Report 4:衣類の機能と事件に関して


「どーう? 動きやすさは元より、ずっと着たままにできるように、汚れない、崩れない、そんな魔術を組み込んでみたんだけど。それから、リリちゃんが危険な目に合ったら自動的に小型の結界を出す機能もあるわよぉ?」

「凄く高性能ですけど、布の面積狭すぎません? 胸と腰しか隠れてないですよこれ」

「だってあなた、綺麗な身体してるんだもの! 隠すなんて勿体無いでしょ! 寒かったらこのショールを羽織るといいわぁん! 同じ素材で作ってるから気分で選んでちょうだい!」


 ノエルさんが新しく作ったという服は、服というか、殆ど下着というか、どれだけ頑張っても水着止まりのものだった。いやまあ、本の挿絵にあるような想像上の人魚は大概こういった薄着で描かれてるけど。

 両肩から交差する形で胸を隠す布。短い腰蓑のように腰回りを覆う布。そして追加で渡された、マントのように肩から背中を覆える布。以上。

 この少ない布によくぞそこまで魔術を組み込めたと言うべきか、もっとふんだんに布を使ってほしかったと言うべきか。これまでで一番着心地は良いのだけど、露出が増えてちょっと恥ずかしい気持ちもある。ノエルさん曰く、それが美の一つの形、だそうだけども。それとも、絵に見る人魚のように貝殻で胸を隠すよりはよっぽどマシだろうか……。



 ノエルさんは亜麻色の髪の小柄な女性の姿をしている。しかし見た目に騙されてはならない。彼女……便宜上彼女と言うけれど、彼女の身体もまたホムンクルスであり、その中身は男性の壮年研究員である。

 彼女は、美を追い求めるあまり、理想の身体を造ってそこへ移りこんだのだ。彼女の個室には彼女と同じ見た目の人形が山のようにある。一度だけ見せてもらったけれど非常に怖かった。

 まだ技術が完全ではなかった時にシルバー博士と出会い、ノエルさんの持っていたホムンクルス技術とシルバー博士の研究が合わさり、ホムンクルスに魂を移す魔術の完成に大きく近付いた、と聞いた。僕やニックの場合は0から魂を生み出そうとして難航していたらしいけど、ノエルさんの「既存の魂を移す」という発想は博士にとっても革新的だったらしいよ。


 そしてノエルさんは、今ですら確実ではない“魂の移植”という技術を数年前に使って「理想の自分」になった。それ以来、博士と協力して研究に明け暮れている。

 凄い人なんだけど、自分から身体を捨てる勢いの良さ、そして美と可愛さに注ぐ情熱は並々ならない。綺麗になるためならありとあらゆる手を尽くす、そんな男性なのだ。なまじ話が通じるだけに異常性が際立つ。

 よく気が利く人でもあるんだけどー……。


 そういえば、彼女の作った服は魔術によるものだ。彼女の身体も魔術によるものだし、ノエルさんは魔術にも明るいんだよね。ちょっと相談してみようかな。


「あの、私も魔術とか魔法に興味があるんですけど……ノエルさん、教えてもらえませんか?」

「まあ! なら丁度いいわ! アタシの道具、ちょっと見てみる?」

「はい、ぜひ!」


 遠慮がちに聞いてみたら思った以上にすんなり受け入れてもらえた。やった。

 ノエルさんはローブのポケットを探って、中から一つの髪留めを取り出した。付いている明るい青の石には細かい模様が彫り込まれていて、見るからに魔術的な代物だと分かる。


「はいこれ、付けてみて」

「えっと……こう、ですか?」

「ああ、ちょっとズレちゃってる。失礼するわね……これでよし、と」


 勿論僕は髪留めなんて付けたことがないので、上手く付けられなかったらしい。ノエルさんが優しい手つきでつけ直してくれた。特に違和感は覚えない。


「……それで、これは一体?」

「それは魔力を貯めておける道具よ。水系の魔法を増幅する機能も付けてみたわ。……あ、魔法に関する授業は要らないわよね?」

「魔法は魔力を使って超常現象を起こす行為で、特に道具に関する魔法を魔術、技術と融合したものを魔導と呼ぶ……ですよね」

「バッチリね。流石リリちゃん」


 憧れていたものだからしっかり勉強していたのだ。僕の心の少年はまだまだ健在である。

 魔法を使えたら格好いい、みたいな印象はあるし……それに、あの時、最後の日。もし魔法が使えたら誰も傷付かなかったんじゃないか、という思いも、少しだけあるから。


「じゃあ早速——」



 結論から言うと、人魚型ホムンクルスは魔法を使うに十分な性能を持っていたらしい。僕は憧れの魔法というものを自分の手で発動させるに至ったのだ。

 ただ、一つだけ残念だったのは、水を操る以外の魔法はとんとできなかった、ということかな。


「人魚は火魔法を使えないものなんでしょうか……」

「うーん……構造的には問題ないはずだけど……魔法適性って個人差があるからね。リリちゃんの元になった魂の性質が水一直線なのかもしれないわ」


 そういうものなのか。火を出したり風を起こしたりも便利そうだし興味があったんだけど……まあ、水魔法だけでも使えてよかったと思おう。

 それじゃあ、と思って気になって聞いてみたところ、ノエルさんは大体どの属性の魔法も使えるらしい。よっぽど中庸ということか、型にはまらない奔放な人間ということか……うん、考えるまでもなく後者だな。


「興味深いわね……ほぼ初期化された状態の魂にも魔法適性が見られる、と」


 ノエルさんは僕に水魔法だけが向いているという現象に興味を持ったらしい。呟きながらメモを取っている。でも多分それは僕に記憶が残っているからじゃないかな……あまり突っ込まれると嫌だな。


「あの、服も魔法もありがとうございました。少し疲れてしまったので部屋に戻ってもいいですか?」

「ああ、ごめんなさいね。帰ってもらって大丈夫よ。アタシはもう少し考察しとくから」


 そう言ってノエルさんは何かをぶつぶつ言いながら机に向かってしまった。何だかんだ言って彼女もここの研究者、気になったことがあれば没頭してしまう質の人間なのだ。

 体良く逃げおおせることが出来た僕は、さっきまで来ていた服を持って研究室を後にし、廊下の水路へ飛び込んだのだった。



☆☆



 部屋に戻ると、ニックは既に去ったらしく、誰もいなかった。まあ、そこそこ長い間ノエルさんと一緒にいたし、ニックにも研究の手伝いは求められているだろうし。

 まあ、彼もまた奔放なことはもう分かっているので、勝手に来て勝手に帰られても気にはならない。いつものことだ。


 今は何をしているんだろうな、と思いつつ、さっきまで着ていた方の服を衣装棚へ仕舞う。この新しい服は露出が多いけれど、着心地がいいのは確かなんだよね……。


 そう思って棚を開けると、ふと違和感を覚えた。何だろう、と思ってよく確認してみると、昨日まであったはずのローブが無くなっている。ほら、人魚として目覚めた時にニックに貰った白衣。そのまま持ってていいと言われたからここに入れておいたはずの白衣が、忽然と姿を消していた。

 おかしいな……ニックが持っていったのかな。それとも研究者の誰かかな。部屋に鍵は無いので誰でも入れるし、なくなって困るようなものでも無いからいいんだけど……不思議だ。

 研究者が持っていったならあの人かな、なんて思いながら僕はプールに飛び込んだ。




 ——その瞬間、水の中でなお耳をつんざく轟音と衝撃が襲い掛かってきた。




 断続的に起きる大きな揺れと、爆発音。

 何事かと慌てて水中から顔を出すと、ドアが衝撃で開いており、そこからは黒く変色した廊下が見えた。どうやら爆発が起きたらしい。しかも、聞こえる音から察するに至るところで何度も起きている。

 爆発なんて現象を見たことがなかった僕はそれは慌てたけれど、こうしちゃいられない。ニックやノエルさん、研究者の皆は無事だろうか。早く助けに行かなくちゃ。


 そう思って廊下に飛び出て、水路に飛び込もうとしたところで、僕は誰かに首を掴まれた。そして強く引き寄せられる。流れるように僕の首にダガーが充てがわれた。


「っ……!?」

「動くなよ。大人しくしていれば殺しはしないさ。お前はな」


 そいつは見たことがない男だった。白衣を着てはいるものの、ここにいる研究者ではないようだった。そしてこの男の着ている白衣には見覚えがある。僕のだ。

 わざわざ僕の白衣を奪って、爆発の中で薄く笑いすらしながら僕を捕らえようとしている。パニックではあったけれど、これらのことから察せないでもない。こいつは、白衣で研究者に成りすまし、こんな爆発を起こして混乱させながら、研究成果を——僕、人魚を盗み出そうとしているのだろう。


「なんでこんなことっ……」

「シルバーとやらに恨みは無いがね。ま、これが仕事なんだ。このまま付いて来てもらうぜ」


 ——でも僕は、ただの研究成果じゃない。人魚は人魚でも、高性能なホムンクルスだ。大人しく捕まっているだけじゃない。


「——このっ!」

「うおっ!? こいつっ!」


 覚えたての水魔法。顔面に水を掛けるだけだけど、解放されるには十分だ。油断していたらしい男が水を手で払っている隙に僕は水路に飛び込む。そして第一研究室……常に誰かは居るはずの、最も主となる研究室へと向かった。

 男は追いかけてきているようだけど、人魚を無礼(ナメ)ないでほしい。水中を泳ぐ速度ならドラゴンの飛行より早いんだぞ。



 水路を泳ぎ、研究室へ急ぐ。所々壁が崩落して塞がっていたりもしたけれど、水魔法を頑張って橋状にすることで乗り越えた。水が堰き止められたり、流れ出てしまって枯れているところも魔法で無理やり突破した。しかしそれをすると一気に疲れが貯まるし、思考が鈍る感覚もする。

 そう言えば、魔法には魔力を消費する。魔力の残量が少なくなるとこう言う症状が出てくるんだっけ。過度な使用は禁物かもしれない。でも男はまだ追ってきているようだし、今は四の五の言っていられない。


 そしてとうとう、大きくドアが破られた第一研究室に辿り着いた。中で大きな爆発があったことが窺える。

 水位が随分下がった水路を這うように無理やり泳いで、研究室内に入り込んだ。



「これは……」

「博士! おい、しっかりしろ! 起きてくれよぉ……!」


 ……正直、見たのを後悔した。

 ニックが焦燥しきった顔で揺さぶる博士には、下半身が無かった。


「——ニック!」

「あ、ああ、リリー、博士が、はかせが!」

「触っちゃ駄目だ! 傷が酷くなる!」


 慌てて駆け寄ってニックを引き剥がす。彼は動転しているようだったけど、僕の手を握って落ち着こうとしているらしい。

 博士を見てみると、体中に酷い火傷がある。周りの機材はほとんど跡形も無いほど崩れているのに、むしろよくここまで形を保ったと言うべきか。

 そしてやはり下半身が無い。傷口は炭化しているのか流血も無いが、これ程までに残虐的な光景は見たことがない。見たくはなかった。あまり話はしなかったけれど、見知った顔の人間がこうも無情に、事切れて、いるなんて。


「っ……!」


 死。

 一度経験した、しかし遠い昔のことだと思っていたもの。

 一度体験して、しかし最も遠いものだと思っていたもの。

 傷が酷くなるから触るな、なんて、ニックを引き剥がすただの方便だ。だって誰が見たって、もう博士は死んでいるんだから。ただ、茫然と死体を揺さぶり続けるニックが痛ましくて見ていられなかっただけなんだ。


 足音が聞こえる。あの男だろうか。

 色々なことが起きすぎて考えは纏まらないが、とにかく逃げなければいけないと言うことは、強く理解していた。


「ニック。この爆発の犯人が、僕を捕まえに来てる。逃げるよ」

「に、にげ、ったって、どこに」

「外だ。外しかない」


 爆発はそれはそれは大規模だった。機材を吹き飛ばし、人を焼き尽くし、そして、壁に風穴を開けるほどに。

 久しぶりに見る外は曇り空だった。空一面の雲と、少し荒れ始めた様子の、海。初めて見る海はとても穏やかとは言えなかったけど、ここは海沿いの崖に建っている研究所だから、そこから飛び降りれば。


 ニックを連れて崖際に立つ。いざ見下ろすと水面は遥か遠く、飛び降りて無事でいられる保証はない。竦み上がりそうになるが、どの道ここで飛び降りなければ無事では済まないだろう。何せあの男は、こんな災害を起こして博士や、もしかしたら他の研究者も、何人も殺しているんだから。そんな奴に捕まるくらいなら、僕は。

 ニックを見ると、彼は博士の遺体を悔しげに見ていた。彼の方が博士たちとの付き合いが長い。それに、生前の記憶がないのだから、彼にとって博士たちは文字通り家族のような存在だっただろう。

 でも彼は折れなかった。涙を堪えるように上を向いてから、きっ、と僕を見つめた。


「……行くぞ」

「うん」


 僕は頷いてニックを抱え直した。水中なら僕が彼を運ぶべきだろうから。

 そして僕はまた海を見据えて、そして——



「逃がすかッ!」


 激しい足音。研究室にあの男が入ってきた。縁に立つ僕らを見て何をするつもりか悟ったらしい。彼の手から炎が迸るのを見て、咄嗟に水魔法で迎え撃とうとして、それらのぶつかった衝撃で僕らの身体は吹っ飛ばされることになった。

 すなわち、海へ。


「く……うぁっ」

「リリー!」


 しかも悪いことに、僕の視界が突如暗くなる。魔力不足による酷い目眩だ。こんなところまで生物らしくなくたっていいのに、博士は僕らの身体をとことん本物に近付けたらしい。

 身体に力が入らない。これじゃあ、泳げないじゃないか。


 視界は暗いまま、頭から落下し、そのまま海に着水した。身体を強く打たなかったのは幸運だったか。いや、このまま辛い体験をするくらいならさっさと気を失った方が楽だったかもしれない。

 ニックは何とか僕の腕にしがみついていたけど、着水時の衝撃かはたまた別の要因か、いつの間にか離れ離れになってしまった。失した、やってしまった、と思う気持ちもあるけれど、それと同じぐらい自分のことに関して不安になっていた。それぐらい、僕は調子が悪くなっていて、まともに泳ぐことも出来なくなっていた。


 ……初めての海は、研究所の水よりよっぽど汚く、臭く、荒々しかった。

 目眩でまともに見通すことはできないけど、他の生き物の姿は全く確認できない。


 とにかくニックを探さなきゃ、と何とか視界を動かそうとして——“それ”を見つけた。いや、違う。きっと、ずっと視界に映っていた。

 それを認識できなかったのは、目が眩んでいたというのもあるけれど、それ以上に“それ”が大きかったからだ。

 他の生き物がいないのは、ここの環境が悪いのもあるだろうけど、それ以上に“それ”が強大で恐れられていたからだ。

 海が荒れているのは、もしかしたら、“それ”がいたからなのかもしれない。


 “それ”——巨大な、視界を埋め尽くすほどの、水龍。

 蛇を思わせる長い身体。深海の色の鱗。美しいほど鋭い牙。そして、宝石のように輝く、美しい、恐ろしい、赤い瞳。

 その双眼に見止められて、僕は——意識を失った。

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