第30話 まだ休めないんだ
放課後。俺は梓を連れて旧夏目家を訪れた。外からかつて俺と梓が会話していた庭を眺める。
昨日も眺めた景色。ただ今日は隣に梓がいる。感情はどうやったら取り戻せるんだろうか。とにかく、思い出の場所で感情を揺さぶれないか試してみたかった。
「なにか感じないか?」
「なにかとは?」
「例えばあの時の俺の行動は意味わからなくてムカついた、とかさ。なんでも」
「……よくわからないです。ここは大雅と出会った場所。思い出の場所。それ以外に思うところは……ないです」
梓は表情を変えない。対価を支払ってから、梓の表情も消えている。
周りがどれだけ楽しそうにしていても、梓だけは何も表情を変えない。
上野もこういった梓を見ているのが嫌だから俺に何とかしろと言ってるんだろう。名目上は俺と梓がケンカ中ってことになってるからな。こんな梓を見せられたら、友達としては何とかしろと思うのは必然か。上野はいいやつだな。
「大雅は何か感じているんですか?」
「そうだな。あの時の俺はただ梓と仲良くなりたかったから無茶したよなぁとか、そんなこと思ってたよ」
人様の家に不法侵入して毎日会いに来るとか、あの頃の俺はチャレンジャーだよな。高校生の今なら理性が絶対止めようとするからな。若い情熱はかくも恐ろしいものだよほんと。
「そうですか。私にはわからないです」
梓にも思い出に浸ってもらって感情を刺激できないかと思ったんだけど、効果は無さそうだな。
「昔の梓はもっと感情豊かだったんだぞ? 最初は俺を邪魔者扱いしてたろ?」
「してましたね。けど、なんでそんなことしていたのか、今はわからないです。私はどうしてそんなことをしたんでしょうか?」
「それは俺にはわからない。梓にしかわからないことだ。ここはつまらなかったか?」
「そんなことはないです。大雅といれれば私はそれだけで十分ですよ」
俺といたい。嬉しいはずなのに、なんだろうなこの虚無感は。
空を見上げても、答えは振っては来なかった。
とにかく、旧夏目家で感情を揺さぶってみよう作戦は失敗した。
次の日、俺は梓を映画館に誘ってみた。
「映画……そういえば最近全然見ていなかったですね」
「俺も誰かと見るのはずいぶん久しぶりだ」
平日は梓と魔法使いの仕事、休日はその反動で家でぐったりしていることが多かった。そんなんだから映画館に行くこと自体久しぶりな感じがする。
「どれを見ますか?」
「梓はなにかみたいものとかあるか?」
梓は公開されている映画の一覧を眺めるけど、どれにも興味が無さそうだった。
「なんでもいいですよ。大雅が見たいものでいいです」
だが、それは織り込み済みだ。
「じゃあこれにしようか」
俺は今一番人気のラブストーリー映画を指さした。
今人気のラブストーリーを見れば、梓の感情が刺激されるかもしれない。対価で失ったというならば、何か刺激を与えて取り戻せばいい。感情移入できれば、その感情を思い出すかもしれない。
正直俺はラブストーリーとか全然興味無いけど、恋愛が一番感情を揺さぶれそうな気がした。
「わかりました。大雅がいいならそれにしましょう」
俺がチケット代を払って、俺たちは仲良く映画を見た。
俺は映画を見つつ、時折梓の表情を伺ってみたけど、相変わらずの無表情だった。
映画の内容は、あまり入ってこなかった。
「どうだ、面白かったか?」
「……面白いってどう判断すればいいんでしょうか?」
映画を見終わって、よくある感想会なるものをやってみた。
近くの喫茶店でコーヒーを嗜みながら梓に感想を訊いてみるも、予想通りの回答が返ってきた。
「難しい質問だな。それは自分の感性に委ねられるから、梓が感じたことをそのまま言葉にすればいいんじゃないか」
「では、好きってなんでしょうか。大雅はわかりますか?」
「なんとなくわかるよ」
「どんな気持ちですか?」
「ずっと相手のことを考えちゃったり、自然と目で追っちゃったり、とか?」
病気の相手を助けるために、自分の記憶を対価に支払ったり。とか。
意外と好きって気持ちを言語化するのは難しいな。
「では私は大雅のことが好きってことですか?」
「ん!?」
飲もうとしていたコーヒーが吹き出しそうになった。
それはどういうことだ……って好きってことは感情が!?
「あ、梓、それはどういう……」
「だって私はいつも大雅のことを考えていますし、それに大雅をいつも目で追っています。それが好きってことですか?」
「そ、そうなんじゃないか?」
「そうですか……でもやっぱりわからないです。好きってなんでしょうか」
それはとても大事な感情だよ梓。生きる原動力になったり、行動のモチベーションになったり、人のテンションを一喜一憂させたり、厄介だけど人間にとってはとても大事な感情なんだよ。無くしちゃいけない感情だ。
いや、俺が奪った感情か。感情を失くした梓を見る度に、俺の罪悪感が増していく。
俺のせいで梓が。だけど彼女は何も覚えていない。自分が大切にしていた気持ちすらも。
汝、諦めるなかれ。俺が下を向いてはいけない。
君の笑顔を俺は見たい。だけど、どうしたら見せてくれる?
汝、諦めるなかれ。俺はまだ折れていない。折れてはいけない。
◇◇◇
その後も梓を色々なところに連れて行った。
アミューズメント施設で楽しい感情を揺さぶろうとした。あの日の猫カフェに行って猫を愛でる感情を揺さぶろうとした。
でも、ダメだった。梓に感情は戻らない。何も感じてくれなかった。
どうすればいい。どうすれば梓は感情を取り戻してくれるんだ。
無理やりにでも前を向き続けないと、すぐに下を向きそうになる。
天音さんは頼れない。だって彼女は何も知らないから。
周りの人も頼れない。だってあいつらは願いも対価も知らないから。
これは俺一人で何とかしないといけないことだ。なんとかしないと。
ひとつひとつ、絞り出したアイデアが不発に終わるたび、俺の心にヒビが入っていく。
梓は嫌な顔せずにずっと付き合ってくれる。そんな彼女の変わらない表情を見る度に、胸が苦しくなった。
そうして、俺のアイデアは全て尽きた。
「大雅、今日はどこに行きますか?」
ここ最近毎日連れだしていたから、梓は学校で俺に会うと決まって言う。
その言葉が、俺の中で呪いのようになってきていることを梓は知らない。
どこに行く。そのたびに現実を突きつけられた。
何をしても、梓は何も感じない。その結果だけが俺を蝕む。
汝、諦めることなかれ。奇跡の扉は……どこにあるんだ。
教えてくれよ誰か。俺は……どうすればいいんだ。答えは誰も教えてくれない。
「そうだな……たまには公園でのんびり話すか」
「はい。わかりました」
彼女の無表情な顔が、また俺の胸を締め付けた。
公園。俺と梓がデートの待ち合わせ場所にした公園。ベンチに並んで腰かける。俺たち以外に誰もいなかった。
穏やかな空気。時折撫でる風が少し肌寒くなってきた。
「最近の秋は短いよな」
「そうですね」
他愛もない世間話。話題に困ったら季節か天気の話になるのはなぜか。
公園に来たはいいものの、俺は梓と何を話せばいいんだろうか。
「大雅……元気ありませんか?」
不意に梓が言う。
「どうして?」
「顔が疲れています」
「まじ?」
鏡で自分の顔を見る時、俺はイケメンじゃないことを知らしめられているだけなんだけどなぁ。
そういえば、最近結衣も梓と同じこと言ってたような。じゃあ疲れてんのかな俺。
最近梓のことしか考えてないから自分の事とか気にしてなかったわ。
「疲れているなら休んだ方がいいですよ。また体調不良になったら大雅も困りますよね」
疲れているのなら、それは梓の感情を取り戻す方法が何も思いつかないからだ。
全てが徒労に終わっていく感覚。俺の知恵を出し尽くしても何も光明が見えない状況。休んだところでそれが良くなるわけでもない。
「俺はまだ休めないよ」
俺が梓を諦めたら、多分楽になれるんだろう。でも、誰にも頼れない状況で俺が諦めたらもう終わりなんだ。まだ諦めるわけにはいかない。そう思っても心が苦しい。どうしたって梓の感情は戻らないんじゃないか、そんな感情が心の奥から俺を蝕んでいく。
「どうして休めないんですか?」
「まだ頑張らないといけないからだよ。俺が頑張らないと、本当に終わるから」
君が、本当に君でなくなってしまうから。
「どうしてそこまでして頑張るんですか?」
無表情で言う君を、俺はどんな表情で見ればいいかわからなかった。苦しそうな顔、悲しそうな顔。どっちも不正解な気がした。
だから俺は精一杯の作り笑顔を返した。
「まだ休めないんだ。俺には助けたい女の子がいるから」
ぽつり、俺は自分を奮い立たせるように言葉を漏らした。
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