人造人魚は唄えない

水無月ふに男

Report 1:人魚の復活とその状態に関して


 ぶくぶくと気泡が漏れる音。身体全体で感じる冷たい水。特に顔や背に掛かる柔らかいもので撫でられるくすぐったさ。男たちのものらしき歓声。そういったもので僕は目覚めた。


「おお……おお、素晴らしい!」

「よくぞやってくれた! お前たちの助力の賜物だな!」

「いやいや、やはりお前の設計が優れていたのだ! 儂らはただそれに相乗りしただけだよ」

「いやあ、流石はシルバー博士! 魔導研究の天才だ!」


 緑がかった視界で、恐らく白衣を着た男たちが互いの功績を称えあっている。その視線は全部僕に向かっているようだ。

 その男たちは背が低い……というより、僕の視点が高いのか。どうやら僕は今、水槽のようなものに入れられているらしい。道理で視界が妙に緑だと思った。これは僕が浮かべられている液体が緑っぽい色なんだな。


 ……で。

 もっと気になるのは、僕の身体だ。


 顔を撫でるくすぐったいものは髪の毛らしい。僕の髪は短い茶色のはずで、こんな肩甲骨まである銀髪ではないはずだが、まあそれはまだいい。

 腕がやけに細いし、手がやけに小さい。畑仕事で出来た血豆の跡も無いしこんなほそっとした身体じゃなかったはずなのだが、それもまだいい。

 下半身が魚のそれのようになっている。腰回りから鱗が生え、足があるべき場所には尾鰭がある。耳のあたりにも魚の鰭のような部位が生えている。しかもそれらが自分の意志で動かせるとくれば、自分が人ならざるものになったと考えるしかないだろう。だが、それもまだ、いい。いや、良くはないけど。もっと深刻な変化が僕に生じている。

 身体を検める時に否が応でも目に入るそれ。隠されることなくおっぴろげにされている、胸部にある2つの膨らみ。所謂、胸。乳房。おっぱい。やや小ぶりなのが逆に現実味を帯びていて悲しい。

 どうやら僕は、寝物語に聞いた幻の生物、人魚になってしまっているようだった。それも、マーマンではなく、マーメイドに。



 ……何で?



☆☆



 僕は確か、辺境の村で生まれ育って、いつか街へ出ることを夢見ながらも結局村でその生涯を閉じるような、そんな至って普通の男だったはずだ。いや、夢を諦めるにはいささか若かったとは思うけど、自分には剣の才能も魔法の才能もないことは分かりきっていたし。農作や狩猟を少しずつしながら細々と暮らすのが関の山だった。

 そんな僕は妹といつものように畑の世話をして、森にドラゴンが出た、などと村長が騒ぐから、適当な男衆とろくに使えない弓や剣を携えて警備しに行って、そこで……そこで、死んだ。

 ああ、そうだ。思い出した。思い出したくはなかった。僕は確かに、死んだのだ。やけに強いワイバーンに焼き殺されて。



 地表を警戒するあまり頭上への注意が疎かになっていた僕たちは、間伐で少し拓けたところの切り株で「やっぱり村長の見間違いだろう」なんて結論を出し、帰路に着こうとしていた。

 そんな時、辺りが陰って暗くなり、雲でも出てきたかと空を見上げた僕が目にしたのは顎を大きく開いた飛竜の姿だった。火事場のなんとやら、横っ飛びで間一髪奇襲は避けたものの、使い慣れない剣や弓で訓練されていない村人が飛竜に勝てるはずは無かった。

 次々と薙ぎ払われる仲間たち。死んではいないようだったが、このままでは全滅必至だろう。それほどまでにそのワイバーンは強かった。本来なら僕たちでも多少怪我する程度で追い払える程度の能力しかないはずのワイバーンが、そいつだけはどうにも強く、しぶとく、しつこかった。

 そしてそいつの歯牙が僕の友人——もうすぐ僕の妹と結婚する予定だった男に向かった時、僕は必死でワイバーンの脚にしがみついた。その男だけは生きて帰さねばいけないと思った。

 ワイバーンは文字通り足手まといの僕に顔を向け、口元にブレスらしい炎を蓄えた。その隙を突いて友人が剣を振り上げ——その刃が飛竜の首を跳ねる直前、僕は業火に焼き尽くされた。一介の村人にしては格好いい散り際だったと思う。




 しかし今、僕は人魚として研究者の前で水槽に浮かぶ羽目になっている。

 ……なんだこれ?



 状況をいまいち理解しきれていない僕を見て、研究者の一人……シルバー博士と呼ばれた初老の男性が手元の水晶を操作すると、僕の周りの液体が水槽下部の装置に抜けていって、僕は水槽の底に横たわることになる。臀部も魚になっているから座り辛いが、手をついて上体を起こすと、水槽を水槽足らしめていたガラスのような壁面がすぅと消えた。どうやら魔法の産物だったらしい。や、僕も魔法に詳しい訳じゃなかったけど、あんなに透明度の高いガラスを作るのは難しいということは知ってるし、ガラスがこんなふうに音もなく消えるとも思ってないので、多分これは魔法で出来た水槽だったんだろう。


「気分はどうかね、リーリウム」

「リーリウム……?」

「そうだ。君の名前だ。いい名前だろう?」


 男性……シルバー博士、は、僕をリーリウムと呼んだ。いい名前だとは思う。それが自分の名前じゃなければな。

 問い返した自分の声が甲高くて驚くが、博士はそれを気にした様子もなく続けた。


「君はホムンクルスだ。まあ、人形やゴーレムをより生物らしくしたものだと思いたまえ。究極の技術で究極の美を作り上げ、そこへ死霊術で魂を宿したのが君なのだ」

「ホムンクルス……この体が……?」

「うむ。意識レベルは安定しているようだな」

「確か、魂の定着率と言語機能には些かの不安があるという話ではなかったかな?」

「見たところ問題はないようだが……」


 僕が自身の現状を何とか把握していると、博士を始めとした研究者たちは僕という研究対象を観察するように眺めては口々に考えを漏らしている。と、そこで僕は全裸であることを思い出して、何となく気恥ずかしくなり、身体を腕で隠した。いや、そんな場合じゃないのかもしれないけど、それに仕草が何か女々しくて嫌ではあるんだけど、仮に男のままだとしても身体をジロジロと見られる趣味は僕には無い。

 しかしその仕草をしてから博士たちはますます盛り上がっているようだった。何なんだこいつらは。


「あの、何か服を貰えませんか?」

「恥じらいまで備えているのか! 感情を備えているならば魂の定着はほぼ完璧なのではないかね?」

「そのようだ! 言語能力も卒が無い。ホムンクルスとしては傑作だろう!」

「……あの」

「となればシルバー博士は本当に人魚を蘇らせてしまったということだ! ああ、その才能が恨めしい……!」

「いやいや、まさかこの程度で満足してはいないだろう? さらに観察と研究を重ね、本当に完成と言えるまで、我々の計画は終わらんぞ!」

「おお!」


 ……どうやら完全に彼らの世界に浸ってしまっているらしい。いくら声を掛けても僕への対応はなく、ある者はじっくり僕を観察し、またある者は何かを紙に書いている。


 困った僕が視線を彷徨わせていると、博士たちの間を通り抜ける小さな影が見えた。

 研究成果に未だに陶酔しているらしい彼らの足元から現れたのは、リスのようなウサギのような、ふわふわとした毛に包まれた子犬サイズの動物だった。ただし額に宝石のような石が付いている。ちょっと可愛いと思う。

 その小動物は白い布のようなものを咥えてこちらへやって来る。そして僕の前にそれを落とすと、やや戸惑いがちに目を逸らして口を開いた。


「あー、わりぃな。あいつら、一旦熱が入ると収まらねぇんだ。それでも羽織ってくれ」


 見た目通りの可愛らしい声とは打って変わって、彼は少々乱暴な言葉遣いをする。そんな男らしい言葉遣いだなんて、いや、そもそも喋るだなんて思ってもなかったのだが、僕はそろそろ驚きという感情が売り切れつつあって、予想が裏切られた程度ではもう驚かなくなってきた。生物としてあまり良くないかもしれないけど。

 彼が持ってきたのは、予備のものらしい白いローブだった。ありがたくそれを羽織ってようやく一心地ついた気分になる。やっぱり他の人が服を着ている中で自分だけ裸なのは落ち着かないし。

 それと同時に小動物は背けていた顔をこちらに向けて、まじまじと僕の顔や魚部分を見つめた。それまで僕を直視しなかったのは、もしかしたら僕の裸体を見ないようにしようという紳士的行動だったのかもしれない。うーん、なんだか複雑な気分だ。


「ああ、その、ありがとう、ございます」

「いいってことよ。オレの時もそうだったしな」

「……オレの時?」

「あー、聞いてくれるか? ま、姉ちゃんと同じだよ。元はたぶん超絶カッコいい偉丈夫だったオレは、たぶん死んでからこーんな可愛らしいカーバンクルに生まれ変わっちまったのさ」


 おどけたように言って、彼——カーバンクル型のホムンクルスらしい彼は照れ臭そうに頭を掻いた。カーバンクル……実在するとは聞いていたけど、人の寄り付かない森林なんかにしかいない、魔獣と妖精の間の子みたいな存在だ。僕もあっちの姿の方がよかった。

 何で僕はマーメイドなんかにならなきゃいけないんだよ。それならまだ、可愛らしくはあっても小動物の身体の方が精神的なダメージが少なかった。僕は健全な男だぞ。

 そうだ、僕は男だ。誰も女性型のホムンクルスに入っているのが男性だなんて思ってもないみたいだけど、その誤解だけは解かなくてはならない。あわよくばマーマンの身体に作り直してほしい。


「あの、僕は」

「ん? その白衣は……」

「オレが着せたんだよ。ったく、アンタらはぜんっぜん女心っつーのを理解してねぇよな! そんなんだからその歳になっても独身ばっかなんだぜ」

「クニークルスか。またお前はそう言って我々を困らせるな。お前を作ってやったのは誰だと思ってるんだ」

「だからこうやってアンタらの助手を買って出てやってんだろー? やることもないしな」

「やれやれ……」

「まあいいじゃないか。やっとクニークルスと同じ完成個体が出来たからな。相互交流による変質も調べるぞ」

「再現性も調べたいな。このまま上手く行けば人魚復活の夢が——」

「クニークルス、リーリウムを部屋へ連れてやれ」

「あいよ」


 ……あれよあれよと話が進んでしまった。クニークルスと呼ばれたカーバンクルの彼は、再び研究モードに入ってしまった博士たちを尻目に扉へ向かい、器用にぴょんと跳ねて開けてから僕を手招きした。僕は言いたいことをすべてクニークルスさんに言うことにし、ため息に気分を晴らせて、ずりずりと下半身を引きずりながら実験室を後にした。

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