魔女と異端の魔法使い

国産タケノコ

梓の章

プロローグ

第1話 転校生の秘密

「危ない!」


 人通りの少ない路地。目の前には俺が突き飛ばした少年。横からはスピードに乗ったトラックが俺をお出迎え。俺は少年を突き飛ばした反動で動けない。どうする? 


 世界がスローモーションになり、俺の思考だけが加速していく。走馬灯? まあせっかく思考がゆっくりになったなら最後の反省でもするか。人間、どうしようもなくなると案外冷静になるみたいだ。


 まず、なんでこうなったのか。俺はアルバイト先へ向かう途中だった。この道はいつも人通りが少なく、なおかつ車もめったに通らない。子供もきっと車が来るとか思ってなかっただろうな。だから何も気にせず曲がり角から飛び出したりしたんだ。


 これは全て運が悪かっただけ。たまたま子供が曲がり角から飛び出して、たまたまめったに通らない車が通り、そしてそこにたまたま俺がいた。なんで助けてしまったんだろうとか、そんな後悔はない。気づいたら体が動いていた。きっと母さんのおかげかな。


 そう、これは運が悪かっただけ。たまたまあの日俺が母さんに助けられたときと同じ状況になって、体が勝手に動いただけ。今度は俺が子供を助ける番になった、ただそれだけのこと。


 車が急ブレーキをかけて、地面とタイヤが擦れて高く汚い音楽を奏でる。ああ、もうここで俺は終わりか。ごめんな父さん、結衣。先立つ息子をお許しください。


 いよいよ最後の刻が迫り、目を閉じて誰に感謝の言葉を伝えようか考えていた。その時――


「だめえええええええええええ!!」


 死の間際、どこからか耳をつんざくような必死な叫び声が聞こえた。


「な、なんだ――!?」


 それと同時、なにかに体を掴まれる感覚。周りを見る余裕なんてない。だけど、さっきまで俺と少年以外に人はいなかったはず。


 なのに俺の体は不自然な力に引っ張られ、物理法則を無視して宙を舞う。


 そして勢いそのままで地面を転がり、今まさに俺のいた場所をトラックが通り過ぎていった。


 俺は地面を転がったまま、ただその光景を茫然と眺めていた。


「な、なにが起きたんだ!? というか身体がいてぇ!?」


 痛みで我に返れば、転がった反動で体が悲鳴を上げていた。それでも生きているだけマシか。絶対死んだと思ったのに、まさか土壇場で誰か俺を弾き飛ばしたのか!? いや、でも俺のいたところに人影なんかなかった。じゃあなんだよこれ? 意味がわからなくて頭が混乱している。


高坂こうさか君!」


 声の方を見れば、俺と同じ高校の制服に身を包んだ少女が、スカートの揺れも気にせずに俺のところへ駆けてくる。


 肩下まであるサラッとした艶のある髪を揺らし、一心不乱に俺のもとへとやってきた。


「な、夏目なつめ!?」


 前髪に子供っぽい流れ星の髪飾りを着けた少女。どこか幼さが残りつつも、可愛らしい美貌を備えた転校生、夏目梓なつめあずさがそこにいた。


 夏目梓。この2学期から俺の通う高校に転校してきた美少女。


 俺の隣の席に座っている。だから雑談くらいはしていたけど、特筆して仲がいいかと言えばそうではない。


 そんな彼女はなぜか必死な形相で俺を見る。


 なぜここに? まず浮かんできた疑問はそれだった。


「大丈夫ですか!?」

「あ、ああ……これが大丈夫に見える?」


 制服は転がった拍子でだいぶ汚れている。あと体が痛い。見るからに大丈夫じゃない。


 死にかけたのに意外と俺は落ち着いていた。たぶん何が起きたのかわからな過ぎて脳の処理が追い付いていないだけなんだろう。今も頭の中では様々な思考が駆け巡っている。なんで夏目が? 俺に何が起きたんだ? とか色々。


「そんな冗談言っている場合ですか!! 何してるんですか!? 死ぬところだったんですよ!?」

「いや、まあそうは言うけどさ。子供を助けるためだったんだから仕方ないと言うか……」

「それは……立派なことですが……」

「なんかよくわかんないけど結果的に生きてるからさ。それでいいんじゃないか?」


 死ぬところだった。その通りだ。でも俺は生きている。だからなんで生きてる?


 絶対に助かるはずがなかった。そんなのあの状況なら誰だってわかる。


 じゃあなんで? たぶん事故の直前に叫んだのは夏目だ。声が同じだった。その後、俺は何かに引っ張り上げられるようにして助けられた。何かってなんだよ。掴まれていたところを見ても何もない。それが逆に不気味で仕方なかった。俺は何に助けられたんだ?


「お兄ちゃん!!」

「おい生きてるか!?」


 俺が助けた少年と、おそらくトラックの運転手も俺のところに駆け寄ってくる。


「生きてるからよし……そう、ですね。今はそれで納得しましょう。ですが奇跡は、誰の記憶にも残ってはいけない」

「夏目……?」


 彼女のよくわからない言葉が気になった。


 だけど、俺がもっと気になっていたのはそんな夏目の言葉ではなく、彼女の瞳にあった。彼女の瞳は透き通った瑠璃色に輝いている。とても普通の眼ではない。

 

 そして風もないのに、彼女のスカートはまるで下からの風に煽られているかのように小さくはためいている。


「さあ……奇跡は全て忘れましょう。魔法は……一般人には知られてはいけない世界。緊急事態だったので、あの人との約束を破ってしまいました。だから……ごめんなさい」


 静かに呟き、夏目はパンっと一度手を叩く。


 すると少年と運転手さんの動きがピタッと止まり、二人の瞳からは光が消えた。まるで魂のこもっていない人形のように、目は虚ろで生を感じない。


 また、不思議なことが起きている。そしてそれを引き起こしているのは間違いなく夏目だ。それだけはわかる。


 俺は目の前で起きた異様な現実に、ただ呆けることしかできなかった。


 やがて、二人の瞳に光りが戻る。だけど、


「あれ、俺ここで何してんだ?」

「ぼく……なんでここにいるんだろう?」


 二人はなぜ今自分たちがここにいるのかわかっていなかった。


 車に轢かれそうだったことも、車で轢きそうだったことも。まるで部分的に記憶が抜け落ちている。どうして自分がここにいるのか、その理由がわからず困ったように首を捻っていた。


「なんで車降りてんだ……やべっ、仕事戻らねぇと!」

「ぼくも早く家に帰らないと!」


 二人は何も疑問に思わず、そのままそそくさと退散していった。


 ほんと、どうなってんだよこれ。さっきから理解の追い付かないことが多すぎる。


「非常事態でしたが、目撃者が少なくて助かりました。魔法の存在は一般の方に知られるわけにはいきませんから。少し申し訳ないですが、これで問題ありませんね」


 誰に言うわけでもなく、独り言のように夏目は呟く。


 なんかさっきから当たり前のように魔法とか言ってるけど、この転校生さんはどうしたんだ?   


 これ、突っ込んでいいのか? 


 魔法って……ここ現実世界だぞ? 剣と魔法の世界じゃないぞ。でも、だ。


「高坂君の記憶も消えているはずですから、これで万事解決です」

「あの……」

「高坂君。ここで何があったか覚えていますか?」


 俺の声に反応して夏目が振り向く。


 夏目は俺の記憶が消えているか確認するつもりで言っているんだろう。


 彼女の言葉の通りなら、今彼女は記憶消去の魔法を使ったってことになる。


 にわかに信じがたいけど、さっきの不可思議な物理法則と言い、信じざるを得ないような現象が二回も起きている。


「…………」

「大丈夫ですか? 記憶が混濁しているんですか? もしかしたら転んだ拍子に頭を打ったかもしれませんね」


 心配そうに俺を見る夏目。彼女の中で、俺は勝手に転んだ設定らしい。ちょっと無理があるんじゃないでしょうか夏目さん。ただ転んだくらいじゃここまで制服は汚くならないよ。


「いや……そうじゃなくて」

「どこか痛いんですか!? ……あれ?」


 見りゃわかるだろうけど全身痛いわ。


 そして夏目の表情が急に険しくなった。


「あのな……夏目……全部覚えてる」

「……はい?」


 夏目の表情が固まる。


「全部覚えてるし、夏目の独り言も聞こえた。魔法がどうのこうのってやつ。俺を助けてくれたのも、夏目の魔法なんだよな?」


 今しがた起きた不可思議な現象を言葉で表現するなら、これ以上適切なものが見つからなかった。


「……ほえ? ちょっと待ってください。冗談を言っているわけではないんですよね?」

「冗談の方がよかった?」


 でも全部覚えてるしなぁ。


「嘘……本当に覚えているんですか……」

「その、なんだ。とりあえずありがとう。なんでもいいけど助かったよ」


 なにはともあれ、俺は夏目に命を救われたようだ。


 どれだけ不思議な現象だとしても、その事実だけは変わらない。感謝の言葉は何回言っても尽きない。


 だからまずは一言。命の恩人へお礼を告げた。


「いや……えっと……ええええええええ!?」


 誰もいない路地裏。学校では聞いたことのない彼女の叫び声が響き渡る。


 これは、そんな彼女を困ったように見つめる俺、高坂大雅こうさかたいがと夏目梓の物語。


 一般人と魔法使い。二人の願いと想いが交錯する、優しい奇跡の物語。


 その始まりの1ページ目だった。




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