないの」

 そういいながらミシェルは自分の手をさすった。「少し横になるわ」といった彼女の表情は少し疲れていた。イフリートは彼女の頬を撫で、髪を撫でた。そして背中をとんとんと叩いた。

 そうして息がすーっと整うのを待った。肌寒くなってきた風から少しでも守れるように、よりそったのであった。



    二  失われた四つのもの



——この世界の光は消えた。しかし絶望をしてはいけない。

  この世界の秩序は乱れた。しかし優しさを忘れてはいけない。

  この世界の愛は冷めた。しかし孤独をおそれてはいけない。

  この世界の知恵は失せた。しかし正義を捨ててはならない。

  主は犠牲となった。暖かな光となり、優しさになり、寄り添い、力となった。

  主はお言いになった。「世界は閉ざされた」

  主は戦われた。何人なんぴとの尊い運命が消えぬよう、尽くされた。

  主はお言いになった「しかしその産声は誰にも止めることはできない」と。

  主の紡いだ全ての生命に罪などはなく、許されるべきなのである。



 透き通った天井の隙間から射す淡い光と吹き抜けるぬるい風がミシェルのまぶたを舐め上げた。一段と冷える大聖堂の冷たいタイルの上でじっくりと焼き上げられる。数多の観衆が喜びと妬みの混じった視線を、熱として送ってくるのである。ミシェルは聖書の一説を心の中で静かに唱えていた。

 「(緊張してる?)」

 「(当り前じゃない! ……何度も聞いて悪いのだけれど、本当に見えないのよね?)」

 「(法王にだって見えないさ! 代わりに君以外に干渉することができないけどね)」

 「(何かあったら助けなさいよね)」

 「(もちろん)」

 一息ついてから床にのみ当てられた焦点を上へと向ける。そこには三人の枢機卿が居た。純白をまとい見下ろしている彼らのさらに上には、それらの白が霞むほどの眩さに身をくるんだ法王が鎮座していた。


 「開廷の前に……なにか申し開きなどはあるか?」


 一人の枢機卿が声を発する。


 「私は、魔女ではありません」


 背後からはくすくすという笑い声が立っている。


 「ではこれより、魔女ミシェルの断罪を始める」


——開廷。


 静かに告げられた開廷、ミシェルには死の宣告に聞こえたのであった。


 「……罪状、被告は北の森に赴き悪魔と契約したとがを犯した……悪魔契約の罪。それによって起こるであろう反逆の可能性にある罪。無許可での禁止区域に赴いた罪。他の貴族をもたぶらかした罪、噂を流し風紀を惑わせた罪、鉱虫の怒りを逆なでするような行為をし報復の可能性を産んだ罪、……魔女ではないという虚偽の罪」

 一人の枢機卿によってゆっくりと述べられていく罪状。そのたびにざわつく大聖堂は円形の天井に反響して倍くらいの人数に聞こえた。

 「……以上、十八の罪。高等議会は以上の罪を裏付けよ」

 その一言で十数人の白いローブがはためいた。その内一人が懐から紙を取り出した。

 「はっ……被告、ミシェル・シュールズマンの犯した罪に関しての報告」

 別の男が白いステッキを突いた。かんっと小気味の良い音がすると光の帯が現れて交叉こうさする。その帯はまるで額縁のように形取ると森の中の様子が静止像で映し出される。

 ざわつく場内。それもそのはず、六つ目蜘蛛の創り出した巨大な建築物を前に無残に散る六つ目蜘蛛の大群。それは何カ所も、あらゆる角度から撮られていたのである。その絶する光景をみて気絶する貴婦人もいたほどである。

 「なお、傘は見つからずで……」

 その像の説明をしていた男がその言葉を発すると口々に驚嘆の声が産まれるのであった。

 「こ、これを傘無しで……ありえない」

 「魔女でなければ、説明がつかない……騎士でもあるまいし」

 おかしいという言葉がその言葉の意味を失ってしまうくらいに聞こえたあと、法王のが聴衆の耳を奪う。

 「確か、同伴者はデイム・アリギュラであったな」

 それはデイムが居ても見つからなかったということなのか勘ぐってそういったのかは、ミシェルにはわからなかった。しかしその背筋には一筋の冷たい汗が垂れたのである。



——ぎぎぎ……


 静かに開けた焦げた鉄縁の大扉を開けると、彼女らはざわつく場内に潜り込むことができた。

 「しっ……もうやっているわ」

 「別にうるさくしてないってば」

 「ニコラ、手」

 「ありがとうございます……いつもより暗くって……」

 「やっぱり多いわね」

 「そりゃそうでしょ、なんせ名家の御令嬢ですもんね」

 「モーリス」

 「ああ、まあ……ごめん」

 「大丈夫、ニコラは見える?」

 「ええ……あ、あっちの方ですわ」

 「わかった、じゃあグレイシアもモーリスもついてきて」

 背の大きいニコラが辺りを見渡しその手をオデットが引く。小さな体を駆使しぐいぐいと中へ入り込み、やがて一行はほとんど最前列へと並ぶことができたのである。


 「……!」


 そこで目にしたのはあられもない虫の残骸だった。それらすべての鉱虫らが読んで字のごとく虫けらのように散らされており、その一体一体で何人の人生が潰えるのかは想像できない。

 「これを、ミシェルさんが?」

 「まさか……だって時だって……」

 ニコラとオデットは時を知っている。カラスバチに吹き飛ばされ死にかけたミシェル・シュールズマンを知っている。確かにその経験から仮装茶会マスカレードへの道中に襲われた時には臨機応変に対処していた。が、それはアリシアありきで乗り切った面もあったはずである。


 「では、次に証言……フランソワーズ家、アリシア嬢」


 白いローブの男によって告げられたその言葉に一行はもちろんずっと視線を一点に固めていたミシェルも、後ろ姿ではあったが明らかに同様の色が伺って見えた。周囲はもっとざわついていた様子であった。

 「アリシア嬢って……あの? グレイシア、何か知ってるか?」

 「い、いいえ……今は自宅で療養しているはずよ……ね、ねえ?」

 「流石に、アタシらも知らないって……」

 男はその後に続いた。


 「……が、当事件において鉱虫からの致命傷により、証言台に立つことが困難であるとのことであるため、預かった手紙を代読させていただきます」


 そうして「F」の文字と蜘蛛があしらわれた金の蝋印が押された手紙を懐から取り出した。

 「これは……お父様にしてやられているわね」

 「どういうことだ?」

 「アリシア様はお父様にひどく……毛嫌いされているのよ」

 「だから、あの手紙はアリシアの本意じゃなくて実質、父上様のお言葉ってわけ」

 

 「『私アリシア・フランソワーズは誓って真実のみを述べます。ミシェル・シュールズマンが悪魔と契約し、鉱虫をせん滅した光景をこの目で見ました。あまりの恐怖に気を失ってしまいましたが、その様子は瞼の裏について離れません。どうか神の名の元に裁きを、どうか』以上」


 「でたらめばっかり!」

 「文面でだってミシェル・シュールズマンだなんて言わないよ、アリシア様は!」

 憤慨する二人とは違い、ニコラとオデットの顔は青ざめていた。いや、ミシェルの顔もまた曇って青くなっていたのである。



 「そ、そんな……」

 述べられた言葉の代わりはあまりに淡泊で薄情であった。心のどこかで否定しつつ、またどこかではそれを肯定してしまっている自分がいる。そのことにさえ傷心してしまう心持こころもちであった。

 唾を飲み込むミシェルはじっと送られる視線にいやいや合わせた。法王からの視線に。言葉や仕草、まして傘や杖を使わずに戦っているようであった。

 「(私からが出ないか見定めているのかしら……く、視線だけで気絶しそう)」

 「……」

 眼力を強める法王から仕掛けられる暗黙の戦い。気の強さが取り柄でもあるミシェルですら、先ほどの動揺も相まって分が悪かった。汗の一滴すら出ない程に乾ききった素肌で、ただ熱だけを帯びて立ち向かう。

 「……」

 「(ま、負けてしまう……!)」


——がちゃん、ぎぎ……ぃ


 「ごきげんよう。その私からの手紙、異議がありますわ」


 同時に視線が外れる。互いの顔をかすめるようにして外された視線はそのまま扉に移された。たった二人の間を割って入ることができたのは、片腕でカーテシーをしているアリシア・フランソワーズであった。その額から一滴の光が静かに零れ落ちて地面に吸い込まれた。

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