第3話 夏目梓②
「凄いよな。まだ転校して2週間程度なのに、もうあんなに仲良さそうに話してる。俺には無理だ」
視線の先にいる夏目を見ながら、俺は感嘆の声を漏らした。
「いいよなぁ、夏目ちゃん。あの子俺にも笑顔で話しかけてくれたんだぜ? 女神かと思ったね。思わず7股に挑戦しようかと考えたくらいだ」
「そんなことしてみろ。愛しい彼女たちより先にクラスの女子に埋められるぞ」
「その時はいっそのこと一撃で殺して欲しいな」
「もうその心ごと夏目に浄化してもらったらどうだ。真人間になれるぞきっと」
「俺は今でも真人間だ。人よりちょっと正直に生きているだけ」
そんな会話をしながら、俺の視線は仲良く談笑している彼女に釘付けだった。
夏目梓。夏休みの終わり際、胡散臭いと俺の中で評判のバイト先に現れた物好きな女の子。その子は今転校生として俺のクラスにいる。そして俺の隣の席。
たった一度、それも一瞬しか会っていないが、彼女は俺を覚えていた。俺を見つけた時の彼女はとても嬉しそうに見えた。
転校生というものは、いきなり知らない人の群れ、それも既にある程度関係が構築された世界へ体ひとつで飛び込まされる。新たな世界への期待と不安。うまくやれるかどうか、不安の方が大きいだろう。そんな時、少しでも知っている人が居れば安堵するのは当然のことか。
そして今はそれだけの、ただのクラスメイトの関係ではなくなった。ついこの間、彼女に命を救われたその日から。
夏目と目が合う。彼女は一度小首を傾げると、友達と一言二言交わしてからこちらにやってきた。
「高坂君、何かご用でしたか?」
夏目はにっこりと優しい笑みを浮かべる。
「悪い、特に用ってわけじゃないんだ」
「そうですか。私のこと見つめていたように見えたので、てっきり用事があるのかと思いましたが」
やばい、見つめていたのがばれてたか。いやほんとに理由なんかなくてただ可愛いなぁとかそんなこと思ってただけなんて恥ずかしくて言えない。
「夏目ちゃんは可愛いから自然と目を引いちゃうんだよ。このむっつり大雅くんでさえもな」
「誰がむっつりか」
でも助かったぞ雄平。
「立花君はいつも私を褒めてくれますね。ありがとうございます」
夏目は雄平にも柔らかい笑顔を向けた。
「はあ……幸せ」
「お、よかったな雄平。おまけに女子たちから凄い殺意向けられてるぞ」
しかし、今をときめく転校生。その笑顔の代償は高いようで、雄平は関係のない俺でさえ思わず引きつってしまう程の憎悪を女子たちから向けられている。
お前ごときが夏目さんと話すんじゃねぇ。言葉にするとこんなところか。
「いやぁ、人気者はつらいねまったく」
しかし雄平は動じるどころかなぜか鼻を高くしている。
このメンタリティだけは見習うべきかもしれない。
「噂に聞いたんですが、立花君は複数の女の子と付き合っているのは本当ですか?」
そういえば、と夏目は軽蔑するわけではなく、純粋な疑問といった感じで訊いた。
「本当だぜ。なんたって、俺は愛に正直な男だからな!」
対する雄平も、何も悪びれる様子もなく堂々とクズ発言をお返しした。
夏目に対してもブレないその姿勢。清々しいが、クズはクズに変わりない。爽やかな笑顔に騙されてはいけない。
このクズ発言を受けて、夏目はなんて返すのか気になる。他の女子みたいにゴミを見る目で雄平を見るようになるのか。それとも、
「なるほど。その正直な心は立花君のいいところですね」
「夏目ちゃんわかってる!! そうだよな! 正直な心って大事だよな!!」
「ですが私はそれでも一人に絞った方がいいと思いますね。誰か一人への一途な思い。私はそっちの方が素敵だと思います」
「そこは見解の相違だな」
やはり、夏目は他の女子とは少し違った反応をした。
夏目がわずか1週間ほどでクラスに溶け込めた理由のひとつ、それは相手の懐に上手く入りこむ洞察力だ。
今も雄平が欲しかった言葉を選んで発言したように見える。会話の中から相手の欲しい言葉を見つけ、それを言う。すると相手はこの人は自分のことをわかってくれていると心を開く。
それを自然にやってのけるから夏目は凄い。相手を見る力が段違いに強い。
「夏目ちゃんおはよ~!。ついでに高坂もおはよ」
通りすがりにクラスメイトの上野が夏目と俺に挨拶をした。夏目と俺で言葉のトーンが違う。
当然俺の前には雄平がいるけど、上野の視界には映っていないらしい。これが女子に嫌われるってこと。元からそこに存在していないものとして扱われる。
「俺はついでかよ。おはよう」
「おはようございます上野さん。今日は良いことあったんですか?」
「おーい上野、立花さんもいますよ~」
「え、さすが夏目ちゃん! そうなんだよ聞いてよ~! 実はさ〜!」
ナチュラルに雄平を無視して、上野は夏目に彼氏ができたことを嬉しそうに報告していた。
そう、これだ。やっぱり夏目の洞察力はすごい。今の挨拶だけでなぜ上野に良いことがあったとわかるのか。
「お、ハニーからメッセージ来てる。ちょっと電話してくるわ」
「行ってら。もうすぐ始業だけど大丈夫か?」
「そんな長電話するつもりもねぇよ。ま、遅刻と彼女なら彼女取るからいなくても気にするな。いつものことだし!」
じゃあ行ってくるわ、と雄平は携帯片手に教室を後にした。
雄平がいなくなり、気づけば俺の席の周りは女子で溢れかえっていた。上野の彼氏できましたトークに吸い寄せられてきたらしい。他人の恋バナは花の蜜ってか。そしてその中心には夏目がいる。
なんか流れで俺も聞いちゃってるけど大丈夫なのかな。
この手の話は男子禁制って感じがしてちょっと気まずい。
だから俺は始業のチャイムがなるまで、眠くもないのに寝たふりをしてやり過ごした。
始業のチャイムが鳴り、みんなが解散していくのか雰囲気でわかる。
俺の席にもやっと平穏が戻り、寝たふりをしていた体を起こす。
「すみません。恋バナが盛り上がってしまいました」
隣に座った夏目が申し訳なさそうに笑う。
夏目も恋バナは好きなんだろうか。
先生はいないやつを確認していた。雄平のやつは……いないか。
「別に気にしなくていいよ。それにしても、あの挨拶だけでよく上野にいいことがあったってわかったな」
「はい。上野さんの挨拶の声がいつもより元気でしたので」
「え、まじかよ……」
「あ、その感じはまったく信じていませんね?」
夏目は可愛らしく頬を膨らませて抗議の視線を送る。
「いや、そういうわけじゃなくて。本当によく見てんだなって思って言葉が出なかった」
俺は取り繕うように言葉を並べた。
「なるほど、高坂君は私の洞察力が高すぎることに疑問を抱いているんですね?」
「!?」
核心をつくように夏目が言葉を発し、俺は言葉を失った。
こんなのまるで――
「こんなのまるで、心の声が聞こえているんじゃないか? と思っていますね」
「な、なんで?」
どうしてわかったんだ?
「ふふ……高坂君は顔に出やすいですよ」
夏目は楽しそうに笑う。
夏目の洞察力に疑問を持っている。それはそれとして、やっぱり可愛いよなぁ。
その笑顔には人を魅了する何かが含まれていそうな気になる。
「……そんなにジッと見つめられると照れてしまいます」
夏目は恥ずかしそうに目を伏せた。顔も少し赤い。
「あ、いや、悪い!?」
なんだか俺も急に恥ずかしくなって目を逸らした。
「おいこら立花。また遅刻か……」
「学校にはいたんですけどね。ちょっと外せない用事がありまして! すんません!!」
「お前なぁ……」
そうして目を逸らした先では、電話を終えて帰ってきた雄平が先生に呆れられていた。
雄平はわざとらしく頭を下げる。誰もが全然反省しなないとわかる雑な動きだ。
しょっちゅう起きるイベントだから、先生も若干諦めているんだろう。
「話は変わりますが、高坂君は今日も大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。天音さんからも夏目優先でオッケーもらってる」
「では、今日もお願いします」
普段通りの穏やかな笑顔に戻った夏目。
俺と夏目はあることを一緒にやっている。
だがそれを説明するには、俺が夏目に助けてもらったあの日まで遡らないといけない。
魔法使い夏目梓。そして俺が彼女の仕事を手伝うことになるまでの話を。
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