第十一話「餞別」

    一  星女らの悪企み



 二度目の鐘が響く前の、少し遅い時間になってからの話。

 二人の星女はその漆黒の制服をなびかせて部屋を出ていた。制服を着て外へ出ると見つかってしまうのでは、という疑念が浮かぶがこの制服は屈折魔法での服変身と相性が良いためむしろ、勝手が良いのである。

 「なんとか出れましたわね」

 「よし、今のところは良いな。あっち側から行こう」

 そうして道すがら魔法をかける。一見すればよくいる淑女といった風体になった。

 「そういえば明日は日曜だけど、ニコラはどうするんだ? いつも日曜はいないよな? 今回みたいに抜け出すのか?」

 「ふふ、まさか。郷に入っては郷に従え、ですわ。無理に行くようなことはしません」

 「そうか……どこに行っているか、聞いてもいいか?」

 そういえば聞いたことが無く、遠回りの道のため時間もかかる。暇つぶし程度に聞いてみた。

 「……ええ。いいですわ。実家みたいな所です。おばあ様のお家なのですが、私をほとんど育ててくださった恩人ですの。お年を召されておりますから……定期的にご様子を伺うようにしておりますの」

 「真面目だな」

 「ええ。次はオデットの番ですわ。お聞かせくださいまし」

 「そうだな……妹が二人いて、みんなお母さん譲りの赤い髪でさ。使用人っていうのもあんまり雇えなくて、家族でおぎなえる分はなんとかしてたんだ。おかげで肌焦げたけど」

 「あらあら、私からしたら羨ましくもありますわ。私はむしろ何もできず家族に迷惑をかけてしまった側ですもの。それに比べたら……」

 「どうしたニコラ?」

 「いいえ、なんでもありませんわ。素晴らしい、立派なことだと改めて思っただけですわ」

 「そ、そうか。前も立派って言ってくれて、ありがとう」

 「とんでもないですわ。おかげと言ってはなんですけれど、あの二人にも出会えましたもの」

 「確かにな。悪いことばかりじゃないのかも?」

 気が付けばもう町は見えていた。二人は一直線にミシェルに初めて傘を買ってもらった日傘屋へと向かったのであった。


——チリンチリン


 久しく聴いた心地よい鈴の音に感動すら覚えるのだが、それ以上に木や布地の香りが身体へと優しく沁みていった。

 「いらっしゃいませ。珍しいお客さんだ……おや、ミシェルさんはいないのかね?」

 「ええ、今日はそのミシェルさんへ……プレゼントにと思いまして、店内を見て回っても?」

 「ああもちろんいいとも。ゆっくり、気の済むまで見ていってくれ。これだと決まったら奥までおいで」

 「わかりました」

 そうして老人は奥へと行ってしまった。

 「前は、直感で……でしたものね。こういった場合も、直感は効くのでしょうか……」

 「どうだろう。とりあえず見て回ろう」

 そう言ってお互い、あれはこれはと手にとってはしまいを繰り返し、時に値段を見て仰天しては時間をかけて探索をしたのであった。

 「お、なあなあニコラ、これはどう思う?」

 「あらあら、緋色の生地ですわね。オデットの髪の毛みたいでつやつやですわね」

 「それだけじゃないんだ。ほらこの生地をよく見て」

 そこには緋色の生地に呆れるほど薄く繊細な黒いレースがこぢんまりとあしらわれていた。

 「まあ、素敵!」

 「それに極めつけはこの石突がミシェルさんの髪に似た黄金!」

 「ほう、それに使われている柄はもともと持っているミシェル様の傘の柄と同じ素材ですね」

 ぬっと出てきたのは、モイラと呼ばれていたシュールズマン家の使用人だった。

 「うわ!」

 「あらごめんなさい。驚かせるつもりはなかったのだけれど、随分と可愛らしい服をお召しになっていらっしゃるものだからつい話しかけてしまいました……私もミシェル様のお日傘をと思ったのですが、心配無用だったようですね。素晴らしい品です」

 「あらあら、モイラ様にそう言っていただけるならこれに間違いはありませんわね。やはり、オデットは良い目を持っているのですわね」

 「へへ、よせやい……そういえばこれの値段って」

 そう思いオデットは値札を見た。危うく目が落ちてしまうところであった。しかしオデットが抑えたのは目ではなく口だった。

 「ひぐっ!」

 「ど、どうしたんですかオデットさん!? え値段……? 確かに高いと言えば高いですね」

 ひょうひょうとしている使用人は重そうな袋を下げていた。

 「ええっと、お使いになられますか?」

 「たたた、足りない分は、お願いいたします。ミシェルさんには内緒で!」

 オデットは頭を下げ、それに続いてニコラも下げた。

 「いいえいえ! お嬢様のご学友様に頭を下げさせたなんてお嬢様に知られたら私もただでは済みません、お上げになってください! ……もともと買おうと思っていたものですから、安く済んだようなものですし、お気になさらず。ではこれをお使いください」

 そうしてぴったりだけお金を受け取ったニコラとオデットは奥まで行き、傘を買った。あの時と同じように薄紙に包装されたそれは、いつ誰が見ても嬉しいものであった。

 「お嬢様には、お二人がお渡しください。その方が真っ当です。あ、そうだこれをどうぞ」

 そう言ってその袋の中から茶葉の入った紙袋とお菓子を取り出した。

 「これはお嬢様からこっそりと送られてきた、いつも部屋で飲まれている茶葉です。シュールズマン家ではその家の茶葉を使うので、御父上さまが知ると……あまりよろしくはないのですが私も気になっていたので飲もうと思いまして傘を買うついでに……飲みなれているからいらなかったかしら?」

 「いえいえ、とんでもないです! ありがたく頂きます!」

 「ちょうど部屋の茶葉が切れてしまったので良かったですわ! ですがいいのでしょうか?」

 「気にしないで。私はまだお金あるから!」

 とびきりの笑顔でそう言うも、二人は少し苦い顔であった。

 「借りたお金は必ずすぐに、お返しいたしますわ……ありがとうございました」

 「アタシも、ありがとうございました」

 「ああ、本当に、気にしないで。私のへそくりだから」

 にこにことしながらモイラは出て行った。二人はお店を出てから寮へと帰るため、再び裏道を通ろうとしたが、その時、二人の影を見かけたのであった。二人にはその影に見覚えがあった。


 「あれって……グレイシアとモーリスじゃないか?」



    二  フランソワーズの部屋



 由緒ゆいしょたかきフランソワーズ家。その離れにアリシアは横たわっていた。

 アリシアは横になり、ただ吹き付ける風に耳を傾けていた。まるで人形のように何も言わず、過ぎ去る時を、ただいた。

 なにがあったのか、あまり聞いてはいないものの気絶する前までは鮮明に覚えていた。

 何人もの星女が死んだこと。腕が無くなり傘が折れた事。そしてミシェルに助けられたこと。

 主治医は苦い顔をしながら気絶している間に傷口を焼いて、失血を止めたと言った。そして、どのみち腕がくっつくことは現段階の医療では絶望的だと言っていた。

 ふと横を見るとそこには腕がくるまって置いてある。そして今、身体は肩ごと大量の包帯に巻かれていた。

 「(片腕が……お父様は許してくれないでしょうね……)」

 もう片方の腕を顔に乗せ目を覆った。そしてひとつ大きな息を吐いた。


——コンコン、失礼します。


 主治医の声だった。「起きているわ」と静かに言って、入ってくるのを待った。

 「お身体はいかがですか?」

 「なんとも……少しくらくらするけれど」

 「そうでしょう。随分と血が抜けましたから。生きているのが奇跡ですよ。良かった」

 「……良かった、ね。そう言ってくれるのは数人だけよ。みいんな私なんていなくたって」

 「それは違いますよアリシアお嬢様……。このアウトグランには千人の医師がいます。医師は人を救うのがモットーですから、少なくとも千人は喜びます」

 「ふふっ……なに、その独特な励まし方」

 「そして、なにより私はあなたが生きていてとても嬉しい。生まれた時から今まで、ずーっと診ていたのですから。……本当は完全な状態が良かったのですが、力不足です」

 「いいえ、あなたは全力を尽くしたわ。いつもありがとう」

 「お礼を言うのは、私ではなく……その……ミシェル様かと」

 「そうね」

 「しかしながら今現在良くない状況の様ですが」

 「? それは一体どういう……」


——ドンッ


 扉が蹴破けやぶられた。かのように思えただけでどうやら勢いよく開けただけのようだった。

 息を鼻からがふがふと出し入れしているその大きな姿は、このフランソワーズ家の家長であるパトリシア・フランソワーズであった。鬼の形相とはよく言ったものである。

 「アリシア! お前……!」

 つかつかと大股でベッドの脇まで行くと、その胸倉を掴んだ。

 「お、とう様」

 「お前に、『お父様』などと、言われたくは、ない! お前は、フランソワーズの大名声を、地に落とし、没落させるつもりか! 今まで、育ててきてやったのに……」

 「ぱ、パトリシア様、アリシア様はまだ傷が」

 「肩入れするつもりか! こんな小娘、路頭に捨てよ! 乞食こじきにでもなってしまえばいいのだ! この穀潰ごくつぶしめが!」

 「そ、そのようなこと……」

 「それくらいのことをしたのだ! これはな、汚らわしくもこの名家の娘なのにも関わらず、シュールズマンのガキに対抗するためか知らんが虫を討伐をしにいったのだぞ! そこで死んでおけばよかったものを!」

 「それはいただけません。言い過ぎです!」

 「お前は……誰の味方なのだ! 返事によってはお前も追放とするぞ……さあ言え!」

 「わ、私は……あ、アリシア様の」

 返事を聞く前に、その拳は主治医の頬を的確に狙い飛んでいた。数メートルほど飛び倒れる。

 「お、お父様!」

 「うるさい! 喋るな!」

 怒りのままに胸倉を掴み、腕が無いことをいいことに、ベッドから引きずり下ろした。

 受け身が満足に取れることなく、もろに肩に衝撃を受ける。傷口からじっと血が滲んだ。

 「お父様、やめて……」

 「まだ喋るか!」

 花瓶を叩きつけた。当たることはなかったものの、その水は散乱し、うつむくアリシアを写した。

 「お前を、あれに産ませたことが何よりの間違いであったと、宣言してやる……どうした……その使い物にならない目に溜まった水はなんだ。泣くことが許されるとでも思ったか? お前は私の積み上げたものを、一瞬で、崩したのだ。生きているだけありがたいと思え……」

 そうしてアリシアは頭を押さえつけられる。それは手ではなく靴でだった。

 「や、やめてお父様、破片が……」

 「抵抗するな! 腕が無くなったついでだ、顔の傷くらいどうってことないだろう!」

 片腕で何とか抵抗するも、足に体重がかかっていくにつれ、その顔は床へと近づいて行った。

 「これは親孝行だと思え!」

 もう無理だ、と思いそのたったひとつの手から力が消えた。抵抗をすることを辞めたのだ。

 ぐさりなどという音もなく、ただ水を弾く音がする。……しかし痛みは無かった。


——っ……アリシア、様!


 頬の下には、温かい手がふたつ敷いてあったのだ。

 視線を上げると、そこには、グレイシア・マドリードと、モーリス・ヒルデガルドが居た。

 万歳をするように手を伸ばし、その右手を間一髪のところで滑り込ませたのである。

 「あな、あなた……たち」

 「!! お前ら、なんだ!」

 「私たちは、アリシア様を慕う、アリシアの部屋Allicia's Roomのグレイシアと!」

 「モーリスです! 僭越せんえつながら、どうかお静まりください……!」

 「……っち、きょうが削がれた。好きにしろ」

 パトリシアはそのまま出て行ったのであった。

 「君たち、大丈夫か!?」

 「い」

 「……い?」

 

 「「いったーーーい!」」


 僅かに倍音ばいおんが発生したかのような声量と美しい音程が部屋に響いた。

 「て、手当しないと……!」

 「待ってください! お医者さんですよね、この手当はアリシア様にやっていただきます!」

 「え?」

 「『え』じゃありませんよ。片腕があるでしょう?」

 「お、おに?」

 「鬼ではありません。モーリスです」

 「あと、グレイシアもね」

 「わ、私まだ心がちょと……」

 「『ちょと』でもありません。早くしないと失血で死んでしまいますー」

 そうして促すグレイシアとモーリスのでは痛々しいという他ないくらいに傷ついていた。

 主治医が道具を渡し、ピンセットで陶器の欠片を取っていく。利き腕ではあったため、取れはした。そして、たまに体勢を崩しながらも包帯を巻いた。

 「ちょっと不細工だけど、これでよし。やっぱり主治医にやってもらった方が」

 「「良いんです!」」

 再び心地の良い音声を響かせた後ぎゅっと抱き着いた。ベッドに三人もつれるように倒れた。

 「お怪我が無くてよかった……」

 「もう、あなた達ったら。って今は寮から出てはいけないのではなくって?」

 「それは内緒です。私たちが来なかったら、大切なお顔に傷が付いてしまう所でしたのよ? 感謝こそされど、密告は無しですわよ!」

 「もちろん! 大好き!」

 力を込めて二人を抱きしめた。そして頭をくしゃっとした。

 「ああ! せっかく整えたのに! やめてくださいまし!」

 「私は心地いけどなあ」

 「後で髪をいてあげるから」

 

 「……あの、アリシア様……いいですか?」

 主治医が申し訳なさそうにそうしながら数分間の後に伺いを立てた。

 「ああ、ごめんなさい。ついつい……柄にもなかったわね。なんかもう吹っ切れちゃった」

 「その……私たち外で聞いてしまったんですが、本当にこの家から追い出されるんですの?」

 「ふふ、それは、たぶん無いわ。今はね」

 「随分含みを入れるんですね」

 「アリシア様……」

 「大丈夫よ。任せなさい。だって私は『アリシア』よ」

 「そういえば、これは一体?」

 主治医が指したそこには少し水に濡れた細長い包装紙のものがあった。

 「あ! それは……私たちからのプレゼント……でした」

 「あら、私への? 嬉しい!」

 そうして水を滴らせながらも掴み、何とか包みを剥がした。

 「これ傘!?」

 「その、風の噂で折れたって聞いて……でも濡れているし、それは私たちで……」

 「まさか破棄するっていうんじゃないでしょうね……それは許さないわよ! 大切に使わせていただくわ。それにしてもあなた達って全く表に出さないのね」

 「誰かに似たんですね」

 「ええ、誰かに似たのです。そして誰かに、誘発もされました」

 「誰か、ね……私もその一人かも」

 「ああの、アリシア様……お取込み中すみません。ただ今よろしいでしょうか」

 そこには使用人が立っていた。手には袋を持っていた。

 「ええ、なあに?」

 「は、はい。外にこれが……お父様か誰かかと思うのですが」

 「どれ? こっちに寄こしてちょうだい」

 受け取ると袋から漂う匂いをすんすん嗅いだ。どうやら、茶葉の様であった。

 「これは……きっと、お父様ではないわ。そして誰かも検討がつくわね。下がって良いわよ。ありがとう」

 「いえいえ、では」

 「アリシア様。これは?」

 「茶葉ね。あとお茶請け。ルーナの茶葉よ」

 「ルーナの? そんな茶葉がなんで?」

 「知っているのよ。この茶葉を飲んでいるのが誰か」

 「誰ですの? 別貴族の宣戦布告かしら?」

 「ふふ、秘密にしておくわ……きっとわかるでしょう。せっかくですし、お茶でもいかが?」

 「「是非!」」

 三人でお茶を囲んだ。諸々は主治医が(なぜか)用意した。

 貴族は……特に五輝族ほどになればその家で栽培している茶葉を嗜むのが普通のことであり、その茶葉を生産する分家や傘下の貴族が多くなればなるほどその権力を暗に誇示するのである。しかし今のこの時ばかりは、別の、全く知名度のない自然由来の茶葉を飲むのであった。


 「(きっと叱られるかもしれないけれど、この二人となら……)」

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