第16話 ほんの少しの違和感

「はぁ……癒されました。猫カフェはいいところですね」


 店を後にした俺たち。


 夏目は先ほどの幸せ空間を思い出してうっとりしている。


 猫……俺にところには来なかった。べつに悲しくはない。うん。


「そうだな。猫は寄って来なかったけど、雰囲気は悪くなかった」


 でもまあ、夏目が楽しめたならもうそれでいいか。


「して、調査の方はどうだった?」

「はい。完璧……とは言いませんが、問題はないと思います」

「そうなると、これからどうする? 今日の目的はもう終わったんだよな?」


 今日の目的は上野がデートで行きたい猫カフェの事前調査。


 退店してもまだ時間は昼過ぎ。なんでもできる時間は残っている。


 解散でもいいけど、なんかもったいないよな。しかし、魔材の効果が切れ始めている。実は店を出る寸前から眠気がやばい。


 このままどこか行ったとして、耐えきれる自信がない。魔材おかわりするか?


「はい。上野さんの依頼はこれで終わりです」


 夏目は「上野さんの」を強調して、どこか含みを持った言い回しをする。


「なので、高坂君さえ良ければこの後私の目的に付き合ってくれませんか?」


 伺うように上目遣いで俺の顔をのぞき込む。


 やっぱ女子の上目遣いは反則だよな。断れる男子とか存在するのか? まあもともと断るつもりはないんだけどさ。


「いいよ。俺も暇だし」


 俺は二つ返事で了承した。多分暇じゃなくても夏目に呼ばれたら行くと思う。雄平とかの予定だったら秒でキャンセルするし。それにあいつだって、彼女と急にデート入ったとかでドタキャンするときあるし。


「それで、どこに行く?」

「はい。もう決めてます」


 そうして夏目と来たのは町内で一番大きい公園。


 遊具などはないが、木や芝生に囲まれて自然豊かな空間が広がる。春には花見スポットにもなる。


 ベンチに並んで腰かけて、俺たちは一息ついた。ちなみに魔材は補充できなかった。


「やらなければいけないことも終わりましたし、高坂君とのんびり話がしたかったんです」


 夏目は手提げバックからおにぎりを取り出す。


「お弁当……とまではいきませんでしたが、おにぎりを作ってきました」


 夏目から手渡されたおにぎり。アルミホイルに包まれた丸いそれは、明らかに出来合いのものではなく手作り感にあふれていた。


「これ、夏目の手作り?」

「はい。今日お手伝いいただいたお礼……には安すぎるかもしれませんが、私が朝作ってきました」

「まじかよ。最高じゃねぇか」


 夏目お手製のおにぎりを食べれるとか最高かよ。


 女子の手料理……手料理? まあいい。手作りの食べ物を妹以外から施される機会なんて今までなかったからな。


「私が誘った猫カフェも奢っていただきましたし、こんなものでお返しになるとも思えませんが」


 夏目は申し訳なさそうに俯く。


 猫カフェの代金は俺が全額奢った。もともと胡散臭いバイトでそこそこの給料を貰っていたし、それをあまり使ってはいなかった。だからここがいい金の使いどころだろう。


「そこは気にするな。むしろ、夏目はこのおにぎりの価値をわかってないな」


 そう、夏目はこのおにぎりの価値にまるで気づいていない。


 目の前のおにぎり。それは一見ただのおにぎりかもしれないけど、夏目が作ったならそれだけで絶大な付加価値を誇る。


 オークションにかけたら相当高値が付くぞ。夏目に限らず、女子の手作りにはそれだけの価値がある。


「私のおにぎりの価値ですか?」

「そうだ。夏目は自覚した方がいい。これは場合によっては戦争が起きるほどの価値がある」


 主に俺たちのクラスで。


「戦争? おにぎりで?」

「夏目が作ったってとこが重要なんだよな」


 俺はアルミホイルを剥がしておにぎりを口に運ぶ。


 しっとりとした海苔とちょうどいい塩加減のごはん。中の梅がいい感じにさっぱりさせてくれる。


「だから、戦争の火種は俺がここで摘む」


 本当に食べやすくて、俺はペロリとひとつ平らげてしまった。


「もう……お茶もありますよ」


 夏目はバックから今度は水筒を取り出す。そして注いだお茶を俺に渡す。なんだこのほんわか空間は。


「さんきゅ」


 飲み物は冷たい麦茶だった。これもまたうまい。


 俺、至れり尽くせりすぎない?


 まだあると言って夏目はおにぎりを取り出したので、二人で仲良く食べた。次は鮭だった。


「あれ、高坂君、指……」


 夏目はさっき俺が猫カフェでもらった指のけがを見つけたようだ。


「これ? さっきの猫カフェでもらったみたいだな。俺は猫に嫌われてるみたいだから」

「そうだったんですか。気づきませんでした」


 気づいたら夏目がそんな心配そうな顔するからわざと言わなかったんだけどな。


「こんなん舐めとけば治るから気にするなって」


 冗談っぽく笑ってみたけど、夏目はじっと俺の指を見たままだ。


「少し手をお借りしますね」


 夏目は俺の手を掴んでまじまじと見つめる。


 では、と周りの視線がないことを確認して、夏目の瞳が瑠璃色に輝く。魔法? 


 何に? と思ったがすぐにわかった。俺の指の傷がみるみるうちにふさがり、元からケガなどしていかのように元通りになっている。


「これは……治癒魔法?」

「はい。天音さんが以前できるって言っていたので試してみましたが、うまくいきましたね」

「それはありがたいんだけど……夏目?」

「どうしてそんな驚いた顔をしてるんですか?」

「いや……だって」


 夏目が不思議そうにしているけど、俺はそんな夏目の方が不思議だった。


 治癒魔法の存在は天音さんから教えてもらっていた。それはそう。だけど、あの時夏目は言っていたじゃないか。治ればいいってものではない、気持ちが大事なんだって。


 その言葉が胸に刻まれているから、今の夏目の行動に違和感を覚えてしまった。


「だって?」

「いやほら、この前天音さんのところで夏目言ってたろ? 魔法で治せるとしても治ればいいってもんじゃないって。気持ちが大事だって言ってたからつい驚いちゃったんだよ」

「それはそれですが、今は治療できる場所もありませんから」

「そう……だよな」


 夏目は笑顔だ。それに何も間違ったことは言っていない。


 こんな傷を治療するためにまたどこかに行くのは非効率的だ。だから魔法の力でさっと治してしまうのは理に適っている。


 そう、理に適っている。俺が引っかかっているのはそこだ。


「いえ……高坂君の言う通りですね。どうして私は今魔法で治したんでしょうね?」


 夏目は今自分のしたことが理解できない様子で首を傾げる。


「最近たまにあるんですよ。普段の私ではやらないことをやってしまう時が」


 夏目は力なく笑う。


「実は、ここに来たのものんびりとお話しをしながらその相談をしたかったからなんです」

「俺に? クラスの女子じゃだめなのか?」


 頼られることは嬉しいけど、わざわざ俺にする理由がわからなかった。


 こんなプライベートの相談は、あまり異性にはしないような気がしたから。


「皆さんには心配をかけたくありません。それに、私が今一番信頼しているのは高坂君ですから」

「そ、そっか……」

「なんでも相談に乗ると言っておきながら私が相談して申し訳ないのですが」

「気にするなよ……困った時はお互い様だ……」


 なんだかんだ一緒に居る時間も長く、お互いの弱点も……夏目の弱点ばかり知っているような気がするけど。


 利害関係の一致とはいえ、俺は夏目と確かな信頼関係が築けていることが嬉しかった。


 夏目の口ぶりから察するに、きっと真剣な相談だ。だったら俺も、頼られた側としてそれに応える義務がある。でも……眠気が。


「なんだ……なんでも相談に乗るぞ……?」


 瞼がやけ重い。


 まずいな。おにぎりを食べたからかわからないけど、睡魔さんの強さが著しい。最初の村にラスボスが来たようなレベルでどうしようもない眠気が襲ってくる。


「高坂君……大丈夫ですか?」


 気合で耐えようにも、瞼がどんどん重くなってきている。耐えろ俺。夏目の相談に乗るんだ。


 その気合と裏腹に、体もゆっくりと前後に揺れ始めている。


「高……? ……に大…………か?」


 だめだ。夏目の声がどんどん遠くなっていく。


 視界が黒く染まっていく。ごめん夏目、ちょっと限界かも。


 心の中で夏目に謝って、俺は襲い来る睡魔に意識を預けた。



◇◇◇



「またこの夢かよ……」


 ここが夢の世界だと俺は一瞬で理解した。だってさっきまで感じていた眠気が一切ないから。


 立ち並ぶ木々に青い芝の香り。もう何度も見てきた景色だ。夢を見るたびに、この世界は広がりを見せる。


 最初は動けなかったこの世界も、今では目に映る景色の範囲内でなら行動ができる。


 ただ、夢の境界線、芝の境目から先の真っ白な空間は見えない壁に遮られて一切出ることができない。


 そして最近、この世界に存在するもう一人の登場人物。


 いつからか現れた2階建ての一軒家。1階の部屋の窓から、一人の少女がつまらなそうに外を見ている。


「お前、いつもつまらなそうにしてるよな」


 今の俺とは違う幼い声。どうせ何もできないならと、今では夢の中でこの少女に話しかけるようにしている。


 会話から何か掴めるかもしれない。この不可思議な夢は、絶対に俺の失くした何かと関係しているはずだ。そんな確信がある。


「……なに? また来たの?」


 少女は冷めた目で俺を見下ろす。年は夢の中の俺と同じくらいに見える。服装はピンク色のパジャマ姿だ。


 さらっとした長髪が窓から入る風で揺れる。


「俺も来たくて来てるわけじゃねぇよ。気づいたらここにいるんだよ」

「何それ? じゃあ帰れば?」

「帰れたら嬉しいんだけどな。俺、相談に乗らなきゃいけない相手がいるし」


 現実世界の記憶も持ち合わせている。俺は夏目の相談に乗る予定だったんだ。


 帰れるなら早く帰りたい。それでも、この世界は俺の意思を汲んではくれない。寝ると不定期に連れてこられ、覚醒のタイミングでぶつ切りにされる。


「はあ……じゃあ黙ってれば、私あんたと話す気ないし」

「ならお前こそ窓締めろよ。そんなつまんなそうな顔で外見てたら話しかけたくもなるだろ」

「なんで? つまんなそうだと話しかけたくなるの?」

「たしかに……なんでだろうな?」


 自分で言っててよくわからなかった。別につまらなそうにしてても話したくなる要素はないな。


 しかし、話す気はないと言いつつ付き合ってくれる彼女も天邪鬼だな。


「は? わたしがわかるわけないでしょ。もう帰れば?」

「だから自分の意志じゃ帰れねぇって言ってんだろ!」


 どんだけ帰らせたいんだよ。そのうち勝手に帰るわ。


「そんなのわたしには関係ないでしょ」

「そうですね!!」


 こいつ口悪いなぁ。夏目のお淑やかさを煎じて飲んだ方がいいぞお前。


 こんなのが俺の求めてるものに関係してるのか? と疑問に思うけど、それでもやっぱり関係しているんだろうと魂が言っている。イラつくけどな!


「お前さ、いつも窓から外見てるけど出たりしねぇの?」


 ベッドから外を見る彼女と俺。彼女が現れてから、この夢の構図はずっと変わらない。


 俺は決まった範囲しか動けないけど、彼女はどうなのか? いつもベッドから外を見ているだけだが、それはこの夢の決まりだからなのか、それとも違うのか。


「無理よ」


 彼女の瞳は諦めに満ちている。なにも希望を持っていない、そんな目だ。


「私は外に出られない。だって――」

「うおっ!?」


 見えない力に背中を引っ張られる感覚。またいつも突然来るな。今ちょっといいとこだったのに。


 どうせ抗えないので脱力する。


 遠ざかる景色の中、俺は彼女の諦めに満ちた深く黒い瞳が気になっていた。どうしたら、あんな目ができるんだろうか。


 どうせもうすぐ、その続きはなんだろうか。


 世界が白く染まっていく。覚醒の時だ。

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