第27話 追憶②

「ほぉ……その小ささでここにたどり着くか。君には、それほど強い思いがあるんだね」


 お姉さんはよくわからないことを言っている。


「少年、君は何かを失ってでも叶えたい願いはあるかい?」

「……不審者?」

「あ、いや違うよ少年」


 お姉さんは慌てたように手を振る。


「お姉さんは、魔法使いだよ」

「は? 魔法使い?」


 お姉さんが指を鳴らすと、何もない空間から無数の炎が空中に現れて、ゆらゆらと揺らめいている。


「え、なにこれ!?」


 見たこともない現象。無意識に後退する。


「言ったろ? お姉さんは魔法使いだと。これは魔法さ」

「ま、魔法!?」

「そう、ひと時の幻想さ」


 お姉さんがもう1回指を鳴らすと、揺らめいていた炎が一瞬にして消えた。


 何が起きたのか全然わからない。俺は夢でも見てるのか?


「さて、少年。君は何かを失ってでも叶えたい願いはあるかい? 死人を生き返らせる以外なら大体のことは叶えられるぞ。その代わり、ちょっとお姉さんのお手伝いをしてもらうことになるけどね」


 死人を生き返らせる以外なんでも叶うだって? 怪しすぎる。魔法とかいう不思議な手品をやってのけたし、信用できる人とは思えない。知らない人のことは信じちゃいけないって先生も言ってるし。


 でも、それでも。もしかしたら。ダメだとわかっているのに、藁にも縋りたい心が俺を誘惑する。


 飛び込め。話を聞けと。深淵からそっと囁いてくる。


「それは……例えば医者にも治せない病気は治せるのか?」


 お姉さんは俺の答えにただ笑みを返す。不気味な笑みだ。


「もちろん。その程度なら間違いなく叶うだろう」

「……詳しく話をきかせてよお姉さん」

「いいだろう」


 明らかに怪しい。だけど、今の俺は縋れるものにはなんでも縋る。


 俺がなんとかするって、梓と約束したんだ。だったら俺は。


「先に自己紹介だけしておこう。私は天音。一応魔女を名乗っている」

「俺は大雅。高坂大雅」

「いい名前だ。では、中で詳しく話そうか大雅」


 こうして、俺は魔女と契約して魔法使いになった。


 魔法使いは人の負の感情を集める。負の感情。それがなにかはわからなかったけど、周りの人たちから黒いオーラが見えるようになった。淀み、というらしい。とにかく、魔法使いはこれをどうにかすればいいらしい。


 そして、もうひとつ力を手に入れた。俺は、他人の嘘が完璧にわかるようになっていた。


 どの言葉が嘘なのか。会話の中で直感的に全てわかるようになっていた。とんでもない力だ。


 だけど、人の嘘を完璧に把握するのは、淀みを解決する上で都合が良かった。


 隠したい悩み、本音、それら全てに土足で踏み込んで、俺は負の感情の回収を進めた。


 さらに、魔法使いは文字通り魔法を使えるらしい。使えるものはなんでも使った。


 まあ魔法はあまり必要性を感じなかったけど。それを言ったら天音が悲しそうな顔をしていた。だけど全然悲しんでいないのは俺の力でわかっていた。どうでもいいけど。


 ただひたすら、俺は毎日魔法使いの仕事に明け暮れた。学校でも外でも、淀みを持つ人にそれとなく話しかけて、嘘を見破る力でどんどん悩みに介入していき、それを解決した。


 ある日、魔法使いの仕事にかかりきりで梓のところに行っていないことに気が付いた。いや、行き辛かっただけか。


 本当に願いが叶うのであれば、きっと梓の病気もよくなるはずだ。


 だが、死人を生き返らせることはできない。


 もし、俺の願いより先に梓が死んでしまったら。それが怖くて行けなかった。


 そんな雑念を振り払って、俺は久しぶりに梓の家へ行った。


「大雅! 最近来ないから心配したんだけど!」


 梓は思ったより元気だったので安心する。


 この前の落ち込みっぷりとはえらい違いで、少し面食らってしまった。


 顔色も、どこかよさそうに見える。


「元気そうでよかったよ」

「なんかね、よくわからないけど病気が少しずつ良くなってきてるってお医者さんが言ってたの」

「ほ、ほんとか!?」

「うん。大雅のおかげかな?」

「え!?」

「だって、大雅がなんとかするって言ってから私の体調良くなり始めてるんだよ?」

「そ、そうか」


 一瞬、願いのことかと思って焦った。梓は知る由もないから、わかるはずないのにな。


 それでも、梓の病気が良くなっている。本人の口から嬉しい知らせを聞くことができた。魔女の契約、本物だったのか。


 俺が頑張れば、梓は早く元気になる。俄然やる気が出て、より一層魔法使いの仕事を手伝った。


「負の感情の効率のいい方法? それならとっておきを教えてあげようじゃないか」


 もっと早く願いを叶えたい。そういうと天音が教えてくれたのは大人のエッチなキスだった。


 梓のため。そう思えば別に気にはならなかった。相手の記憶を消せば済むしな。


 俺は負の感情の回収方法を変え、効率を上げた。


 梓の体調は日に日に良くなっていった。だが、今度は俺の体に異常が起こり始めた。


「ねえ覚えてる大雅? あんたが初めて来たときのこと?」

「初めて来たときのこと……」


 思い出そうとして、全然思い出せなかった。初めて会った日のこと。俺はどうやって梓と出会ったのか、思い出せなかった。


 大切な思い出だったはずなのに、何もわからなかった。かけらもなく消え落ちている。


 おかしい。そんなに昔のことじゃないのに、全然わからない。


 同じ日に、学校でどんなことをしていたかはわかるのに、梓に関することだけまるで切り取られたように思い出せない。


「もしかして、覚えてないの?」

「いや、忘れるわけないだろ!」

「だよね! 大雅凄く失礼なことを言ってたんだから」

「……ははは」


 俺は嘘を吐いた。梓の笑顔を曇らせるわけにはいかない。


 俺は頑張り続けた。そして、頑張れば頑張るほど梓との記憶が無くなっていくことに気が付いた。


 少しずつ、だけど確実に、古い記憶から消えて行った。


 時々会話が噛み合わなくなった。笑ってごまかしているけど、それもいつまでもつか。


 段々と、梓の家に行くのが怖くなった。もし俺が梓との思い出を忘れてるってバレたら、彼女が悲しんでしまうかもしれない。俺は梓の悲しむ顔を見たくなかった。


「それが、君の対価なんだね」


 あるとき天音に相談したら、そう返事が返ってきた。


 願いには対価がある。初めに聞いていたけど、これが俺の対価ってことか?。


 記憶。つまり俺は梓との思い出が対価になっているのか。俺が頑張れば頑張るほど、梓との記憶がなくなっていく。それはつまり、願いを叶えた時には全て。


「契約を破棄すれば全てなかったことにできるよ大雅。どうする?」

「破棄したらどうなる?」

「全部なかったことになる。願いも対価も全て契約前に逆戻りだ」


 そんなとき、魔女から提案されたのは全てをなかったことにする選択。


 全てなかったことにすれば、梓の体もまた悪化する。つまり梓の命を諦めるってことだ。


 俺の中にある梓の思い出と、梓の命。そんなもの、比べるまでもなかった。


 たとえ俺から梓の記憶が消えても、梓の命が助かるならそれでいい。


 生きてさえくれていれば、それだけで俺はいい。外に出れば、きっと友達はできる。だって梓は最高に可愛いんだから。


「破棄はしない。俺は最後までやり遂げる」

「君の選択を尊重しよう」



◇◇◇



 その日、俺は梓の家にいた。


 魔法使いの仕事は佳境に入っている。もうすぐ契約が満了になる。なんとなくそれを自覚できていた。


 同時に、梓に関する記憶もだいぶ消えている。まだ梓を覚えている。だけどもう、どんな会話をしていたか、ほとんど思い出せなかった。笑った顔も、怒った顔も、どこかぼやけて浮かぶばかりだ。


 このままじゃまずい。だから梓を覚えているうちに、最後の挨拶をしにきたんだ。


 これ以上俺が梓を忘れたら、それすらもできなくなる。


 ここで断ち切らないと、彼女は永遠に俺を待ち続けることになる。


 それだけはだめだ。本当は、元気になった梓と一緒に、外を出歩きたかった。隣にいたかった。


 でも、それは無理だ。梓が元気になるころ、俺はもう彼女のことを何も覚えていないから。


 だから、今日で全部終わりにする。


 これから彼女が生きる世界に、俺の居場所はない。


 いつもなら気兼ねなく押せたインターホン。なのに、今日はずっと押せなかった。


 知らないふりをして逃げ出したかった。うやむやのままでもいいんじゃないかと自問した。


 そんなとき、右手に握った小さな髪飾りが目に入った。


 そうだ。俺はこれを渡すために、ここまで来たんだ。


 俺から梓に渡せる、最初で最後のプレゼント。それを渡しに来たんだ。


 震える心にハリボテの蓋をして、俺は梓の家に上がり込んだ。


「これ、梓にあげるよ。俺にありったけの想いを籠めた、魔法の髪飾りだ」

「ありがとう! 大事にする!」


 梓は俺の目の前で、大事そうに髪飾りを抱きかかえた。


 その姿が愛おしいはずなのに、その声が愛おしいはずなのに、どこか知らない他人のように感じてしまった俺がいた。


 そんなことない。俺はまだ梓を覚えている。忘れてなんかいない。


 本人に会って、改めて俺の限界が近いことを悟ってしまった。もう、躊躇っている時間はない。


「それでね大雅! なんか病気が治りつつあるの! 原因はわからないのに、なんだか病気がどんどん良くなっているの。このまま行けば完治も近いかもって!」 

「ほんとか!? それはよかった!」

「うん! 本当に、大雅のおかげかな!」

「あぁ……よかった」

「大雅?」


 梓は不思議そうに俺を見る。しっかり、切り出さないと。


「梓……大事な話だ。俺は、もうここには来れない」

「え……なんで?」

「それは俺から贈る最初で最後のプレゼントだ。今日はそれだけ言いに来た」


 きっと、これ以上はもう誤魔化しがきかなくなる。別れの挨拶もできなくなるかもしれない。


 もうここしかないんだ。


 長居をすると決心が鈍りそうだった。だから俺は心を鬼にして、部屋を出ようとした。


「た、大雅!? どうしたの!? なんで急に!? 病気、治りそうなんだよ!? これからなんだよ!?」


 梓はベッドに手をついて立ち上がる。立ち上がれるようになったのか。そうか。


 俺が願いを叶えれば、梓はきっと外の世界を知ることができる。走り回ることだって。そのためなら俺は、俺を犠牲にしたって構わない。好きな女の子を助けられるなら、俺はどうなったっていいんだ。


「そうだな。それができたら……俺も幸せだった。でも、そこに俺の場所はないんだ。ごめんな」

「大雅! なに言ってるのかわからないよ!?」

「梓の病気は俺が絶対になんとかする。だから、もう少しだけ我慢してくれ」


 振り返らず、俺は最後の決意表明をした。


「大雅!? ちゃんと説明してよ!! 大雅!?」

「じゃあな梓。俺のことは忘れて、元気に生きろよ。それが、俺からの最後のお願いだ」

「大雅! 大雅!? だからちゃんと説明してよ!?」


 追いすがる梓の声から逃げるように、俺は梓の家を出た。このままだと本当に決心が鈍りそうだったから。


 帰り道。俺は人知れず泣いた。その涙の理由すら、はっきりと理解できない自分がいて、さらに苦しくなった。それでも、止まるわけにはいかなかった。


 その後も俺は魔法使いの仕事を続けた。病気の女の子を、初恋の、好きな女の子を助けたかったんだ。だけど、その子の顔が日に日に思い出せなくなっていた。彼女がどんな声で俺に語りかけていたか思い出せなくなっていた。


 大切だと思っていたものが、音を立てて崩れていく。大切……だったと思う。


 だけど、魔法使いの仕事だけは終わらせなくちゃいけない。最後はその使命感だけが俺を突き動かした。


 俺は、誰のために頑張っていたんだっけか。


 俺の願いが叶うころ、俺は何も思い出せなかった。助けたい人がいた。たぶん助けたんだと思う。魔法使いの仕事はもう終わったから。魔法ってなんだっけ。


「俺は……何をしていたんだろう」


 何をしたかったのか、何をしていたのか、全部が白く溶けていく。


 ただ、誰かのために頑張っていたはずだった。その想いも、やがて消えた。


 残ったのは……嘘を見破る力と、心に生まれた満たされない感情だけだった。

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