16・魔女とクジラとトカゲ

「戦う気はないというか、なるべくなら戦いたくない。だから、とにかく逃げようと思ってる」

 協力を申し出てくれたサイボーグ精霊様に、キナトはまず、今の自分の考えを告げる。

「なぜだ? お互いの速度と、おまえたちのその強さを考慮するなら、この状況は戦う方がいいんじゃないのか」

 シェイルークの言う通り、実際、戦う方が安全策とさえ言える。普通に、逃げようとしてもエネルギーが保つかどうかわからないが、戦うならば、今はまだ単純にどちらが強いかだろう。そしてキナトたちは強い。

「あの生物たちを殺したくない。たとえぼくらのような特異的な生物を、珍しい"モノ"にしか考えてないような奴らでもね」とは言うものの、キナトの声には少しトゲがあるようにも、ネリーには思えた。


 キナトも、元はレイジェの出身だから、やはり何か、思うところがあったりするのだろう。


「シェイルーク、多分、あなたの考えてる通り、危険な方の選択だと思うけど、それでも協力してくれる?」

「むしろその気持ち高まった。おまえのこと、ますます気にいったよ。おれも誰も殺したくない」

「ありがとう」

「ありがとうですわ」

 キナトだけでなく、ネリーも、シェイルークという精霊に対し、好ましい印象を強めた。

 ただ、もちろん今は、のんびり交流を深めているような場合ではない。

「だが、逃げるにしたって、今、何か計画はあるか?」とシェイルーク。

「実は」

 笑みを見せるキナト。 

「水の精霊様。あなたが協力してくれるなら、1ついい策がある」


ーー


 ユム・ミリにあるサイバーネットワークシステムのための施設は、レイジェ連邦だけのものではないのだが、中継装置の多くはレイジェのIT企業と。電脳サイバー組織が管理し、それによって莫大な利益を得ている。

 そうしたものは、普通は、レイジェで最大の軍事組織であるクリキズウェに物理的な警備が任されていて、ユム・ミリの施設もそれは例外ではない。

 魔法使いと思われる奇妙な生物たちを感知したのは、機械的|(つまりテクの)システムでなく、ウィッチたちの広げていた、一般的には"魔法空間まほうくうかん"と呼ばれている、魔法を利用したテクノロジー。


 物質生物の場合、特別な機械を使い、ようするに機巧魔術により、周囲を認識する意識を弱めることで(ようするに空間の各部分に対する認識のための知能ポテンシャルを下げることで)魔法の対象範囲を拡大できる。ただそれだと意識自体も一時弱まるために、普通は魔法の利用自体が難しくなるのだが(魔法使用時のその物理体のデータが十分に取れているのなら)実質的に無意識化で魔法を使わせることのできる装置もクリキズウェは所有している。

 そしてそれらを組み合わせ、周囲の空間に、他の魔法が使われたことを感知するための、「機械的にコントロールされた精神の膜」とでも呼べるような広がりを用意できる。魔法空間とはそういうもの。


 魔法適性が高いウィッチ族、あるいは魔女であるエリシェノーアが、ネットインフラ施設から十数キロメートル離れた地点で待機していた、巨大な四角い移動機械内から広げていた魔法空間は広い。キナトたちの存在、機械の監視システムをごまかすことのできる機械のようではあるが、なぜか魔法を使うという謎の、しかも複数名の存在に気づいたのは彼女だった。

 ただ、彼女は、その謎の存在たちの追跡には参加しないで、インフラ施設の周囲を調べていた。


 共に施設警備を任されていた7名の同僚たちと比べて、自身の足はまず間違いなく一番遅いから、誰かを残すなら彼女は適任だ。そして誰かを残すべきだというのは、警備チームのリーダーであるガウドル、エリシェノーアの感覚的には、正直少し不気味な容姿であるトゲクジラの判断。

 全く未知、ましてや(レザフィカの)外から来たかもしれないような(魔法を使う機械とか、レザフィカでは聞いたこともないような存在なのだから、そう考えるのが普通だろう)相手との戦いで、楽観的な予想など確かにできない。

 別に施設自体が何かダメージを受けたわけでもないのだから、本来なら深追いも禁物。しかしまさにレザフィカで未知の存在というのが、レイジェの組織としては重要でもあった。もちろん何か、大きな価値があるかもしれないからだ。

 ただし、全員で追いかけて、全員が返り討ちにあうというのは最悪、という訳だ。


 雪景色の中、白い毛皮のリングを首に巻いてるような青髪少女。エリシェノーアは、顔は下を向きながら、瞬間的にできた川が凍ったみたいなところに立っていた。

(機械じゃない)

 エリシェノーアとしては、追跡に参加できなくて、しかし待っているだけというのは時間ももったいないから、自分は施設の方を調べようとやってきたのだが、おそらく正解だった。

 寒さのために、分子の動きが鈍りやすい環境で、少し前に使われたのだろう、水の魔法と風の魔法の痕跡はちゃんと残っていた。しかしそれらよりもずっと奇妙なものも……

(これは魂の、なのよね?)

 どんな生物か。精霊かもしれないが、精霊だとしてもかなりおかしい話だ。

 もう少し時間が経てば完全に消えてしまっていただろう。今でも消えかかってる。魔法による外部への物理影響というよりも、(それと連続していて比較できたから気づけた)おそらくは内部に見られるような物理影響。

 ようするに、そこに残っていたいくらかの痕跡が示していたのは、むき出しの魂が、一時的に物理構造を作り、魔法を発動した後で、再び物理構造を捨てたかのような過程。

 (実際には、エリシェノーアもそんな技、直接には見たこともないから推測だが)まるで創造の魔術を行った後のようだが、ここで行われていたことは創造ではないだろう。

(太陽船?)

 スフィアの球体大地の動き、あるいは今の時間からして、それがあると思われる方向を見るが、降り積もる雪と対照的な暗い空しか見えはしない。

 魔法空間を広げている時のエリシェノーアは、感覚的には眠っているかのようで、その時のことは覚えてもいない。そして例の魔法使いたちを感知したシステムに起こされてから、同僚たちに聞いた、眠っている間に発生したいくつかの出来事。太陽船の不具合はその1つ。

「いったい何が起きてるの?」

 ちゃんと疑問を音にして出しても、もちろん誰も答えてはくれなかった。


ーー


 キナトがシェイルークに提案した、一緒に逃げるための方法は、シェイルークの魔法で一時的な水の道と、それに浮かぶ氷の船|(イカダ)を発生させ、キナトの魔法の風でそれを運ぶというもの。


「こんな方法があるなんて、というか有効なんてな」

 通った後の水を、これから通る道のために前に移動させる。その操作のために必要な動作なのだろう。ヒトの姿で、右手の指を水に浸けていたシェイルーク。

「物理波の探査に対してはね」

 自分たちを押すように、ある方向へ風を加速させる操作。シェイルークに比べれば魔法使いとしての役割はずいぶん楽だったキナト。

 ただ、彼には別の役割もある。正確には、彼の相棒の役割だが、それによって負担がかかるのは彼の物理構造だ。

「キナト、大丈夫ですの?」とその相棒。キナトの隣のたタカアバター。

「多分まだまだ大丈夫、3日くらいはね」

 ネリーが、物理情報から読みとれたのと、ほとんど同じくらいの限界リミット。つまり答は聞く前からわかっていたのだが、彼女が確認したかったのは、相棒がその自分の限界をちゃんと自覚できているかどうか。


 キナトに負担がかかっていた、ネリーの行いは、物理波に対して実質透明な閉鎖系の構築。

 よほど特殊な魔術や、レザフィカ内ではおおよそ考えにくいようなハイテクノロジーでもなければ、物理空間の中での探知というのは、追跡対象から発信された何らかの情報の受信しかありえない。

 ようするにキナトたちは、自分たちの方の感知から、大地上の位置確認まで、逆探知される危険のあるシステムは全て止めて、かつ移動のための魔法の影響も含め、生物としての活動の影響もわかりにくくするための透明な殻に自分たちを包んだ。移動に魔法を使うのは、それなら意識的なコントロールで規則的にしやすい(だから、自然に溶け込ませやすい)から。


「でもあまり早く動けないのは、どうしようもないか」

「ええ、これが限界ですわ」

 閉鎖系を安定させられる限界速度は、せいぜい歩くよりは少し早いくらい。キナトたちも、その点はどうしようもない。

「だが、このペースは実際問題、おれさまも不安だ」とシェイルーク。

「大丈夫、最後に持ってた位置情報から考えると、方角さえ間違ってなければ、この速度でも1日はかからないと思う」

 その方角とは東。地図通りなら、ユム・ミリからはキッカオン共和国への方向。

「だが、キッカオンに入れば、本当に大丈夫なのか?」

 それはキナトが、言ったこと。『感知されないまま、キッカオンまで行ければ、おそらくどうにかなる』と。

「どう考えても、あのヒトたち、本来の役割はネット施設の警備だしね。さすがにエリアを超えるほど離れすぎることは避けるだろうし。それにキッカオンだって大国で、レイジェの組織も表立って派手に動くのは難しいはず。それに」

 しかしキナトは、それ以上はもう言わなかった。


 キッカオンは、キナトがかつて、ウィルミクと共に暮らしたこともある国。そして一緒に魔法学校に通ってもいたのだ。自分たちの本来の目的を考えると、あまりいい選択ではないかもしれないが、いざという時には助けてくれそうな心当たりもいくらかある。


「それより問題は、キッカオンまで行けるかどうかより、やっぱりそこまでにどうしてもかかってしまう時間。センサー補足はされなくても、相手にも探す時間はかなりできてしまうから」

 適当に探して偶然に見つけられる危険性もある。

「方角を間違えないためにも仕方ないけど、ぼくたちが進むのは直線ルート、適当に探してても」

「ですね、まずいですわ。いえ、これは適当に探してての結果ではないですわね。早すぎますし」

「ネリー?」

「ええキナト。どういうことだか、もう見つけられたみたいですわよ」

「いや、早すぎるだろ。ほんとに」

「嘘と言いたいですけどね、本当ですわ。きます」


 実際に、すぐに彼はすぐに現れた。黒っぽいその肌と比べても、さらに真っ黒と言えるような鎧、にも見える服をまとった二足歩行のトカゲ。最初は左手に小さなバズーカ砲を持っているように見えたが、よく見るとそれは、機械に改造されている腕と直接繋がっている。


「今日はよくサイボーグと出会う日ですわ」と冗談を言いながらも、そのまま戦闘になった場合は邪魔にしかならないだろう、閉鎖系は一旦解除するネリー。

「ああ、まったく、運がいいのか悪いのか」

 シェイルークも、水の操作を一旦止めて、剣を構える。

 もちろんそれで、氷のイカダも、変化をやめた水たまり上で一旦は停止する。

「どうしてぼくらの場所がわかったの?」

 隣のタカと少年剣士に比べたら、キナトはまだ落ち着いている感じだった。

(仲間を呼んではいない。それなら、もしかしたら)

 キナトにはわかっている。たとえ組織に所属していても、レイジェという国には、実用的個体主義とでも言えるような者が多い。

 ひとりだけでキナトたちの前に現れたということは、そのリザードマンもまさに、そういうタイプである可能性が十分にあり、そしてそれなら、まだ戦わないですむかもしれない。

「この体からわかることもあるだろう。おれも結構、特別な存在でな。おまえたち、いや、まずは名乗ろう。おれはレディミル」

 レディミル。そう名乗った黒鎧のサイボーグトカゲの声は、ヒトだとしたらかなり掠れている響き。

「ぼくは」

 そしてキナトに続き、ネリーとシェイルークも一応は名乗った。


「レディミル、どうか、ぼくらを見逃してくれないかな」

 結局、キナトの希望的な推測通りだったのだろう。

「それなら、条件がある、が」

 彼の方も警戒していたということだろう。その手のミニバズーカを折りたたんで小さくしたレディミル。

「その前に聞きたい。太陽船を襲撃したのはおまえたちなのか?」

「ああ、そうだよ」

 それに関しては、シェイルークはもちろん関係ないが、それを言うかどうかは、彼自身に任せたキナト。

「おれさまは違うがな。こいつらとは少し前に、この世界で出会ったんだ」と結局、その彼は言った。

「なら、おれにとって重要なのは、キナト、ネリー、おまえたちだな。おまえたち、確かに自然生物なのかもしれないが、機械的なところもあるだろう。おれや、おそらくそこの精霊よりもな」

 同じサイボーグとしてどのくらいかわかったのだろうか。キナトたちの認識としても、確かにシェイルークは(しかし精霊という事実がかなりありえないはずなのだが)サイボーグ生物としては、それほど奇妙な存在というわけではない。

「太陽船で暴れた時、あの船で集めたデータもいくらかは残ってるんじゃないか? あの船に関するな」

「大したものではないけどね」

 交換条件としては実にわかりやすい。そして、キナトとしてはまずい。

「船の情報がほしいの?」

「そういうことだが、おまえに何か問題でもあるのか?」

「悪いけど、管理者には大切な友達がいるんだ。おまえの目的が、例えば船の乗っ取りなら、それを手助けすることはどうしてもできない」


(キナト)

 相棒の言葉は、心底真実だろうとネリーも思う。ただ、そもそも実用的にも、管理者を敵に回すかもしれないような行いは、今の自分たちにとってあまりいい方法ではないことも確かだ。

(あなたは)

 言葉にしたかったのかもしれない。少し前に戦った彼女。今は管理者となっているかつての義妹。彼女は、今でも彼にとって友達と。


「そういうことなら、おれを警戒するのも無理はないか」

 レディミルは、意外とあっさり納得してくれたようだった。

「だがそういうことならそういうことで好都合だ。キナト、おまえが大丈夫だと思う範囲でいい。そのお友達の情報をくれないか。それで見逃してやる」

 元々の目的は何だったのかわからないが、どうやら船自体から、管理者との繋がりコネクションに狙いを変えたようだったレディミル。

「それなら別にいいけど、でも、今教えられる情報で、あいつにたどり着けるかは保証できないし、仮にあいつを見つけたとしても、例えばぼくのこと頼りにコネクションを築けるかはわからないよ」

「ああ、構わないぞ。まずその管理者の誰かとお友達なおまえと、こうして少しはお近づきになれた訳だしな。キナト、おまえ、レイジェの出身なんじゃないか、おれのこともよくわかっている。それに今は真面目なお利口さんみたいだ。今回のことでおれはあんたに貸しもつくれる訳だ。それを簡単に忘れたりしないんじゃないか、おまえ」


(見事な読みですわね)とネリーは関心したくらい。

 しかし、レイジェの出身と推測した上で、『"今は"お利口さん』という言い方だけは、彼女としては少し気になってしまった。

 ネリーにとっても、昔のキナトは、もうナフナドカに来て、王族の一員だった時代の彼。それ以前、レイジェ時代の幼き日のことは何も、彼は自分にも、多分フィオミィにだって語ってくれたことはないから。


「次に会える機会があるかもわからないけど」

「ああ、それでいいさ」

「ぼくの友達は、メリーメノアてヒト族の女の子だ。管理者になる前は……」

 本当に大した情報ではないが、しかし他の管理者といる時に、誰が彼女なのか判断する材料としては十分だろうくらいの情報は、レディミルに渡したキナト。そしてレディミルとしても、期待していたのはそれだったようだ。

「それじゃあな。これは大きな貸しだ」と、彼は本当に、何かすることもなく、仲間を呼ぶこともなく、その場を去ってくれた。


「「キナト」」と、彼に同時に呼びかけたネリーとシェイルーク。

「あっと、今は多分もう大丈夫だよ。ただ、見逃してくれたのは確実に、さっきの彼、レディミルの単独だろうから。さっきまでと同じように閉鎖系使って、ゆっくりね、行こう」

「了解です」

「ああ」

 そうして、3名は再び東方向、キッカオンの方へと氷イカダを進めだした。


ーー


「レディミル」

 キナトたちをあえて見逃してやり、彼らから離れてからほんの数分くらい。警備小隊のリーダーであるガウドルに呼び止められたレディミル。

 ガウドル。彼は、顔の部分が妙にトゲトゲしいドラゴンみたいな、キメラらしいクジラだ。

「何かを見たのか?」

 急に進んでいた方向を変えて、そして少し行ったところでしばらく立ち止まっていたのだから、その行動に気づかれていたなら、そんなふうに思われて当然だろう。

「見たと思ったのですが、気のせいでした」

 レディミルとしては、そう答えるしかなかった。

「そうか」

「何か、また気になることでも?」

「エリシェノーアからな。わずかだが、標的は創造の魔術師の可能性もあると」

「魔術師、創造の」


 実際に会ったレディミルは、そんな印象は抱かなかった。

 ただ、かなり奇妙な存在とはいえ、キナトは明らかに、あのネリー、バーチャル生物による何らかの操作が、その強力な魔法の理由であるようだった。魔法に関してバーチャル生物に頼る魔術師、はともかく、創造の魔術師というのは、ちょっと考えにくいのでなかろうか。


「まあ、その正体はともかく、やはり強力な魔法を使うこともはっきりした。決して油断はするな」

「了解、です」


 そして、その場を離れたトゲクジラ。


(次に会えるかもわからない、か。だが、可能性は低くもないだろう)

 もちろん彼らの目的にもよるだろうが、レザフィカこのせかいでまだ何かする気なら、期待はしてていいだろうと、レディミルは考えていた。

 まず間違いなく、クリキズウェは、魔法機械か、機械的自然生物みたいな謎の何者か、キナトたちをもっとちゃんと調査しようとするだろうし。そしてレディミルは、キナトと実際に会って、彼についてある程度の情報も持てたのだから。

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