Ch2・呪われし精霊様

11・水と火

 ネイズグ世界において、"ルゼド"は、大スケールの地図で、ユグドラシルの西にあたる。それは、ネイズグのどこまでも続いていそうな大地の中の一部で孤立しているいくつかの小世界の1つ。そうした大地小世界の中では、最も生物にとって過酷な領域とされ、荒野と砂漠ばかりが半分以上の土地を占めている。

 ルゼドは、ユグドラシルすなわち"大樹世界"よりはかなり小さく、大樹世界内世界の中では"ウィーズ"と近い大きさ。レザフィカの球体大地よりはかなり大きく、具体的には10倍くらい。つまりは、他のネイズグ大地小世界と同じように、たいていの生物にとっては、それだけでとても大きな世界。


 この小世界の名称が出てくる最も古い記録は、"世界暦(WA)"が始まるより9130年ほど前、すなわち"前世界暦"とも呼ばれる"黎明れいめい暦(DA)"の9130頃(この暦は、世界暦以前の時代の年月を逆に数えていく)。それはまた、ネイズグの全世界において、年代がほぼ明らかである最古の記録。

 その記録とは、"アジャラダ"、"テンラミ"、ルゼド、"レトナン"の、その当時からすでに繋がりもあったらしい4つの大地小世界(というか生物のいる世界)の代表研究者たちの探検隊が「第5の大地小世界ユグドラシル」を発見したというもの。しかしまだ、ユグドラシルそれ自体が生物であるということも、その驚くべき巨大さも、推測すらされていなかった。

 ルゼドの生物の歴史において最も重要とされる創造の魔術師バリカの、おそらく最初の弟子であるルクマーンが、師にならい、自分たちの一門に固有の知的生物である種族ウェアバードを初めて創造したのも、ちょうどそのユグドラシル発見の時期だったと伝えられる。


 ウェアバードはキメラの亜種で、ようするにヒト型になった鳥のような種。

 そして、ウェアバード以前も以降も、また知的にせよそうでないにせよ、ルゼドに固有の自然生物種は、ほぼ全てバリカ一門の魔術師たちが設計デザインしたものである。

 もちろんバリカ自身も、数えきれないほどの生物を新しくデザインしたが、中でも最高傑作の自然生物としてよく語られてきたのが、後にジンと呼ばれるようになった、バリカ自身はアルジャニと名付けていたようである精霊種族。


 自然生物を造る創造は、"エーテル領域"で集合させた必要な要素を顕在化けんざいかさせて、魂のための物理構造をモノ元素体に与えるもの。

 エーテルは、詳細な定義は諸説あるが、いずれにしろ真空と重なった世界要素と考えられている。ただ、多くの魔術師にとっては、それが具体的に何かということは大した問題ではない。それがどのように利用できるのか。特に創造の魔術師にとっては、実際それがモノ元素に自律機能、つまり生物のためのネットワークを与えるために必要なことが重要。

 ただし創造の魔術の手順は、普通はかなり複雑で、その過程ではテク元素系の道具、つまりは機械を利用することもそれほど珍しくない。

 そしてジンは、テク元素系の物質反応をシールド代わりにして固定した煙を基として、霊構造を創造する奥義で産み出されるという一群の特殊な精霊。その特異的な魔法性質のため、多彩な物理形体や、災害的な自然現象への変身能力、闇の中のすばやい移動など、かなり変幻自在な知的霊生物。


 ジンはまた、DA7591に消息を絶ったバリカが(知られている限り)最後に創造した知的生物としても知られる。そして、他にジンの創造をしていた数名の弟子たちと一緒に、未開の地を開拓し、数を増していたジンたちのための国を興したのは、彼が、誰の前からも姿を消してしまうその時より8年前のこと。

 その国の元々の名前はすぐに忘れ去られた。火、水、風、土のそれぞれの属性のジンたちが、個々に生きやすい環境に別れて、それぞれの区域に同属性の(ただしほとんどバリカ一門の)自然生物たちが多く移住してきて、これもまた巨大な小世界と言えるようになる頃には、誰もがこの国を、あの偉大な魔術師の名で認識するようになっていた。つまり精霊の国"バリカ"と。


 バリカの4区域の独立性は時と共に高まり、いつからか各区域を共有する、それぞれ同属性の生物群は、赤(火)、青(水)、緑(風)、黄(土)と、色で区別される四つの一族となった。

 赤と青の一族の対立の根はかなり最初の頃からあったとされるが、まさしくその敵対関係が本格化してしまったのは、DA5300頃。決定的なきっかけは何だったのか。確かなことは、この頃、2つの重要な事件が起きた。

 1つは、青の一族の多くの者にとって、特別な憩いの場だった巨大オアシスが、赤の一族の内戦が原因で破壊されてしまったこと。

 もう1つは、青の一族のいくつかの有力者が、勝手にバリカの代表として、つまりは青の一族でなくバリカ国として、フォルグという国と条約を結び、それがいくつかの悲劇に繋がったのだが、結果的には本来関係なかったはずの赤の一族が最も被害を被ることになったこと。

 それらの出来事が、結局どの程度引き金としての役割を果たしたかはともかく、2つの一族は長く続く戦乱の時代に突入したのだった。


 戦いは、最初は赤の一族が優勢と思われた。彼らは元来攻撃的な傾向が強く、幾重もの内戦によってかなり戦い慣れていたから。

 しかしDA4941、青の一族に属する創造の魔術師、三つ目のクジラのカーズィムが最強の水のジンとされたマーリドの創造に成功し、形勢は一気に逆転した。


 マーリドは最も恐ろしいジンとされるが、それは気性の話ではない。ジンの中でも特に変身が自由自在でもあるのだが、真の姿が巨大な怪物とよく推測されている訳である(精霊は普通、不定形とされるが、なぜか真の姿を噂されることが珍しくない)。精霊として、自然生物として、非常に強力な魔法を有するのに加え、物理的形体も基本的に強力。ただし、自身の魂が存在から離れて安定しやすく、普通は外部物質に隠していて、それが狙われると脆い。という、構造的に重要な弱点も抱えている。


 だが、戦いはまだまだ始まりにすぎなかった。

 マーリドに対抗すべく、赤の一族側の創造の魔術師、その体のあちこちに水晶玉を埋め込んでいる黒いドラゴンのジャッダラは、最強の火のジンであるイフリートを創造。


 イフリートは、マーリドには劣るとされるものの、やはり非常に強力な魔法と物理形体を有するジン。しかもマーリドとは違って、魂が物理的に守りやすい核としてあるため、そういう意味で明らかな弱点はない。しかし、ある意味で抱える欠点はあちらより大きい。ジンとしての基本能力と言える変身が苦手であって、形体パターンはかなり乏しい。しかも構造的に周囲への影響が常にとても大きく、やはり本来ジンが得意とする隠密行動も苦手。ある意味、本当に戦いだけに特化したジンと言える。


 シェイルークは、青の一族の子として生まれた1004体目のマーリド。

 安定した物理構造の中に、子の素材マテリアル因子ファクターを保存しておける物質生物と違って、精霊(魂以外は抽象的といってもいいような存在)であるジンは、普通には子を生むことはできない。

 シェイルークも、DA4477に、他の多くの同族マーリドたちと同じく、カーズィムにより創られた。


 創造の段階で与えられたものに違いない。最初に意識を持った瞬間から、色々なことをすでに理解できていた。例えばバリカの民が使う言葉。それに精霊、少なくともジンには、無意識下で安定する物理形体があること。自分の場合は最初まさにそうなったように、ヒトの少年の姿。裸ではない、透明な青い水で形成された体はローブを着ていて、顔は大きめな包帯に巻かれていて、腰に剣をさしていて、しかしそれらすべて自身の一部であって、本質的には何も持っていないような感じがする(実際そうだろう)。

 シェイルークという自分の名前も。


「気分はどうだ?」

 それが最初に聞いた声。

 そして、最初に見た生物がその声の主。自身の創造者カーズィム。おそらくクジラとしてはかなり小さく、ヒトの姿の自分の数倍程度に見える。

 彼(?)の額(?)にある、少し見ただけでは一つ目と勘違いしてしまいそうなほどに巨大な第三の目には、知らなかったから少し驚かされた。しかし少しだ。創造の魔術師というのはたいてい不気味な姿をしているもの、という知識も持っていたから。

「あまりいいとは言えないな。おれさまは兵として造り出されたんだろう? だがおれさまは戦いは嫌いだ。平和主義者なんだよ」


 こんな性質があえて与えられたものにせよ、何かの偶然で生じたものにせよ、どのみち創造主様である彼に隠すこともできないと思ったので、最初から正直な自分の気持ちを告げた。


「だいたいおまえたち、なぜまだ戦ってるんだ? この国がもともとどういうものだったにせよ、今はジンだけの国ではないんだろう。物質生物の連中にとっては、今なんてもう何世代目だよ? 何世代前の恨みのために戦ってるって言うんだ?」

「感情だけが大切なんじゃない。精霊のおまえには難しいかもしれないが。まあ、これからゆっくり学ぶといい。精霊のおまえには多分時間もある」


 時間があるなんて、後から考えたらとんだ皮肉となった。精霊のおまえには、なんてもっとひどい。


ーー


 DA4249年1月6日。

 その日、バリカ内の、青と赤の一族の区域の境目の1つである岩石地帯で、数十のマーリド、イフリートを交えた大規模な戦いがあった。

 シェイルークもそこにいて、そして戦いが終わった後にまだそこに立っていた。

 最初の時のようなローブの少年姿。激しい戦いの後とは思えないほど小綺麗な姿だが、本来は青い、手に持っている剣の刃は、多くの血が混じって黒ずんでいた。


「おれさまたちは兵士だから、戦場でいる時、死の覚悟なんて常にある」

 こんな怒りを感じるなんて、精霊としては奇妙なのかもしれない。今後も、そう何度もあることではないだろう。ただ、シェイルークは創造者に感謝した。

「おまえはどうだ。今ここで、死ぬ覚悟はあるか?」

 体は少年のまま、ただし包帯はとれて、透明な青い水で形成されているそのままのような髪と瞳があらわ。左手は鉤爪鋭いドラゴンの手のようになっていて、膝の辺りを水のリングが囲い、そして右手で持つ剣を、シェイルークはその怒りの矛先に向けた。


 機械のようにも見えるが、おそらくは魔術師。羽織と袴を着たヒトの少年のような形体であるが、シェイルークのヒト形体よりもずっとヒトらしさが薄く思えた。全体的に、銀色で光沢ある金属素材のような、四角張ったモジュールを組み合わせてできているような体。特にその青白い顔は人形みたいに見える。


 何度もの戦いの中で、青だろうと赤だろうと、相手をただ確実に殺そうとすることなどなかった。戦場では、精霊か、物質生物かにも関係なく、敵も味方も強力な魔法使いの自然生物であり、その場合、周囲への影響のわりには戦いのための死の数など少ないものだ。シェイルークの感覚では、それは死ぬかもしれない戦いで、ただ殺しあってるという表現は違う気がしていた。

 その戦いに死を増やしたのが、その魔術師だった。何か広範囲を対象とした魔術だろう。何を変えたかもわからない。その時の戦いの場で、何かルールを変えたか与えて、戦いに参加していた全自然生物の魂を脆くした。

 それで、負けた者のほとんどは死んだ。どうしようもなかった。戦いをやめようとすれば自分が屍の山に加わっただけだろう。また、精霊でも戦いの中で死ねば、物理的痕跡を残すことがあるのだと、シェイルークは実感した。

 シェイルークが自分よりずっと異質に思える彼に気づいたのは、周囲で生きている自然生物が自分たちふたりだけになってから。


「きみには悪いけど、ここでは戦ってやる気もないよ」

 彼は、煙のようなものが入った透明な箱を持った右手を前に出した。それで十分だと理解もしていた。

「おまえ、それじゃここで」

 シェイルークが生き残ることがわかっていたとしか思えなかった。彼が持っていたのは、シェイルークの命そのもの。マーリド族の最大の弱点である物理構造から離れた魂。

「きみには何もしなかっただけだよ。生き残ればいいと思ってたし、そうなる可能性も高いと踏んではいたけど。さあ」

 選択の余地などなかった。

「選ぶといい。死か、従うか」

「わかった」

 こうなれば、シェイルークは死ぬわけにいかなかった。

「従ってやる」


 彼はマイミナと名乗った。そして、いつか必ず復讐すべき彼に、シェイルークは連れていかれることになった。"夜の国"へと連れてかれたのだった。

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