魔法使い夏目梓
第2話 夏目梓①
白くモヤがかかった世界。視界がいつもより低い。自分の姿を映すものがないから今の状況がわからない。ただ、服装を見れば、それは俺が小学生の時によく好んで着ていた服だった。
自分の知らない景色。そのはずなのに、どこか既視感を覚えている。
生い茂る木々。天然の青い芝。それら全てに懐かしさを感じていた。俺の知らない世界なのに。
「…………」
どこかで誰かが俺を呼ぶ。
どこだ? 見渡しても声の主はどこにも居ない。木々と芝以外は何もない空間。走り出そうにも足が何かに掴まれているかのようにビクともしない。
俺はその声を知っている。知っていることだけはわかる。わかるのに、何もわからない矛盾を抱えている。君は誰だ。俺を呼ぶその声は。
「…………」
声はずっと聞こえている。何を言っているかわからないのに、俺を呼んでいるのは確かなんだ。
白いモヤが濃くなり、やがて夢の世界を覆いつくす。
待ってくれ。何か大事なことのような気がするんだ。
声を出そうとして、俺は自分の声が出ていないことに気づいた。
景色が全て遠ざかっていく。その空間から引き離されるみたいに、俺の体は不思議な力に引っ張られる。
それに抗う術を俺は持っていない。そう、これは覚醒の時だ。
朝の学校。俺は自分の席で今朝の夢について考えていた。
なぜだか今日の夢は鮮明に覚えている。
夢なんてやつは突拍子もないものが多い。学校にやってきたテロリストを自分が格好良くやっつける世界。ファンタジーな空間で可愛いヒロインといちゃいちゃする世界。夢は非現実的で、起きた時には大体の内容を忘れているのが普通だ。
俺も今まではそうだった。起きたらなんの夢かなんて大体忘れている。
でも今日は違う。俺は鮮明に覚えている。生い茂る木々。青い芝。そして俺を呼ぶ声。嫌に現実的な夢。
だからこそ、俺はその不思議な夢が気になっていた。
「大雅~」
そもそも、俺はあれが夢であると自覚していた。夢を夢だと自覚しながら過ごす。今の今までそんなことは無かった。
明晰夢。知識としては知っていたけど、いざ体験してみると不思議な世界だった。
「大雅く~ん?」
明晰夢を見るのに条件とかあるんだろうか?
こんな夢を見たいとか思って見れるほど人の脳みそは都合よくないだろうし、別に見たかった夢でもない。
いや、でも果たして本当にそうだろうか。見たくなかったわけじゃない。俺はあの世界にどこか懐かしさを覚えていたのは事実だ。
しかし俺は夢の景色に見覚えはない。
だめだ、考えれば考えるほどドツボにはまっていくような気がする。なんか、気持ち悪いな。もっとはっきり見せてくれればいいものを、焦らしプレイがお好きな夢だ。
おかげさまで悶々して仕方ない。人間の心理をよくわかっている。ちょっとだけ見せられたら、もっと先を知りたくなるじゃないか。
「大雅ぁ……無視しないでくれよ~」
色々と頭の中に思考を巡らせていると、目の前にはなぜか泣き出しそうなイケメンが立っていた。
「ああ雄平。おはよう」
朝から憎たらしいほど整った顔がこんにちは。いや、おはようございますか。
この無駄に整った面をしている男は立花雄平。
中学からの付き合いで、なんだかんだ高校2年生の今までずっと同じクラスになっている。ある意味腐れ縁。
「おはようさん。それよかなんで無視したんだよぉ」
甘ったれた声で語りかけられる。かわいい女の子ならいざ知らず、イケメンにねっとりした甘え声で話しかけられると殺意がわくのはなんでだろう。
「無視したつもりはないんだけど、もしかしてさっきから話しかけてた?」
雄平はそうだぞと首を縦に振った。
「何回か呼んだのに珍しく真面目な顔して無視してるから、俺とうとう捨てられたかと思って焦ったんだぞ!?」
「なんでそんなネガティブなんだよ」
「そりゃお前俺がクラスでなんて言われているか知ってるだろ?」
雄平は自嘲気味に乾いた笑いを漏らした。
「歩く環境汚染だっけ?」
「え……今はそんな風に呼ばれてんの?」
「確か齋藤がこの前そんなこと言ってた気がする。お前が息してることが地球環境に悪いって言ってたぞ」
齋藤はクラスの女子。今はクラスの子と仲良く話しているが、雄平の話をするときの目は今思い出してもゾッとする。感情の無い目ってあんなに黒いんだな。
「それ遠回しに死ねって言ってるのでは!?」
「そこそこ直球だと思うぞ」
と言っても、普通のイケメンならここまで酷いことは言われない。
この雄平という男は、自分がイケメンであることを理解していて、なおかつそれを謙遜することはしない。まあ明らかにイケメンなのにそれをわかった上で否定し続ける人よりは真っ直ぐで好感を持てる。
それだけならまだ可愛いもので、こいつが女子に死ぬほど嫌われる理由はそこではない。
「お前が真っ当な人間になればもう少し風当たりも優しくなるんじゃないか?」
「何言ってんだよ。俺はいつでも真っ当に正直に生きているぞ」
「その結果が5股か?」
「いや、今は6股だな!」
そんなクズ発言をどうしてこうも晴れやかな笑顔で言えるんだろうか。
そんなんだからクラスの女子に総スカン食らってんだろ。
「やっぱ俺が出会った中でお前が一番正直者で、そして一番クズだな」
「よせやいそんなに褒めるなよ。照れるじゃねぇか」
だからなんでそんなに嬉しそうなんだよお前は。一切褒めてなかったぞ俺は。
「……俺もそろそろ見切り付けようかな」
「待て大雅! お前に見捨てられたら俺は誰と友達になればいいんだよ!?」
「さあ? まあイケメンだから何とかなるだろ。実は俺も最近色んな奴に早く立花とは縁切った方がいいって言われてるんだよな。だからそろそろ潮時かなって」
雄平はモテる。それは事実だ。モテる男は往々にして男子から恨みを買う。これで性格がイケメンなら男子も軽口を叩きつつも仲良くしていたことだろう。性格がまともなら。
だがこの通り雄平は複数の女の子と付き合い、それを堂々と公言している正真正銘のクズだ。複数の女子と付き合っているクズの時点でまず女子からは敵視されている。そして男子からもなんでこんなクズがモテるんだとヘイトを買って無事雄平は孤立している。
イケメンとは言えなんでも許されるわけではないようだ。常識人が多くて助かる。さすがまともな高校。
県立桜川高校。この桜木市にある中では上位に入る進学校。こんなクズが紛れ込めるのでトップではない。
「考え直せ大雅。お前もそんなに友達多い方じゃないだろ?」
まあ確かに俺もクラス全員友達! って感じではない。
「少なくともお前より友達はいるから安心しろ。お前ひとり居なくなったところで俺は困らない」
「俺が困るんだよ!! 本当にボッチになっちまうじゃねぇか!!」
「だったら今からでも生き方を見直したらどうだ? 誰か一人に絞れよ」
「それができたら苦労しないだろ。彼女たちはみんな俺のことを好きって言ってくれてるんだぞ。そん中から一番を選ぶなんて俺にはできん」
「そうして最悪の選択をしていると。いつか全員泣くぞ」
「一人選ぶ方が俺にとっては最悪の選択だ。誰かを選んだら、その時点で選ばれなかった誰かが悲しむだろ?」
「はいはい。そもそも彼女たちはお前が6股してるの知ってるの?」
「当たり前だろ。俺は何も包み隠さない。それでも愛してくれる子達を俺も愛しているんだ!」
「そういう常識に縛られないお前の発想には時々感心するよ。いつか彼女たちの気が変わって刺されないように気をつけろよ」
「彼女たちの誰かに刺されるならそれも悪くないな」
雄平はカラッと笑う。
なんとなくだが、こいつがモテる理由もわかるんだよなぁ。
まあ見るからにクズなんだが、それなのにどこか憎めない雰囲気を持っている。こいつはどこまでも自分に正直に生きている。現に、これまでの会話でこいつは何ひとつ嘘を吐いていない。
どこまでも真っ直ぐな男、サシで話していても一切の嘘が無いこの男は、俺にとっては一緒にいて過ごしやすい男でもあるんだ。
腐れ縁としては、いつかは真人間になって欲しいんだけど、こればっかりは本人の意思のよるものだから仕方ない。
「お前に見切りをつけるってのは冗談だよ。真っ当に生きてほしいとは思うけど」
雄平は良かったぁ、と心から安心して肩を撫で下ろした。
そんなに心配するならさっさと真人間になればいいのに。
「で、俺に見切りをつけるわけじゃないなら大雅はなんで朝からそんな真剣な顔してたんだよ。生理か?」
「それ周りの女子に言ったら間違いなく嫌われるぞ」
「もうここでは嫌われてるから問題ないな」
「それもそうか」
だからって言っていいかと言われたら違うような気がした。
これ以上は突っ込まず、俺は今朝見た夢のことを雄平に話した。
知らない場所だけどなぜか見覚えがある景色のこと。誰か聞き覚えのある声に呼ばれたことなどなど。
「明晰夢ねぇ。なんかわからねぇけど、大雅が真面目な顔してるのは珍しかったな」
「そうか?」
「お前はみんなでいるときは楽しそうに笑うけど、一人の時は結構つまんなそうな顔してるからな。だから真剣に悩んでる姿は珍しかったんだよ」
「俺普段つまんなそうな顔してた?」
「クラスのやつがなんていうかは知らないけど、腐れ縁にはわかるんだよ」
そんなもんかと言えば、雄平はそんなもんだと返す。
はぐらかしたけど、雄平が言っていることは間違っていない。
クラスのみんなと話すのも、遊ぶのも楽しい。変な店長がいるバイト先で働いて、普通の高校生活を送る。それ自体はとても楽しいことだ。
だがふとした時に気づいてしまう。その楽しい感情で満たされていない自分がいることに。
心に穴が空いているような、何かが足りない感覚。上手く言葉にできない。だけど何かが欠けている。ずっと満たされない何かがある。
そんなモヤモヤがいつも俺の心に付き纏っている。この感情と付き合い始めたのはいつだろうか。
まあ、俺はその答えを求めて非日常の世界に足を踏み入れたわけだけど。
「にしても、夏目ちゃんは早くもクラスの中心ですか」
話を変えるように、雄平はクラスの一角を見やった。
その中心にはクラスの女子たちと楽しそうに話す一人の女の子の姿。
俺と秘密を共有する美少女転校生、夏目梓がいた。
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