Report 6 人工物と海の果てに関して


「これは……船?」

「——」


 妙なクラゲに誘われて泳いだ先にあったのは、木造の大きな船だった。ガレー船、って言うんだっけ。船底にオールを漕ぐ部分がある形の船だ。海流に晒されてボロボロになっている、んだと思う。何せ大きな船を初めて見たものだからこれがどんな船なのかはよく分からないんだけど、川に流れる舟を思い出す限り、船底に大きな穴が空いているのは元からってわけじゃないのは分かる。

 どうも長年ここにあるらしく、藻が絡んだりそこに魚が住み着いたりしてる。だから知的生命体の気配は無いんだけど……ここが船で来れる範囲だっていう証明にはなるかな。よほど激しい海流で押し流されてきたんじゃなければ、って前提もいるけど。


「……ここは君の住処?」

「——」


 クラゲに聞いてみるとふるふると横に揺れる。肯定の時は縦に揺れてたから、これは否定かな。


「じゃあ……そもそも、僕を連れてきた目的地はこの船であってる?」


 縦に揺れる。


「僕をここに連れてきたのは、この船で僕に何かしてほしいから?」


 曖昧に傾く。微妙、と言ったところかな。


「僕のために連れてきた?」


 縦に揺れる。


「……僕が人工物を探してたから?」


 縦に揺れる。


「でもそれ、僕は君に伝えてないよね……」


 縦に揺れてから触手が妙な動きをする。僕を指しているような、自分の頭——じゃないんだっけ? クラゲの身体の構造は分からないけど、上側の膨れた部分に脳は無いって聞いたような気がする——を指しているような、不可解な動きだ。


「……ごめん、分からない」


 肯定否定ぐらいなら分かるんだけど、それ以上のコミュニケーションは身振りだけじゃ苦しいものがある。クラゲも諦めたのか残念そうにふるふると震えてから僕に道を譲った。


「ええと……好きに使っていいんだよね」

「——」


 ふよふよと縦に揺れて肯定してくれているので、遠慮なく船に踏み入る……もとい泳ぎ入る。ホムンクルスの視力が暗い船内も見通してくれた。

中までしっかり海水に満たされた船の中は、存外に荒れていない。そういえば研究者の一人が海底から引き上げたワインを好んでいたっけ。深海は温度が一定だから品質保持にはうってつけなんだとか何とか……いや、でもワインは樽やガラスに覆われているから無事なのであって、海水と海流に晒されている船がここまで形を保っているのは不思議な感じがするけど。


 まあ、丈夫な分には都合がいい。手頃な棒を拾って振ると抵抗が凄い。剣と思うより槍と思った方がいいな……と考えて、そういえば海で狩りをする人たちは銛なる道具を使うんだっけ、と思い出した。生前の村では使ったことがなかったけれど、それこそ槍の要領でいいなら使えると思う。

 船内をそれとなく探してみると、恐らくその銛だったと思われる金具が見つかった。柄の部分はひしゃげていたけれど、拾った棒と組み合わせれば一応使えそうだ。金具ははめ込むだけの形だったからそんなに苦労はしない。


 操舵室にあった地図らしきものは生憎滲んで千切れて欠片ほどしか残っていなかった。いくら状態がいい船とは言っても紙は耐えきれなかったらしい。

 船長室と思しき部屋には鍵が掛かっていたけれど、錠を引っ張ると木製の部品がぼろぼろと崩れた。遠慮なく入らせてもらうと、錆びた鉄製の煙管と鳥籠、そして古い貨幣が見つかった。丁度いいので鳥籠をバッグ代わりに使わせてもらおう。そこに貨幣を詰め込んで、即席の銛と鳥籠を手に適当な窓から外に出た。



 船の外にはあのクラゲがまだ浮かんでいて、僕を元の島へ連れて行ってくれるようだった。

 でも僕としてはそれよりも……。


「ねぇ。もし人間がいるところを知ってたら、そっちに連れて行ってほしいんだけど」


 このクラゲが言葉を理解する程度に賢いことはもう分かっている。だからそう頼んでみると、クラゲは首を傾げるように斜めに傾いて、それからふよふよと泳ぎ始めた。案内してくれるらしい。

 いざ付いていこうと思ったら、クラゲはとある一点で止まって、触手の一本でその先を示して僕を振り返った(と、思う)。僕が首を傾げると、クラゲは道を譲るように少しずれて、その先を指差し続けている。


「……君は行けない、ってことかな」

「——」


 何となくそう思って聞いてみると、クラゲは縦に揺れた。何故かは分からないけど、どうもそうらしい。

 それからクラゲは、改めて行く先を指し示してから、二本の触手をうにょんと広く広げた。まるで人間が両腕を広げたような姿だ。


「大きい……長い……遠い?」

「——!」


 連想できる言葉をいくつか並べると、横に揺れ、曖昧に傾き、そして縦に揺れながら声らしき音を発した。恐らく人間のいるところまでは遠いと言いたいのだと思う。まあ、日数は僕個人にとって大した問題ではない。ホムンクルスの身体は無理をするに適しているからね……。

 ニックの安否だけが心配なんだけど、彼も頭が悪いわけじゃないから、自由に動ける範囲でなら生き延びていけるはずだ。もし凶暴な魚に襲われてたら厳しいかもしれないけど……そもそもそんな奴と対峙したら僕も生き延びられないしなぁ。どこかに流れ着いてくれていると信じるほかないと思う。

 だから僕は、この長い道のりを泳いで行って、準備を整えるなり助けを求めるなりするべきなのだ。


「そっか。うん、ありがとう。僕だけで行くよ」

「——……」


 そう伝えた僕にクラゲはそっと覗き込むように近付き、頭を包むように触手を伸ばして、はたと思い出したように止まってゆっくりと離れていった。もしかしたらさっき僕が触られたくなかったのを察したのかな。だとしたらとんでもなく賢いクラゲだってことになるけど。

 でも、まあ、一応信頼はできる……かな。道を教えてくれたりしたし。危険な魔物では無い、と、思う。

僕はクラゲの触手をそっと手で包んで、握手のつもりで上下に振った。


「本当にありがとう。助かったよ」

「——!」


 するとクラゲは驚いたように身を引いて、でも僕が笑って見つめるとおずおずとその触手で僕の頭を撫でた。ふにふにとした、今まで感じたことのない触感が擽ったい。

 お返しとばかりに僕がその触手を撫でてやると、クラゲはぴょこぴょこと小躍りするように上下に揺れ動き、僕の周りをぐるりと回ってから、触手の一本で僕の額に軽く触れた。


 すぐにクラゲは離れて、手を振るように触手を振る。随分人間臭い動きだな、と面白く思いながら僕も手を振った。


「じゃあね」

「——」


 しばらく手を振り合ったらクラゲは満足したように泳いで行ってしまった。

 ……一応知的生命体との交流ってことになるんだろうか。それがクラゲってどうなんだろう、とは思いつつ、僕はそれなりに満足していた。やっぱり誰かと会話するのは心が休まるというか、交流を持って初めてそれに飢えていたことに気が付いたというか。僕はどうやら一人じゃ生きていけない性質らしい。


 相変わらず僕が泳ぐと魚も一緒に泳ぎだす。逃げ出した時は違ったけれど、今は海も僕の味方だ。どこまでも泳いでやる。

 人間のいるところまで泳いで……ニックを、ノエルさんを、研究者の皆を、探すんだ。絶対に。



 日が沈む頃になっても、月が高く登っても、海は穏やかだった。ずっと穏やかに、僕は泳ぎ続けた。

 そして僕はついに、人魚として初めて人間と出会うことになった。

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人造人魚は唄えない 水無月ふに男 @junio

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