第10話 『皇帝』フェリクス・リーヴィス 3


 初めて訪れた離宮はかなり古びてはいたものの、綺麗に手入れされていた。ここで働く者達が心を砕いていることが窺える。


(それでも、皇族の住まいとは思えないわ)


 使用人は少なく、中も質素なものだった。違和感を覚えながら皇子の部屋へと案内される。


『こちらが第三皇子、フェリクス様です』


 そしてベッドに横たわる皇子の姿を見た瞬間、私は思わず息を呑み、口元を手で覆った。


 苦しみながら呻く小さな身体には、焼け爛れたような真っ赤な痣が広がっていたからだ。


 言葉を失い立ち尽くす私に、侍女は続ける。


『フェリクス様は、炎龍の呪いを受けているのです』

『そんな……!』


 ──「炎龍の呪い」とは遠い昔、リーヴィス帝国の皇族によって討伐された炎龍による強い呪いのはず。


 ごく稀に皇族の血が流れる者に発現し、火傷の様な痣が全身に広がり命を蝕んでいく、とだけ聞いている。


 けれど伝承のようなものだと思っていたし、本当に存在するなんて、大聖女である私ですら知らなかった。


(きっと、醜聞を避けるためにこうして隠され続けていたのね。第三皇子だけでなく、これまでの人々も)


 治療方法もないからこそ皇子は離宮へと追いやられ、見捨てられていたのだろう。


(まだ8歳だというのに……なんてことなの……)


 ずっとこの場所に閉じ込められ、苦しみながら生きてきたのだと思うと、胸が張り裂ける思いがした。


 高熱が出ている真っ赤な頬に、そっと触れる。燃えるようなあまりの熱さに、再び言葉を失ってしまう。


(数日この状態だと聞いているし、既に体力も限界を迎えているはず。このままでは時間の問題だわ……)


 最上位の回復魔法を何度も試してみたけれど、やはり変化はなかった。焦燥感だけが募っていく。


 そんな中、不意に皇子の目が薄く開いた。透き通った美しいアイスブルーの瞳から、目を逸らせなくなる。


『……だ、れ……?』

『初めまして、フェリクス殿下。私はこの国の大聖女、エルセ・リースと申します』


 大聖女だと名乗るのが心苦しいくらい、私は今、自分の無力さを痛感していた。


(目の前で苦しんでいる人を救うことすらできないというのに、何が大聖女よ)


 やがて小さな骨ばった手が、頬に触れていた私の手を掴む。今にも折れてしまいそうな手も、ひどく熱い。


『……せ、じょ……さま……た、すけ、……』


 そして掠れた縋るような声に、心底泣きたくなった。


 ──大聖女というのは、国の宝だ。許可された場以外では力を使ってはいけないことも、この身体を傷付けるようなことがあってはいけないことも、分かっている。


 この身体はもう、私ひとりのものではないのだ。一人を救うより、大勢を救うことを選ばなければいけない。


 それでもこの小さな手を振り払うことなんて、目の前の命を見捨てるなんて、私にはできそうになかった。


(私が聖女になったのは、苦しむ人を救うためだもの)


 不安と罪悪感に押し潰されそうになりながらも、何度か深呼吸をし、心を決める。


 そしてベッドの前に跪き皇子の手を取ると、私は祈りを捧げるように自身の額に当てた。


 聖女には、それぞれ能力がある。普通は「治癒」「浄化」のみだけれど、大聖女の私は他にも有していた。


『……っう……っ』

『大聖女様!? 大丈夫ですか!?』

『ええ……だいじょ、ぶ……よ』


 腹部が燃えるような熱さを帯び始める。想像を越えた激痛に、背中を汗が伝う。


 やがて側で様子を見守っていた侍女が、声を上げた。


『う、嘘……フェリクス様の痣が……聖女様、ありがとうございます……! 奇跡だわ……!』


 皇子の顔や手足まで広がっていた真っ赤な痣は少しずつ消え、青白い元の肌の色に戻っていく。


 先ほどまで苦しげにしていた表情も、穏やかなものへと変わっている。


『……あり、がと……』


 皇子は小さく微笑んで、そう呟いてくれた。私は必死に笑みを浮かべると「どういたしまして」と返す。


 少しの後、すやすやと規則正しい寝息が聞こえてきたことで、私はほっと胸を撫で下ろした。


(良かった。これで少しは落ち着くはず)


 安堵して脱力した途端、再び酷い痛みが襲ってきた。この場で倒れては、無断で力を使ってしまったことが露見してしまう可能性がある。


 喜びの涙を流す侍女に今の出来事は絶対に他言しないこと、特別な魔法だからもう使えないかもしれないということを告げて、私は足早に離宮を後にした。


(バレてしまったら間違いなく、罰を受けるのは私だけでは済まなくなるもの)


 重い足を引きずりなんとか自室へ戻ると、私は倒れるようにベッドに身体を横たえた。


『……う……痛っ……』


 先ほど私が使った能力は「魔力吸収」──他人の魔力を吸い取り、自分のものとする力だった。


 この能力で私は、潤沢な魔力を持つ人間から魔力を吸収しては治癒魔法を使い続け、多くの人を救っていた。


 魔力が多い人間はそれなりにいるものの、治癒魔法というのは聖女にしか使えない。もちろん体力の限界はあるし、無限に使えるわけではないけれど。


 そして呪いもまた、魔力を含む。だからこそ、私は皇子を救うため、呪いごと魔力をこの身に吸収したのだ。


『やっぱ……無理、しすぎちゃった、なあ……』


 量は一応調節したから、命に関わることはないはず。それでも、痛みと熱で目の前がぐにゃりと歪む。痛みを堪えるために、きつくシーツを握りしめる。


(けれど皇子はこの何倍も、辛い思いをしていたのね)


 どうか少しでも、あの小さな皇子様が笑顔でいられますように。そう祈りながら、私は意識を手放した。



 これが私とフェリクスの出会い──そして私が彼の呪いの一部を、自分の身体に移した日でもあった。

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