第22話 願いの真実
「はっ……!」
ベッドから勢いよく飛び上がる。寝起きだけど意識は覚醒している。
夢の記憶は……ある。時間は、もうすぐ出ないと遅刻の時間か。
たしか今日は結衣が朝練で早く出ているんだっけか。丁度いい。
俺は携帯で自称俺の親友にメッセージを送る。
『午前中は寄るところがあるから遅刻する』
返事はすぐに返ってきた。
『サボリとはいけねぇな。先生には適当に言っておくから任せろ』
『悪いな。助かる』
『気にするな親友』
親友ね。腐れ縁をポジティブに捉えたら、そう言えなくもないのかもな。
とにかく、学校なんかに行っている場合じゃない。俺にはまず行かなきゃいけないところがある。
制服に着替え、気持ち速足で俺は目的地へ向かう。
いつも見慣れた古風な建物。夢で見た時となんら変わらない景色。夢にしてはあまりに完璧に一致しすぎていた。
「おや、今日は学校があるんじゃないのか大雅? サボリとは感心しないが、まずはようこそと言っておこうかな」
白衣を身にまとった魔女は、俺の来訪を驚きもせずに迎え入れる。
「怒ってしばらく来ないかと思ったけど、案外早かったね」
「……何かを失ってでも叶えたい願いがあるか?」
その言葉に、天音さんの動きが止まる。
それで確信した。間違いない、あれは夢なんかじゃなく現実だ。俺の知らない、だけど確実にあった現実だ。
「夏目がおかしくなったはこの言葉をそのまま解釈すればいいんですか?」
力強い視線を天音さんへ向ける。
しかし、天音さんは怯む様子はなく、むしろその表情からは喜びがうかがえる。
「そうかそうか……」
薄ら笑いを浮かべながら、天音さんはかすかに聞こえる声でつぶやいた。
「ああ、私は嬉しいよ大雅。嬉しいという感情は久しぶりだ」
天音さんは心の底から嬉しそうに笑う。俺はこの人の満面の笑みを始めて見たような気がする。
「話をしようか大雅。魔法使いの願いと君について。やっと話せそうだ。そのために学校をサボってまでここに来たんだろう?」
早く話そうという気持ちが前面に出ていて、俺は天音さんに急かされながら席に着いた。
「さて、話をする前にまずはこの前のことを謝らせてほしいんだ大雅。あれは言葉が過ぎた。私は君のことになるとどうにも感情的になってしまう」
天音さんは申し訳なかったと頭を下げる。
「結果として俺は夏目を止められなかったんだ。天音さんの言う通りでしたよ」
あの時はムカついてたけど、結局は天音さんの指摘はそのまま当たっていた。
夏目を止める。そう難しくないと思ってた俺がしっぺ返しを食らっただけの話だ。
「だが、私が出過ぎたことを言ったのも事実だ。反省の意を籠めて、今日は特別に君だけの味方になろう」
本来、魔女は特定の個人に肩入れしてはいけないんだけどね、と天音さん。
「それはありがたいんですけど、まずは魔法使いのことです。まだ隠してることがありますよね?」
「ああ。わかっているよ」
天音さんは静かに目を閉じる。少し、空気が張り詰めたような気がする。
これから真面目な話をする。天音さんの雰囲気がそう告げている。
「何かを失ってでも叶えたい願いがあるか。これは私が悩める若人に向けて問いかける言葉だ」
天音さんは、夢の中の俺に同じことを言っていた。
悩める若人。つまりあの時の俺は悩みを持っていたってことか?
しかし、それも大事だが俺が気にするべきはそこではない。
「天音さん。俺が小さい時、俺たちは一度会っていますよね?」
「……そうだね大雅。私たちは以前にもあったことがあるよ。たぶん、君は鮮明に覚えてはいないだろうがね」
その通りだ。俺が覚えている……いや、今はきっと思い出したの方が正しいだろう。
俺の勘が正しければ、俺はきっと。
「思い出したのは小さいころに天音さんに会ったことがあるってことだけです。でも、もう何となく理解していますよ」
俺は天音さんに会っている。そして、今までそれを忘れていた。
ただ魔女の魔法によって記憶を消されているだけかもしれない。
魔法への耐性。以前天音さんは俺がこの店で魔法に触れすぎていたから起こった現象かもしれないと言った。けど、それはたぶん違う。魔法使いには記憶消去の魔法が効かない。それ以外にも、考えられる可能性を天音さんは口にしていた。たぶん、あれが本当のことだ。
「俺は、元魔法使いなんですよね?」
「…………」
無言でほほ笑む天音さん。それが答えでよさそうだった。
「最近……ずっと明晰夢を見てた。それが無くした何かに繋がるものだと思ってた」
満たされない何か。あの夢はその手がかりだと思っていた。でも、それは違う。
「けど、あれは俺の記憶だ。そしてたぶん、それが俺の求めていたものだ」
あの記憶自身が、俺が求めていた満たされないものの正体だ。
「魔法使いは、魔女の仕事を肩代わりする代わりに願いを叶える権利を得る」
天音さんは、ゆっくりと口を開く。
「以前、この世界は等価交換だという話をしたのは覚えているかい?」
「魔法を使うためには対価として魔力を支払う。みたいなことですよね」
「その通りだよ大雅。だが、そこで考えてみて欲しい。魔法使いの願いはどうなるのかと」
「魔法使いの願い……」
「願いとは言わば人智を超越した力だ。魔法とは比べものにならないくらいのね。そんなものが、たかが魔女の仕事を手伝ったくらいで無料で叶えられると思うかい?」
「…………」
背筋が凍る。天音さんは、魔法使いは願いを叶える時にも対価を支払うと言っているのだ。
願いの対価。ものを買う対価にはお金を支払う。魔法を使う対価には魔力を支払う。そこまではイメージできる。じゃあ、願いの対価はなんだ? 願いという抽象的なものに支払う対価がまるで想像できない。
しかし、今の夏目を見れば彼女の願いの対価が何かが大体見当がついてしまう。
わかるからこそ、俺は戦慄していた。
「夏目の願いの対価は感情……?」
考えられるのはそれだった。夏目は冷たくなった。言い換えれば、温かさが消えて合理性が出始めている。普通だったらあり得ない。だって夏目は合理性とは真逆の考えを、確かな芯を持っていたんだ。根付いた価値観は、そんな急に変わらない。
だからこそ、夏目は願いの対価に感情を失っていると言える。
そんなことがあるのか? 願いを叶えるために感情を失うなんて。
「なるほど、梓の対価はそうなったわけだね」
「その言い方だと、対価は人それぞれだって言うことですか?」
「そうだよ大雅。願いと対価も当然等価交換だ。願いの規模に応じて対価も決定する。梓の場合、それが感情だっただけさ」
感情を対価に支払う。願いに等価の対価を支払うと言っても、じゃあ感情はどの程度の願いで持っていかれるものなんだ?
「でもおかしい。魔法使いの仕事をしてるってことは、夏目の願いはまだ叶ってないはずですよね? それなのに対価を支払っているのはおかしい」
そう。夏目はまだ一人で魔法使いの仕事をしている。つまりまだ魔女との契約を満了していない。
願いと対価は等価交換だと言うのであれば、願いが叶う前に対価の支払いが発生するのはおかしい。
それこそ等価交換の原理から逸脱している。
「ひとつ勘違いをしているよ大雅」
「勘違い?」
「魔女の契約が満了した際に願いは叶う。だが、0か100だなんて私は一言も言っていない」
「……どういうことですか?」
「願いとは、魔法使いの仕事をしていれば徐々に叶っていくんだよ。つまり、対価の支払いも都度行われていくのさ」
「な、なんだよそれ……」
「言い換えれば、対価を支払っている以上梓の願いはすでに叶いつつあるということだ」
つまり何かしら夏目が実感できる形で願いは叶い始めているってことか。
魔法使いは、常に自分がおかしくなるとわかっていながら願いのために頑張るのか?
「どうしてそんなシステムに……」
「ある程度先に願いが叶う方が、魔法使いはちゃんと頑張ってくれるだろう? 頑張れば願いは叶う。その実感こそ、魔法使いが働く原動力にもなる」
魔女と契約してでも叶えたい願いを持つ者たち。その願いが段階的に叶っていくのであれば、魔法使いたちにとって希望になるだろう。頑張れば願いは叶う。その実感は魔法使いを働かせるのに十分な動機になる。
嫌になるほど合理的なシステムだ。それでも、感情的な言葉以外で否定できない。
「魔法使いは自分の対価が何かわかっているんですか?」
「いや、それはわかならない。対価に何を持っていかれるかは誰にもわからないのさ。だが、魔法使いなら大抵察しはつくだろうね。自分の中で徐々に失われていくものがあれば、よほどの鈍感でない限り大体わかる」
「そんなことわかってたら、普通は怖くなって魔法使いの仕事なんてできないでしょう」
「そうだね。だが、そもそも人間と契約をする際、対価のことを口にする魔女はいない」
「……は? そんなのおかしいだろ?」
おいおい、なんだよそれ。じゃあ魔法使いには私の仕事を手伝ってくれれば可能な限りどんな願いも叶いますよって言って契約するってことかよ? そんなのえげつない詐欺と一緒じゃないか。
魔法使いは魔女の甘言に誘われて契約し、人知れず対価として自身の何かを支払ってるっていうのか。そんなのあんまりだろ。
「魔女の視点で言えば何もおかしいことはないんだよ大雅」
「そんなことないだろ? 人間を騙してるってことだぞ?」
「じゃあ聞くが大雅。君は、自分が対価に何を支払ったか覚えているかい?」
「……!!」
ハッとした。そうだ。俺は元魔法使い。ならば俺は何かの願いを叶え、そして願いに応じた対価を払っている。
でも、俺は何も覚えていない。自身の願いも、払ったであるはずの対価のことも。
「魔法使いは、契約満了と同時に魔法に関する一切の記憶を失う。それはつまり、叶えたであろう自身の願いも、その対価に支払った自身の何かも含まれるのさ」
「…………」
「どうせ忘れることを、わざわざ言う魔女がいると思うかい?」
それは、純粋な恐怖だった。
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