Report 2:ホムンクルスの身体機能に関して


 実験室から出た廊下には、片側に用途不明の堀のような段差がある。それと、実験室もそうだったけど、壁や床が石か鉄かで出来ているらしく、僕のいた村のような木製のものが全然見当たらない。

 壁に点々と存在する照明は珍しいことに火が灯っていないのに光っている。魔力で光る照明らしい。都会は進んでるなぁ。


 そんな中で僕は、ようやっと自分の正体を打ち明けることができた。ここまで長かったな。


「はぁ!? ま、待てよ! それじゃあアンタ、そのナリで男だってのかよ!?」

「この姿は博士が作ったものだろ。僕は男のつもりだよ」

「はー……騙されるとこだったぜ。それなら気ィ遣わずにガン見すりゃあよかったなぁ」

「いや、それはそれでどうかと思うけど……」


 クニークルスさんは心底口惜しそうな顔で呟いてから、まあいいか、とにっかり笑った。容姿も相まって可愛らしい笑顔だが、女性扱いされていたことと、男と分かってからの遠慮のなさが僕を癒やしてくれない。

 でも牛歩のごとき僕の進みに合わせてちょくちょく止まってくれるあたり、悪いやつではないんだろうな、とも思う。


「あー、んじゃあそのカッコにゃ戸惑ってんだな?」

「いやあ、人間からこんな姿になって戸惑わない方が珍しくないかな」

「はっは、そりゃあそうだ。オレだって超絶イケメンからこんなキュートなカッコになって驚いたしな! ……や、超絶イケメンだったかは覚えてねーんだけど」

「覚えてないの?」

「ああ、人間だったことと死んだことは覚えてんだが、それ以外はなーんも覚えちゃいねぇ。つーか、お前は違うのかよ?」

「うん、わりとしっかり覚えてるけど……」

「マジかよ」


 マジだよ。

 クニークルスさんが言うには、彼は全ての記憶が無くなっているんだとか、むしろホムンクルス的には忘れてる方が自然だとか。

 僕は死ぬ日の朝何を食べたかまでしっかり覚えているんだけどな……と思って、いやいや、死ぬ日の朝も何も、長閑な農村の朝食なんて代わり映えがあるはずもないだろ、と自分で突っ込む。うん、それぐらいにはしっかり覚えている。


「んー……そうだな。そのことは博士たちにゃ言わねぇ方がいいかもしれねぇ」

「そうなの?」

「ほら、それってつまり、記憶の消去に関しちゃ失敗ってことだろ? 記憶があるなんて知られたらとことん研究されるだろうし、解剖までする馬鹿も居ないとは言えねぇ。博士はまだ穏健派だがなぁ……」


 なるほど。最悪の場合、僕は解剖されてしまうのか……。それは嫌だな。

 この身体が良いとは思わないけど、また殺されるのは、ちょっと。うん。


「分かった。何も覚えてないふりをすればいいんだね」

「ああ。ま、ちょっくら丁寧に接してやればバレねぇだろ。あいつらカノジョの一人も居ねぇ唐変木ばっかだし、女がどう話すかなんて気にしちゃいねぇだろうし」


 あ、つまりこれ、女性のふりもしなくちゃいけないのか。……うーん。

 ……まあ、殺されるよりはマシかなぁ。


 そんな話をしていると、少々奥まった通路にある部屋の前でクニークルスさんが止まった。


「さ、ここがアンタ……つーか、人魚用に準備された部屋だ。入るぜ」

「うん」


 彼はぴょんと跳んで、器用にドアノブを押し下げながら内開きのドアを押し開けた。それに続いて僕も部屋に入る。

 部屋は特別に設えたらしく、まず目に入るのは部屋の半分を占めるプールだろう。なみなみと張られた水からはほんのり塩っぽい匂いがする。もしや噂に聞く「海水」というやつだろうか。

 逆に椅子や机、寝台なんかは見当たらない。あるのは小さな棚(多分衣装棚)と、プールとは別にある小さな水場。まあ、人魚用の部屋らしいし……うん。人魚に椅子は似つかわしくないっていうのは、分かる。

 もう一つ見当たらないのが、水浴び場と厠なんだけど……水浴び場はまあ、常に水中にいるようなものだし、いいとして……もしかして、この小さい水場が厠だとか言わないよね。

 そう思って、厠は? と水場を見ながら聞いてみると、クニークルスさんは同じく水場を見ながら、僕を一瞬チラリと見て、肩を竦めた。予想通りらしい。


「……ちなみに、オレの部屋には同じ場所に砂場があるぜ」


 気まずげなフォローがなお重い。ペットモンスター用の厠がそういう砂場の形をしていることは僕だって知ってる。


「ま、ホムンクルスだからな。思ってるより使う機会は少ないぜ」

「少ない、ってことは、あるにはあるんだ……」

「オレたちは腹ン中もばっちり作ってあるらしいな。一日に一回ぐらいは使う。んで、それをあの馬鹿どもが研究してオレたちが正常に動いてるか確認するらしい」


 扱いが完全にペットモンスターなんだけど。猫型のモンスターをテイムしている知り合いもそうやって健康状態を確認するんだって言ってたよ。

 排泄物を確認されるのは、なんか、嫌だな……って言っても多分聞いてもらえないんだろうなぁ。


「ま、じきに慣れるって。オレだって最初のうちはペット扱いに尊厳っつーか、何か大事なとこが死んでいく気がしたけどよ。アンタは水ン中で済ませられる分マシってもんだろ」

「じゃあそっちは」

「自分で出したもんに自分で砂かける気持ちは、分かんねぇ方がいいと思うぜ……」


 ……うん、僕、人魚でよかったかもしれない。今初めてそう思った。

 そうだ、クニークルスさんに比べれば、まだ人魚で良かったかもしれない。指もあるし、身体は比較的人間に近いし。そう、ちょっと下半身が魚なだけで……。


「……あれ、僕ってどこから出すんだろう」

「そりゃお前、魚はどっから出すよ」


 今の僕は下半身が魚で、お腹に魚の腹部分がそのまま続いてるからー……忘れよう。汚い話は忘れよう。

 やっぱり僕、人魚じゃないほうがよかった!



☆☆



 とりあえず、と言うことで早速プールに入ってみた。白衣ごと。早くまともな服が欲しい。

 頭から入って、全身が冷たい水に包まれる。すると、陸上にいる時より明らかに心地よいというか、収まりがいい気がするというか。水は塩っ辛いけれど、あまり気にならない。人魚だからかな……。

 水中でも息苦しくないし、思ったようにすいすいと泳げる。冷たくて気持ちいい。うんと伸びをしているような、そういった気持ちよさがある。


「おーおー、気持ちよさそうだなぁ。やっぱ水の中の方がいいのか?」

「そうみたいだ。ここにいると調子がいいというか、気分がいい」

「分かるぜ。オレも狭っこいとこが好きになっちまってなぁ」


 上体だけを陸に上げて会話する。ホムンクルスだからか、人間部分は水をよく弾いて水滴があまり残らない。どうなってるんだ。


 ホムンクルスは作り物の身体はずなのに、水が好ましくなるような、そういった本能のようなものは備わっているらしい。食事もするというし、作り物にしては何だか不思議な感じがするけど、そういうものなのかな。

 しかしそれにしても、水中というのは本当に居心地がいい。もう少し悲惨というか、良くない扱いを受けるんじゃないかと思っていたのだけど。クニークルスさんの話だと少し実験とやらに付き合うだけで衣食住を賄ってもらえるらしいし、意外と待遇は悪くないのかもしれない。

 僕がそのようなことを言ってみると、彼は頷いて笑った。


「ま、そうだな。あいつらは実験と研究ができりゃそれで満足なんだ。考えてもみろよ。もしアイツらが何か企んでるとして、折角の研究成果をオレなんぞに預けて出て行かせるか?」


 それは確かに。

 脱走とか……するつもりは今の所無いし、博士たちもされるつもりはないんだろうけど、拘束されて飼い殺される雰囲気でもない。僕の扱いもただの研究成果って感じだし、人魚を作って何かをする、と言うより、人魚を作ること自体が目的だったんだろうな。


「……でも、下手なこと言ったら解剖されるんだよね?」

「まーな。それが研究者っつーもんらしいぜ」


 オレにゃよく分かんねぇけど、とクニークルスさんは苦笑した。

 とりあえず僕は、普通の人魚型ホムンクルスとしてしばらく振る舞うことに決めた。そうしている分にはそこそこいい生活ができるらしいからね……。


「んじゃ、オレは博士たちの様子でも見に行くよ。あいつら、食うも寝るも忘れて研究しやがるからなぁ」

「分かった。ありがとう、クニークルスさん」

「あー、呼びづれぇだろ? ニック、って呼んでくれよ。オレもアンタのこと、リリーって呼ぶからよ」

「リリー……ますます女の子みたいだ」

「今は女の子だろーがよ」


 そうだった。僕はリーリウムとかいう可愛らしい名前なんだった。

 クニークルスさん……もとい、ニックはニヤニヤと笑っている。どうやら僕を女の子らしく扱うのが楽しいらしい。ちょっと遺憾の意を示したいところなんだけどー……。


「……まあ、いっか。行ってらっしゃい、ニック」

「おう。後でまた来るからのんびりしてな」


 そう言ってニックは、いつの間にか閉まっていた内開きのドアに飛びついて、ノブを下げて、しばらくジタバタして……。

 僕が黙って水から上がってドアを開けてやると、彼は複雑そうな顔で礼を言って足早に去っていった。うん、あの体格で内開きは開けづらいよね。

 彼が僕を女の子扱いする分、僕も彼をペット扱いしようと思う。うん、そうしよう。




 ……ところで、普通の人魚型ホムンクルスって、どう振る舞えばいいんだろうか。

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