第10話 ホラー作家・蛇切縄子

 特急きさらぎから降りて、女性は伸びをする。

 ずっと狭い車内にいて退屈だったらしい、不機嫌そうな顔が、少しだけ明るくなる。その両目は色が異なっており、日の光を浴びて妖しく煌めいた。

 ロングコートに袖を通し、改札へ。

 帰ってきたくもなかった地元は相変わらずで、嫌気がするほど濁っている。

 駅の外へ出ると、男が声を掛けてきた。

「蛇切先生。お久しぶりですな」

「そうね、『くねくね』さん」

 ───ホラー作家・蛇切縄子は、『怪談ブログ幽魔』管理人『くねくね』と握手する。

『くねくね』氏はネット怪談のくねくねのように真っ白で蠢いているわけではないが、真っ白な服装といい髪の色といい、うねうねとした髪型といい、更には体が常に痙攣しているみたいでぐねぐねと動くため、人型のくねくねのようにも思えて気持ち悪い。そうした気持ち悪さを意図して演出しているところもあるらしいが。怪異は美に惹かれる。ならば、怪談ブログとは言え怪異に関わる己は身の安全のためにも有事の際は気持ち悪く醜くあらねばならぬ、とかなんとか。

「今回は、かの姫君を?」

 用意してくれた車に乗り込む。運転席で『くねくね』が問うてきた。蛇切は頷く。

「田舎で蠢いてるだけならまだしも、東京まで影響してくるなら対処するしかないわ。個人的な恨みもあるし」

「ほほう! 因縁の除霊に立ち会えるとは。くねくね、感激」

「喜ぶのは勝手にすればいいけど、運転までくねくねさせないでよ」


 媛首神社までは、あっという間についた。

 駐車場に車を止めて、鳥居に向かう。

「……想像以上ですな」

 ゴクリと唾をのんだのは『くねくね』。彼の頬には物凄い量の汗が流れている。

「こんな事が起こりうるのですか」

 鳥居の外側は何の変哲もない。普通の山の、普通の風景だ。

 ただ、鳥居の奥だけが全く違う。

 時刻は正午。太陽は天高く登っているのに。

 鳥居の奥だけ、何も見えない。天蓋に覆われているように真っ黒だ。

 そんな鳥居の前から声が聞こえる。

「お待ちしておりました」

 二人を迎えるのは十人以上の神主、坊主、山伏らだった。

 全員が六十、七十代以上の老人である。

 ───単なる神職や修行者ではない。怪異と接し、調伏する生涯を選んだ達人たち。それも、初見殺しや嵌め技ばかりの魔性どもを相手にこの歳まで生き残った規格外。神の名を持ち出して威を借り調伏する神主。巧み過ぎる読経を以て祓う住職。絵に封じ込めるべくペンタブを持ってきた神職兼イラストレーター。数々の呪具を用いて祓いを行う修験道の行者。即身仏と接続しその徳を自在に引き出す和尚。

 そんな面々が、今回はバックアップとして呼ばれている。

 異能者の中に混ざっていたスーツの男が、蛇切に近づく。

「周辺三キロの避難は完了しております」

「ありがとう」

 今回の祓いは極めて大規模なものになる可能性があった。

「皆さんは周囲を固めておいてください。予定通りに。削るのは私がやります」

 専門家たちに異論はなかった。あらかじめZOOM会議で話し合ったとおりに行動を起こす。

 今回の怪異は、通常のものとは違う。あまりに育ちすぎている。その在り方はぼんやりとしており、仏教・神道・修験道の三様式の何れも通用すると見ているが、同時に出力される呪詛があまりに強力であると見られており。故に、蛇切も参加することとなった。

「では、行きます」


 鳥居をくぐった先はもう異界だった。

 空間が澱むなんてものじゃない。呼吸するだけで肺が腐り落ちていきそうなほどの穢れが渦巻いている。重力が真横に働いているみたいで、前に進むだけでも一苦労だ。

「……マジかよう……」

『くねくね』が頬を引き攣らせて呟く。気味悪そうに足元を見る。

 地面を見ると闇に包まれている。いや、違う。この闇には質量がある。黒い物質。それは髪だ。所々に赤色を纏う髪の毛が、地面を覆い尽くしている。赤色からは血と腐の汚臭。目を近づけると、それは臓器であり、肉片であり、血液であり、澱物だった。穢れを纏う髪の毛が、川のように奥から流れ、参道の地面を覆っている。

 踏み出す度に足に絡む。田んぼを素足で歩くようで、しかも不快度はその比ではなく。気合いを入れて踏み出す度に、足から伝わる感触で精神がゴリゴリ削られていく。

「……なんで、先生はそんなすたすた進めるんですかい……」

「これがあるからね」

 胸ポケットの中の何かに手を添えたのち、『くねくね』の前を、作家は進んでいく。

「……ええい。『くねくね』を名乗ってるやつが、たかが髪の毛に負けてちゃ世話ないぜ」

 管理人は自分を鼓舞して、作家の後を追う。

 そうしてどれだけ進んだろうか。

 媛首神社の参道は決して長くないはず。距離にして百メートルもないのに、もう丸一日歩きとおしたような感覚と疲労感がある。

 とはいえ一度休むわけにもいかない。こんな空間で休めるはずもない。

「……蛇切先生、まだですか……?」

 返事はない。作家の背中はただひたすらにまっすぐ進んでいく。

 ふと。

『くねくね』の心の中に疑念が生じた。

 前を進むあの作家は、本当に蛇切縄子なのだろうか。

 一度疑ってしまうと、もう止まらなくなる。

 進み始めてからこれまで数時間、蛇切の顔は見ていない。どこかで視線をそらしたタイミングで、別人に入れ替わられていたとしても気付けない。ずっと背中しか見ていないのだから。

 目の前の人物が振り返ってくれれば真偽は分かる。

 不安に感じた『くねくね』は疲れた体に鞭打ってスピードを上げる。

 追いついて、肩を叩くなりして止まってもらい、振り返らせるなり回り込むなりしようとする。が、そこで疑問が追加。もしあの顔を正面から見れたとして。それが蛇切縄子でなかったとしたら? すたすたと進む彼女がゆっくりと振り返った時、その首の上にある顔が、例えば、そう、血の気のない、真っ青な、それでいて目だけ怨念に染まって生き生きとした、おぞましい生首の笑い顔であったとしたら。

 いや、顔があるだけまだいい。

 振り返った顔が存在しなかったら? 人間以外の顔であったら? 次の瞬間にも頭部が消失したら? 人間には理解できない何かだったら? 発狂してしまうような、何かだったら?

『くねくね』を名乗る男は、呑まれる。

 自らの冠する名前。その怪異が引き起こす現象に。


「いいえ、それは幻」


 気が付くと、蛇切が振り向いていた。

 首から上は、いつも通りの彼女の顔だ。

 左右で色の違う瞳は、上下ともに真っ暗な闇に染まった参道にあってなお、どこか妖しく煌めていている。

「……『くねくね』としたことが、情けないですな……。申し訳ない」

「いいえ。ここでは誰だってそうなる」

 作家は照れる様に続ける。

「実を言うと私も、後ろにいるのが『くねくね』氏ではないのではないかと思い、怖かった。これで安心できたよ」


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