第21話 これは夢じゃない

 屋上で夏目と別れてから数日、俺は何もできないでいた。


 夏目は放課後になると毎日すぐにいなくなる。一人黙々と魔法使いの仕事をしているんだろう。


 そうしているうちに、夏目の身にはきっとどんどん変化が起きているはずだ。


 魔法使いの仕事を続けて行けば、夏目には異変が起こり続ける。魔女はそう言った。


 あんな冷たい言葉を言う夏目は見たことがない。夏目が、どんどん夏目じゃなくなっていく。


 夏目を止めたい。だけど、夏目を止める方法が思いつかない。このままじゃ夏目が。でも、どうすればいい。わからない。それがもどかしい。


「ねえ高坂」


 移動教室の帰り、俺は上野に呼び止められた。


 心なしか上野の顔がいつもより引き締まっている。


「どうした上野?」

「夏目ちゃんと何かあったの? けんかとかした?」

「けんかって……別に何もしてないぞ」

「そっか……なんか最近夏目ちゃん不機嫌っぽいんだよねぇ。ちょっと冷たいって言うか」

「そうなのか」


 他の連中が気づき始めるほどに、夏目の違和感が表に出始めたか。


 つまりそれは夏目が一人で魔法使いの仕事に励んでいる証明になる。


 魔女と契約してまで叶えたい願い。自分の身に降りかかる変化もいとわず叶えたい願い。


 彼女がそれほどまでに執着する願いってなんだよ。何がそこまで夏目を動かす?


「なんか高坂も元気ないし、これはけんかに違いない! ってみんなで話し合ったんだけどなぁ」

「みんな?」

「そう。クラスの女子で。みんな夏目ちゃんのこと大好きだからさ」


 屈託のない笑顔を浮かべる上野を見て、改めて夏目がクラスの女子に好かれていることを知る。


 出会ってからの期間とか、そんなもの関係無しに愛されているようだ。


 夏目、みんな心配してるぞ。


「で、それがどうして俺とのけんかだと?」

「だって夏目ちゃん、高坂とずっと一緒にいたじゃん。それなのにここ数日は会話もしてないしさ。だから高坂とけんかして夏目ちゃんが怒ってるんだと思ってたけど……ほんとに違うの?」

「ああ……いや、こりゃごまかせないか。そうだよ、今ちょっと夏目とけんか中なんだ」


 少し考えて、実際には違うけど、俺と夏目はけんか中という上野の話に乗ることにした。


 ばつが悪そうな感じで頭を掻く。


 下手に違うと言って、じゃあ夏目はどうしてあんな感じなんだろう? と疑問を持たれるよりは俺とけんか中だからああなっていると勘違いしてもらった方がマシだろう。


 それがただの問題の先送りには変わりない。このままいけば夏目はずっと今のままか、もっと冷たくなるかもしれない。いつまでも俺とのけんかと言い張るのも無理がある。


「やっぱりそうじゃん。なんで否定するのさ」

「いや、ほらけんかしてるとか知られたら女子に何されるかわからないし……」

「たかがけんかくらいで高坂を袋叩きにしようとか思わないって。あんたと一緒にいるカスとは違うんだからさ。夏目ちゃん、高坂といるとき楽しそうだったし」


 上野は俺の背中を景気よく叩いた。結構力強いなお前。


「それにけんかするほど仲が良いって言うじゃん? 結局落ち着くところに落ち着くって」


 さっさと謝っちゃいな、そう言って上野は去っていった。俺が悪い前提かよ。


 とはいえ俺と夏目はけんか中。とりあえずはその状態で収まりそうだ。


 だけど、やはりいつまでも続くわけじゃない。早々に何とかしないと。


 でも、どうやって? 肝心なところが何も思いついていない。


「おいおい大雅、ここ最近は毎日辛気臭い顔してんなぁ」


 昼休み。雄平はいつも通りの調子で言う。


「夏目ちゃんとけんかしたか?」

「なんでみんなそう言うんだよ……」


 その方が都合がいいのはそうなんだけど、どうしてまずその選択がでてくるんだよ。


「みんな? そりゃあ……わりと一緒にいたお前らが急に離れたらそう思うだろ」

「そうか……」

「どうせお前が何かやらかしたんだろ? 悪いことは言わねぇから早く謝っとけって。けんかは長引くとやっかいだぞ?」

「実体験か?」

「当たり前だろ?」


 当たり前ではないだろ。


「夏目ちゃん、最近人が変わったみたいに冷たいだろ? 巷では大雅がとんでもなく酷いことしたんじゃないかって噂になってるぞ?」


 巷ってどこだよ。このクラスしかないだろうが。


 あと上野……俺本当に大丈夫なんだよな? とんでもなく酷いことってなんだよ。俺どんなこと噂されてんだよ。


 なんかちょっと周りの視線が厳しい気がするんだけど。


 しかし、実は魔法なんですとも言えないし、この状況は甘んじて受け入れる他ない。


「このまま行けばお前も無事俺の仲間入りだな。待ってたぜ親友」

「それは最悪の事態だな……」

「だったら早く仲直りしろよ」

「簡単にできたら苦労しないんだよ」

「え……お前本当になにしたんだよ……」

「さあ? なにしたんだろうな?」


 ただ夏目を心配しただけなんだけどな。それでも、その後の夏目のセリフが頭から離れない。


 あなたがそれを言うんですね。あの寂しそうな目がずっと俺の脳裏に焼き付いている。


 夏目が俺に感情の揺らぎを見せた一瞬。なんであんな反応を示したんだ?


 夏目の言葉の真意がわからない。嘘か真か。無くしてから初めてあの忌まわしき力の凄さを知る。あの力が残っていれば、少なくとも夏目の言葉に嘘があるかはわかるのに。


「お前だいぶ重症だな」

「……そうかもな。正直、どうすりゃいいのか全然わからない」


 指針はあるのに動けない。夏目を止めるためには何かが足りない。


 夏目の覚悟。それを打ち破れるものが思いつかなかった。


「はぁ……仕方ねぇな。ここはひとつ、親友がひと肌脱いでやるとするか」


 わざとらしく大きなため息を吐いて、雄平はその場で電話を始めた。


「悪い。今日どうしても外せない用事が入ったからキャンセルで。ごめんて、埋め合わせはするからさ」


 ひとしきり電話越しに謝り続けた雄平。


 やがて電話が終わると俺に向き直る。


「よし、大雅。今日はカラオケ行くぞ」

「は?」


 なぜ突然カラオケの誘い?


「今日は歌うぞ! そんで悩みを吹き飛ばそうぜ!」

「いや、でもお前彼女と予定あったんだろ? べつに俺のことは気にするなよ」

「うるせぇな。お前が俺に気を遣うとか似合わねぇんだよ」


 自分で言ってて悲しくならないのか……。


「今日は彼女よりお前の方を優先しようと思っただけだ。お前が気にすることはねぇ」

「俺が断る選択肢もあるけど」

「それは俺が許さん。彼女との予定をキャンセルしてまでお前を選んだんだ。お前に拒否権はない」

「……そうかよ」


 まったく、強引な奴だな。だけど、その感情とは逆に、俺は笑みを溢していた。


 ただまあ、こいつなりに気を遣ってくれてるのはわかる。何よりも彼女が大切で、大切過ぎるが故に6股とかいうとんでもないことをしているクズ。そいつが彼女との予定をキャンセルしてまで俺との時間を選んだ。


 もしかしたら、相当参っているように見えたのかな。いや、実際結構参っているか。


 道の見えない迷路を歩き続けている。


 なんとなく、時間がないような気はしている。それでも時には一瞬の息抜きも大事か。そうすれば、何か新しい発見があるかもしれない。


「今日はとことん歌うか」

「そうこなくっちゃな、親友!」

「クズと親友になった覚えはない」


 この日は雄平としこたまカラオケで歌った。それはもう大声で歌った。悩みとか、全部歌にのせて吐き出すように。


 ここ数日は夏目のことを考えてあまりよく眠れていなかった。


 全力でカラオケをしたからか、夜はすぐに寝つけた。


 そのおかげなのか、俺はまた夢の世界で意識を覚醒させていた。


 だけど、今日はいつもの世界ではなかった。


 そこに口の悪い少女はいない。少女がいた家もない。木も、芝も、俺が今まで見てきた夢の世界はそこにはなかった。


 俺はとある建物の前に立っていた。


 木材でできたような古めかしく、どこか異質な雰囲気を保った家。周りには街灯くらいで、ほかに建物などは一切見当たらない。


 俺もよく見覚えのある建物。でも、今の俺の体はやっぱり小さいときのままだ。


 なんでここにいるんだ。思考が巡る。


 間違いない。ここはあの人のお店だ。店名が今とは違うけど、俺が間違えるはずがない。だって何度も通っているんだから。


 それはいい。どうして夢の世界にここが出てくるんだ。


 俺は高校生になるまでここに来たことなんて一切ない。記憶にない。


「これは……本当に夢なのか?」


 今まで見てきた世界への疑問が広がる。ずっと夢の世界だと思っていた場所。満たされない何かの手がかりになると思っていた場所。その夢の世界という認識が本当にあっていたのか。この建物を前にして、急に疑問に思えてきた。


 見たことはないけど、どこか懐かしく感じる世界。


「もしかしてこれは……」


 俺はあるひとつの仮説にたどり着いた。いや、ほぼ確信と言ってもいいだろう。


 ドアが開き、目の前には今と変わらない白衣の女性が立っている。


「おやおや、こんなに小さいお客人とは珍しい」


 今と変わらないさっぱりとした口調。


「ほぉ……その小ささでここにたどり着くか。君には、それほど強い想いがあるんだね」


 間違いない。これは夢なんかじゃない。


「少年、君は――」

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