第32話 おかえり

「俺のせいで……お前の大事なものを奪って……ごめん……ごめんな」


 溢れ出てくる涙が止まらない。


「大雅が何を言ってるかわかりません」


 それでも彼女は表情を崩さない。


「俺があの時お前を助けたからなのか? だからこんなことになったのか? でも……おれはお前に死んでほしくなくて、こんなことになるとは思ってなくて……ただがむしゃらだっただけなんだよ……」


 俺は顔を上げずに懺悔を続けた。


 ずっと考えていた。俺があの時梓を助けたからこんなことになってしまったのかと。


 俺は梓を死なせたくなくて魔法使いになり願いを叶え、対価に梓の記憶と心の一部を失った。そして、時が巡って梓は対価を取り戻した俺と一緒にいるために魔法使いとなって願いを叶えた。その対価に感情を失った。


 全ての始まりは俺が梓のために願いを使ったからだ。因果応報。俺の行ったことが全て返ってきているんだ。


 俺が梓を助けなければよかったのか? 万が一、億が一の奇跡を願って見守っていればよかったのか?


 でも、それじゃ梓が死んでしまうかもしれなかった。魔法使いになって何とかなるなら、それに縋るのは仕方ないじゃないか。時間をかけてこんなことになるなんて、想像できるわけないだろ。


「梓は……もっと笑顔が似合う素敵な子だったんだよ……周りに愛されて……人の気持ちに寄り添える素敵な女の子だったんだ……」


 だけど、俺が梓の笑顔を奪った。感情を奪った。


 これは罰なんだ。かつて奇跡に縋り、人智を超えた力で命を救った俺への罰だ。


 そうじゃないと、どうしてこんなに苦しまなければならない。気持ちを、感情を大事にしていた彼女が、無感情に生きていく様を見続けないといけないんだ。これから先ずっと。


 苦しい。俺は……俺のせいで……。


「ごめん……ごめんな……」


 手は尽くした。奇跡にも縋った。だけどダメだった。


 どこまでも、俺は無力だった。史上最高の魔法使いだって? 笑わせる。大切な人の大切なものを奪っておいてどの面下げて言えるんだよ。俺は、史上最低の魔法使いだ。


「大雅……泣かないでください」

「梓?」


 見上げた梓の顔。そこは変わらない無表情な梓がいた。だけど違うことがあるとすれば、彼女の瞳からもまた雫が滴っていたということ。


「梓も……泣いてるのか?」

「あれ? どうして……なんで私泣いてるんでしょうか?」


 自分の頬を撫でて、梓もまた自分が泣いていることを確認する。


 感情が無ければ泣くなんてことはないはずなのに。なぜ? でも、梓が感情を取り戻しているようには見えない。


 それでも梓の頬を涙が伝う。両方の瞳から滴った涙はやがて合流し、合わさった雫がこぼれ落ちる。


 そして、それは流れ星の髪飾りへと吸い込まれた。瞬間。


「な、なんだ――!?」


 突然髪飾りが眩く輝き、その輝きは幅を広げて俺たち二人を飲み込んでいく。


 目が開けられない程に眩しい。何が起きたのか全くわからない。


 なにが……なにが起きたんだ!?


 やがて目を開けられない程の眩しさが落ち着き、俺はおそるおそる目を見開く。


「ここは……」


 光に飲み込まれた先は真っ白な世界。


 どこまでも果てしなく続き、その終わりが見えない。


 周りには何もなく、上には人を飲み込めそうなほどの無数のシャボン玉が浮いている。


「俺たち公園にいたはずだろ?」


 いったい何が起きたんだ?


 あまりに非現実的な現象に戸惑う。それよりも。


「梓は!?」


 見れば梓は俺の隣に立っていた。だけど俺の言葉に反応せず、黙ってシャボン玉を見上げている。


 つられて俺もシャボン玉を見上げると、シャボン玉の中に映っていたのは小さい頃の俺と天音さんだった。


『俺、梓の記憶を失っている気がする』

『ふむ……それが君の対価なんだね』


 おそらく天音さんのお店の中での会話。苦しそうに話す俺と、飄々とした天音さんがいた。


『対価?』

『最初に言っただろう大雅? 願いには対価があると。君の場合、その梓って子の記憶が対価なんだろう』

『じゃあ俺が願いを叶えたら梓に関する記憶が全部無くなるってことか?』

『そうなるだろうね。もしかしたらそれ以外も。契約を破棄すれば全てなかったことにできるよ大雅。どうする?』

『破棄したらどうなる?』

『全部なかったことになる。願いも対価も全て契約前に逆戻りだ』

『なら破棄はしない。俺は最後までやり遂げる』

『君の選択を尊重しよう』

『でも、俺がいなくなったらしばらく梓は悲しむかもしれないからさ、今残ってる俺のありったけの想いをこれに残すよ』


 そうして小さい俺が取り出したのはあの流れ星の髪飾りだった。


『ものに魔法を籠めるのかい? それは無理だよ。魔法はひと時の幻想だ。形あるものに残すなんて聞いたことがない』

『それは天音が知らないだけだろ? できると思ってやればできるんだよ!』

『ならやってみるといいさ』

『あいつが元気になって、それでもこの髪飾りを見て泣いた時、俺の想いが届くような、あいつを助けられるような、そんな祈りをこれに籠めるよ』


 シャボン玉はそこで弾けた。これは、俺の記憶?


 それでも、最後の一部分は今初めて見た俺の記憶だった。


 他のシャボン玉もまた俺の記憶を映し出す。


『なんだよ梓、楽しいなら笑えよ。ほらほら』

『おいおい梓の家に入れるようになったぞ!!』

『梓は笑ってる顔が一番可愛いな!!』


 俺の記憶の1ページを映し出しては弾けて消える。


 最初のシャボン玉以外、俺はその記憶を覚えていた。


 そしてシャボン玉が弾ける度に伝わってくるのは俺がその時感じた想い。嬉しい、怒り、哀しい、楽しい。その時俺が感じていた感情が流れ込んでくる。


 梓はずっと黙って俺の記憶を、俺の想いを無表情で見つめていた。


 やがて、最後のシャボン玉が弾けると再び世界は眩く白い光に包まれた。


 眩しさから解放されて目を開ければ、そこは元の世界。さっきまでの公園に戻っていた。


「は?」


 光を放った原因である髪飾りが、渇いた音と共に粉々に砕け散り、優しい光の粒子となって宙を舞う。


 ゆらゆらと漂った光の粒子は、やがて吸い込まれるように梓の体に溶け込んで消えた。


 何が起きた? 理解の追い付かない現象が目の前で起こり続けている。


「梓、大丈夫か?」

「……はい」


 梓は小さく頷いた。そして、


「ずっと……心に蓋がされているような感覚でした」

「梓?」

「何があっても心が冷えて、何も感じないようになっていました」

「…………」

「でも、今は温かいです」


 梓は柔らかく微笑んで自分の胸に手を当てた。微笑んで? もしかして――


「梓……もしかして……」

「大雅の想いが私の中に入ってきました。そうしたらとても心が温かくなって、ずっと何かに蓋をされていた私の冷たい心が溶かされていったんです。たぶん、私はまた大雅に助けられてしまったんですね」


 梓は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら笑った。笑った?


 胸の奥が熱くなって、すぐに言葉が出てこなかった。


 その代わり、俺は衝動のまま梓を強く抱きしめた。もう離さないように、強く抱きしめた。


 あの時と違って、今の梓は強く抱きしめても折れない強度を持っていた。


「た、大雅⁉︎  い、痛いです⁉︎」


 それでも俺は力を緩めなかった。


「……よかった」


 ついに漏れた言葉はカスカスの掠れ声。


 よかった。ただそれだけ。俺の心からの声だった。


「本当によかった……」


 涙がとめどなく溢れてくる。でもこれは懺悔の涙じゃない。嬉しい気持ちの涙だ。今度の涙は拭う必要なんてなかった。ただ感情のままに流し続ける。


「もう……痛いですよ大雅……」

「悪い……今は……今だけは許してくれ……」


 今だけは。今だけは全身で梓を感じていたい。


「仕方ないですね」


 言葉とは裏腹に、梓は優しく俺の背中に腕を周してくれた。


「口調、改めましたよ。どこかの誰かに口が悪いと再三言われましたので」

「ほんとだよ。こんなにお淑やかになりやがって」

「あなたに相応しい女の子になるため頑張りました」

「頑張り過ぎて全然わからなかったよ。それにこんなに可愛くなってさ」

「恋する乙女は無敵なんです」

「……そうか」

「……そうですよ」


 俺たちはお互いの存在を確かめ合うようにしばらく無言で抱き合った。


「落ち着きましたか?」


 涙は出し尽くして枯れた。そうして冷静になると、抱き着いていたことが途端に恥ずかしくなって、俺は慌てて梓から離れた。


 穏やかに微笑む梓の目元は真っ赤に腫れていた。たぶん俺も。


「……だいぶ冷静になった」

「ふふ。大雅目が真っ赤ですよ」

「そういう梓も真っ赤だからな」

「え!? 嘘!?」


 なんとかして自分の顔を見ようともがく梓を見て、自然と笑みが零れた。


 本当に感情が戻ったんだ。そんな安堵もあった。


「笑わないでください! 女子はこういうの恥ずかしいんですからね!?」

「じゃあもっと見せてもらおうかな」

「やだ! 絶対嫌です!」


 梓は両手で顔を隠し、そんな姿が過去の梓と重なって見えた。


 そういえば笑顔を初めて褒めた時もこんな風に顔を隠していたよな。姿が大きくなっても、やっぱり梓は梓なんだな。


 そして、そんな梓が返って来たんだよな。


「いいじゃん見せてくれよ」

「やだ!! 大雅には見せません!!」


 こんな他愛もないやりとりだけで、枯れたはずの涙がまた出そうになった。


 でもそうだな。まずはこれを言わないとだよな。


 おかえり、梓。

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