第11話

 3人は音を立てないようそろりそろりと階段を上がっていた。そのうちの一人は幽霊なので歩く音がする訳もないのだが一緒にそろりそろりしている。そもそも、音をたてても別に幽霊が逃げる訳ではないのだが、なぜだかみんなそろりそろりしていた。


 そうしてそろりそろりと5階に上がると、それはすぐに見つかった。廊下の中ほど、白衣を着た小太りの男がほんのわずかに右足を引きずりながら猫背でよたよた歩いている。彼が歩いた後には血痕が、というより歩くたびに血が迸り、大きな血溜まりを残して進んでいた。


 そんなに血を流して痛くはないのだろうか。既に死んでいるのでもう一度死ぬということは無いのだろうが、今まで祓った幽霊は死んでもなお痛みを感じるようだった。


 白衣の幽霊は3人の気配に全く気がついていないようだった。どこか浮かれたようにも見えるその足取りが却って不気味だ。


 朝日あさひは胸もとからそっと護符を取り出した。何も書かれていないように見える白い護符。この中には特殊な呪力が内包されている。暗闇の中、朝日の声が凛と響いた。


「かごめ」


 その瞬間、護符が飛び散り、燐光放つ格子となって白衣の幽霊を閉じ込めた。


「な、なんだ、こ、こ、これは」


 幽霊は驚嘆していた。目玉が文字通り今にも飛び出しそうになっている。朝日は幽霊の前にしゃなりと歩み出た。


「あなたが執着しているものは何?」


 その言葉に幽霊は我に返ったようだった。きょとんと朝日を見つめ、にたぁと気味の悪い笑みを浮かべた。


「教えない」


 朝日はそれでも淡々としていた。


「別に知らなくてもあなたは祓える。山本さん、私、あなたのこと調べたの…ほんっとに胸糞悪いいじめだった。祓われる前に、私にできることがあれば―」

「あいつらを呪ってくれ」


 白衣の幽霊はあどけない幼子のように、にこにこと笑い、朝日の言葉を遮った。


 青渉しょうせいが例の空気を張り詰める冷ややかな視線で白衣の幽霊を見下ろした。


「やっぱり悪霊に情けをかける必要はないな。柳之介りゅうのすけ、塩を出せ」

「待って!」


 朝日は青渉を制した。眉間には僅かに皺が寄っている。彼女の精神状態が乱れている証だ。朝日は再び山本に問いかけた。


「あの人でなし達への恨み以上に、何か大事なものがあるんじゃないの。だから、ここにとどまってたんでしょう? 逝く前にその大事なものを私に託してくれない? 少しでも未練が無くなれば、それだけ楽に逝ける」


 この棟全体に幽霊の笑い声がこだました。朝日が何かとんでもなく馬鹿なことを言ったとでもいうように腹を抱えて大笑いし、そして、声を震わせ泣いていた。


「教えない。絶対に教えない。消したきゃ消せばいい。でもこの恨みは消えないぞ」

「…どういうこと?」

「ハハァ! 教えない!」


 柳之介は山本の覚悟を感じた。自分をいじめた6人を決して許さないという強い覚悟。この幽霊は復讐に全力を注いでいる。それ以上大切な物はこの幽霊にはない。その願いが叶うときにようやく彼は心安らかに逝けるのだろう。


 しかし、それは6人の不幸の上に成り立つ願いだ。たとえどんな人でなしの命だとしても見捨てることはできやしない。だから、やっぱり彼の願いは断じて認めるわけにはいかない。


「もういい。祓う」


 新たな護符を構えた朝日の袖を柳之介は慌てて掴んだ。


「朝日さん、少し待ってください。渉青!」

「なんだ」


 柳之介の呼び掛けに、渉青が険しい顔をしたまま振り返る。


「渉青っていつもどうやって幽霊を見つけるんだ?」

「そりゃあ」


 渉青は少し考えるように上を見上げて、そしてふっと表情を和らげた。


「足で地道に」

「おい、真面目に応えろよ」


 護符を構えたままの朝日が、視線だけ寄越し、口を挟む。


「気配がするのよ。霊の気配が。怨念が強ければ強いほど大きな気配になる」


 なるほど。柳之介にはてんで分からないが、朝日にはその霊の気配とやらが分かるのだろう。ということはきっと…。


 視線が合うと渉青は軽く微笑んだ。


「もちろん分かる」

「じゃあ、探そう」


 柳之介は手近にあった部屋の扉を開けた。その瞬間、山本が嫌がる素振りを見せたのを柳之介は見逃さなかった。怪訝そうにする朝日と渉青に柳之介は持論を展開した。


「呪いの道具、例えば呪いの藁人形とかがどこかにあるんじゃないかな」


 復讐が山本の目的なのだとしたら、きっと生きていたときから準備を始めていたはずだ。そして、さうだとすれば、いじめた6人を前にして妙に執着が感じられないと朝日が言ったことにも納得がいく。本丸はだ。呪いの儀式はで行われていたのだ。


 二人はは柳之介の意図に気がついたようだった。柳之介は渉青を窺い見た。


「呪いの道具に幽霊の怨念が染み付いてれば―」

「探せるな」


 その瞬間、山本が弾かれたように暴れだした。先ほどまでの落ち着きはなく、血の混じった唾液を撒き散らし、なりふり構わず叫んでいる。


「そんなものはない! そんなものはないぞ!」


 その焦りようこそが柳之介の仮定を証明していることにこの悪霊は気づきもしない。悪霊とはそういうものなのだ。理性はとうに消え去り、彼らに残っているのは狂おしいほどの未練だけ。ただそれだけなのである。


 山本を見つめる朝日の瞳に暗い影が差した。そうさせたのは諦めか、絶望か。どちらにしても、もはや彼女に選択肢はない。


「柳之介くん、探して」

「はい」


 最初に開けた部屋は実験室だった。懐中電灯をつけると渉青が首を振った。暗いほうが探しやすいらしい。


「ここじゃない」


 そんなやりとりを何度か繰り返し、廊下の奥の部屋にたどり着いたとき、山本の様子がいよいよおかしくなった。柳之介は確信した。渉青と目配せし、部屋の中に入る。そこは物置きになっていた。


「あれだ」


 それはすぐに見つかった。渉青が指差す棚の上、埃まみれの段ボールの中にそれはあった。


 乱雑に五寸釘の刺さった藁人形。その数、実に6体。それぞれ名前の書かれた紙が貼られている。山本が死んでもなお呪い続ける6人の名前に違いない。山本はどんな思いで彼らの名前を書いたのだろうか。角ばった文字の一筆一筆に恨みがこもっているように見えた。


「それは俺のだ。返せ! まだ呪い足りない!!!」


 山本は護符の格子に焼かれるのも厭わず、藁人形が入った箱をひったくろうと夢中で手を伸ばしていた。悔しさを滲ませた唸り声が棟全体に響き渡る。


 朝日は護符を投げつけた。


「去ね」


 その一言で全てが終わる。いつだってそれは一瞬だ。白衣の幽霊は青白い光に包まれて、霧散した。


 暗闇に慣れた柳之介には満月の明かりがひどく優しく感じられた。


 ◇◇


 藁人形は朝日が持って帰ることになった。実家の神社でお焚き上げするとのことだった。


 そして、この日以来「血まみれ教授」を見たという人は現れなくなった。そのうち、そんな噂があったことすら皆忘れて無かったことになるのだろう。


 そして、それとともに山本青年がいじめられていたという事実も忘れられてしまうのかもしれない。


 ビターな結末もたまにはある。


 ◇◇



 季節は過ぎ行き夏になった。

 窓の外から蝉の声が忙しなく聞こえてくる。こんな都会の一体どこに蝉が隠れているのだろうと柳之介は不思議に思う。


 顔を洗い、歯を磨き、いっちょ前に髪を整える。Tシャツから覗く腕は以前に比べ筋肉がつき、体も少し大きくなった気がする。


 今日の講義の荷物をカバンに詰めていく。カバンの中では淡い光の玉が規則正しく揺れていた。ハムスターの幽霊の最近のお気に入りの昼寝場所だ。最後に塩の入った瓶を詰めたところで、テレビのお天気オネェさんが今日の天気を解説し始めた。


「今日の天気は晴れ時々―」

「悪霊退治! 柳之介、悪霊が出た。退治に行くぞ」

「また朝からぁ?」


 柳之介は面倒そうに着物姿の男を見上げる。宙に浮いたその男はにっと笑うと柳之介の耳元で囁いた。


「お嬢さんのレベルに少しでも近づきたいんだろ。なら、数をこなさなきゃだな」

「べ、別にそんなこと思ってない」

「だから、分かりやすいんだよ、柳之介は」


 くくっと笑う渉青に、「なんだよ」とぶつくさ言いながら柳之介はカバンを片手に玄関へと向かった。

 渉青は少したくましくなった弟子の後ろ姿を眩しそうに見つめていた。

 柳之介が振り返った。


「渉青、何してんだよ。ほら、行くよ」

「はいはい」


 新米大学生とベテラン幽霊の悪霊退治の道のりはこれからもまだまだ続く。

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晴れ時々悪霊退治 イツミキトテカ @itsumiki

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