第11話 等価交換
「いてて……しみる」
「動かないでください。消毒が終わりませんよ」
「うう……もう少し優しくお願いします」
「我慢してください」
夏目はやれやれと笑みをこぼしながら俺の手当てをしている。
白猫は無事飼い主のところに送り届けられた。若干一名の負傷者は出たものの、俺たちは無事に仕事をやり遂げた。
「いてっ……あいつ、おもいっきり引っかきやがって」
さすが猫の爪。とても鋭利なそれは、俺の肉を華麗に切り裂いてくれた。
夏目が消毒してくれている頬が痛む。
彼女は精一杯治療してくれている。それは伝わるんだけど、どこか手つきがおぼつかない。
「すみません。私がもっと早く魔法を発動させられていればよかったんですが」
「夏目が気に病むことはないよ。これは名誉の負傷だ」
猫を飼い主さんへ届けたとき、感謝の言葉とともに、俺の顔を見た飼い主さんが申し訳なさそうに謝ってきた。
でもこれは俺の油断が招いた結果だ。その戒めとしてこの傷は甘んじて受け入れようじゃないか。
謝るより、爪で引っ掻かれても手を離さなかったことを評価して欲しい。本当に痛かったから。
「ふふ、高坂君は優しいですね」
「ん? 今の会話のどこにその要素があった?」
「高坂君は人のせいにしませんから。私の魔法の発動が早ければ怪我しなかったと言う権利が高坂君にはあります。でもあなたはしません」
「口ではそう言っているだけで、心では全然そんなこと思ってないかもしれないぞ?」
本音と建前。人間誰しも正直に生きているわけではない。俺だって、それに夏目だって。
俺はそれをよく知っている。
「大丈夫です。私にはわかりますから」
夏目の視線はとても温かみに溢れていた。
「なら、思いやりを持って夏目さんも俺に優しく治療してほしいなぁ」
それがなんだかむず痒くて、軽口を叩く。
「……そうやって意地悪をいう高坂君は嫌いです。はい、終わりました、よ!」
「いってえええええええ!?」
消毒を終え、夏目は最後に勢いよくガーゼを俺の頬に貼った。
心なしかわざと強めに貼り付けられたような。
「仲が良さそうでなによりだね。君たちが順調そうで私もうれしいよ」
店のレジから天音さんがニヤニヤしながら口を挟む。
レジの上では看板猫の銀次さんが気持ちよさそうに眠っていた。人が来ないからレジの上で寝ていても何も迷惑にならない。
そう、ここは天音さんのお店。俺が負傷し、どこかで治療をさせてほしいと言ってきた夏目。気兼ねなく治療ができる場所を考えた結果、選ばれたのは天音さんの店だった。
どうせ万年過疎店舗だから問題ない。
「しかし、どうして魔法で治療しないんだ梓? 魔法なら痛みもなく傷を一瞬で癒せるぞ?」
「え、魔法って傷も癒せるんですか?」
「魔法は想像力だよ大雅。傷を癒すイメージさえ出来れば当然可能だ」
「まじかよ……魔法って凄いな」
「ダメですよ天音さん。これは気持ちの問題なんです。治ればいいってものではありません」
「そうは言ってもね梓。治療される側からしたらさっさと治った方がうれしいだろう?」
「そんな結果だけ求めるのは冷たいですよ。気持ちを籠めて治療することに意味があるんです」
「なら気持ちを籠めて魔法で治療すればいい」
「それとこれとはまた話が違います」
夏目は意外と強情なところがあるな。
「と、いうわけで大雅。君はどっちの意見に賛同するんだい?」
「おん!?」
おいおいここで俺に振るのかよ。夏目も真剣な目で俺を見ないでくれ。
「ここで客観的な意見を求めるなら君しかいないだろう大雅」
「高坂君、率直な意見を聞かせてください」
「ええ……」
ぶっちゃけどっちの言い分も理解はできるからなぁ。どっちに賛同とかではないんだよな。
思いを籠めて手当てをする。魔法は一瞬で治療するかもしれないけど、夏目は丹精を籠めて治療することに重きを置いている。つまり過程を大事にしているってことだ。その思いやりの心はとてもいいものだと思う。
反対に天音さんは結果に重きを置いている。丹精を籠めた治療より、早く治す方がいいという考え方だ。
どっちがいいとかじゃなくて、ただ考え方の相違なだけなんだよな。
しかし、当たり障りのない答えは求めていないのは夏目の目を見ればわかる。
「そうだなぁ……俺は夏目の考え方の方が好きかな」
「高坂君……」
正しいか正しくないかの判断で測れないなら、俺は自分の好きな方に乗っかる。
夏目の考え方の方が、温かみもあって好きだ。
治療してくれている最中も、確かに少し不器用な側面も見せていたけど、夏目が本気で心配して治療してくれているのは伝わってきた。
俺はどうにも理屈で物事を考える節が多い。だから夏目の温かい思いやりのある考え方に魅力を感じる。
「大雅なら私の考えに賛同してくれると思ったんだけどね」
「天音さんの考え方も理解できます。でも言いましたよ、俺は夏目の考え方の方が好きだって。結局は好みの問題ですよ」
「ふむ、それが君の意見なら私も納得しよう。でもなんだか負けた気がするからもう梓にお菓子あげるのをやめよう」
「え!?」
夏目、そんなに驚くってことはここのお菓子結構好きだったんだな。
「魔法を行使してお腹が空いても、もう私は知らない」
「あ、天音さん……」
「そんな泣きそうな顔をするな梓。すこし冗談を言ってみたくなっただけさ。頑張り屋さんの魔法使いを私怨で邪険にするなど魔女失格だからね」
その言い方だと私怨はあるって聞こえる。
「それにしても、魔法を使うと腹が減るってのは不思議な現象ですよね」
魔法使いは魔法を使う際、自身の生命力を魔力に変換して発動する。発動する魔法の規模が大きければ大きいほど消費するエネルギー量も多くなるらしい。
魔法発動に持っていかれる生命力量の際限はなく、大掛かりな魔法は発動した瞬間、術者がエネルギー切れを起こして気を失ってしまうこともあるとのこと。あと、さすがに命に係わるときはリミッターがかかるらしい。
だから魔法を使った後に夏目がお腹を空かせるのは自然なことのようだ。生命力っていうエネルギーを消費しているわけだから。
「なんら不思議なことはないさ大雅。この世界は等価交換。超常の力の行使に対価が必要なのは自然の摂理だ」
ものを買う時は対価としてお金を支払う。それは誰もが当然に思っていること。
魔法にもただそれが当てはまるだけ。魔法を使用する対価に魔力を支払う。そして魔力を持たない人間は、自身生命力を対価に魔力を作る。ということらしい。
「じゃあ天音さんも魔法を使ったら腹が減るんですか?」
趣味で魔法の雑貨を作っている天音さん。そんなことしてたら直ぐにお腹が空きそうだけど。
「魔女の場合は人のそれとは違う。魔力を大気から吸収しているから、わざわざ自身の生命力から変換する必要はないのさ」
「大気から吸収する?」
「ああ、大雅たち人間は気づいていないようだが、今君たちが生活している大気の中には常に魔力が溢れているんだ」
何もない空間を凝視して見ても、魔力の魔の字も感じることができなかった。
それは魔法使いの夏目も同じだったようで、何か感覚的に掴めないか手を空中でブラブラさせているけど、あまり成果はなさそうだった。
「はは、人間には見えないし感じることもできないだろうね。でもそこに確かにある」
「なら魔法使いも大気から吸収すればいいじゃないですか?」
「それは無理だ。その力は人間の機能として備わっていない。そもそも人間は魔法を使うようにできていないだろう?」
「魔女と契約して魔法を使えることがイレギュラーだと?」
「そういうことだよ大雅。魔女と契約することで人間は魔法を使えるようになる。だが人間に魔力を大気から吸収する術はない。だから自身で魔力を生み出さなければならない」
人間はそもそも魔法を使うようにはできていない。魔女と契約することで初めて超常の力を使えるようになる。だから当然魔力なんて持っているわけがない。
そうして魔力を生み出すために消費されるのが生命力ってことか。意外とえげつないな魔法。結局は魔法の発動には少なからず命を削っているってことじゃないか。
だが、魔法は間違いなく人智を超えた力だ。この目で何度も見ているからわかる。それを人が何の代償も無しに使える方がおかしいのかもしれない。
それでも、夏目は普通にしているし、消費した生命力は回復するんだよな。
「だから無理しない範囲で頑張るんだぞ梓。願いは大事だが、無理して倒れられるのは私としても不本意だ。自分のペースで頑張ってくれればそれでいいのさ」
少し喉が渇いたからお茶を淹れると言って、天音さんはお茶の準備を始めた。
「願いか。そういえば、夏目の願いってなに?」
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