第28話 願いの果て

「ここが夢で見ていた場所ってわけか」


 俺は、一人思い出の地を訪ねていた。


 俺が夢で見ていた家は現実にもあった。


 今は別の誰かが住んでいるみたいだ。だけど俺と梓がここで話していた記憶が鮮明に残っている。いや、思い出したが正解か。


 自嘲するようにため息を漏らした。


 俺は結局梓を止められなかった。こうして記憶が完全に戻っていることが何よりの証明だ。


「最初は窓越しの会話だったもんな」


 前は塀から目線が少し出るだけだったのに、今ではもう余裕で中が見える。


 昔は大きく感じていた梓の家も、思い出ほど大きくは感じなかった。


 これも俺が成長してるってことなんだろうな。


 全て思い出した。足りないものの正体も何もかも全て。


 帰り道、ここで梓に一目惚れして熱烈アタックしたことも。


 邪険にされても構わず来ていたらいつの間にか仲良くなれたことも。


 梓のために、魔法使いになったことも。効率を重視して碌でもない方法を取ったことも。


「梓のキスがファーストキスだと思ったんだけどなぁ」

 

 思い出してみれば、俺は女子と無差別に大人のキスをしていたみたいだ。


 いやはや、愛もないのに大人のキスをするとか酷いクソガキがいたもんだな。俺だけど。


「ここまで来てみたけど……やっぱ何もわからないよな」


 これから先、どうすればいいのか。俺は、梓とどんな顔して過ごせばいいんだろうか。


 梓は魔法に関する一切の記憶を失くした。当然、対価を払ったことすらも。


 今の梓には昔馴染みの高坂大雅と過ごしている事実だけしか残っていない。


 自身の感情が欠落していることも、彼女は何も気づかない。


 かつての俺のように、彼女は足りないものが何かわからないまま生き続ける。足りないとすら思っていないかもしれない。


 それなのに、俺は全てを取り戻してのうのうと生きている。


 つまるところ、俺は途方に暮れていた。


「とりあえず、天音さんのところに行くか」


 天音さんにはざっくりとした報告をして以来会っていない。


 梓を止められなかった。その失意から立ち上がるのに時間がかかってしまった。


 今日も体調不良ということにして学校を休んだ。もう何日目だろうか。


 実際まだ立ち上がれてはないかもしれない。


 だけど、いつまでもウジウジしているわけにはいかない。


 ここらで立ち上がらないと、ただのぐうたら男に成り下がる。


 そんなこんなで俺は天音さんの店へ向かった。


「いらっしゃい大雅。心の整理はできたかい?」


 珍しく俺を見ても天音さんは残念な顔をしなかった。


「どうだろうな。まだ完全には整理できてないと思う」

「おやおやため口か。懐かしい気分になるね」

「嫌だったか?」

「まさか、あの頃の大雅が戻ってきた実感がして嬉しいよ。ふふふ」


 うわ……気持ちわる。天音さんはよくわからないな。


 ただまあ、ため口の方が俺も何となくしっくりくる。


 この人に丁寧語ってのも今更ながらに変な感じがするしな。


 これも記憶を取り戻したが故の反応か。


「しばらくバイトは休みでいいと言ったが、本当に大丈夫かい?」

「天音さんが人の心配とか珍しいな。明日は雨か」

「人の気持ち次第で天気が変わるわけないだろう大雅」

「そういうフリがあるんだよ」

「なるほど。今度私も誰かに使ってみよう」


 なんとなく、用法を間違えそうな予感がする。


 あと誰に使うんだ? ここ本当に人来ないけど、まさか客に使うのか?


「して、本題は?」


 前置きはここまでにしようと、天音さんが切り出す。


「どうすれば梓を元に戻せる?」


 梓は対価を支払った。俺の経験で行けば、まず元に戻ることはないだろう。


 今の梓は対価を払ったことさえ覚えていないんだから。


 それでも、俺は。


「まあ、そういう話になるとは思っていたよ。座ると良い。少し遅れた反省会をしようか」


 いつも通り天音さんと向かい合う。


「まずは惜しかったね大雅。あと少しだったじゃないか」

「なんでわかる? 俺は詳細を報告した覚えはないぞ」

「魔女は魔法使いの行動を監視しているからだよ大雅。君の説得も全て見えていたよ」

「うえ……」


 あの屋上での出来事を全部見ていた言うのかよ……。


 つまり、それは俺のあの告白も梓からのキスも全部見られていたってわけで。


「なんか恥ずかしくなってきた……」


 あんなの他人に見せるようなもんじゃない。


「何を言う大雅。なにも恥ずかしくはない」


 しかし、天音さんは茶化すことをしない。


「君は、君のエゴの全てで梓を説得しようとした。全てを出し切ったんだ。ただ、梓が1枚上手うわてだっただけさ」

「……そうか」

「まさか大雅の淀みを直接回収するとは、梓も中々大胆なことをする。やはり最も効率のいいやり方に気づいてくれたんだね」


 この人はどっちの味方なんだよ。いや、中立か。この前のは特別サービスとか言ってたしな。


「ほんとにな、まさかあんなことしてくるとは」


 天音さんにその方法を教えられたとき、梓は顔を真っ赤にしてショートしていた。


 だから俺も油断していたんだろう。まさかそんな方法をしてくるはずないだろうと。


 しかし、感情が消えていけば効率を求めてそれくらいできてもおかしくない。


 まあ天音さんの言う通り、結局梓が1枚上手で、俺が見抜けなかっただけなんだよな。


「予想できなかった。結局俺は嘘を見破る力がなければ何もわからない男ってわけだな」


 自嘲気味に笑みを溢す。


 ほんと、あの力を便利に使ってたんだなぁ。


「まだ落ち込んでいるね大雅」

「まあ……俺のことはどうでもいいんだよ。それより梓だ。元に戻す方法、天音さんなんか思いつかないか?」


 俺のことは時間が解決してくれる……はず。でも梓は時間じゃ解決しない。


「それなんだが大雅。下手に希望を持たせたくないからはっきり言おう」

「…………」

「私には何もできない。対価は絶対だ。取り戻すことはできない」


 天音さんはただ事実を告げるようにはっきりと言い切った。


「でも俺の対価は戻った」

「それは梓が願いとしてそれを望んだからだ」

「じゃあ俺がもう1回契約する。梓の感情を取り戻す」

「それはできない。一度契約した魔法使いは、いかなる理由であれ二度目の契約はできない」

「どうしても無理なのか。なにか方法はないのか?」

「私にはわからない。君も理解しているんだろう?」

「……そうだな」


 対価を何とかする。そう思いはするものの、どうすればいいのかわからない。


 天音さんに縋ろうとしてみても、答えは俺の予想と同じだった。


 等価交換。願いと対価が等価である以上、梓の願いが叶っている手前、対価は絶対支払うことになる。


 何とかして願いは叶えてほしいけど対価は無しにしてよ、なんて虫のいい話は存在しない。


 それが魔女の契約というシステムなんだから。


「それでも、俺の記憶はどうなってもいいから梓を何とかできないのか?」

「……大雅」


 天音さんが睨むような視線を俺に向ける。


「君の今の言葉は、梓の願いを否定することになる。それは魔女である私が許さない」


 許さない。いつも俺たちの意志を尊重する天音さんにしては強い言葉だ。


「だけど……」

「梓は対価を支払ってでも君のことを想い願いを叶えた。それを他でもない君が否定するのか大雅」

「俺は……そんなことを望んではいなかった」

「そうだとしてもだ大雅。叶った願いを否定してはいけない。結果は結果として受け止めるんだ」


 記憶を取り戻す刹那、梓の言っていた言葉を思い出す。


『私の願いは、魔法使いにならなかった大雅と一緒に過ごすことですよ』


 魔法使いにならなかった俺。つまりギフトも持たず、その契約によって対価を支払わなかった俺。


 要はなんの力を持たない一般人としての俺と過ごすのが梓の願いだったわけだ。


 そしてそれは叶い、俺はギフトを失い、梓との記憶を取り戻した。


 じゃあ梓の病気は? と思ったけど、梓は普通に学校に来ていた。俺が魔法使いにならなかったと言っても、過去までが改変されるわけではないようだ。それがせめてもの救いか。


「しかし、これで君は残される側の気持ちもわかるようになったわけだ大雅」

「は?」

「だって今の君は、かつて君が願いを叶えた時の梓ということだろう」

「それ……は……」


 確かにそうだ。俺は梓のために願いを叶え、対価として梓に関する記憶を失くした。反対に、梓は俺のために願いを叶え、対価として感情を失った。


 梓だって、病気が治ったのに俺がいなくなってショックを受けたに違いない。仮に俺が梓の立場だったらそうだ。自分せいで俺が記憶を失くしたと、そう考えてもおかしくはない。


 でもそうじゃない。俺はただ梓に死んでほしくなかっただけだ。何を犠牲にしても、俺は彼女を助けたかっただけだ。


 それは結局、梓も俺と同じく、何を犠牲にしてでも俺を取り戻したかったってことかよ。


「梓は恩返しだと言っていたよ」

「恩返し?」

「ああ。もらったものは返さないといけない。そう言っていたよ」


 ああ……俺は残される側の気持ちを考えていたつもりで考えてなかったんだな。


 あの頃の梓は外の世界を知らず、たまたま梓に一目惚れした俺となんやかんや友達になった。だから、外の世界に出られるようになれば、きっといつか俺のことを忘れて楽しく生きてくれると思った。


 だけど違った。そう気づかされてしまった。奇しくも彼女の願いによって。


「あの時の俺は梓に酷いことをしたのか?」

「いいや。君は君の意志に従い願いを叶えた。それを梓が否定する権利はない」

「だから俺も梓の願いを否定するようなことを言うなってことか?」

「そうだ大雅。君たちはお互い自分のためじゃなく他人のために願いを叶えた。それはとても尊いことだ。だからお互いを否定してはいけない」

「……わかった。さっきの言葉は忘れてくれ」


 天音さんの言うことは正しい。俺が駄々をこねていただけだ。


「それでいい。過去を振り返り過ぎたって前には進めない」


 だが、結果として俺だけがすべてを取り戻し、梓は感情を失った。


 あの次の日に学校で見た梓は一切笑わなかった。それどころか、表情をまるで変えない。楽しいとか悲しいとか嬉しいとか、そんな感情を一切表に出さない。それがとても苦しくて、俺は逃げるように教室を出て、何日も学校を休んでいる。


 でも、やはり向き合わなければならない。梓の願いを他でもない俺が否定してはいけなのだから。そう言いたいんだろう天音さん。


「と、ここまでは魔女の立場としての話だ」


 天音さんは優しく微笑む。


「ここからはただの天音としての話をしよう。合理性のかけらもない、とりとめもない夢物語を」


 どことなく、天音さんの雰囲気が柔らかくなった気がする。

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