第8話 『皇帝』フェリクス・リーヴィス 2
どうしてあんなものが、こんなところに飾られているのだろう。歴代の聖女のロッドを皇帝の執務室──それも机の真横に飾るなんて文化、聞いたことがない。
(しかも死ぬ間際は私、わりとボッコボコにされちゃったから、ロッドも酷い有様なんだけど……)
飾られている理由は分からないものの、あのロッドは私にとって大切な相棒だった。破棄されておらず、もう一度巡り会えたことはとても嬉しかった。
「あのロッドは一体……?」
「俺が尊敬する、過去の大聖女が使っていたものです。彼女ほど強く美しく素晴らしい方を、俺は知りません」
真剣な表情でそう言ってのけたフェリクスに、私はホロリと涙が出てしまいそうなくらい、感動していた。
(私のことをそんな風に思ってくれていたなんて……今のお粗末な体たらくじゃ、余計に名乗り出られないわ)
可愛い弟子の中では偉大な師のままでいたいと強く思った私は、墓までこの秘密を持っていくことを誓う。
「使用人を含め、民には皇帝夫妻は円満であり、あなたはこの国を救う聖女だと認知してもらいたいと思っています。そのために約束事を決めても良いでしょうか」
「ええ、もちろん」
その後はできる限り朝食は毎日一緒に摂ること、寝室は入り口だけ共有し、転移魔法陣によってお互いの部屋に移動できるようにするなど、様々な取り決めをした。
顔を合わせるタイミングまできっちり決めており、私とは必要最低限しか関わるつもりはないらしい。
(でも私は、フェリクスと友人くらいにはなりたいわ)
せっかくまた出会えたのだ。私はフェリクスのことが大好きだったし、良いところもたくさん知っているし、今でも歳の離れた大切な弟のように思っている。
だからこそ今世では「ティアナ」として、彼と良い関係を築きたかった。
「結婚式は一ヶ月後に行う予定です。既に準備は進めているので、後はあなたの衣装だけ急ぎ仕立てます」
「分かりました」
(それでもやっぱり、形だけと言ってもフェリクスと結婚っていうのは落ち着かないわね。変な感じ)
フェリクスに対して敬語を使うのも、違和感がある。今はお互い立場が全く違うため、仕方ないけれど。
その後も様々な説明を受け、契約書まで交わした後、私は王城を案内されたのだった。
帝国に来て初めての夕食を終えた私は、再び自室としてあてがわれた部屋へ戻ってきた。
「……お腹いっぱいって、本当に幸せだわ」
ちなみに先代の皇妃様も使っていたこの部屋は、大聖女として何度も訪れたことがある。そのため、他人の部屋という感覚が抜けない。
それでも疲れ切っていた私は、遠慮なくぼふりと大きなベッドに倒れ込んだ。
(ふかふかで清潔で、良い匂いもする……天国みたい)
そんな当然のことに感動してしまうほど、私が元々暮らしていたファロン神殿での環境は酷いものだった。
(そのせいで、さっきもやらかしたのよね)
フェリクスと共に夕食をとっていた私は、途中で泣き出すという大失態を犯したのだ。
思い返しても恥ずかしくて、叫びながら頭を抱えたくなる。
『……どうして……っごめんなさい』
突然私の両目からは大粒の涙がこぼれ落ち、フェリクスは驚いた表情を浮かべていた。
温かくて美味しい、懐かしい故郷の料理を食べられたことや、ひとりじゃない食事──何よりフェリクスと一緒だったことで、感極まってしまったのかもしれない。
(今までのティアナの感情が、強く残っているんだわ)
『大丈夫ですか?』
『はい。とても美味しかったので、感動してしまって』
『…………』
慌てて涙を拭い、笑顔を作る。その後は空気を変えるためにも、フェリクスにたくさんの質問をした。
『もし良ければ、フェリクス様と呼んでも?』
『もちろんです。夫婦ですから』
『私のことはぜひティアナと』
『はい、そう呼ばせていただきますね』
『フェリクス様は休日、何をされて過ごされることが多いんですか?』
『狩猟や遠乗りに行くことが多いです』
『本はどんなものを読まれますか?』
『魔法に関するものがほとんどですね』
使用人の前では円満な関係アピールをする必要があることに乗じる私に、彼はにこやかに答えてくれる。
周りにいた使用人も皆、そんな私達をにこやかな表情で見つめていた。──フェリクスの側近を除いては。
(小さなウサギにも怯えて、馬に乗るだけで怖いと泣いていたのに……狩猟に遠乗りですって……ふふっ)
きっとフェリクスにも、お喋り女だと思われているに違いない。けれど、最近の彼のことが知りたかった。
(不自由なく暮らしているようで、本当によかったわ。あの頃のフェリクスには自由がなかったから)
『ティアナ様が来てくださって、本当に嬉しいです!』
『とても安心いたしました。ありがとうございます』
そして城で顔を合わせた人々は皆、聖女である私に会う度にとても嬉しそうな、安堵したような顔をした。
やはりこの国は聖女信仰が強く、長年聖女がいないというのは、民達の心に暗い影を落としていたのだろう。
(少しでも、期待に応えられたらいいけれど)
『おやすみなさい、フェリクス様』
『はい。また明日』
ちなみに先ほど寝室の共有部分に入った後はもう、フェリクスはこちらを見ようともしなかった。
(まあ、当然だわ。本当なら治癒魔法や浄化魔法をババンと使える、有能な聖女に来てほしかったでしょうし)
そうは分かっていても、やはり少しだけ、寂しくてもどかしい気持ちになってしまう。
「……小さなフェリクス、可愛かったな」
目を閉じれば、今でもあの頃の思い出が鮮明に蘇ってきた。
◇◇◇
──私がリーヴィス帝国の大聖女の地位に就き、二年が過ぎたある晩のことだった。
当時20歳だった私が仕事を終え自室で休んでいたところ、突然見知らぬ使用人らしき女性が、血相を変えてやってきたのだ。
『っ大聖女様、お助けください……私の命はどうなっても構いませんから、どうか……!』
『命なんてとらないわ、大丈夫。私にできることならするから、まずは落ち着いて』
あまりの動揺した様子に、緊急事態なのだと悟る。
かたかたと震え、涙を流す彼女を落ち着かせて話を聞いたところ、第三皇子の侍女なのだという。
(第三皇子と言えば、生まれてからずっと離宮で暮らされているから、姿を見たことはないのよね)
身体が弱いため、療養しているという噂だけは聞いたことがある。いつも皇帝の側にいる第一・第二皇子とは違い、公的な場に出ることも一切なかったはず。
『酷く苦しまれていて、っこのままでは……もう……』
パニックになっており言葉は足りないけれど、皇子が病や怪我で苦しんでいることだけは伝わってくる。
『分かったわ。殿下の元へすぐに案内して』
私は椅子にかかっていたストールを掴むと顔を隠し、人目を避けて侍女と共に離宮へと走り出した。
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