第11話 怪異は怪異を以て

 やがて、神社の前、境内へとたどり着く。

 いったいどれだけの時間をかけて進んで来ただろう。

 息を深く吐いて、蛇切は前を睨んだ。

「さて……姫。殺しに来てやったぞ」

 その声は『くねくね』を相手にしていた時のそれとはまるで違う。殺すという意志に満ちている。

 空間が重くなる。圧力が蛇切の細身に圧しかかってくる。体を倒しそうになるも、踏みとどまる。

 境内もまた、髪の毛に包まれている。その量は参道を大きく越えている。杉の木に絡み付き、蠢く様は、千万匹のミミズの群れを思わせて気持ち悪い。手水舎の水は黒ずんで油が浮き虹色が淡く覆っている。狛犬は口を髪の毛で塞がれて。その中心は社にある。御社殿の闇は一際色濃い。賽銭箱の奥。隙間の開いたら扉の奥から、伸びてくる黒、黒、黒。

 ───子供の声が聞こえる。そう『くねくね』は思い、次の瞬間、無邪気な子供の声。蛇切と『くねくね』の視界に、半透明な男児と女児が出現し、ニコリと笑う体は一糸まとわぬ全裸であった。それらは、まぐわい始めた。

 未発達な性器と性器を交合させ、快感に悶える姿は酷くおぞましい。

「うげえ……」

「悪趣味。そりゃあ殿様にも捨てられるわけだ」

 交合する幼児らの中に見知った顔をいくつか見つける。

 幼稚園の頃恋していた女の子。母のアルバムで見た幼いころの顔。近所を駆けまわっていた幼子ら。早逝した従妹も混ざっている。

 それらが交わっている。気色悪い。それらが喘いでいる。耳を潰したくなる。快感に身を捩らせ、出ることのない精を吐こうとする。できるわけのない子供を子供が求めている。目を潰したい。見ていられない。聞いていられない。理性が軋みを上げている。脳髄がこれ以上やめろと絶叫する。

「馬鹿馬鹿しい。今更こんな光景で私の心が揺らぐとでも思っているのか。ええ? 意味のない幻をみせてないで、さっさと出てきたらどうだ?」

 蛇切は冷徹に言い放った。

 瞬間、交尾が停止する。録画した番組へ向けて一時停止ボタンを押したような、空間そのものの時間が凍ったように、子らの体が硬直する。

 ぐるん、と。物理法則も人体構造も無視して、全員の顔が蛇切を見る。

「幻じゃないよ」「僕らはここにいる」「ずっとここで遊ぶの」「気持ちいいよ」「お姉さんも、やろう?」「僕たちと同じ家のひとだよね」「一緒」「一緒」「一緒」

「……人形遊びは楽しいか? ふん。どうせ既に消化済みだろうが」

 蛇切は懐から煙草を取り出した。聖句を刻んだライターで火をつけ、煙を肺に送る。邪気が祓われ、体が軽くなる。ふっと、煙を吐き散らすと、幼児の幻が消失した。

 同時に、『くねくね』も冷静になる。

「今のは……」

「幻覚さ。中には実際に奴に取り込まれた子供もいただろうが……」

 視線の先で、神社が僅かに蠢いた。足に纏わりつく黒髪の粘土が高まる。蛇切はそれを無視して、『くねくね』へ言った。

「タネを明かしてやるとしようか、管理人」

「タネ?」

「依頼していた調査記録だよ」

 ああ、と。納得して、『くねくね』は言う。

「記録を漁ったやつですね。小宮川本家の特殊な葬式の」

「うん、それ。開示していくとしよう」

「……小宮川の葬式、あれは太古の昔から受け継がれてきた風習なんかじゃ全くなかった。始まったのは江戸後期。早逝が頻発しそこそこ経った頃、山伏が降りてきて託宣し、スタートした、二百年もない伝統です」

『くねくね』の言葉が空間に伝わる。

 社が、暗くなるように思えた。

 足元の髪が、ぬめぬめと光る。光源などないのに。

『くねくね』は続きを喋ろうとして、言葉の出てこない自分に気付いた。

 何か話したいのに、何も言えない。

 言いたくない。

 これ以上話せば、死ぬ。その直感が全身を襲って、口を開けることが出来ない。

「ご苦労。もういい」

 そんな彼の肩を叩く蛇切。

 ───『くねくね』の役目はこれでひとまず終わりだ。蛇切の切り札は相当な精神力がいる。道中や、真相の開示で怪異の放つ妨害で、メンタルを削られては、肝心の切り札にまで辿り着けない。故に今回、『くねくね』を連れてきた。怪異慣れした彼をタンクとして用い、ぎりぎりまで自身の消耗を抑えるために。本人もそれを了承していた。

「……ここまで、です」

 絞り出した声は、百歳近い老人のそれを思わせた。

「申し訳ありません……」

「いいや、本当によくやってくれた」

 蛇切は一歩進む。

 ここから先は彼女の番だ。

 神社を睨みながら、『くねくね』の言葉を引き継いでいく。

「御山の記録を知って驚いたよ。葬儀に来ていた山伏、あれは公式には一切記録されてない。その後の代々やってくる奴らの、全員が、ここの修験道未登録の不審者だった……」

 つまり、だ。あの家の葬式は、二百年前にとある似非山伏に吹き込まれて始まったものに過ぎない。二百年───決して短くはないが。だが、古き時代の因習とも言えまい。

「なあ、何か言ったらどうだ? 気分を教えてくれよ。マッチポンプのバレた気分をさ」

 神社は不吉に蠢動し続けている。煙に守られている蛇切を襲おうと、呪詛の類を行使しているようだった。それを認識しつつ、蛇切はなおも止まらない。

「媛首神社の『白い幽霊』。それがあの山伏様の正体だろう。霊的に優れた若い魂を山へ送り、貴様へ食わせるための手駒。早逝の原因だって奴の仕業なんじゃないかね。まあ、そこは良い。細々とやってりゃ、私もここまでは来なかったよ。だが貴様はやり過ぎた」

 ぎしぎしと音が鳴る。ずるずると音が鳴る。めきめきと音が鳴る。

 樹木が、雑草が、砂利が、大気が、音が、光が、空間を構成する全要素が、蛇切に牙をむく。

 煙草の煙による防壁は一瞬で捻じ曲げられ、小柄な体が地面に叩きつけられた。

 退魔の言葉を刻んだロングコートが、媛首神社の一撃でボロボロになる。

 使い物にはもうなるまい。あばらも数本逝ったのを感じる。

「蛇切先生!!」

『くねくね』の声。無視。彼女の視線は社を睨んで離さない。

「分家の分家のそのまた分家レベルまで血の薄まった東京の小宮川と太田を狩り、神社を目にしただけの他人すら標的とする貴様は悲劇の姫でも正当なる復讐者でもない。ただの悪霊だ。さっさと祓われるべき怪異に他ならん。───さあ、始めるぞ」

 ぎしぎし、ずるずる、めきめき。再度の攻勢が、蛇切に迫る。

 その、刹那。

「助けて、しず」


「ばあ!!」


 異形が顕現する。


 何度見ても、慣れない。『くねくね』は、その光景を見るたびに思う。

 ホラー作家・蛇切縄子。彼女は怪異を作成する。

 顕現したのは、彼女の体験と幼馴染を元にした、彼女の書いた短編作品に現れた怪異。

 担当編集を(勝手に)実験台にして形成した人造悪霊が、この空間に現れる。

 五つの腕が、邪気に支配された空間を打ち破り、引き千切る。

 七つの目が、邪悪の根源足る神社の呪詛を解析し、暴き出す。

 蛇切の著作に出現したその風貌は、物理的な干渉力も伴って、木々を引き裂き、砂利を巻き上げ、髪の毛の波を切り裂いて、植物を枯らしては大気を吹き飛ばす。

「ゆめちゃんゆめちゃんゆめちゃん、これでこれでででいいいいいいいいい?」

「ああ、上出来だ」

 暴れまわる手駒の下で、立ち上がった作家は悠然と進んでいく。

 神社は対抗して怪奇現象を引き起こそうとするが、その全てを人造悪霊が阻んでいく。

 二百年間、魂を食らい、憎悪を滾らせてきた悪霊。それに対して一作家の人造悪霊が拮抗しているというのは明らかに条理に反している。けれども、そんな不条理が、現実のものとなって境内に出現していた。

 髪の毛を次々に引き千切る。千切る。千切る。切る。切る。切る切る切る切る切る───!

 その圧倒を背にして、作家は進む。

 神社が一際大きく蠢いた。まるで心臓の拍動めいた一瞬の後、内部に膨大極まる邪気が装填されていく。真っ赤な屋根から赤色が滴る。木材たちは捻じ曲がり、蜘蛛の手足のように異形へ変じていく。髪の毛も一気に吹き上がり、無数の黒い手足と化して蛇切の身を引きちぎらんと襲い掛かる。

 けれど、そのどの対処よりも。蛇切の進撃は、早かった。

 彼女は懐からそれを取り出す。

 ホラー作家の商売道具。

 そして、彼女が何故この媛首神社と渡り合えているのかの解。


 即ち───真っ黒な、けれど洗い落としきれなかった赤色の残る、ボールペンを。


 媛首神社の蠢動が停止する。人を越えた悪霊すらも、驚愕のあまり停止させられることがあるのだと知り、その滑稽さに蛇切は笑った。

 こんな程度か。

 田舎の御山から東京にまで呪いを届かせる悪霊も、こんな程度にすぎなかったか。

 母の命を奪ったのは、こんな程度の怪異だったか。

 かつて蛇切に力を与え、今なお接続の続く悪霊は、こんな程度の怪異だったか。

 あの日、親への憎悪に同調して体を乗っ取った怪異は、こんな程度の存在だったか。

 親友であり、幼馴染であり、大事な従妹だったしずの命を奪い、その魂まで喰らった怪異は、この程度の存在だったか。存在だったか。存在だったか!!

 こんな程度の存在が、あの子の命を奪ったというのか!!!

「……ゼロ点。前世からやり直しだ」

 蛇切は怒気を凄絶なまでに放って、ペンを振るう。

 材木の表面に名を刻む。赫怒の念は真っ赤な字をガリガリガリガリと刻み付ける。

 ───小宮川しず神社。

 邪気の支配権が切り替わる。媛首神社は名をうしない、その中の悪霊ではなく、神社の名を冠する人造悪霊へと邪気が全て流れ込む。そして。

「ばあッ!!」

 五本の怪腕が、かつて媛首神社だった建造物を、木っ端微塵に殴り壊した。


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