第9話

 この世界にダンジョンが現れた時、同時にその近くに異常としか言えない地帯が出来上がった。世界各国様々に呼ばれているが、日本では隔離地区と呼ばれている。ダンジョンと同じく化け物が頻繁に現れる地帯なのだが、ダンジョンと大きく違うのは地形が変化する点にある。元が東京であるため地図もあるしなんなら現在の状態を撮影した衛星写真すら存在する。そしてその二つは特に異変はないにもかかわらず中に入った者は明らかに地図とは違う地形を進むことになる。入るたびに地形の変わる様子からローグライトなんて呼ばれたりもしている。


「すいません、ちょっと待ってもらっていいですか?」


 門から三百メートルほど歩いた所で二千花が手を上げた。燿は頷き近くのビルの側に二千花を座らせた。


「酔い止め飲んでないの?」

「飲みましたけども、ここまで酷いとは思わなかったんですよ」


 二千花は目を瞑って水を一口飲んだ。そして目に手を当てて落ち着くのを待っている。

 ダンジョンと隔離地区、両方とも異常な空間であるがその異常は全く別種類だ。ダンジョンは空間を無理矢理切り貼りしているような異常だが、隔離地区の場合は無理矢理ねじ曲がったような状態になっている。専門家曰く高次元方向へと入り組んでいるらしい。それが原因なのか隔離地区では酔う者が出てくる。車や船のように揺れ動いているわけじゃないから暫くすれば落ち着くそうだ。


「私は酔わないが、気持ち悪いというのは理解出来るかな。このビルとか特に」

「見た目だけで中に入れないしね。クラシックゲームそのまんまだよ」


 クラシックゲーム、併合以前のPCゲームだ。家庭用PCゲームの文化が花開いた黎明期から過渡期へと移行し始めた時代で現代ではあり得ないような奇抜な内容のゲームが多数生まれた時代でもある。そして現代のように容量に余裕もなく、町作り程度なら任せられるようなAIがなかった時代だから中に入れないハリボテビルが並ぶ町というのがゲームには当たり前に存在した。まるでこの隔離地区のようにだ。


「……うん、わかってたけど確認すると本当に気持ち悪いなこれ。一区画も進んでない」


 懐から取り出したPDAを確認した百地が顔を顰めた。確認しているのは衛星測位システム「みちびき」を使った位置情報サービスだろう。ダンジョンには電波が届かないが隔離地区には電波が届く。届くのだから当然それを利用したシステムも利用できるのだ。そしてこの測位システムが隔離地区を進むための重要な手段になる。

 高次元に入り組んでいるがゆえなのか、進む先の風景は一切変わらないのに西に東に進む方向が変わるのだ。なので測位システムによる位置情報と方位磁石を頼りに目的地に向かって進むことになる。測位システムの位置情報は正確だからそれに従えば目的の建物や場所まで進むことができる、というのが隔離地区だ。


「もう大丈夫です」

「慌てる必要はないからもうちょっと休みなよ」


 立ち上がろうとした二千花を燿が止めた。まだ顔色が悪いから止めたのだろうが、二千花は不服そうだ。舐められてる、と思えるのであれば探索者として成長している。まぁ、フォローはしておくか。


「探索者なら無茶無理する必要も出てくるが、無理無茶するのにも条件がある。それしか方法がないか、もしくは無理無茶する余裕があるときだ。別に急いでるわけじゃないんだから体調はなるべく万全にしておけよ」

「依頼主の前で急いでないとか言っちゃう? まぁ、確かに急いでないけどさ」


 百地は苦笑いしながら肩を竦めた。長命種であるハイエルフの特徴の一つだが、期限というものを基本的に設けない。無論必要があれば期限を設けるし、期限を切れば彼らはそれに合わせてくる。ただ、期限を設ける必要がなければいつまで掛かっても彼らは気にしないのだ。今回の依頼もその手の部類だ。時間が掛かろうとも、十年二十年掛かろうとも最終的に標的を捕らえるなり殺すなりできれば問題ない。それがハイエルフだ。


「安全に、確実に。依頼主としてはそれが嬉しいかな。君達と冒険するのも新鮮で楽しいし、ゆっくりやってもらえれば良いよ」

「言っとくが、俺達はハイエルフの気長に付き合う気はないぞ」

「それは残念だね」


 釘を刺すように言うと、百地は残念そうに肩を竦めた。

 依頼内容が倒せや捕らえろであるならともかく、連れて行けというだけならそこまで時間は掛からない、はずだ。恐らく一ヶ月以内に達成できるだろう。恐らく百地がどうにかするんだろうが……まぁ、ハイエルフの文化に口を出すつもりはない。最悪、探している奴に百地が殺されたとしても俺達は見逃してもらえるだろう、ハイエルフの文化的に。例え少数民族とはいえども文化を尊重したからこそ日本は上手く纏まれている、だから俺達もそれに習うだけだ。


「おっと、奴さんが現れたみたいだ」


 百地が素早く弓を構える。一瞬遅れて燿も91プリを構える。


「二千花は休んでろ。問題ない」


 立ち上がろうとした二千花を俺は制した。二十メートルほど先に現れた化け物を見て顔色を悪くしたからな。元々肌が黒いからすっげえ分かりづらいけど。

 現れた化け物はヒトガタと呼ばれている隔離地区特有の化け物だ。見た目は人、種族は人間、ハッキリ言えば隔離地区に逃げ込んだ犯罪者とも思える姿をしている。じゃあなんで連中がヒトガタだと分かったのかと言えば異様な違和感があるからだ。全く以て不自然な所など見受けられないのにコイツは何かがおかしいと本能が訴えかけてくる。まさに隔離地区を代表するような化け物と言える。

 燿は二体現れたヒトガタに銃口を向けつつ左手を挙げ、何の反応も示さなかったため発砲した。あからさまに違和感があるとは言えども見た目は人、誤射を防ぐために複数の確認方法が存在するのだ。

 ヒトガタは燿の射撃を避けた。上半身をぬるりとしか表現できないような気色悪い反らし方で避け、そして胸にデカい空洞を開けて倒れた。百地の弓だ、避けた所を狙ったのだ。蛮族めいたドローウエイトで蛮族めいた重い矢を放った結果漫画みたいな事になっている。

 もう一体がダバダバ走って接近してくる。燿は即座に発砲するがぐねんぐねんと上半身を動かして避けられる。出来の悪いクラシックゲームみたいな動きなのにスピードが一切落ちてない辺り本当に気持ち悪い。

 数メートルまで接近してきたところで百地が鉈を手に前に出た。唐竹割りの一撃をヒトガタが右手で跳ね上げるように受ける。がぎんという音と共に火花を散らしながら百地の鉈が逸れていく。一体あの腕は何でできているんだ?

 百地の背後からヒトガタに向けて複数の金属片が投げつけられる。避けられないように投げつけられた金属片、9ミリ弾の弾頭はヒトガタに接触すると白く発光、そのままヒトガタを焼いていく。通常のように火焔を放つのではなく弾頭そのものを超高温で加熱させているようだ。鉈が金属音と共に弾かれたのを見て魔術を切り替えたのだろう。鉄をも溶かす温度に耐えきれなかったヒトガタはその場に崩れ落ちた。


「……分かっちゃいたけどやっぱり厄介だ」


 ヒトガタに当たらなかった弾頭を拾いながら燿は呟いた。


「近接戦闘を磨いた方がいいんじゃないか? 弱い部類だと思うけど」

「鉈弾かれてたくせに」

「異常個体にはよくあること。その程度で慌てるのは素人なのさ」

「なんでハイエルフはそんなヤバイのが出るところに好んで住んでるんだよ……」


 呆れたような燿の言葉に百地は困惑して眉を寄せた。


「いや、ダンジョンと隔離地区が隣り合ってる上に治安の悪い東京に住んでる君達がそれを言うの?」

「……なるほど」

「……たしかにな」


 燿は真顔で頷き、俺は思わず呟いた。

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