Report 3:ホムンクルス体の学習能力に関して


 僕が人魚になって、1ヶ月が経った。その間何をしていたかと言えば、博士たちの研究に付き合って少し勉強をしていたのだ。

 この身体はどうも頭脳まで出来のいいホムンクルスらしく、村で過ごしていた頃は文字なんて全然読めなかったのに、人魚になった次の日から教えられて1週間程度であらかたの文字をマスターしてしまった。

 記憶力も良くなった。人の名前を覚えるのは苦手だったのだけど、たった数日で37人いる研究者たちの顔と名前と性格がすべて一致するようになった。

 身体能力も上がっている気がするけど、これは身体の構造が村にいた頃とあまりに違うので比較できないかもしれない。ああでも、泳ぎは格段に早くなった。研究者曰く、ドラゴンの飛行速度より早いとか。まあ、陸じゃ何もできないんだけど。

 あとは……一つだけ、今の僕も苦手というか、僕が苦手だからリーリウムも苦手なことがあったんだけど……まあ、それはいいや。忘れよう。



「ではリーリウム。聖者暦160年代の魔導研究に関して述べてみたまえ」

「えっと……162年に精霊素体精製の理論が確立、3年に国家運用が開始。6年にはモンスター研究と融合して、テイムモンスターとしての人工精霊が開発。7年から8年に掛けて人工精霊の暴走と崩壊が多発、対策として魔導研究会が各地の傭兵ギルドと協力するようになり、これが今日の冒険者ギルドの魁になった……ですね」

「うむ、素晴らしい。相も変わらぬ記憶能力だな」

「あ、そういえば先生。今日はノエルさんとシルバー博士に次のホムンクルスの相談に行くのでは? お時間は大丈夫ですか?」

「……しまった! そうだったそうだった、すっかり忘れておったわ。ノエルを拾ってすぐに行かねば」

「ノエルさんなら3番研究室でクニークルスと温感実験をしている頃かと思います」

「おお、すまんな。君は部屋に戻っていたまえ」

「はい、行ってらっしゃい」


 3週間目からは歴史や教養の勉強が始まった。最初はただの記憶力テストのはずだったのに、研究者たちも教えるのが楽しくなってきたらしく、今ではかなり専門的な歴史も教えられるようになってしまった。あと、時々メモ帳のように使われることもある。

 村にいた頃は勉強なんてすることがなかったけど、やってみると意外と楽しいものだ。いや、そう思うのはもしかするとこの身体の頭脳が高性能だからかもしれないけれど。


 ここでの生活は案外楽しかった。村の村長にしてたみたいにそれとなく話に乗ってやれば研究者たちは楽しげだったし、丁寧にしている分には顰蹙を買うこともない。

 それに、彼らの一番の目標が人魚の作成だったからか、この研究所自体が人魚にとって居心地のいい所になっている。


 例えば、廊下。1日目はずりずりと這って移動していたけれど、次の日からは謎の溝に水が張られていて、そこを泳ぐことで随分早く移動できるようになった。人魚のための水路が設計されていたわけだ。いくつかの研究室には地下を通して直接入ることもできる。陸に上がらなくていいのは非常に楽だ。

 他にも、その水自体も。噂によるとこの研究所は海辺の崖に建っているらしい(窓がないので実際に外の景色を見たことはない)ので、人魚のための水は海から取っているらしいんだけど、かなり深いところから海水を採取しているらしい。そうでないと臭いがキツいんだとか。そのために水を汲み上げる機構まであるというのだから、彼らがどれほど人魚に執心していたかが窺える。

 ああ、もしかしたら彼らじゃなくてシルバー博士一人なのかもしれないけれど。


 多くの研究者と接してきたけど、未だにシルバー博士に直接研究されたことはない。間接的に調査結果は届いているみたいだけど、いまいち彼の考えが分からない。

 彼について分かっていることと言えば、魔法に精通していて、人魚に何かとてつもない拘りがあって、その熱意と技術と知識で僕やニックなんかのホムンクルスが作られた、ということだけだ。

 ほとんど何も分かってない、とも言う。


 どうして僕は作られたんだろうか。

 どうして僕がリーリウムになったんだろうか。

 どうして僕は記憶を持ったままなんだろうか。 

 知識は増えても分からないことだらけだ。考えても分からない。気分がもやもやする。こういう時は一度部屋に戻ってゆっくりするに限るね。




「おう、お邪魔してるぜ」

「ニック。何でここに?」

「さっきまでノエルの実験に付き合って暑いとこに放り込まれてたんだよ。ちょっくら涼ませてもらおうってね」

「まあいいけど」


 水路を泳いで部屋に戻ると、なぜかニックがプールに足を浸けながら寝転んでいた。今日の温感実験は耐熱性と忍耐性のテストだったらしい。何となく、ニックに忍耐性はあまりない気がする。

 僕もプールに飛び込んで火照った身体を冷やす。わざと飛沫を立てて入ったからニックが文句を言うけど、冷たくて丁度いいんじゃないかな。うん。


「ったく……そうそう、ノエルがリリーに新しい服を作りたいっつってたぜ」

「また? もう6着目なんだけど……」

「今度こそ究極の人魚服を作るって張り切ってたからなー」


 ノエルさんは、研究者の中で最も話の通じる人で、しかし多分この研究所の中でも特に“ヤバい”人だ。僕が今着ているワンピースのような服を作ってくれたのもノエルさん。そもそも僕の身体のデザインもノエルさんがしたと言う。美というものにとんでもなく拘る人で、服飾から美容まで幅広く研究しているらしい。

 研究員の中では唯一の女性……では、ある、けど……いや、これはまた会ったときに考えよう。話の通じる良い人ではあるから。


 まあ、何にせよノエルさんの技術は確かだ。

 この服だって、水に濡れているのに全く重くない。抵抗もあまりないのに、肌にぴっちり張り付くわけでもない。魔術的な構造があるらしいけど、僕はまだ魔法に関する勉強をしていないから詳しくは知らない。

 ニックの来ているチョッキのようなものもノエルさんお手製だ。こっちは単に手芸の領域な気もするけど。


 満足したからプールの縁に腰掛けて魚部分だけ水に浸ける。すると形を保ったままのワンピースはすぐにふわりと乾いた。ほんとどうなってるんだこれ。

 ニックも気になるらしく(何せ彼が着ているのは本当に何の変哲もないただのチョッキなので)、僕の肩に登ってワンピースをしげしげと見つめた。ちょっと重い。


「はー……何度見ても不思議なもんだなぁ」

「魔法って凄いね。僕も使ってみたいよ」

「使えるんじゃねぇか? オレは勉強が面倒で手ぇ付けてねぇけど」


 短い手を僕の服に伸ばしながらニックが言う。彼と僕の頭は同じ構造なのに、ここまで性格が違うのはやっぱり魂に依るところが大きいんだろうか。

 研究者たちの話によれば、理論上ホムンクルスにも魔法は使えるらしい。人間は使えない人だって多いのにね。生前の僕みたいに。

 だから僕は内心、子供の頃から憧れていた魔法が使えるようになるんじゃないかとワクワクしてるんだけど、ニックはそうでもないらしい。彼だってやればできる頭のはずなんだけどなぁ。


 ああ、一応彼の名誉のために言っておくと、別に彼は何か出来が悪いわけじゃない。ただちょっと奔放な正確だというだけで、記憶力も身体能力も高いし、約束を忘れない誠実さも持ち合わせている。世話焼きだしね。

 身体の性能は彼と僕とでほとんど変わらない(流石に構造による違いはあるけど)ので、まあ、個体差というか、個人差というか。


「リリちゃーん、3番に来てもらえるかしらぁん?」

「あ、はーい!」


 そんな話をしていると、ノックの後部屋のドアが開けられて女性らしい高めの声が聞こえてきた。ノエルさんだ。


「さっき言ってたやつかな?」

「かもな。行ってこいよ。オレはもうちょい涼ませてもらうぜ」

「ごゆっくりどうぞ。んじゃあね」


 呼ばれたからには早く行かなくちゃ。ノエルさんは割と仲のいい研究者の一人だし。

 僕はニックに手を振り部屋を出て、廊下に引いてある人魚用の水路に飛び込んだ。


「……ん?」


 飛び込む瞬間、廊下に誰か黒い影の人が見えた気がして、すぐに顔を出す。けれど、その誰かも足早に角の先へ行ってしまったらしく、誰かは分からなかった。

 見覚えのない……というか、ローブを着ていない人はここしばらく見ていない。研究者は身体保護のために皆、白いローブ(白衣と彼らは呼んでいる)を着ているはずなのだけど、今見えた影は着ていなかったような……。


「リリちゃーん?」

「あ、はい! 今行きます!」


 たまたま汚れでもして脱いでいたのかな。それで新しいローブを取りに急いでいたとか。僕は気にしないことにしてノエルさんのもとへ向かった。

 後から思えば、この時誰かに話していれば、もう少し違った未来になったのかもしれない。いや、そうでもないかもしれないけれど。

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