第12話 できないものはできない

「……まだ秘密です」


 夏目はとても明るい笑みを浮かべた。それは拒絶とも受け取れる。


 それもそうか。一緒に魔法使いの仕事を始めたと言っても、夏目と知り合ってからまだ1ヶ月程度しか経っていない。


 魔女と契約してまで叶えたい願い。重い病さえ治せるその願いは、今はやりのものが欲しいとか、軽いレベルではないだろう。


 そんなの超仲良くないと言ってもらえるわけないよな。ちょっと自惚れてたわ俺。最近一緒にいることが多いからかなり仲良くなったと勘違いしてたな。反省。


「そっか。じゃあ仕方ないな」


 それでも、夏目が話してくれなくて寂しく思うこの気持ちはなんなんだろうか。


 胸の奥が少しザワザワする。


 あれ、でも夏目は「まだ」って言ってたよな。


「まだってことはいつか話してくれるってことか?」

「そうですね。時が来たら高坂君にはお話ししようと思います。一緒に手伝ってくれていますからね」

「そ、そうか。楽しみにしている」


 なぜだかその言葉が無性に嬉しかった。この気持ちはなんだろう。


「高坂君こそ、満たされない何かは見つかりましたか?」

「どうだろうな。でも、最近よく同じ夢を見るんだよ」

「夢、ですか……聞いてもいいですか?」


 俺は夏目に最近見ている夢のことを話した。


 どこか見たことがあるけど覚えていない景色の夢。最初は木と芝しかなかった。それでも、夢に見るたびに景色が広がっていく。


 今は綺麗な2階建ての一軒家と家を取り囲む塀がある。そして俺は家の窓の中を覗いていた。その窓から俺を見下ろす少女と話す。どこか懐かしく感じるけど、知らない誰かと。


 それが俺の満たされないものの正体かはわからない。でも、何か重要な要素を握っているとは思うんだ。


「不思議な夢ですね」

「そうなんだよ。まったく知らないのに知ってるような感じがして、なんかこう喉から出かかってるの出ないもどかしい感じなんだよ」


 それでも、夢の世界はどんどん広がっていく。夏目の仕事を手伝ってからどんどん広がっていく。


 魔法使いの仕事を手伝う選択は間違ってなかった。続けていけばやがてあの夢の正体も、足りない何かの正体にもたどり着ける。そんな予感が日に日に強くなっていく。


「せっかく手伝っていただいてますから、高坂君の目的も叶ってほしいですね。それに、たぶんそれは叶うような気がします」

「どうして?」

「女の勘です」

「なんだそれ」


 と言っても、夏目の女の勘は侮れない。


 そんな夏目に叶うような気がすると言われれば、本当に叶うような気がしてきた。男って単純。


「でもありがとう。俺も夏目の願いが早く叶うように頑張るよ」

「なら、効率よく負の感情を回収する方法を伝授しようじゃないか梓」


 お茶を淹れ終わった天音さんが俺たちの前にお茶を置いてくれる。


 そして天音さんもテーブルに着いてお茶を一口。


「お茶ありがとうございます。効率のいい方法ですか? 今までのやり方とは別のやり方があるんですか?」

「天音さん。俺、正直負の感情を実際どうやって回収してるかわかってないんだけど、その辺から教えてもらっていいですか?」


 手伝いをしておきながら、その実負の感情の回収方法は知らない。夏目が回収できましたって言ってるから納得していただけ。


「構わないさ大雅。君にも知る権利がある」


 そして天音さんは語り始めた。


「負の感情と言うのは人間の内側にある黒い感情だ。不安、ストレス、疑念、絶望など、それらが凝縮したものだと思ってくれればいい」

「それは前に聞きました」

「負の感情があれば当然反対の陽の感情もある。喜び、信頼、希望、愛。まあ色々だね」


 天音さんは目の前のティーカップを指さした。


「人間の心もこのティーカップと一緒で受け入れられる容量が人によって決まっているんだ。そして負の感情が多くあるのであれば、反対の陽の感情で負の感情を押し出してしまえばいい」


 夏目はよく悩みがある人を見つけては問題を解決しようとする。俺はそのお手伝い。


 今日の猫探しだって、町中でビラを配っている人に夏目が声をかけたところから始まった。


「そうやって負の感情を陽の感情で押し出すのが魔法使いの仕事ってことですか?」

「正確には魔女の仕事だよ大雅。魔法使いは私の仕事を代行しているに過ぎない」

「まあそこはどうでもいいんですけど」

「む、大事なことなんだがな。まあいい。人が抱える悩みを、問題を解決した時、陽の感情で心が満たされる。容量が決まっている以上、陽の感情に押し出された負の感情は外に飛び出る。魔法使いはそれを回収するのさ」

「なるほど……どうやって?」

「外に飛び出た負の感情は魔法使いの体内に勝手に吸収される。吸収された負の感情は魔法使いの力で浄化され、大気に循環する。これが負の感情回収のサイクルだよ。そして浄化の作業を一定量こなすと魔女との契約が満了となる」

「なるほど。それが夏目が教えてもらった方法ってわけだよな」


 夏目は小さく頷いた。


「で、効率のいい方法ってどうやるんですか?」


 天音さんの話の通りなら、負の感情の回収には必ず相手の問題を解決するステップを踏まなくてはならない。


 現に今のところ俺たちはどれだけ頑張っても1日に1件解決できればいい方だ。平気で2、3日かかるときもある。


 その効率を上げる方法があるなら聞いておくに越したことはない。


「内側から直接回収してやればいいのさ」

「内側から?」

「そう、負の感情とは人の内側に潜む感情だ。なら、内側から直接回収するのが最も効率的だろう?」

「そんな方法があるんですか?」

「ある。接吻だ」

「「…………」」


 紅茶を飲もうとしていた夏目の腕がピタッと止まった。


「それもディープな方だ。粘膜の接触により相手の内側に潜む負の感情を直接吸い上げる最も効率のいい――」

「却下だあああああああああああ!!」


 天音さんが言い終わる前に、俺は全力で否定した。


 馬鹿じゃねぇのかこの人。なにそんな自信満々に言ってるんだよ。


 しかも深い方って。深い方って。


「……き、キス……で、ディープ……」


 ほら夏目とか脳の処理が追いついてないだろうが。真っ赤になってるじゃねぇか。あ、お茶こぼさないようにね。


 いや、待てよ。そんなに真っ赤になるってことは誰かと深い方する想像してんの!?


 誰、教えて!? 俺も動揺してるな。


「これが最も効率的なのにいつもなぜか不評でね。理解に苦しむよ」

「なぜそんな残念そうなのか俺はそっちの方が理解に苦しむわ!!」

「回収した後記憶を消せばいいんだから問題ないだろうに」

「大ありだよ。魔法使い側の記憶は消えないだろうが!!」

「その程度、願いを叶えるためならば割り切ればいいのさ」

「人間そう簡単に割り切れねぇよ! 深い方だぞ!?」

「ただの粘膜の交換ではないか?」


 だーめだ。話にならない。天音さんは根本的な価値観が違う。


 さすが魔女。割り切り方が人間のそれじゃない。


「ふむ、やはり不評だったか。あの子以来の理解者は中々現れないな」


 天音さんは残念そうにティーカップを見つめている。


「あの子?」

「以前話したろう? 史上最高の魔法使いさ。あの子は私の考えを理解してくれたよ」

「えぇ……」


 まじかよ。史上最高の魔法使いさんは史上最高というだけあってやっぱぶっ飛んでんだな。


 いくら効率が良くても実践しようとか思えねぇよ。だって深い方だぞ? それって好きな人とするもんだろ?


 ちょっと負の感情回収しますね~、的な感覚でやれるもんじゃない。


 それに夏目が効率重視でそんなことをする姿なんて……いやだ想像したくない。


 俺は邪念を払うように頭を振った。


「とにかく却下だ。俺たちは従来通りで行く。いいよな夏目?」


 夏目は壊れた機械みたいに高速で首を上下に振った。未だに顔は赤い。


「まあ君たちの選択にとやかく言うつもりはないよ」


 天音さんは紅茶を口に含むと、何かを思い出したよう夏目を見た。


「そうだ。話は変わるが梓、この前の君からの依頼について色々検討を進めてみたんだ」

「私からの依頼……あ、天音さんその話は――」


 天音さんの言葉を咀嚼して、おそらく何かに思いたった夏目は急に眼を見開く。そして身を乗り出して天音さんの口を封じようと動くが、


「やはり、胸を大きくする魔法は難しい。一時的に大きくすることはできるが、それを永続的に維持することができないんだ」


 時すでに遅し。


 夏目が俺に隠したかったであろうことは、天音さんが今話してしまった。


 俺の視線は自然と夏目の胸元、スラっとした体躯に向いてしまう。


 そっか、夏目、大きくしたかったんだ。


「あ……ああ……」

「胸が大きくなる魔道具も作れないか試してはみたが、やはり難しかった。すまない、君の真剣な悩みに応えてあげたかったんだがね」

「あ……ああ……」


 公開処刑ってこういうことを言うのかな。


 自身が密かに抱えていたコンプレックスをよりにもよって一緒に仕事をしている男子にさらけ出されてしまう。


 今の彼女の心境を推し量れる者などここにはいない。


 顔を真っ赤にしてわなわな震える夏目に、俺はかける言葉が見つからなかった。


「……てください」


 やがて、夏目は死んだ魚の目で唸るようにつぶやく。


 よく聞き取れなかった。


「夏目、ごめんよく聞こえなかった」

「忘れてください!!」


 顔を真っ赤に紅潮させ、涙がたっぷり溜まった怒りの目を俺に向ける夏目。


 向ける相手間違えてますよ。


「忘れてください!! 今聞いたこと全部!! 忘れてください!!」

「ちょ!? 夏目!? 目が青いぞ!? もしかして記憶消去魔法を使おうとしてるのか!? それは俺には効かないんだって!?」

「もしかしたら今日は効くかもしれないじゃないですか⁉︎」

「んな馬鹿な⁉︎」

「そうだぞ梓。そんな都合のいいことが起こるわけないだろう」

「あんたがトドメを刺すな!」


 元はと言えば天音さんが撒いた哀しみの種だろうが。


「もう私にはこれしかないんです!! じゃあどうしたら忘れてくれるんですか!?」

「どうしたらって、いやぁ……無理かな」


 正直に言えば、こうして涙目で目を回す夏目の姿がとても可愛い。


 あまり学校では見せていない、たぶん夏目の素の姿。そんな可愛い夏目を忘れるなんてとんでもない。


「ああああああああ……」


 頭を抱える夏目の姿。なんだかとても既視感がある。


 いたたまれない。ここは俺がひとつ慰めの言葉をかけてやらねば。


 いつぞや雄平が言っていた。女の子のすべてを受け入れてこそ男だと。


「夏目、俺は小さいのも可愛いと思うぞ?」

「…………」


 その後、夏目は2日間俺と口を聞いてくれなかった。

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