07・変わり者の哲学

 WA8699、7月11日。


 キナトには知らないこともあった。

 フィオミィは何度か、自分たちのいた部屋の防音性を高めた上で、ウィルミクとだけ話をしたことがある。話といっても、ただ問いを投げて返されるというだけのやりとりだが。だけど結局は、ある時にウィルミクの返した答が、フィオミィの決意も固めることになった。

「彼は、何か普通じゃありませんよね。王子で、とても強い魂を持つあなたの方がよほど普通ですよね。彼はいったい」

「ちゃんとヒトさ。あいつは、だけど、本人も、もう忘れたって言ってることあって」


 そもそもキナトと彼の妹のカノエは元々、ナフナドカの出身ですらなく、レイジェという大国の貧民街スラムの生まれ。そんな彼が王家に入ったのは、売春婦であった母を利用して、お遊びの旅行中だった王を脅したのがきっかけ。王は、まだ7歳の子供だった彼に異質な何かを感じ、あえて言われるまま、彼の母を第二夫人に迎えることにしたのだった。


「おれも、あいつに初めて会ったのは、あいつがおれたちの家族になってから1年ぐらいしてからだから、聞いた内容になるけど、あいつ最初の頃は今とは別人で、かなり尖ってたらしい。おれも、今のあいつみたいなあいつしか知らないんだけど」


 ウィルミクの知っていた、知ってきたキナトは、読書が趣味のおとなしい子。物理的なものでなく精神的強さに憧れて、武道を学ぶ努力家。ゲームというより、好みのキャラクターを操作するゲームが好きなオタク。第一印象はたいていいつもいいのに、人見知りが災いして、実質女の子に全然モテなかった学生。そして何より、自分なりの独特の哲学を持っていた、優しすぎるのが大きな欠点と思われる平等主義者。

 ようするに、母親を道具のように上手くコントロールして、一国の王を罠にかけて、図々しくも取り入ろうとするような詐欺師だった過去があるなんて、なかなか信じがたいような友達だった。


「あんた、ロボットならわかるだろ。あいつ」

「ええ、正直面白いくらいに、彼はわたしを、例えばあなたと同じような次元で考えているみたいですね。わたしのことを機械と思っていないかのようです。あるいは自然生物も、機械と同じようなレベルで考えているか」

「魂を特別なものと思わない、て何度か聞いたことある。元はあいつの好きなヨッド・ヘンルト・スプゲジャて学者の意見らしいけど」

「ああ、彼のファンですか。それならいろいろ納得ですね」

「知ってるんだ」

「まあ、機械生物の間でも、例外的に人気が高い自然生物の学者のひとりですからね」


 しかしウィルミクもそうだが、フィオミィも彼の書いた本を実際に読んだことがあるわけではなかった。ただウィルミクはキナトから、フィオミィはまた別の古い友達から、強迫観念的ともされた生物平等主義を何度も主張した、奇妙な知性と言える存在としての彼の話を聞かされたことがあるだけだ。

 キナトは何度か彼を「誰よりも生物という1つの絆を探していた生物学者」というように評したこともあった。彼にとってヨッドは学問の一番の師であり、彼の哲学において最も重要である、気高き生物。


「機械生物と比べるなら、自然生物の生まれついての性格を変えることは相当難しいです」

「それくらいはおれだってわかってるよ」

 ネイズグのどの自然生物も、機械生物も、知性を有する者なら同じ見解だろう。

「確かに彼は、あなたたちをここへやった魔術師を、彼が怪物と表現する場合と近い意味で、わりと怪物と思います。そういう自然生物は時々います。生まれついて仮面を持っている」

 必要に迫られた時に、その仮面をつけるだけで、まったく別の何かになれる。

「あいつが、恐い? あなたは」

 フィオミィとしては、ウィルミクのその問いは、まるで今、彼が彼自身に問いかけているような印象も受けた。

「ウィルミク、あなたは」

 なんとなく思ったこと。だけどフィオミィは本心から、そんな言葉を続けた。

「彼のことが好きなんですね」

 だけどその続きは、どうだったのだろうか。

「きっとあなたは安心していい。わたしも同じ、おそらく彼のことは好きなタイプだから」


ーー


WA8699、7月28日。


[キナト、ありがとう]

 それが、もう喋れなかったウィルミクが、紙に書いた最期の言葉。


ーー


WA8699、9月5日。


 フィオミィとネリーとの出会いは、フィオミィとキナトたちよりも早い。しかしネリーがウィルミクと言葉をかわす機会はなかった。

 彼女はバーチャル世界から召喚されてから、フィオミィ以外のネイズグ生物とは関わったこともなかった。ヒトの手に持てるようなサイズの箱型であるオフライン端末という閉鎖的な環境で、真の意味で現実である世界を恐れていた。


 どんなバーチャル生物も、現実世界ネイズグに召喚された時点で文字通りに自由を手にする。そしてもう、ただの情報を示す記号の羅列みたいなプログラムラインの上で、その狭い世界観の要素として機能するだけの存在ではなくなる。どうしたって、そういう存在に戻れることもなくなる。


「あなたと話をしたいっていう女の子がいるの」

 それだけ言って、手に持てるようなサイズでなく、ケーブルで絡まりあっているような端末が内部に見える、ヒトが座れるくらいには大きい箱の上に表示されたタカのアバターの彼女をフィオミィは紹介した。

「キナト、さん。はじめまして。フィオミィから話は聞いてます。アマチュアの生物学者と」

「えっと、あなたは?」

「わたしはネリーシャミオン、でもネリーと呼ばれるのが普通だったから、そう呼んでほしいです。それで、言う必要ないのかもしれませんけど、別の世界で造られた、いえ、生まれた存在、です」

「ネリー、あの、一応まず、誤解なきよう言っておきますけど。ぼくはバーチャル生物学に関しては、ほとんど何も知らないですよ。それは、好きな学者の本のおかげで知識はあるけど、でも、なんというか、ぼくのいた所には、あなたのような存在はあまりいなかったから」

「でも、生物哲学の探求者だと聞きました。それと、機械の生物を生物だと信じてる人間だって」

 そんなやりとりが最初。

 後から考えると、興味深いほど、彼女は例のお嬢様口調ではなかった。

「何か、聞きたいの?」

「少しだけ」

「聞いてみて」

「わたしは」

 キナトにとっては、単にネリーという個の存在でなく、それは初めてのバーチャル生物との対話だった。

「この世界で生きていけると思いますか? わたしは何も知らないのにです。あなたたち、本当の自然のことを何も知らないのにです」

「それは、あなたの今みたいな感じは、ぼくらの世界の生物学的には、"ワールドシック症候群"と呼ばれるものと思います。あなたは多分、ぼくらが恐い、のですよね? きっと、あなたが考える本当の生物が、何よりぼくらに比べて、あなたがあまりにも非生物的であるように思えること」

「わたくしは、はい、確かに、そんな感じ、です」

「それなら、これはただの気休めかもしれないけど、でもぼくははっきり言うよ。まずぼくもそうなのだけど、きみのような存在を、単に自分と同じ生物ってだけじゃない、そうやって悩めることこそ、とても素晴らしい感情てものの証とか、そういうふうに考えてる人もこの世界にはいる。人以外の知的存在にもね、大勢いるよ。この世界にいる、ていうよりも現実に存在してるよ、ていうほうがいいかも。まあ、正直全体から見ればかなり少数派だろうけど」

 だが確かに大勢いる。キナトも敬愛し、その哲学思想に多大な影響を受けている、生物学者ヨッド・ヘンルト・スプゲジャは、このネイズグという世界におけるベストセラー作家だったのだから。

「もし、きみが望んでくれるなら、ぼくはきみと友達になりたいよ。というかきみが、それを嫌がるんだとしてもさ。ぼくはきっと、きみのことを、魂がないからとか、ぼくらと同じような実体がないからとか、そういう理由で生物としての価値が低いなんて言う誰かがいたら、きっとぼくは怒る」

「わたくしは、わたくしはできれば、仲間、になりたいですわ。わたしの生まれた世界で、わたしのキャラクター的には、それが嬉しいです」

「まあ、ぼくの文化というか、流儀的には友達イコール仲間だからさ。それで、きみの世界どういうものだったのか、聞いていい?」

「ええ、もちろん。あなたが、仲間のあなたが興味を持ってくれるのは嬉しいですわ」


 フィオミィは言わなかった。思っていたよりずっと早く、ふたりの言葉が、互いに普段通りになっていたこと。仲良くなるのも早かった。

 実のところレザフィカは、言ってしまえば自然生物が、自然生物のために造った小世界。そんな世界出身である自然生物のヒトが、バーチャル生物との間でこれほどに早く、互いに友情を抱くことができるなんて、フィオミィからするとまた奇跡でも見ているかのような気持ちだった。そして、自分があくまで機械であることを誇りにさえ思っている彼女でも、その時ばかりは少し羨ましく感じていた。変わり者な自然生物や、普通な機械生物のこと。


ーー


WA8705、12月1日。


 危険だから、庭より外には出ないようにフィオミィに言われていて、実際キナトたちは庭どころか、大樹世界でのほとんどの時間を家の中で過ごしていたが、閉鎖環境に長時間暮らしているための心理的問題とかはおそらくなかった。

 フィオミィの家はそれ自体、彼女の故郷の機械世界ニーケアから持ってきたのだというハイテクノロジーの産物、巨大コンピューター。そしてその内部ソフトウェアの中には、キナトにとっては、楽しく興味深い本やゲームが大量にあった。それに、ネリーとふたりで、一生かけて冒険できるだろうくらいのスケールで、しかも気軽にアクセスしやすいバーチャル世界もあったから、自身の殻に閉じこもっているという感覚もあまりなかった、もちろん現実的、物理的には閉じこもっていたと言えるだろうが。


「そういえば、キナト、あなたってもう10代とかって年齢じゃないですわよね?」

 バーチャルの砂漠の、木々の葉の緑も、水辺の青色も、過剰演出と言えるくらいに美しいオアシスの岩場で、ネリーが唐突に切り出した話題。

「今で24だよ。あと、聞きたいことはだいたい予想ついてる。きみの故郷の世界は、太陽系のAD世紀のヒト社会。多分そこで生きてたヒト族は、ぼくに比べたら老化が早いから」

 普通、ネリーが本来要素としてあった、太陽という恒星を中心とした星系の第三惑星の地球で、ヒトがAD世紀という時代にテクノロジー文明を発達させているというバーチャル世界観は、"パターン1太陽系"と呼ばれる世界モデル。

「ネイズグのヒトの方が、地球のヒトより寿命長いってことですか?」

「正確には、そういう1つの世界パターンの機械ヒト族に比べたら、ぼくらネイズグの自然ヒト族は、寿命にかなり幅があるんだ。自然生物は、魂の構造の劣化が、物理構造における老化と直接的に関連してるから。つまりは魂の性質自体、すべての要素に関して創造した魔術師の創造の技によるからさ。例えばぼくはクライセッド一族だけど、この一族を例にするなら、だいたいヒトの平均寿命は200年くらいと思う。しかも普通にならって話だからね」

「魂が本質である以上、魔法、じゃなくて魔術によって劣化を修正したりとかできるわけですの? 不老不死のための魔術というのは、そういう感じのもの?」

「それはでも、理論的にはって話だよ。実際、創造されたどんな自然生物に関しても、完璧な調整が行えるのはおそらく創造者自身だけだから。例えばぼくが、自分を不死身にしたいと考えて、魔術を学んだとしても、ぼく自身が創造者という訳ではないから、つまり創造者の物理構造や魔法とかを利用する、魔術の技と同じものは決して行えない。完全な形では。まあ、寿命を増やすぐらいはできるだろうけど。後は、長く若くいたりとか。それに、単に死なないだけなら実現できるかも。ただ、自分の望む時の状態を維持できるかと言うと無理だと思う」

 実際、本来の自分の種族から考えると、実質不死と言えるほど長く生きている魔術師も少なくないが、そういう魔術師は誰も例外なく、どこか物理構造がおかしくなっているとされている。例えばキナトの一族の創造者であるクライセッドは、クジラ族なのだが、真っ暗闇の中で不気味に赤く光る11の目を持つと伝えられている。

「創造の魔術師の最初は謎、でしたわね?」

 つまりは、魔術師も含めて、どんな自然生物も創造の奥義で造られたというなら、最初の魔術師は誰が造ったのか、という謎。

「このネイズグに残るね。ただ、"アルカキサル"みたいな例があるから」


 アルカキサルは、いつかはわからないが、はっきりと年代がわかっている最も昔の記録よりも、さらに昔の時代に存在したらしい、現在の都市文明と同じくらい、あるいは現在のどの文明よりも高度なテクノロジーを有していたとされる謎の生物群。

 アルカキサルというのは、その生物の誰かがそう名乗っていたとかではなく、それらの生物の化石群が発見された山岳地帯の名称。


「始まりなんてない。時空というのは永遠のループをするだけのものだからて説もある」

「アルカキサルは未来?」

「どうしようもない問題は、そういう、"ループする時空間"とかいうアイデアは、明らかにバーチャル生物がネイズグこっちに持ってきたものだろうてこと。だから、どこかのバーチャル世界が真の全世界の発祥地っていう説を真剣に考える研究者すらいる。さすがのぼくでも、それはバカバカしいって感じざるをえないんだけどね。けど、ヨッドはそれが」

 そもそも、キナトがその謎の古代生物群のことを知ったのは、その発見と研究成果を非常に重要視していたヨッドが書いた、まさしく全編でそれをテーマにした"アルカキサルの生物群"という本。

「機械生物だった、ていう説を支持してた」

「そして、彼の支持したその説は、おそらく正しかったんです」

 突然その場に現れたという感じでなく、木々の陰から姿を見せたフィオミィ。


「キナト、ネリー。唐突で悪いですが、あなたたちに話と、お願いがあります」

 確かに唐突ではあったが、頼みごとがあるということ自体は、別に意外でなかった。

 むしろキナトとネリーは、フィオミィが話してくれてなかった目的が何かを何度も話しあい、すでに1つ、つまり彼女は何か目的があって大樹世界でひとりでいたが、今は仲間、あるいはコマを求めているという仮説を共有していた

「でもなんと言うか、あなたたちが今このタイミングでそれを話題に出すなんて、本当に面白い偶然てあるものね」

「魔術に、関係あること?」

 それとはループ時空間のことではないだろうとキナトは予想し、実際そうであったが、別に魔術のことでもなかった。流れとしては一番おかしくないだろうが、それでも彼女の言葉の続きは、彼としては意外すぎだった。

「いえ、あなたがアルカキサルと呼んだものに関係あることです」

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