永遠の散歩

後ろの物書き

読み切り

「いい加減にして。こんなことしてお金稼いで恥ずかしいと思わないの?」


 妻に説教されるのはもう日常茶飯事だ。結婚したら安定した仕事に就くと約束していたものの、親のすねをかじりながら役者や芸人のまねごとをしていただけの30過ぎた男に、都合の良い求人は見つからなかった。募集要項に「大卒以上」「要大型免許」などの文言があるものを消していくと、ハローワークの求人も短時間のバイトのようなものしか残らなかった。




 めんどうだ。


 啓太はすぐに職探しが嫌になってしまった。


 俺が仕方なく働いてやる気になったのに、相手が俺を勝手に無能認定して切り捨てて来やがる。馬鹿馬鹿しくて友達に愚痴を言いながら酒を飲んでいるうちに、気づくと元の役者崩れの仲間たちと遊び歩く生活に戻っていた。




「仕事どうするのよ。もう子どもも生まれるのよ?あなた父親になるのよ?」と妻に泣かれても、仕事がないものは仕方がない。


 しかし霞を食って生きていくこともできないので、今は役者時代の演技力を生かして訪問販売で日銭を稼いでいる。押し売りではない。


 方法はこうだ。


 地域の青年団による高齢者世帯の見守り活動だと言って、半被でも着て訪問すると、あまり警戒せずにターゲットはドアを開けてくれる。困っていることはないか、頼み事はないか、親身になるふりをして話を聞けば、寂しいお年寄りたちは家族の愚痴やら年金の額やら、生活水準や貯蓄額が推測できるような話をベラベラと話し出す。そうなればこっちのもんだ。すぐに駆けつけられる距離に親族が住んでいない高齢者を選んで、まずは親身になって御用聞きをする。ゴミ出しや買い物、日常の細々したことを親切に請け負って信頼を積み重ねて、深い信頼が根付いたところで例のものを売りつける。




「極楽へ行ける護符」を。


 年寄りは俺たちよりも死を身近に感じている。親を見送り、同級生も何人も見送って同窓会も開けなくなってくると、自分の番もそろそろかと現実的に考える。どうしたって死の不安からは逃れられない。


 だからそんな年寄りに俺は心の支えを売ってやるんだ。死後に迷うことなく極楽に行けるありがたい護符を。買えば安心できるんだから、詐欺とは違う。神社のお守りだって持っていれば必ず守ってくれるわけじゃないが、誰も神社を詐欺で訴えたりはしない。


 極楽に行ける護符なんだから死後に効果を発揮するものだ。死んだ後の霊の行く先など誰にも分からないのだから、極楽に行けませんでしたと客に訴えられる可能性は、ない。値段は相手の懐具合を見て決めている。何週間も御用聞きで経済状況を見ておけば、相手がすんなり払いそうな金額の想像もつく。




 御用聞き自体も手数料を少しもらってやっているから、ボランティアではない。年寄りの手伝いと護符の販売で、家族を養っていける程度の収入は確保できている。家賃も食費も足りているのに、妻がどうしてこんなに不満ばかり言うのかさっぱり分からない。ある意味俺がしているのは人助けじゃないか。誰も困っていないし、俺は生活費を稼げて、年寄りは護符があれば死んでも安心だと安眠できるんなら、お互い幸せだ。


 


 妻は相変わらずきちんとした職に就けだの、保険や年金の話をしてくるが知ったこっちゃない。今は次のターゲットの柴田のじいさんに、300万ぐらいで護符を売りつけるための下準備で忙しいんだ。


 柴田のじいさんの家は土地だけで500坪はある。駅近くの便利な場所にこれだけの家を構えて、駅裏の駐車場も経営しているから定年後も安定した収入はあるはずだ。他にアパートも持っているらしいから、300万は金庫から現金で出せるぐらいの余裕があると俺は見ている。子どもが生まれる前にまとまった金が欲しいところだから、さっさと売りつけたい。




 案の定、護符の話を切り出すと、じいさんはにこにこして食いついてきた。


「その護符はあんたも持ってるのかね?あんたも死んだらその護符で極楽に行けるのかね」


「もちろんですよ」啓太は答えた。とにかく信頼して買ってもらわなくてはならない。「ぼくもいつ何があるか分かりませんからね。安心のために持ってます」


 それを聞くとじいさんはほっとして「そんなものがあったら、安心できる」と迷うことなく買った。証拠になる領収書などは残さない。それでも払うようになるまでの信頼関係を築いておくことがポイントなんだ。妻はそれだけ信頼されるんなら、変なものを売りつけないで便利屋になればいいと言ってくるから、そのうち考えてもいいかもしれない。




 啓太は受け取った300万円を鞄にしまい、営業用の親切そうな笑顔でターゲットに挨拶して帰ろうとした。




「ちょっと待ってくれ」


 帰ろうとした啓太は柴田老人に引き止められた。


「いいものを売ってくれたお礼に、わしもあんたに渡したいものがある。わしはこれを若い時にもらい受けて、そこから人生が上向きになったんだ。これは幸運に恵まれたら次の人に渡すものだと聞いていたが、今まで幸運を受け取って欲しいと思える相手に出会わなかったんだ」


 差し出された手には古びた袋がのっている。


「この中の紙にわしの名前が書いてあるから、次にあんたの名前を書けばこのお守り袋の持ち主はあんたになる。幸運もあんたのもとにやってくる。わしはもう十分に金もあるし、どうせ先は長くない。極楽に行ける護符も手に入れた。あんた、この守り袋の次の持ち主になってくれ」




 言われるがままに啓太はお守り袋を受け取って帰った。


 開けてみるとボロボロの紙切れが入っていて、たくさんの名前が書かれている。今までこの袋を受け取ってきた持ち主の名前だろう。


 啓太は面白半分に名前を書いて袋にしまった。ボロボロに見えた紙は意外に丈夫で、ボールペンで強く書いても破れることはなかった。


 その晩、啓太は今日の収獲の300万円とお守り袋を枕元に置いてベッドに横になった。もしかしてこのお守り袋は本物のご利益があるもので、柴田のじいさんほどの資産家になれるんじゃないだろうか。そう思うと胸が高鳴ってなかなか眠りにつけなかった。




 その晩が啓太が啓太として眠りについた最後の夜になった。




 翌朝、柴田老人は啓太として爽快な気分で目覚めた。


「ああ気持ちがいい。やはり若さは何者にも代えがたいな。金などあっても年老いた体では楽しめん」


 老人は、いや啓太となった柴田老人は満足気に枕元のお守り袋を手に取った。


 袋の中の紙に自分の意志で名前を書いた者の体に乗り移れるのだから、この守り袋をうまく次々に誰かに持たせ続けることができれば、その持ち主は永遠に死ぬことはない。前回は柴田という男に50年ほど前に乗り移って生きてきたが、そろころ体も老いてきて、次の健康な若い体を探しているところだったのだ。


 今頃魂が抜けた柴田老人の体はあの家で一人で死んでいるだろうし、この体を明け渡した啓太の魂も、おそらくあの世に旅立ったのだろう。




 自分のものになった啓太の顔を鏡に映しながら、元柴田老人は話しかけた。


「別にかまわないよな?あんた、極楽に行ける護符を自分でも持ってると言ってただろう?」


 鏡に向かってニヤニヤと話しかける啓太に、大きなお腹をさすりながら妻が声を掛けた。


「一人で笑ってないで早く朝ご飯食べてちょうだい。今日こそハローワーク行って仕事見つけてよね」




 啓太は妻の腹を見てぼそりと呟いた。


「次に名前を書かせる相手も用意されているとは、至れり尽くせりだな」

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