駆け抜ける日々

第10話 迷い猫を捕まえろ!

 また夢を見る。


 木々と芝。前はそれだけの殺風景だったのに、今日はどうやら家が追加されたようだ。


 後ろには塀と木。地面は芝。目の前にはシンプルな造りの家。この状況から察するに、どうやら俺は庭のようなところにいるらしい。


「ここはどこだ?」


 今日は声が出せた。足も動かせる。


 前に来た時より自由度が上がっているようだ。


「あんた誰?」

「ん!?」


 声が聞こえた。この前とは違ってはっきりと。俺ではない誰かの声。


 見れば家の窓から一人の少女がこちらを向いている。


 長くサラッとした長髪。パジャマ姿の少女は顔をしかめた状態で俺を見る。


 もしかして、この少女が前に俺に話しかけてきたやつなのか? それにしては歓迎されてない雰囲気なんだけど。


「なあ、前にも俺を呼んだか?」

「は? あんたと私は初対面でしょ。なにふざけたこと言ってるの?」

「あ? 初対面でその口の利き方は失礼では?」

「うるさいわね。あんたこそ不法侵入なのわかってる?」

「え……まじ? 俺不法侵入だったの!? あ、やばい引っ張られる!?」


 ここ不法侵入だったの? ていうか今日はずいぶん覚醒までが早いな。


 それにしても、この女の子はすごくつまらなそうな顔してんな。


 お前、なんでそんなつまらなそうな顔してるんだ?


 質問したくても、また声が出せなくなっていた。つまり、覚醒の時か。



◇◇◇


 

 町の路地裏。大通りから外れたそこに俺はいた。


「よし」


 奴を何とかしてここまで追い込んだ。


 薄暗い路地裏には不法投棄されたゴミが落ちていて、奴はそれらをうまく飛び越えて進む。


 だが、奴は気づいていない。ここが行き止まりということに。


 奴ほど素早く動けない俺だけど、この先に道がなければやがては奴にたどり着く。


 ゴミの山を避けて進み、いよいよ奴との最終決戦に臨む。


「まったく、てこずらせやがって」


 肩で息をしながら、俺は行き止まりでこちらを睨む白いそれを見据える。


 近づき過ぎたら横をすり抜けられるかもしれない。だから本命が来るまで、俺は奴を逃がさないように適度な距離感を保って待機するだけ。


 奴は全身の毛を逆立てて俺を警戒している。


 かなり警戒しているが、奴らは自分のパーソナルスペースを侵略されない限り慌てて逃げたりしない。それは銀次さんで確認済みだ。


 天音さんの店にいる看板猫の銀次さん。いつも一番快適なところでのんびりしている銀次さん。だけど、俺がある一定の距離へ近づくとすぐに逃げ出してしまう。おかしい。夏目には自分から頭をスリスリこすりつけているというのに。


 まさか、可愛い女の子にしか行かない変態猫なのか? 天音さんの飼育している猫だからやっぱり変わっている猫なのか?


 ただ、この距離感の大切さは銀次さんが教えてくれたことだ。ありがとう銀次さん。後はもう少し俺に懐いてくれ。可愛くない男にも懐いてくれ。


「こ、高坂君……速すぎです……」


 俺が銀次さんとの甘くほろ苦い思い出に浸っていると、後ろから夏目が追い付いてくる。


 ぜぇ、ぜぇと息を切らしながらヨロヨロした足取りで俺の隣に立つ。


「夏目は運動不足なんじゃないか?」

「そ、そんなことはないと思いますが……」


 例によって今日も最初は自力で依頼を解決しようと試みた。


 しかしさすがは猫。人間の手など簡単に搔い潜ってすいすい逃げていく。


 でも実際見つけるまでにはちょっと魔法に頼った。迷子の猫探しを地力は無理だった。夏目もそこはわかってくれたようだ。


 見つけてからはこうして仲良く追いかけっこをしている。鬼はずっと俺たち。一方的な遊びがそこにはあった。


 でも、ようやく人目につかないところまで追い詰められたわけだ。


「まあそれはそれとして」


 夏目と話している間も視線は白猫から外さない。


 それは白猫も同じで、奴も俺から視線を動かさない。


 この状況で迂闊に近づいたら逃げられてしまう。だからお互いに膠着状態が続く。


 それを打破することができるのは超常の力を持つ魔女の眷属のみ。


「魔法で奴を捕えることはできないか? そのためにここまで追い込んだんだ」


 路地裏に白猫を追い込む。これは白猫の退路を断つのも理由であったが、それ以外にも理由はあった。


 路地裏なら当然人通りなんてない。ましてやここは行き止まりの路地。よほどの変人かやましいことをする人以外はまず入ってこないだろう。


 魔法は一般人に見られてはいけない。裏を返せば、一般人の視界に入らなければ堂々と使えるということ。


 そのためのお膳立ては済んだ。


「そうですね……ここなら問題なさそうですし……そろそろちゃんと捕まえないとですね」


 夏目の目が瑠璃色に輝き、夏目は吹き上がる風を纏う。魔法を使う合図だ。


 同じ魔法を使う者でも、天音さんの目は青くならなかった。曰く、純粋な魔女と魔法使いは違うとのこと。何が違うかは教えてくれなかった。


「行きます!」


 それは四方を囲む空気の檻。夏目のイメージが具現化したもの。魔法によって歪んだ空間が猫を閉じ込める。


 この世界の魔法はよくある小難しい詠唱など必要ない。


 魔法とは想像力。つまり術者のイメージがそのまま魔法となって顕現する。使えないけど夏目が言うならそうなんだと納得している。嘘は吐いてなかったし。


「もう少し小さくして……」


 空気の檻はだんだんと狭く小さくなっていく。


 やがては猫一匹入れるほどのサイズになり、猫はジタバタしようにも動けないでいた。


「ふう、これで猫は動けません。後は捕まえるだけです」


 夏目は額の汗を拭う。


「お疲れ夏目。猫がかわいそうだし早く捕まえてやらないとな」


 猫は自由を求める生き物だ。とりわけこいつは自由を求めすぎてしまった結果迷い猫になってしまったわけだが。


 そんな自由を求める猫に、この空気の檻はさぞ狭いことだろう。


 俺たちだってかわいそうだとは思っている。だからさっさと飼い主の元に届けて終わりにしてやりたい。


「さあ、飼い主のところに帰るぞ」


 そうして猫を捕まえようとした。しかし、


「あれ?」


 猫を掴もうとしたところで、空気の檻が俺の手の侵入を阻む。


 この檻、中から外へ逃げられなくしているが、外から中への侵入も遮断されてやがる。


 檻の内と外で世界が完全に断絶されていた。


「夏目、この檻外から猫に触れないんだけど」

「え!?」


 これでは猫を閉じ込めたのはいいものの、これ以上なにもできない。


 この空気の檻ごと持ち上げでもしたら、人目についた瞬間、怪奇現象の出来上がりだ。契約はさようなら。


 魔法は万能だが全能ではない。それを肌で実感する。


 想像力。人間の手だけ透過するような檻なんて普通は想像しない。だから俺の手も空気の俺に阻まれる。


「なにかほかの魔法は使えないか?」

「ダ、ダメです! この魔法を使っているうちは他の魔法は使えないんです!」


 魔法の複数発動はできないのか。


 想像力が具現化する魔法。2つ以上の魔法を同時に使うイメージが難しいってことか。


「つまり、他の魔法を使うためには1回この魔法を解除しなくちゃいけないんだな?」


 夏目は小さく首を縦に振った。


 白猫はさっきからずっと見えない壁に体当たりしている。


「だったら解除した瞬間に俺が気合いで捕まえる。夏目はその間に次の魔法を使ってくれ」

「すみません……お願いします。ですがどんな魔法がいいんでしょうか? 閉じ込めるのは失敗してしまいましたし」


 外部から猫の動きを封じることに失敗した。だったら次は、


「……眠らせる魔法とか使えないか?」

「眠らせる魔法……やってみます!」


 うっかり俺まで巻き込まないことを祈る。


「おっけー。じゃあ合図をしたら魔法を解除してくれ」


 夏目が頷くのを確認して、俺は全神経を集中して猫と向かい合う。


 そして改めて猫を凝視したことで気づく。こいつ……よく見たら可愛いな。目元のクリっとした感じとか夏目とよく似て……っていかん雑念が。


 しかし、猫は人を幸せにする力があるというし、もう人類全員が猫飼えば負の感情とか全部消え去るんじゃね? ああまた雑念が。


「……高坂君?」


 やばい、夏目がまだなんですかって目をしている。その瞳が目の前の白猫と似てるねってああ雑念が。


 こんな時は俺を煽っているときの天音さんの顔を思い浮かべろ……よし、冷静になれた。


 どんな雑念も一瞬で消してくれる天音さんパワー。さすが魔女。これはもはや魔法だろ。


「悪い。ちょっと集中しすぎて猫の可愛さが世界を救う可能性を考えてた」

「そうでしたか……え?」


 たぶん1回適当に相槌してから冷静に言葉を処理して、意味わかんないことに気づいた反応。


「よし、行くぞ夏目!! 魔法を解いてくれ!!」

「え!? あ、はい!!」


 世界の真理に突っ込まれないうちに、俺は夏目に魔法の解除を命じる。


 瞬間、歪んでいた空間が元の理に戻る。


 猫は見えない壁に体当たり。しかし空振りに終わって、態勢を崩したその一瞬を俺は見逃さない。


 光の速さで猫を掴んで持ち上げる。もちろん比喩表現。


「よし捕えた! 夏目!!」

「高坂君! 猫をしっかり押さえていてください!!」

「おう!」


 夏目が魔法の準備を始める。


「うおっ!? 暴れるなって!?」


 猫が俺の手の中でがむしゃらに精いっぱいの抵抗をする。


「夏目!? あとどれくらいだ!?」


 意外と押さえ続けるのがきつい。長くはもたないかもしれない。

「もう少しでイメージが固まります!」

「頼んだ! そろそろきつい!」


 俺が夏目に意識を向けた。その油断を奴は見逃さなかった。


 猫に向き直る。そこには俺の目の前で爪を出し、今にも俺を殺さんとする幸せの礎がいた。


 うーん、やっぱりよく見たら可愛いよなぁこいつ。


 どうも、こんにちは。世界は理不尽に満ちている。そう、今の俺のように。


 そして猫の鋭利な爪が勢いよく振り下ろされた。

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