星に手を伸ばして

 病院で働いていると、たびたび心霊現象に出くわす。病院という場所は、どうしても霊が集まりやすい場所なのだそうだ。

 そして、この霊たちは、病気を治して欲しいという強い思いで、この世に留まってしまっているらしい。

 私の同僚も、何度か幽霊を見たことがあると言っていたし、私自身も何度も見たことがある。

 でも、私は幽霊よりも患者さんの行動に驚かされ、ヒヤヒヤすることの方が多かった。


 私の配属されている病棟は、小児病棟だ。下は5歳くらいから上は中学生くらいまでが入院している。

 小さい子は、本当によく動く。しかも病気をよく理解していないから、大人しく寝ているということを知らない。

 お母さんに会いたいと言って泣き叫ぶ子や、他の子にちょっかいをかけて喧嘩けんかを始める子など、元気いっぱいな子が多いのだ。

 そんな子どもたちの相手をする看護師の仕事は、とても大変だった。


 特に夜勤の時は、昼間より大変なことが多い。眠れなくてぐずる子や、怖い夢を見たと泣いてしまう子もいる。

 それに付き添ってあげることも仕事のうちなので、なかなかゆっくり休むことなんてできない。

 それでも、子どもと接することは嫌いじゃなかったし、何より、子どもたちが笑顔になってくれることが嬉しかった。

 私が小児病棟の看護師になりたいと思ったきっかけは、幼い頃に経験したある出来事にある。

 それは、私が小学一年生の頃の話だ。


◆◆◆


 ある夏の暑い日に、私と兄は川辺で水遊びをしていた。

 川の水はとても冷たくて気持ち良かったけど、川底の石に足を取られてしまい、私は転んでしまった。

 そこそこ深さのある川だったせいか、頭から水の中に突っ込んでしまい、おぼれてしまったのだ。兄も一緒になって沈んでしまったため、2人揃そろって流されてしまった。

 私は必死にもがいたけれど、子どもの力ではどうすることもできなかった。

 このまま死んでしまうのかと思いながら目を閉じていた時、ふわりとした浮遊感に包まれた。気がつくと、私はベッドの上にいた。


「大丈夫?痛いところはない?」


 そう声をかけてくれたのは、白衣のお姉さんだった。

 聞いたところによると、私たちは通りかかった人に救助されたらしい。幸いなことに、大きな怪我はなかったようだ。

 ただ、長時間水に浸かっていたことで低体温症になっていたらしく、その日はそのまま入院することになった。


 その時、優しく寄り添ってくれた看護師さんに憧れを抱いたことから、今の私があるのだ。

 看護師になるための勉強は大変だったけど、あの時の優しいお姉さんのようになりたいという想いだけで頑張ってきた。

 そして、今こうして看護師として働いているわけだけど……。


「ほらほら、喧嘩しないの!」


 今日もまた、小さな子どもたちを相手に奮闘していた。


「だってぇ……」


「こいつが僕のおもちゃ取ったんだもん」


 男の子たちは不満げな様子だ。

 まあ、よくある光景である。


「まあまあ……落ち着いて、ね?」


 2人の少年の間に入り込み、なだめようとする。

 すると、今度は女の子たちが騒ぎ始めた。


「もう!あんまりうるさいとまた怒られるよ!?」


「いいじゃん別にー!」


「良くないよ!さっきも騒いで怒られたばっかりじゃない!!」


 ……なんだか不穏な空気が流れ始めている。これはまずいなぁ。

 とりあえず、ここはなんとか穏便に収めなければ。


「みんな落ち着こうね〜。せっかく楽しい時間を過ごしてるんだから、ケンカはよくないよ〜」


 できるだけ穏やかに声をかける。


「だってこいつが」


「違うもん!!こいつが悪いんだよ!!!」


 しかし、2人はお互いに言い争いを始めてしまう。

 ああ、これは困ったことになったぞ……。

 私が途方に暮れていると、病室の入り口の方から声が聞こえてきた。


「シホ先生ー……あれ?どしたの?」


 そこにいたのは、ユウくんだった。私の名前を呼んでいたところをみると、どうやら私を探していたみたいだ。ちなみに、私の名前は『水瀬志穂みなせしほ』という。

 彼は病室に入るなり、状況を察して仲裁ちゅうさいに入ってくれた。


「ほらほら、喧嘩すんな。仲良くしろって。な?」


「うぅ……ごめんなさい」


「僕も、悪かったです……」


 どうやら上手く収まったようだ。

 ホッとしていると、ユウくんはニッと笑みを浮かべて言った。


「よし、ちゃんと謝れたな。偉いぞ!」


 ユウくんの言葉を聞いて、子どもたちは照れ臭そうにはにかんでいる。

 こんな風に、ユウくんは小さい子たちの間で人気者なのだ。

 彼はまだ10歳だと言っていたが、この病棟の子どもたちの中では一番年上だからだろうか。いつも子どもたちの面倒をよく見てくれていて、みんなのお兄さんのような存在になっている。


「それじゃ、仲直りできたところで、次は何をしようか?」


 ユウくんがそう言うと、子どもたちは嬉しそうな表情で話し始めた。

 やっぱり、彼がいると場が和むなぁ……なんて思う私なのであった。


◆◆◆


 そんな頼りになるユウくんも、ある時期になると少しぼんやりするようになるのだ。

 ……ちょうど、今みたいに。


「……ユウくん、何してたの?」


 私は、窓の外を眺めたまま動かない彼のそばに歩み寄って尋ねた。


「んー、星見てた」


「星?今日は曇っていて見えないと思うけど……」


「うん。でも、なんか見たくなって」


「そっか……」


 私が相槌あいづちを打つと、彼はそのまま黙ってしまった。どうしたものかと思っていると、彼はポツリと呟いた。


「俺、元気になれるかな……」


 その言葉を聞いた瞬間、私の胸がズキンと痛んだ。


「……なるよ。絶対元気になれる。私が保証する」


 思わずそう言ってしまうと、彼はゆっくりとこちらを振り向いた。その顔を見てハッとする。


「……ありがとう」


 そう言って微笑んだ彼からは、どこか寂しげな雰囲気が感じ取れたからだ。

 その笑顔を見た私は、なんだか無性に泣きたくなってしまい、慌てて顔を背けた。


◆◆◆


 それからしばらく経ったある日のこと。

 その日、私は夜勤だった。

 夜勤の時は、夜中に患者さんが急変したりすることもあるから、なるべく誰かと一緒に寝るようにしているのだけれど、この日はたまたま1人だった。

 しかも、小児病棟で入院している子たちはみんなぐっすり眠っている時間帯だったため、かなり静かな病棟となっていた。

 こういう時は、何か起きないかヒヤヒヤしてしまうものだ。とはいえ、何も起こらないに越したことはない。


 私はナースステーションで書類整理をすることにした。

 カタカタとキーボードを打っているうちに、ふと、窓の外に視線が吸い寄せられていく。

 ……あ、流れ星だ。

 一瞬だったけれど、確かに光が流れたように見えた。そういえば、今日は流星群が見える日だとニュースでやっていたような気がする。

 私は椅子から立ち上がり、窓を開けて夜空を見上げた。雲一つない快晴の夜空に、たくさんの星々がきらめいている。

 私はしばらくの間、魅入みいられたようにそこから動けなかった。

 どれくらい時間が経った頃だろう……ふいに、後ろから声をかけられた。


「……シホ先生も、星、見てたの?」


 振り返ると、そこにはユウくんの姿があった。


「ユウくん……起きてたの?」


「うん。眠れなくて」


 そう言うと、彼は隣に立って同じように空を見上げ始めた。


「あ、流れた!……ねえ、願い事3回唱えられた?」


「あはは、無理だよ。だってあんなの一瞬だし……」


 そう答えながら苦笑いを浮かべて、再び星空を見上げる。


「つかめそうだね」とユウくんが星空に手を伸ばすのを見た時だった。

 私の頭の中に、とある光景がフラッシュバックしてきた。


 ──目の前に広がる星空のような光。そこから伸ばされた小さな手は、私を引っ張り上げるように差し出されている。私は無意識のうちに、その手を掴んだ。


「……どうしたの?」


 ユウくんが不思議そうに尋ねてくる。私は答えることができなかった。

 思い出してしまったのだ。どうして忘れていたのか不思議なくらい鮮明に。

 私は幼い頃、溺れかけてしまったことがあった。その時、通行人より先に私を助けてくれた人がいたのだ。


「シホ先生……?」


 ユウくん─『水瀬優輝みなせゆうき』くんが、私の顔をのぞき込むようにして声をかけてくる。


「えっ……!?泣いてるの!?」


 彼に言われて初めて気づいた。私は涙を流していたのだ。


「ごめん……ごめんね……」


 私は涙を止めることができずに、ただひたすらに謝罪の言葉を口にしていた。


 あの時助けてくれたのは、間違いなく兄だった。当時小学4年生だった兄は、沈みゆく私を必死になって引き上げてくれた。

 けれど、その代償として、兄の体は水底へと沈んでいったのだ。

 この病院に運ばれてきた時にはすでに心肺停止の状態で、懸命の治療がほどこされたけれど、結局亡くなってしまったのだ。

 子どもは霊感が強いと言われているから、病棟の子たちにも彼の姿は見えていたのだろう。


 そのことを思い出して、涙が止まらなくなってしまった。私は膝をついてそのまま座り込む。

 すると、ユウくんが優しく抱きしめてくれた。そして、小さい子に聞かせるように語りかけてくる。


「大丈夫、兄ちゃんが守ってやるから……」


 その言葉は、私が泣いていると兄が決まって口にしていた言葉とまったく同じだった。

 優しく背中を撫でる手はひんやりとしていたが、それは確かに兄と同じ温もりを感じさせた。

 そうして私が泣き止むまで、小さな兄はずっと優しく抱きしめ続けてくれたのだった──。

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