第8話

 東京には壁がある。半年に一度せり上がってくる壁だけではなく、荒川に掛かる平井大橋から荒川を超え、都道315号線を真っ直ぐ進み、蔵前橋通り千葉通りを進んで江戸川までをぶった切るように敷設された高さ四メートルほどの金網も壁と呼ばれている。海側から内側へと入るのを拒むように上部が鼠返しのように斜めになっており、さらに鉄条網がガッツリと撒かれている。一定間隔で各種センサーと重機関銃が海の方に向けて敷設され、金網のすぐ側を重機関銃の乗った装甲車が定期的に走っている。

 江戸川区を中心としたダンジョンと同時に生まれた化け物が自然発生する異常地帯、日本では隔離されたその状況から隔離地区と呼ばれている。

 ダンジョンは警察が管理しているが隔離地区は軍が管理している。陸上は陸軍が常に警戒し、東京湾対岸の千葉の袖ケ浦には海軍基地が作られて隔離地区専用の封鎖艦隊が運用されている。何故ここまで厳重に警戒しているかといえば東京の治安悪化の最大の原因が隔離地区にあるからだ。

 ダンジョンだけであれば治安は今ほど悪くはならなかった。なんせ、ダンジョンの出入り口である東京駅さえ抑えればいいのだから。隔離地区は町がそのまま異常地帯と化したために出入りがかなり自由に行えたのが悪かった。犯罪者にヤクザ、テロリストなどの反社会的存在が逃げ込むのにちょうど良い場所として機能してしまったのだ。今でこそ地上や下水などはほぼ完全に封鎖されているが、完全封鎖に至る五十年の間に作られた地下の抜け道が未だ残っているという噂もある。実際、百地の追う輩も隔離地区へと逃げ込んでいる。

 そんな隔離地区は当然立ち入り禁止なのだが、物事には例外というものが存在する。その一つが探索者だ。分類上は探索者ではあるがダンジョンではなく隔離地区で賞金首を狩ることを専門とする者を賞金稼ぎと呼んだりもする。東京の治安の安定は東京都及び日本政府の悲願でもあるから自主的に隔離地区で治安悪化の要因を狩ろうという探索者には協力的なのだ。

 隔離地区に正規に入るは門は三つある。いずれも大通りに建てられていて、俺達が今いるのは都道308号線を塞いでいる308号門前だ。現在午前九時、近くにいるのは軍の警衛隊ぐらいで探索者すら見当たらない。かつてあった周囲にあった店もビルも大学も全て軍関係の施設に様変わりしているから当然ではある。

 門に近付く燿達に兵士が怪訝な表情を浮かべる。人間、ダークエルフ、ハイエルフなんて組み合わせは珍しいどころ騒ぎじゃないからな。だらしない表情を浮かべている者もいる。


「探索者だ、通してくれ」


 燿が身分証を見せると見せられた兵士が固まった。久しぶりに燿の声に驚く奴を見たな……いやまぁ、下手すりゃ女子中学生に見える顔から渋い声が出ていたら驚くわな。本当にこの骨格でよくこの声が出てくるもんだよ。

 不審な挙動で見文書を受け取った兵士はそのまま警衛所へ照会に向かった。探索者だからといって自由に出入りできるわけじゃない。入るのであれば入る門へ事前に連絡を入れる必要があるのだ。

 警衛所から壮年の兵士が出てくる。階級は少尉、中村という名札が縫い付けてある。この警衛隊の責任者だろう。如何ともしがたいといった表情で身分証を返してきた。


「問題ないが……本当に行くつもりかね?」


 中村少尉は純粋に心配そうに言った。まぁ、少尉の娘ぐらいの年齢の娘に見える3人が危険地帯に乗り込もうとしたら止めようとするのも無理はない。外見的には一番歳食っているように見える、というか実際も一番年上の百地が二十歳ぐらいにしか見えないしなぁ。


「……僕は男で成人してる」


 馬鹿にされているのではないとは分かっているからか、口をへの字に曲げつつも燿はそう答えた。さりげなく高校中退という事実を隠しているが。

 

「大卒です」

「通信で大卒の資格は取ってるよ」


 燿に続くように2人が答えた。百地も通信とは言え大学出てたんだな……というかハイエルフに学士号を取るなんて概念が存在したのか。生肉食ってる蛮族なのに。

 そんな感想を得た所でふと俺は気が付いた。

 

「そういえば俺成人してねえな……」


 燿以外がギョッとして俺の方を見た。意識が生まれた時点から数えるとするのなら俺の年齢は十五になる。電子生命は極めて早熟だし未熟な体など存在しないから成人年齢もクソもないから忘れていた。そもそもが人間と平均寿命が違う種族がいる状況で特定の年齢から成人として扱うというのがそもそも無理筋だと思うのだが……百年経ってもその辺りの法律は変わっていない。


「……電子生命は初期状態、ハイエルフがいるとはいえ隔離地区に本気で入るつもりなのか?」

「これでも心配か?」


 燿は掌を少尉に向けた。開いた指の上には火球と水球と雷球と氷球と土球がそれぞれ浮いている。


「魔術!?」

「正確には現代魔術だ」


 開いた手を人差し指だけ残して戻すと、今度は各球が指の周りを公転し始めた。それを見た兵士は驚いてザワつき、百地はそれを見て感心し、二千花は目を見開いて絶句している。燿のやっていることがどれだけ難しいのか、二千花だけは理解しているようだ。

 燿が人差し指を握り混むと回っていた球体が消滅した。


「そこらの新人探索者よりはよっぽど強いよ」

「……無理をしないように」


 少尉は不承不承門を開けた。他の兵士達も大丈夫かとでも言いたげに俺達を見ている。


「見た目は大事だな」

「全くだ」


 忌々しそうに燿は呟いた。燿が己の声にふさわしい外見であればここまで変な見送りはなかっただろう。

 門をぬけ、門が閉まったところで燿が立ち止まる。


「それじゃ、今日の予定を再度確認する」


 燿はハンドサインで2人をしゃがませる。百地が専用の機械を使って弓を張り、二千花は拳銃に弾薬を装填して予備の弾倉を確認し、燿は周囲の警戒をする。


「今日は百地が探している人物を探すことはしない。全員が隔離地区に入るのが初めてだからまずは軽く回って感触を確かめる」


 百地が弓を張り終えたのを確認した燿は小銃に弾倉を込めて薬室に弾薬を装填し、自分の装備を確認する。その間百地が周囲を警戒、二千花も準備が終わったら警戒に参加する。


「異存はないかな。早いところ終わらせたいけど、無理してまで急ぐことじゃないからね。隔離地区にいるのは分かってるし」


 百地は懐から取り出したクリスタルを人差し指にかけてクルクルと回す。


「隔離地区は化け物はともかくとして地形が厄介だからな、慎重に行くぞ」


 燿は槓桿を引いて薬室に弾込めをして立ち上がった。それに合わせるように2人も立ち上がり、隔離地区内部へと向かって歩き出した。

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