第7話 『皇帝』フェリクス・リーヴィス 1
帝国の皇妃として迎えられた上、小さな子どもだったかつての弟子が夫になるなんて、困惑してしまう。
けれど一番に感じたのは「安堵」と「喜び」だった。
可愛い弟子だったフェリクスが無事に成長し、兄二人を押し退け皇帝となっていたことが、何よりも嬉しい。
彼と過ごした大切な過去を思い出していた私は、はっと顔を上げ、フェリクスを見つめた。
「身体の調子はどうですか?」
「……特に何も、問題はありませんが」
「よかった……」
思わず口からこぼれた唐突すぎる問いにも、フェリクスは丁寧に答えてくれる。その言葉を聞いた瞬間、私はひどく安堵していた。
フェリクスは幼い頃、呪いに苦しみ続けていたのだ。呪いはしっかり消えたようで、本当によかった。
彼はそんな私を感情の読めない顔でじっと見つめていたけれど、やがて再び人の良い笑みをこちらへ向ける。
「こちらにお掛けください。話さなければならないことが沢山ありますから」
「ええ」
ソファを勧められ、フェリクスとは向かい合う形になった。側ではマリエルが急ぎお茶の支度を始めている。
(それにしても本当に大きくなったわね。今はもう、27歳でしょうし……えっ、私の10歳上……!?)
今の私は17歳だから、10歳もフェリクスが年上ということになる。なんだか信じられないと思いながら、マリエルが淹れてくれた紅茶に口をつけた。
こんなにも立派になって……と親のような目線で内心感動していると、私がまたもや凝視していたことに気付いたらしいフェリクスは、再び笑顔を向けてくれる。
けれどその笑顔には何の感情もなく、貼り付けただけのものだと気付いてしまう。
(昔のフェリクスは、こんな笑い方はしなかったのに)
けれど帝国の皇帝となるまでに、かなりの苦労をしてきたはず。今だって「呪われた土地」と呼ばれているこの国を治めるために、苦心を重ねていることだろう。
変わってしまうのは当然だし、変わらなければならなかったのかもしれない。そう思うと、胸が痛んだ。
「改めて我が国へ来てくださり、感謝します」
「いえ、私では何のお役にも立てないかと……」
するとフェリクスの後ろに立つ銀髪の男性から「本当にその通りだ」とでも言いたげな、強い圧を感じた。
(ああ、彼も私が無能だって知っているのね)
必死に救いを求めた結果、魔法すらまともに使えない無能な女がやってきたなんてふざけた展開には、間違いなくこの反応が正しい。心底申し訳なくなってしまう。
「それで私は、何をすればいいのでしょう?」
「あなたは俺の妻である皇妃として、そして平和の象徴である聖女として、この国にいてくださるだけでいい」
「……つまり、何もしなくていいと?」
「はい。後は公的な場に皇妃として最低限、俺と共に顔を出してくださると助かります。それ以外はご自由に」
(た、ただこの国で過ごしていればいいなんて、これ以上ないくらい最高の条件じゃない……!)
やはり私が魔法を使えないと知っているからこそ、聖女としての仕事は必要ないと言っているのだろう。
「民達は、心から『聖女の存在』を求めていますから」
「……そうですか」
聖女というのは存在するだけで民の心の支えになる。
何よりリーヴィス帝国では過去、多くの優秀な聖女を輩出してきたのだ。聖女が国に存在しないことに対し、民達はかなりの不安を抱いてしまうのかもしれない。
(でも、本当は私なんかが来て、今すぐ追い返したいくらい腹が立っているでしょうに)
それでも断ることをせず、何の力もない聖女を祭り上げなければならないほど状況は悪いのだろう。胸が締め付けられる思いがした。
「俺との関係は、我が国が安定するまでの契約結婚だとでも思ってください。その後は形だけの妻であるあなたを自由にし、一生の暮らしを保障します」
「えっ?」
「もちろん、あなたに触れたりもしません。ご安心を」
つまり本当に、白い結婚ということらしい。
その上、生活を保障してくれた上でいずれ自由にしてくれるだなんて、至れり尽くせりにもほどがある。
「王城での暮らしも、できる限りあなたに満足いただけるものをご用意しますので」
「あ、ありがとう、ございます……?」
あまりにも私に都合の良すぎる条件に、何か裏があるのではないかと疑ってしまうくらいだった。
けれど彼らも「無能なティアナ・エヴァレット」に、何かを求めても無駄だということは分かっているはず。
(とにかくこんないい話、乗るしかないわ。前世はかなりの多忙、今世は虐げられっぱなしだったもの)
暴力や心無い言葉に怯えることも、冷たい味のない食事を食べることもないだけで、今の私には十分だった。
(契約婚でも何でも、思い切り満喫してやらないと!)
ふかふかのベッドで眠れるかしらと浮かれていると、マリエルが思い詰めた様子をしていることに気付く。
「陛下、恐れながら申し上げます。実はティアナ様は──」
「マリエル、お茶のお代わりをいただけないかしら?」
「……かしこまりました」
そして私が全く魔法を使えないという認識を訂正してくれようとしたということにも、すぐに気が付いた。
けれど察しのいい彼女は、今のやりとりだけで黙っていてほしいという気持ちを汲み取ってくれたらしい。
騎士達も見ていたのだからすぐにバレることではあるけれど、今は無能だと思われていた方が都合がいい。
(その方がきっと、自由に動けるもの。私なりにこの国のことを調べたいし)
そう思った私はにっこりと笑みを浮かべると、フェリクスへ視線を向けた。
「分かりました。すべて陛下の仰る通りにします」
「ありがとうございます」
私も母国である帝国を大切に思っているし、形だけの皇妃と聖女の立場とは言え、「帝国の呪い」とやらを解くために動くつもりだった。
(そうしたら私は晴れて完全自由の身だし、フェリクスは新たに皇妃を探せるはずだし、みんな幸せね!)
フェリクスにはこんな望まない結婚なんてせず、心から愛する素敵な伴侶を見つけてほしい。
『エルセは誰かと恋愛したことある?』
『結婚についてどう思ってるの?』
『何歳までに結婚したい? 何歳くらいの男が好き?』
(昔だってしきりに恋愛や結婚の話をしていたし、本当は誰よりも愛のある結婚に憧れているはず)
そんなことを考えていると、今度はフェリクスがじっと私を見つめていることに気が付いた。
「どうかされましたか?」
「……いえ、とても珍しい瞳の色をされているなと」
光によって見え方が変わる、この珍しいローズピンクの瞳は「ティアナ」と「エルセ」以外見たことがない。
「俺のよく知っている方も、同じ色をされていたので」
「まあ、そうだったんですね!」
もしかすると、フェリクスはエルセを思い出してくれたのかもしれない。そう思うと胸が温かくなった。
数年に一度でも思い出してくれるだけで、十分だ。
(きっとエルセとしての記憶があると伝えても、フェリクスだって扱いに困るだけだわ)
何より今の私に、エルセとしての力はない。
大した力もないまま元師匠だと名乗り出ても恩着せがましいだけだし、黙っていた方がいいだろう。
「……ん?」
そう決意した瞬間、ふと視界の端で何かが日の光を受けてきらりと光った気がして、何気なく視線を向ける。
そしてそこに仰々しく飾られていたものを見た私は、思わず眉を顰めた。
(ちょっと待って、あの見覚えのありすぎるボロッボロのロッド……
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