09・秘密の恋の戦いがあった頃

 WA8698、12月6日。


 王子であるウィルミクの巨大な部屋。というより、もうほとんど巨大宮殿内の家と言えるような部屋。部屋内寝室の他、会議あるいは仕事部屋、(3つある)遊びあるいは訓練部屋、客室、書斎、モニター室、拡張現実アグメンティッドゲームのための重力コントロール室、トイレ、それに大浴場に露天風呂も。ナフナドカの王族として生きていた頃、キナトがウィルミクと共有していた私生活空間。

 キナトは公式にウィルミクの従者で護衛であるが、より重要なのは後者の方であり、実のところ王子の身の回りの世話はあまりしていなかった。それで部屋には、ふたりの他、お世話係を任されていたグレムリン族のポリィも住んでいた。


 グレムリン族はヒトの亜種ともされるが、普通は機械生物(この場合、機械ヒトの亜種というより、自然生物の亜種として再現された機械生物)。おそらくは機械フェアリーとも呼ばれる、ようするに自然生物のモデルのいないオリジナルの機械生物(結局ヒトか、ヒトの亜種にモデルがいるのかもしれないが、この辺りの定義はかなり曖昧)だが、確実とはされていない。ただ、機械フェアリーの典型的な特徴とされる、幅広く様々な機械と相性のよい神経系も有している。

 エルフ族同様に子供の姿から基本的に成長しない。もちろんフェアリー(自然生物)であるあちらは魂に由来する性質としてそうである。対して、機械生物であるグレムリンは、全体的な構造ネットワークの中で、成体形成、老化に関わるスイッチがかなり欠けているため(これはグレムリンをヒトの亜種として、ヒトを基準に考えた場合の話で、ヒトで言う少年期がそもそもこの種にとっての成体と考えることもできる)に、いつまでも子供形態なのだとされている。

 おそらく本来は、召し使いをさせるために造られたと思われ、他者の世話をすることに喜びを感じやすい。

 またグレムリンには女性、つまりは少女しかいないが、性的機能には乏しい。そもそもヒト系統の機械生物には、もともと大半が男であるヒトの機械開発者、または魔術師に、性的対象として造られた種が多いが、グレムリンは女性のみの機械フェアリーの中では、明らかにそういう目的と関係なさそうなのが例外的とすら言える。もっとも、召し使いなら女、というような安直な考え方があったのかもしれないが。

 ポリィはまた、お目付け役でもある。ウィルミクは立場上、自国の者なら、誰を部屋に連れ込んでもいいわけだが、家系の正確な記録のため、特に女性関係は厳しくチェックされる。もっとも、機械生物の子はどのみち王族にはなれないから、相手が自然生物の場合限定である。そういう意味でもグレムリンのポリィはその役割を担うのにぴったりだった。

 ただ、少なくともキナトは、ウィルミクが(学生時代から数ヶ月ずつぐらいと(キナトのイメージ的には)わりと頻繁に付き合っては別れてを繰り返してはいたが)恋人と家族以外の女性と積極的に関わるところはあまり見たことはなかったが。彼の幼い頃からの婚約者であるナウタ・ルキル家のエミレニスですら例外ではなかった。少なくとも最初は、自分に気をつかってくれてとかではなかったはず。キナトだって最初からそうだった訳じゃない。初めて出会った時から、後に婚約者にもなった王子でなく、従者の自分にばかり話しかけてくれた彼女への恋だって……


「キナト、早いな、ずいぶん」

 朝早く、書斎で本を読んでいたキナトに、ウィルミクは驚く。

 平時には、基本早起きのウィルミクが起きた時点で、すでに寝室からキナトが先に出ていることはかなり珍しかった。

「いえ、彼、寝てないです。おそらく」

 それに付き合っていたのか本棚の影から出てきた、ポリィはかなり眠たそうだった。単に両手で持っている丸っぽい掃除機械が重たいのかもしれないが、微妙にふらふらしている。

「師匠に呼ばれてるから。なにかすごく真面目な感じで、難しいことがあるのかもしれない」

「ウィランが?」

 普段は、生真面目なキナトに呆れられることも多い、陽気な彼が真面目な感じという時点で、何か深刻な事態なのかもしれないという、キナトの不安をウィルミクも察する。

「今日はそれにパーティがあるだろ。きみとエミニの婚約発表の予定もある。王もフィルル義姉さんも、きみらの結婚には反対の立場な訳だし。義姉さんの方はともかく、あの王は何か面倒なこと考えてるのかもしれない。母さん、ぼくの方の母さんね、も実はちょっと前に、警戒した方がいいかもって言ってた」


 しかし、何かあるとしても、それはあくまでも国の中での、権力とか愛憎とかが原因の争いと、キナトも思っていた。ナフナドカという国は、絶対王というか、絶対王族政。15歳以上で、王族内の正当血筋の(つまりは現王と家系を共有する)者は誰でも等しい権力を持つ。もちろん時には、王族内や国に関することで意見が割れて対立もする。


「ただ、この件に関してはあまり心配しなくていいと思う。一応今回のパーティーには邪魔が入るかもとぼくも思ってたから、もう先手を打ってる。とにかく、婚約発表さえしてしまえば、きみらの年齢も近いし、もう前から、美少年と美少女でお似合いだとかいわれてたし、国民の支持も普通に得られそうだから」

 たいていどんなことでも、王族内の者同士が対立した場合、国民の支持率は重要だった。

「キナトおまえ、普通に言うよな。おれの立場で言うのもなんだけど。実際はおまえだって、これに関しては邪魔したいんじゃないのか」

 そう、ウィルミクにはもうとっくにバレていて、否定するのも諦めている。いつからか、向こうとしても科学好きの仲間として好意的に思ってくれてはいるだろうが、ほぼ間違いなくキナトの方はそれ以上の感情をエミニに抱いていたこと。

「ぼくは別に。だいたいぼくの哲学上じゃ、ぼくは機械生物よりだ。だからそもそも恋愛ってもの自体、ただの心理的創造物にすぎないとか、そんなふうにも思えるんだ。ようは、本当の意味であまり恋愛なんて興味ないってことだよ。それに、きみが恋だの愛だのなんて言うような意味での気持ちがぼくにあるのだとしても、そういう意味で好きになった対象はありのままの彼女で、ありのままの彼女は、ぼくをそういう意味で好きって言ってくれるようなあの子じゃないだろうからさ。好きになったあの子は、きっとありのままの彼女だから」

「そんな理屈をいくら並べてもさ、口数が妙に多いぜ。それがなんだかんだ心の動揺ってやつじゃないのか」

「だとしてもエミニに関しては、あの王にとられるくらいなら、ウィルミクと一緒になってほしい」

「まったく、おまえも結構周りばかりだな」

 しかしウィルミクのその返しは小声すぎて、キナトには聞こえなかった。


 まだ平和の時とはいえたろう。だが王族と周囲の者たちの関係は、単に平和と言えるようなものではなかった訳である。

 王子ウィルミクの婚約者|(第一夫人予定)エミレニスは同時に、彼の父である王カルテガナトの婚約者候補(第三夫人候補)でもある。そして、実のところエミレニスには恋仲の相手もすでにいるし、その彼を別にしても、彼女と仲良く、かつ好意を抱いていたのはウィルミクでなくキナト。


ーー


 キナトが何人かの部下に王子の周囲の警戒を任せ、師のところにひとりで向かった後、彼の直接的な監視から解放されたウィルミクは、基本的には自分のと同じような規模である、姉であるフィールルカ姫の部屋家に向かった。

「あら、ウィミィ。あなただけで来るなんて珍しいわね」

「ウィルミクくん」

 客室のテーブルをふたりで囲っていた、チェック柄のマフラーがよく似合っている綺麗な長い髪の姉と、少し前に話題に出していた、その髪の銀色だけならキナトとお似合いとも言えそうな婚約者。

「エミニも来てたのか」

「ええ。キナトは?」

「あいつ、ちょっと用事でな」


 まったく、あの従者に見せてやりたいとも思う。本来は婚約者であるはずの自分ウィルミクしかいないことに、明らかにがっかりしていた彼女の顔。


「それでえっと、エミニ、実はちょっと、大事な話が姉様にあって」

「席外した方がいいわけね」

 さすがに王族と付き合いの深い貴族の娘だけあって、そういうところの察しはいい。

「よかったらおれたちの方の部屋に行ってて。早く話すんだらすぐまた連絡とれるし、それにキナトだってすぐ戻ってくるかもだから」

「ええ、あなたたちの部屋行ってるわ。ある意味それが一番自然だろうしね」


 そしてエミニが退室してから、まずウィルミクが出した話題は、また彼女に関すること。

「誤解してたらあれだから最初に言っとくけど、今日の婚約発表、ほとんどキナトが勝手に進めたやつだから」

「そんなことわかってるわよ。わたしがあなたたちの件に反対してるのだってね、別にあの子たちの方は関係ないわ」

 王の子の中で最年長であるフィールルカは、父や母とはよく対立しているものの、下の弟や妹たちに対しては、いつも穏健派とか中立派といってもいい立場。義理の弟であるキナトに対しても、ウィルミクに対してと同じように接してきた、やや楽観的とすら言えるような姉。

「でもそれなら何で邪魔する? 親父の狙いは、姉様だってわかってるだろ。あいつはただのロリコンジジイじゃない」

「まあそうよね。普通に考えたら狙いはキナト」

「でもあいつ自身は多分気づいてない。ほんと、そういう政治関係とかには疎い。とても賢いようで絶妙に疎い」


 実のところ、王族内の人気取り争いにおいて、キナトは今、おそらく彼自身が自覚しているよりもずっと重要なコマの1つ。

 まずウィルミク王子の国民の人気理由として、彼を影で支える、表舞台の彼に負けず劣らずな美少年である護衛従者の存在は確実にある。今や、彼との不仲説でも流れることは、ウィルミクにとって大打撃になるかもしれないくらい。


「ただ、別にあなたがもらわなくたって、エミニちゃんをあの色ボケ王から守ってやることはできるわ。結果的にキナトだってあなた側のまま。それよりね」

「待って、言わなくていい。また面倒そう」

「でも逃げてはダメよ、あなたも。現にそんなことになっちゃってるんだからさ。で、わたしはエミニちゃんより、あなたより、妹たちの味方よ。あなたとエミニちゃんじゃ絵に描いたような仮面夫婦で、あなたは結局キナトと彼女をくっつけようとするでしょ、どうせね」

 実際、ウィルミクが、エミニとキナトをふたりきりにしようと画策したことはこれまで何度もあった。結果は、2人が共同で書いた1冊の本くらいと言えるかもしれないが。

「ねえウィミィ、あなたもほんとは気づいてるんでしょう」

「まったく。こんな話、どっちが世話係か」


 そう、まったくいつからそんなややこしいことになってしまっていたのか。まさにどろどろの関係であった。

 すでに恋の相手がいるエミニに恋しているキナトに、さらに想いを寄せていたのが、ウィルミクより3つ下の双子の姉妹の片方であるミールルエシェ。ついでに双子のもう片方メリーメノアはキナトを妙に(おそらくそのシスコンがゆえに?)毛嫌いしているから、ウィルミクとしてはこれまた面倒。

 さらには、キナトの実妹であるカノエも問題を大きくするのに一役買っている。キナトと違って、ウィルミク側の兄妹をあまり好ましく思っていない彼女は、親友のメイドを応援していて、キナト自身もわりとシスコン気味なために、ある意味その彼女シェミィは、この恋愛戦(?)において最大の味方を得ていると言えなくもない。


「ねえ、姉様。わかってないはずがないと思うんだけどさ、仮にあいつがくっつくなら、あいつの妹の友達のメイドより、おれたちの妹よりも、間違いなく王族と直接は関係ないエミニが最適解だからね」

 もちろん本当にそうなるならばだが、宮殿で働いているとはいえ一般民であるメイドでも、まさしく王族の義妹でも、もし婚姻関係を結んだ場合、王族内の政争におけるキナトの立ち位置は間違いなく大きく変化するだろう。そしてそれが良い方向に転ぶ確率が高いとは、ウィルミクにはどうしたって思えなかったのである。

「あなたも案外慎重な男よね。別に何かまずいことになったって、その時はわたしたちが手を組めばどうにでもできるわよ」

「微妙に平和作戦? 実はそれが狙い?」

「さあね」

「まったく」

 楽しげな姉に比べて、弟の方の笑みにはなかなか無理があった。


ーー


 そしてその、ウィルミクの悩みの種と言える婚約者と従者は、それは別に意図してなかったが、その日、部屋で会った。そうなってしまうなんて、どちらにもわかるはずもなかったけど、それが彼らがふたりだけで出会えた最後の時にもなった。

 そして、それもまたただの偶然。ふたりだけで話した、一番最後の話題は、ヨッド・ヘンルト・スプゲジャのアルカキサルの本のことだった。


「最近またあの本読んだの。"アルカキサルの生物群"」

「あれ、かなり興味深い話題だよね」

「それで、キナトはさ」


 エミニが問いかけたことも、キナトが答えたことも、長くは覚えてなかった。ただ、それはふたりにとっては普段通りの話題だった。

 ふたりとも、ヨッド博士のファンで、アルカキサルのことを彼の本がきっかけで知ったことも同じ。

 生物学者ヨッド・ヘンルト・スプゲジャは、その70年ほどの生涯で多くの著作を残したが、"アルカキサルの生物群"は代表作的なものとして知られる1冊。

 アルカキサルという山岳地帯は、ネイズグの知られている大地において最西の小世界ソナゼグンにある。しかし今やその名は、実質的にその生物群自体の総称でもある。

 それは、おそらくは機械生物だった。そしてヨッドは、彼と共同研究者の仲間たちの仮説が正しいのなら、まさにそれこそ、この全世界において最も恐ろしい存在だと語っていたのである。

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