第9話 魔法使いのお仕事③
「上野さん」
その魔法使いは優しい瞳を上野に向けた。
「たとえ新しく同じものを買ったとしても、初めてもらった思い出は今失くしたものにしかありませんよ」
「夏目ちゃん……」
「もう少し、頑張りませんか? 高坂君の言う通りです。大事なものなら簡単に諦めちゃダメです」
上野の手を取り、夏目が柔らかく笑いかけた。
「二人とも……ありがとね。頼んだ私が弱気になっちゃダメだよね。もう少し頑張ろっか!」
「はいよ。あと写真がほしいんだけど。ちょっとイメージが抜けかけてる」
「ごめん! 最初にやるべきだったね!」
上野がRINEで探すものの写真を送ってくれた。
誰とでも友達になる上野で助かった。俺クラスの女子の個人RINEとかあまり知らないし。
「じゃあもうちょっと頑張ろう!」
元気を取り戻した上野はまた颯爽走って行った。
その場には俺と夏目が残される。
「もう、使っていいんじゃないか?」
「はい。そのつもりです。見つけるのが最優先ですから。私の意地を通すのはここでおしまいです」
意志の強い目が俺を見つめる。
「写真、ありがとうございました。これでよりイメージができます」
「魔法は想像力なんだろ? だったら必要かと思っただけだ」
「では、周りの確認だけお願いします。大丈夫だとは思いますが、念のため」
そう言ったきり、夏目は目を閉じて静かに呼吸を整え始めた。
魔法は想像力。使おうとする魔法のイメージを自分の中で固めているんだろう。
俺は夏目に言われた通り、周りに視線を張り巡らせる。どんな魔法を使うかわからないけど、可能な限り人の目にはつかない方がいい。
いつどこに人の目があるかわからないんだ。もしかしたらのリスクにも警戒をする。バレたら記憶を消せばいいとか、最初から緊急手段には頼らない。
少しして、夏目がカッと目を大きく見開いた。その瞳はあの日と同じく瑠璃色に輝いている。
魔法を使う時、夏目の瞳は瑠璃色になる。そして夏目の周りを覆うように風が仄かに舞い上がり、彼女のスカートを小さく揺らす。例え無風のところでもこの現象は起こる。
これが魔法使い夏目梓が力を使う時の光景だ。
「行きます!」
その掛け声と同時に、夏目を中心として小さな風が波のように流れる。
草を揺らしながら進んでいくその光景は、まるでソナーのようだった。
周りには誰もいない。上野も何かに気づいた様子はない。
「……捉えました!」
夏目が迷いなく一直線に歩き始めたので、俺もそれについていく。
草むらをかき分け、夏目はただ真っすぐに歩みを進める。
「探知の魔法ってところか?」
歩きながら話しかける。
「そんなところです。写真と同じものを探知する魔法を想像しました」
「さすが魔法。なんでもありだな」
「だからこそ、頼り過ぎてはいけないんですよ」
夏目は歩みを止めて、近くの地面を探し始める。
そして拾い上げたのは、小さなストラップだった。
「なんか違うな……」
夏目が拾ったのはたしかにストラップだった。でも、上野がくれた写真とは違う、よくわからない謎のストラップだった。
え? これなに? 犬とか猫とか形容できない謎の何かなんだけど? このストラップどこで売ってんの?
「あれ……こんなはずでは……」
夏目は謎のストラップを見ながら首を傾げた。
「魔法は万能だけど全能じゃない。だったか?」
「……意地悪を言う人は嫌いです」
夏目は不貞腐れたように口を尖らせた。
あまり見ない表情なのでとても新鮮に感じる。
「悪かったよ。もう一回か?」
「そうですね。もっとイメージを固めます」
そうして再度夏目は魔法を発動した。
また歩き始めた彼女の後ろをついて行き、彼女は今度こそ目的の物を拾い上げた。
「ありましたね」
夏目はまるで自分のものように大事そうに上野の探し物を眺めていた。
「さすが魔法。持ち主に早く教えてやらないとな」
「そうですね」
そうして裏技を使って上野の探し物を見つけた俺たちは、報告のため早速上野のところへ向かった。
「夏目ちゃんありがとう! すごい! 本当に見つかったよ!」
上野は夏目の手をブンブン振って喜びを表している。
その姿を見ていると自然と頬が緩む。
「ほら、諦めなければ見つかりましたよ」
言葉は落ち着いている。だけど夏目は嬉しそうにニコニコしている。
なんだか夏目の方が上野より嬉しそうに見えるのはなんでだろうな。
思い出の品。夏目で言えば髪飾り。感じるものがあったのかな。
「うん! ありがとう! 本当にうれしいよ!」
「それはよかったです」
「高坂もありがとね! 諦めるなって言ってくれて!」
上野は眩しい笑顔を俺に向けた。輝いてるねぇ。
どちらかと言えば日の光を浴びる世界にいないものとしては、いささか直視し辛い輝き。
でも悪くない。どうやら俺の中にも達成感みたいなものがあるらしい。心地いい感情だ。
「大事なものならもう失くすなよ? 探すの結構しんどいんだからな」
「それはまた探してくれるってこと?」
「勘弁しろよ。もう失くさない方向で頼むわ」
「そうだね! もう失くさないよ。絶対」
上野はストラップを胸の前で包み込んだ。それはもう大事そうに。
なんだよ。やっぱり超大事なものだったじゃん。この嘘つきめ。知ってたけど。
「ともあれ一見落着だな。そんじゃ帰るか」
「はい。そうしましょうか」
ほんとにありがとね。別れ際にもう一度お礼を言って上野は先に帰って行った。
俺と夏目の荷物を教室に取りに行ってから帰る。
帰り道は途中まで一緒。協力関係を結ぶものどうし、コミュニケーションは大事。
若干日が傾き始めた河川敷。長い直線の先にある橋が俺たちの分かれ道。そこまでの道のりを並んで歩く。
遠くの土手の下では子供がキャッチボールをして遊んでいた。
「嘘を見抜いても、言わないんじゃなかったでしたか?」
少し棘のある言葉。だけど夏目の雰囲気は決して俺に対する悪意があるわけではなかった。
むしろその逆。言葉とは裏腹に、夏目は柔らかい雰囲気だった。
「そのはずだったんだけどな」
「私はいいと思いましたよ。嘘を知っているからこそ、確信を持って言える時もあります。優しさからくる看破はありです」
私はそう思います。と夏目は言う。
嘘を知っているからこそ。これもある種のチートみたいなものだな。
人が隠した本心を勝手に暴き出してしまうチート。心理系の戦いでは無敗を誇りそうな力。今まではただ疎んでいただけの能力だったけど、そうか、人のためにもなる使い方もあったんだな。新しい発見だ。たぶん、夏目といたからだな。
「まあこれからも適当にやるさ。魔法使いの仕事のためなら、使えるものはなんでも使う」
「素直じゃないですね。照れ隠しですか?」
「そんなつもりはないよ」
俺は嘘を吐いた。夏目の言う通り、照れ隠しだ。あまり素直に肯定されることってないからな。そりゃ照れる。
二人きりの帰り道。穏やかな時間が流れる。
常に会話をしているわけじゃない。だけど、不思議と苦ではなかった。
普通出会って間もない女子と二人きりの帰り道になったら、何話せばいいんだよ……って考えたり、黙っている空気は気まずいから何か話せないと! ってなるような気がしてた。
それでもこの静かな時間は意外と心地いい。夏目の纏うお淑やかな空気感が場を和ませているのか。
本当はもう少し仲良くなってからにしようかと思ったけど、この空気感なら訊けるかもな。魔法の話を聞いてから、いつかは夏目に訊きたいって思っていたことを。
ただ、静かな空間だ。話を切り出せそうなタイミングを計るか? この無言空間からの一発目ってちょっと勇気いるよな。
「何か話したいことがあるんですか?」
チラチラ横目で夏目を伺っていると、夏目が先手を打ってきた。
相変わらずの洞察力。でも今のはさすがに態度に出過ぎていたか。
「わかりやすかったか?」
「はい。とても」
「いつか夏目に訊きたいなってことがあったんだよ」
「なんでしょうか?」
夏目は可愛らしく首を傾げた。
「あの時なんで俺を助けてくれたんだ? 魔法がバレるリスクまで背負ってさ」
ずっと気になっていたこと。あの日、なんで夏目は俺を助けてくれたのか。
「願いを叶えるって目的があるなら、言い方は悪いがリスクは当然最小限に抑えるべきだ。あんなどこで誰かが見ているかわからない場所で魔法を使うのはリスクが大きすぎるって思ってさ。まあそのおかげで助かってる俺が言うのも変な話なんだけど」
助けてもらった男が言うそれではない言葉。だけどそれは俺の中で浮かんでいた疑問だった。
魔法使いは魔女の仕事を代行することで願いをひとつ叶えることができる。契約者である夏目の目的はそれだ。魔女と契約してまで叶えたい願いがあるのであれば、それが最優先事項になる。
そして魔法使いは魔法の存在を周りに知られてはいけない。もしバレた時は契約が破棄されて魔法に関わる一切を忘れてしまう。
魔法使いとはいいつつも、魔法の使用には常に一定のリスクが伴う。記憶を消せるとしてもだ。
その場合、あの場面で魔法を使った夏目の行動はとても非合理的だった。いくら緊急とは言え、自分の願いと天秤にかけて、ちょっと知り合っただけのクラスメイトを助ける方に舵を切ったんだ。
俺ならできたか? 夏目は目撃者の記憶を消してやり過ごそうとしたけど、俺ならその選択ができたか? わからない。
考えはするだろう。魔法を使えば助けられると。だけど、やはりそこで願いのことが頭でちらついて躊躇ってしまう。その一瞬の時間できっと相手は事故に遭っておしまいだ。
だからこそ気になってしまう。夏目がどうしてそんな決断を咄嗟にできたのか。
俺とは違う。その考え方を。
「あの時はリスクなんて考えていませんでしたよ。ただ必死で、気づいたら魔法を使っていました」
「考えなかったのか? これで願いが叶わなくなるかもしれないって」
「今思えばそうでしたよね。高坂君の記憶が消えなくてすごい焦りましたし、もう終わったと思いました」
「だったらなんで――」
「ですが、私の力で救える命と私の願い。そんなものは最初から比べるまでもありません」
俺の言葉を遮るように夏目が言葉を被せた。
「目の前に私の力で救える命がある。それなのに私は私のために誰かを見捨てたら、私は一生私を許せなくなります。願いは大切です。だけど、その前に私は自分を誇れる私でありたい。それだけですよ」
「…………」
そうか。夏目の中には明確な答えが最初からあったんだ。自分を誇れる自分でありたい。きっと夏目が大切にしている思いなんだ。最初から魔法に頼り切らないのも、この意志が根底にあるからこそくる考えなのかもしれない。
それに比べて俺の器のなんと小さいことか。損得とかリスクとか考えている時点で間違ってたのかもしれない。
目の前で救える命があるなら救う。人として正しい気持ちを夏目は持っていた。
まったく、俺って奴は冷たい人間だな。軽く自己嫌悪。
だけど同時に、夏目の願いを叶えてやりたいって気持ちも出てきた。
「そっか。夏目がいいやつだってわかったよ」
「いい人……ですか」
夏目は正しく、そして眩しい。その彼女が叶えたい願いを、応援したくなった。これは素直な気持ちだ。
長い河川敷が終わり、分かれ道の橋までやってきた。
夏目は橋を渡り、俺は渡らない。
「ではお別れですね」
「そうだな。今日もまたひとつ悩める者を救ったわけだ。こう言っていいのかわからないけど、今結構楽しいよ」
非日常の世界は日常より刺激的で毎日が駆け抜けていく。まだ夏目と行動を共にして数日だけど、今までの日常よりもはるかに流れが速い。
「そうですね。誰かと一緒だと私も楽しく頑張れます」
「それはなにより」
夏目と一緒に人助けをしているのは楽しい。だから時間の流れも速く感じる。
そして彼女もそう思っていてくれたことがなんだか嬉しかった。
「ですが高坂君。別れる前にひとつだけ訂正しないといけないことがあります」
「ん? なんだ?」
「私は……決していい人ではありませんよ」
「…………」
それでは、また明日。そのまま流れるように夏目はきびすを返して去って行った。
突然のカミングアウトに挨拶をし損ねてしまった。
ただ穏やかに、俺の目を見て微笑みながら、彼女は自分を否定した。
そんな夏目の言葉には、一切嘘が含まれていなかった。
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