第25話 君の願い

「わからないならいいです。ですが、あなただけには止められるいわれはありません!!」

「そうだとしても、俺は止める!」

「どうしてですか!? どうして私の邪魔をするんですか!?」

「わからないのか? こんな簡単なことなのに?」

「わかりません!! 全然わかりません!!」

「決まってるだろ!!」


 そこで俺は大きく息を吸い込む。


「お前が好きだからだよ!! 夏目!!」

「……!?」


 夏目の表情が崩れる。出てきた感情は戸惑い。


「好きだからしか、理由はないだろ」

「…………」


 認めないようにしてた感情。利害関係の一致以上の感情を持ってはいけないと思っていた。


 夏目の笑顔を見て、胸があったかくなった。


 夏目と一緒に過ごして、こんな日が毎日続けばいいと思った。


 夏目と出会って、世界が色づき始めていた。


 これが好きじゃなかったらなんなんだよ。


「好きだからこそ、お前に感情を失ってほしくないんだよ」

「…………」

「俺が好きなのは、いつも優しく笑ってる夏目なんだよ」

「…………」

「だからこそ。俺の好きなお前を失わせない。願い? 知ったことか。俺は、俺の意志でお前を止める」


 届くか? これ以上、俺に出せる言葉はない。


 願いを諦めさせるには独善的過ぎる理由。でも、俺が夏目を止める理由はそれしかない。


 好きな女の子が何かを失っていく姿を見たくない。それが、俺のわがままだとしても。


「私が何を言っても……高坂君は諦めてくれないんですね」


 しばらく無言の時間が続いて、やがて夏目が困ったように口を開いた。


「ああ。願いなんかより俺を選んでくれるまで諦めない」

「願いを破棄したら、高坂君との思い出も忘れてしまうかもしれませんよ?」


 俺と夏目の繋がりは魔法だ。


 もし契約を破棄したら、夏目は俺と過ごした時間の大半を忘れるかもしれない。


「だったらまた初めから仲良くなるさ。その程度のこと、大したことない」

「はぁ……開き直られると困りますね」


 夏目は毒気を抜かれたようにため息を吐いた。


「私が諦めるまで、高坂君は引いてくれないんですよね?」

「そうだ」

「なら仕方ありませんね。契約を破棄します」

「……え?」

「私の負けです。そんな素直に思いを伝えられたら、いくら対価で感情を支払っていても心に響きますよ」


 夏目はやれやれと肩を竦めた。


 俺は、夏目を止めることに成功したのか? どこか呆気ない結末に感情がついていかない。


 でも夏目は今確かに契約を破棄するって言ったよな。


 内心無理かもしれないと覚悟は決めていた。


 それでも、俺はやり遂げられたのか? わからない。本当に契約を破棄するまで今の夏目は信用できない。


「私は信用されていないんですね?」

「心を読んだのか」

「それが私の力ですから」

「だったら、今から天音さんのところに行こう。そこまでは着いていく」

「いいですよ。ですが、その前に少し昔話を聞いてくれませんか?」

「昔話?」


 夏目はゆっくりと歩き、フェンスに背中を預けて座った。


 俺の方を見て、隣をポンポンと叩く。座れってことか。


 俺は夏目の隣に腰かけた。


「これは、一人の少女の物語です」


 夏目はそう切り出して、秋の空を見上げながら一人の少女の物語は始めた。


 昔々、あるところに一人の少女がいた。少女は生まれつき体が弱く、お医者様でも治療できない原因不明の病気だった。


 そのせいで、少女はいつも家にいた。外に出たらすぐに体調不良で倒れてしまう。そんなだから当然幼稚園も小学校も、とてもいける状態ではなかった。


 少女はずっと家にいた。まるで自分を閉じ込める檻のような家に。


 窓から外を眺めるのだけが唯一の楽しみだった。だけど思う。なぜ、自分は外にいる子たちのように走り回れないんだろうかと。そうした姿に憧れを抱き、なにもできない自分に絶望した。


 いつ悪くなるかわからない体調。時には生死の境をさ迷うこともあった。


 そんなある日。一人の男の子が家にやってきた。


 つまらなそうな顔をしている。開口一番に言われたセリフがそれだった。


 こいつは自分とは違って満足に動けている。そんな奴に否定されて、少女はムカついてとても邪険に扱った。


 だけど、次の日も、その次の日も、少年は懲りずに少女のところにやってきた。何度邪険にしても、少年は少女のところにやってきた。


 気が付けば、普通に話すようになっていた。少年の行動に少女が折れた形だった。


 少年が見てきたもの、感じたもの、それを聞いているうちに、いつの間にか少女は少年と話すのを楽しみにしていた。


 つまらなかった世界に光りが射したような気がしていた。


 だけど、そんな夢の時間は長くは続かなかった。少女の体調が日に日に悪くなっていったのだ。


 もともと原因不明の病。家族が慌ただしくしていることが多くなった。欲しいものはないかと、いつにもまして聞かれることが多くなった。少女は薄々気づいていた。たぶん自分は長くないのだと。


 ある日、少女は少年に自分は長くないことを伝えた。


 すると少年は言った。自分が何とかすると。嘘でも、少女はその言葉が嬉しかった。


 だけど、ある日を境に少女の体調は本当に改善の兆しを見せ始めた。


 日に日によくなっていく体調。少年にその話をすると、少年はとても喜んでくれた。もしかしたら、いや絶対に少年の想いが奇跡を起こしてくれたんだ。少女は人知れずそう思っていた。


 しかし、少女の体調が良くなるにつれて、今度は少年の様子がおかしくなった。


 会話が噛み合わない時が増えた。昔の話をまるで覚えていないかのように。


 ある日少年はひとつのプレゼントをくれた。流れ星の髪飾りだ。初めて家族以外の人からもらったプレゼント。しかも少年から。少女はとても嬉しかった。少女はいつのまにか少年のことが好きになっていたから。


 だけど、少年の顔はどこか険しかった。もう自分はここにはこない。だからこの髪飾りに自分の気持ちをありったけ籠めたと。そんなのは嫌だ。そう言っても、少年はその日を境に本当に来なくなった。そして、やがて少女の病は完治した。そこに少年の姿はなかった。


 お医者様からも完治のお墨付きをもらい、少女は初めて外の世界に足を踏み入れた。


 少女がまず行ったのは少年の捜索だった。名前と姿しか知らないけど、少女は頑張って少年を探した。


 少年に自分の姿を見せたかった。ある日、少女はとうとう少年を見つけた。胸が躍り、少年のところにかけた。少年も自分を見たら驚いてくれるはず。そう思っていた。


 しかし、少年は少女のことを何も覚えてなかった。髪飾りのことも何もかも。


 そして、少女は失意のまま、家族の都合で引っ越してしまった。


「めでたしめでたし」

「全然めでたくないんだが」


 それよりも、夏目が話した昔話。俺の見てきた夢の世界と似ている。


「バッドエンドなストーリーですから」

「俺はハッピーエンドが好きなんだけどな」


 どうして夏目の話した物語が俺の夢の世界と似通ってたんだ?


「知りたいですか?」


 ナチュラルに心を読むな。


「教えてくれるのか?」

「いいですよ。契約を破棄する前に言っておいた方がいいですからね」

「頼む」

「それでは、口を開けてください」

「口? なんで?」

「そこは気にしないでください。儀式みたいなものです」


 よくわからないけど、とりあえず口を開けた。


 餌を待つひな鳥みたいで恥ずかしい。


「では、失礼して」


 瞬間、夏目は俺の口に自分の口をくっつけた。


「!?」


 あまり突然の出来事に体がフリーズする。


 突然のキス。ただ、このキスはそれだけでは終わらなかった。


 自分の舌に何かが絡みつく感触。何かって、そんなの決まっている。


 は!? え!? 夏目さんなにしてるんですか急に!?


 俺の動揺をよそに、夏目はどんどん舌を絡ませてくる。


 なんだこれ!? 凄い、凄すぎる。これが大人のキスなのか。


 ねっとりと舌が絡みつき、体の中からも何かが吸われていく感覚が駆け巡る。


 抗えない。この不思議な感覚、俺は抗えずにただなされるがままだった。


「……ごちそうさまでした」


 やがて満足した夏目が口を離し、制服の袖で唇を拭う。


「夏目……なんで急に……」


 思考がまとまらない。どうして急に。


「淀み」


 そんな俺に、夏目は静かに告げた。


「高坂君はもう知ってますよね?」

「負の感情が可視化したものだろ?」

「はい。そしてそれは魔法使いにも見えます」


 なるほど、今まで夏目が困った人を探すのがうまかったのはそれが原因か。


 魔女にも見えるなら、魔法使いにも見えても不思議ではない。じゃなくて、


「なんで急にそんな話を?」

「自分で自分の淀みは見えませんからね。高坂君にはわかりませんか」


 なんだ、この嫌な感じは。


「高坂君、あなた凄く淀んでいましたよ? よほど負の感情をため込んでいたんですね」


 すごく嫌な感じがする。


「ですから、。ここまで言えば、もうおわかりですか?」

「!?」


 脳裏に電撃が走った。思い出したのは天音さんのセリフ。


『粘膜の接触により相手の内側に潜む感情を直接吸い上げる最も効率のいい――』


 まさか、まさか……!?


「正解です」


 心を読んだ夏目が淡々と告げた。


 キスをされたとき、どうしてその可能性に至れなかった。


 違う。完全に油断していた。もう後は契約を破棄するまで監視しておけばいいと、そう思っていなかったか。


「なんだ……頭が……!」


 それは突然だった。


 急に立っていられないほどの頭痛に襲われ、俺は頭をおさえる。やばい、なんだこれ。頭が割れそうだ。


 あまりの痛さに視界が歪む。


 頭痛に耐えられず、その場に倒れそうになる体を膝ともう片方の手で支えた。


「騙すようなことをしたのは悪いと思っています。ですが、私は私の願いを諦めることなどできません」

「な……つめ……」


 なんだ、頭に色々な情報が流れ込んでくる。痛いなクソ。


「なるほど……契約が終わる感覚はこんなものなのですね。最後はあなたでというのも、悪くない結末でしたね」


 頭痛が酷く動けない俺に、夏目は絶望を宣告した。


 契約の満了。すなわち夏目の願いが叶い、対価の支払いを終える。


 クソ、なんなんだこれは。頭が割れるくらい痛い。


 そしてこの情報はなんだ。知らない情報がたくさん頭に流れてくる。


 夢の世界で見てきた景色が、より情報量を増して鮮明に、かつ一気に流れ込んでくる。


 意識が……持っていかれる。


 俺は、こんなところで倒れるわけには……。


 だが、体が言うことをきかない。


「以前にも言いましたが、私はいい人ではありません。あなたの献身を知らず、ただのうのうと生きてきた私はいい人なんかではありません」


 景色がどんどん薄れていく、夏目の顔も、もう見えない。かろうじて声が聞こえるくらいだ。なんなんだこれは。


「あなたにいただいた命。あなたが対価を支払ってまで救ってくれた命。今度は私があなたに返す番です」

「な……つめ……」

「おやすみなさい、。起きた時には、あなたの中にあった満たされないものは全て戻ってきていますよ」


 知らない、だけど経験したことのある情報が津波のように頭に流れ込んでくる。


 脳の処理が追い付いていない。ダメだ……まだ倒れるわけには。


 俺は、お前を……。


「あ……ずさ……」


 彼女の名前。自然と、だけど振り絞るよう口にした。


「だって、私の願いは――」


 彼女の願いを聞き終えて、俺の世界はゆっくりと闇に飲まれていく。


 混沌が渦巻く世界の中、わずかな意識の中で理解した、たったひとつの真実。


 俺は、失敗したんだ。


 その事実だけを残して、俺の意識は完全に途切れた。

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