第23話 抗う心
魔女の契約の本当の恐ろしさを垣間見た気分だ。
「でも……そんなのって……」
「だが私は違う。契約に際して、魔法使いに一切の隠し事はしない」
「どうしてですか?」
「契約とは双方の合意の上で行うものだ。大事なところを隠し、片方だけが得することは搾取だ。他の魔女はその辺りをはき違えている。魔法使いは決して使い捨ての道具などではない。ちゃんと一人の人間だ」
「それでも、わかっていようがいまいが対価は支払うんですよね?」
「人智を超えた願いを叶えるというのは、そういうことなんだよ大雅。ただ一方的に願いを叶えられるほど、世界は都合よくできていない」
やはり、お茶が必要かもしれないね。天音さんはそう言って一度席を立った。
もしかしたら、俺に考える時間をくれたのかもしれない。いや、魔女にそんな情はないか。どこまでも合理的だからな。今もきっと、俺が動揺しているから、心を落ち着けて話を続けるためにお茶が必要だと判断しただけだろう。
魔女の契約というシステム。そのえげつなさを実感しているが、天音さんが言うことも理解してしまう自分もいた。
現に俺は何も覚えていなかった。なんの因果か過去の記憶を刺激されなかったら、今でも自分が元魔法使いとは微塵も思っていなかったはずだ。
俺は何かを叶え、何かを失っている。その事実だけがはっきりしてるのに、実態は何もわからなかった。
俺の願いはなんだ? 対価はなんだ? ひとつの疑問が解決したのに、また新しい疑問が出てきてしまった。でも、以前の俺には何かを失ってでも叶えたい願いがあったってことか。
それに、もしかして夏目は俺が元魔法使いだと知っていたのか?
そう考えると、この前の屋上での会話も辻褄が合う。あなたがそれを言うんですか? たしかに、俺が元魔法使いだとわかってれば出てきて当然のセリフか。今だからわかるけど、何様なセリフだな。俺は願いを叶えているのに、お前は叶えるなってか。ふざけてるな。
「おまたせ大雅。今日はまた茶葉を変えてみたんだ」
お茶を用意した天音さんが戻ってくる。
「これもおいしいですね」
正直、今日は味がよくわからなかった。考えることが多すぎて味に意識が集中していない。
「して大雅。魔法使いというシステムと、君自身のことを知り、それでも君はまだ梓を止めたいと思うかい?」
優雅にお茶を飲みながら、天音さんは訊く。
「俺に止める権利があるのか? って言いたいんですか?」
夏目からすれば、俺は何かを失ってでも願いを叶えた側の人間だ。
その人間の言葉が、どうして夏目に届くのか。
「いや、君が梓の願いを踏みにじってでも止める覚悟があるのなら私は止めない。人の意志を止める権利は私にはないのだから」
夏目の願いを踏みにじる。あの時の俺は本当にそこまで考えていただろうか。
ただ夏目を心配して、夏目がおかしくなるのを止めようとしていた。願いについては、考えていなかった。
「魔法使いの願いは、言ってしまえばエゴだよ」
天音さんは迷う俺の心中を察したように言葉を紡ぐ。
「何かを失ってでも叶えたい願い。それがエゴでなくてなんだという?」
「何がいいたいんですか?」
「それを止めるのも、またエゴだということだよ大雅」
「エゴ……」
「覚悟の決まった魔法使いの意志は固い。下手な理屈など通じない。だったら、もう自分のエゴをぶつけるしかないだろう」
天音さんは笑う。
「大雅、この前君が梓の説得に失敗したのはそこが足りないからだ。とってつけたような理屈が通じるわけなどない。君の本当のエゴはなんだ? それをぶつけない限り、万にひとつ勝ち目はないぞ?」
「俺の……本当のエゴ……」
天音さんは、この前の俺は本音じゃなかったって言いたいのか。
「今日はどうしてそこまで親身になってくれるんですか?」
俺に発破をかけたところで天音さんに何にもメリットがない。
俺は極論魔女の邪魔をしようとしてるんだぞ。
それなのになぜ、天音さんは俺を動かそうとする。
「魔女の目的は人類の幸せだ。前にも話したが、そこには当然君も含まれている。君と梓の幸せの道が異なったのであれば、ぶつかるしかないだろう。とは言え片方だけに利するのは魔女の理念に反する」
だが、と天音さんは続ける。
「梓には以前一度ルールを逸脱する協力をしたからね、公平性を守るために、今日は君の味方をすると決めた。君が本気で梓を止めたいのであれば私は止めないし、その手助けをしよう。これは決定事項だ。私は、君のことも大事なのさ」
「俺は……」
「過去を振り返っても人は前に進めない。大事なのは、今どうしたいかだよ大雅」
「今、どうしたいか……」
「諦めるのか、抗うのか、選ぶのは君だ大雅。抗うのであれば、今日に限りこの魔女天音が君に戦う術を授けようではないか」
迷っている。俺に抗う資格はあるのか。
俺は夏目を止めていいんだろうか。彼女が己を犠牲にしてまで叶えたい願い。それを踏みにじってまで、俺は彼女を止めていいんだろうか。かつて願い叶えた俺に……その資格はあるのか。
そもそも、俺はどうして夏目を止めたいんだ? 心配なのはそうだ。それでも、それだけのことで夏目の願いを踏みにじっていいのか?
その時、浮かんだのは夏目の色んな顔だった。
笑った顔、怒った顔、困ってテンパった時の顔、俺をジトっと見つめる顔。今日まで見てきた夏目の色んな顔が脳裏に浮かぶ。
契約を満了すれば、たぶん夏目は感情を失う。今までの話を聞く限り確定事項だ。人を慈しむ気持ちも、笑顔も、対価として支払ってしまう。
それは……嫌だ。そう思った。
「ここが分水嶺だよ大雅」
ここが分かれ道。俺は……。
「……俺の今の言葉が夏目に届くかはわからない。覚えてないけど、俺は願いを叶えた側の人間だ」
それでも……。
「それでも、俺は抗いたい!」
あの笑顔が失われるのは嫌だ。そう思ったんだ。
彼女の意志を天秤にかけても、それでも俺は彼女の笑顔を、感情を失わせたくない。
「天音さん、力を貸してくれ! 俺は夏目を止めたい!」
俺は力強く天音さんを見つめた。
「君の依頼、この魔女天音が引き受けよう。限りなく勝率は低いが、あるいは君なら」
天音さんは俺の答えを聞いて満足そうに頷いた。
どこまでも合理的で、時には酷く冷徹に物事を判断する魔女。
それが味方に付いた。たったそれだけで、なぜか俺は戦えるような気がしていた。
「さあ、早速始めようか大雅。作戦会議の時間だ。時間はあまり残されていない」
俺はまだ諦めないぞ、夏目。
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