06・大樹世界に墜ちた時

 WA8699、7月5日。


 正確にどのくらいの時間か、キナトにもわからない。ウィルミクと共に彼がとばされてから、彼女、フィオミィとの出会いまでどのくらいだったのか。

 ふたりが、ナフナドカに滅びをもたらした、あの魔術師によって、どうやってかレザフィカ外に飛ばされたのは、6月30日の朝の時間だった。それからフィオミィが、自分の家、見かけはよくある木造の家のその周囲、柵で囲まれた庭に倒れていたふたりに気づいたのが7月5日の、1日24時間であるレザフィカで一般的な時間単位で22時頃。1日10時間である、彼女が慣れ親しんでいたウィーズという小世界で一般的な時間単位では9.1時くらい。

 月日の数え方に関しては、レザフィカもウィーズも共通して、12の月のそれぞれすべてが30日までである。365日の1年に月日を納めるため、12月後、次の年になる前に、0月とも呼ばれる特例的な5日間が入る。

 ウィルミクは、レザフィカにいた時点で、かなりどうしようもない傷を負い、非常に弱っていた。魂に受けた傷だ。どういう類のものかは、受けた本人も、キナトも、フィオミィにもわからなかったが、何か魔術によりつけられた傷があることが間違いなかった。

 いったいどのくらいの時間、どのくらいの距離か。自身も心身共に弱りながら、それでも意識のない彼を背負って、キナトは、まったく知らない土地をひたすらさ迷った。

 彼らは、レザフィカ外、空の海があるのとも違うユグドラシルの枝に飛ばされていた。そしてさ迷いながらでも、キナトが記録していた道の(ほぼひたすらに、巨大な草木ばかりの)光景や、その体に付着していたいくつかの物理的痕跡。それにラタトスクのもたらした目撃情報を参考にした、フィオミィの推測では、ウィルミクを背負ったキナトが歩いた距離は100キロメートルほどらしかった。


 ラタトスクは、いくつかの世界を乗せた、しかしそれ自体が実質小世界とも言えるユグドラシルで、大規模の自然情報ネットワークの伝達係をしている不思議な生物。

 そしてフィオミィは、レザフィカと同様にユグドラシルの小世界である、ウィーズから来ていた機械の少女。

 ウィーズは、さ迷う巨大な乗り物でもあり、機械生物たちの領域であり、フィオミィは見た目はヒト族ではあるが、実態は再現されたヒト族ですらない、ただ技術屋が"ロボット"と呼ぶような存在の、かなりハイテクなものにすぎない。


ーー


 WA8699、7月7日。


「ここは?」

 目覚めて第一声がその疑問だった。キナトは意識を失う時、最後に見た、どこかの家は覚えていて、自分がベッドに寝かされていた部屋は、その家内のだろうと推測もできた。しかしまだ自分たちが、結局どこに飛ばされてしまっていたのかも知らないでいた。

「キナト、落ち着いて聞いてください」


 その家はただの木製なのは外観だけで、実際には非常に複雑で多機能な機械装置であり、それを利用して、家主であるフィオミィは、物質の損傷なら、自然生物の構造だろうとも、容易に修復できた。

 そうしてウィルミクは、物質的な操作だけではどうしても補えない、損失した魂の絶対量さえ気にしなければ、すっかり回復して、キナトよりも先に目覚めもして、自分たちのことを恩人であるフィオミィに、もうすべて伝えていた。


 例えば、自分たちがレザフィカ世界のナフナドカという国の王族であったこと。キナトは、王子であったウィルミクの義弟だが、国の法のため自身は正式な王子でなく、ほぼ同世代のウィルミクの護衛兼従者をしていて、時には影武者もしていたこと。またキナトの戦闘技術の師であり、王家お抱えの諜報組織に所属していたウィランが、ちょうど半年ほど前から、様子がおかしく思われる王、つまりウィルミクの実父、キナトにとっては義父である男を極秘に調査していて、キナトもそれを手伝っていたこと。


ーー


 WA8699、6月29日。


 そうであった。前兆はあったのだ。彼は本当の意味でいきなり現れて、破滅をもたらしたのではなかった。

 だがキナトがそのことを、「明らかに王は精神に異常をきたしているが、それはおそらく何者かの操作魔術のせいと思われる」という調査結果と一緒に、ウィルミクに伝えた時には、もうその魔術を行った誰かを探すのも遅すぎた。その日は6月25日だった。そして、何者かに王とウィランが殺されるという事件が起きたのが6月29日。その誰か、ふたりを殺した者が宮殿内の誰かで、しかも、ほぼ間違いなく、自然生物の精神を操り、狂わせる魔術を使えることから、自然生物であることも間違いなかった。だがそんなことはもう、その彼にとっても関係ないのだった。

 それは普通に本名であったらしい。シャルクナという、いつからか王の従者をしていたが、実は強力な力を有する魔術師だった男。死ぬ少し前のウィランからの情報のおかげで、ウィルミクと、自分の方の実妹と実弟であるカノエとクレレランを連れて宮殿外に脱出こそできたが、その日がちょうど変わる頃には、宮殿内にいた他の者たちは、みな殺されてしまっていた。

 少なくとも誰かを殺そうとする時の、シャルクナの魔術はシンプルなものに見えた。おそらく魔法による圧力を対象の内部に発生させ、まるで風船のように崩壊させて、後には肉片ばかりが地に落ちる。惨たらしい殺し方だ。キナトは、王や、自分の師のその死体をわずかな時間でも見て、敵が怪物であることをよく理解した。

 キナトは、カノエたちと、偶然に宮殿外にいたメリメたち他の家族、それに、まだ平穏が崩れていると気づいていなかった城下町の大勢の民たちのひとりでも逃げられるように覚悟を決めた。おそらく何か、もっと大規模な破壊をもたらそうと考えているようだったシャルクナという怪物を、自分の命をかけて、少しでも足止めしようという決意。

「キナト。おれたちはいつも一緒だろ。おまえが死ぬ気でいるなら、おれだって一緒に死んでやるさ」そう告げたウィルミクをキナトは止めれなかった。実際問題、よく理解してもいた。魔術師を相手に、自分だけよりも、強力な魔法の力を持っている彼が一緒の方が、一か八かの特攻にせよ、時間稼ぎにせよ、上手くいく確率ははるかに高いはずだと。

 しかし宮殿内に戻り、王の巨大な部屋の1つで彼を見つけたキナトたちにできたことは、わずかばかりの問答くらいだった。

 シャルクナは、自分はレザフィカ外から来た魔術師で、目的は、ナフナドカの王族が、先祖たちから特別な宝として引き継いできた棺のようにも見える石の箱だと語った。キナトもウィルミクも、というか王家の誰も、そんなものが宮殿の隠し部屋に隠されていたこと自体を知らなかったが、シャルクナによれば、それは失われたロストテクノロジーの産物で、彼の興味の対象であったらしい。だがキナトたちにとって重要な疑問は、目的よりもそのための方法、そういうことなら、なぜ、外から来て王の精神を自由にできるような魔術師が、何も知らず関係ないような者たちまで皆殺しにして、それを奪うという手段をとる必要があったのか。それこそ隠し部屋のことにも気づいていて、しかも王を操れるなら、それを勝手に持ち出すことも可能だったはず。答は、それこそどうしようもなく狂気的なものだった。

「これは兵器的な使い方ができるものでね。お試しの場が欲しかったわけさ。それでちょうどこの国のスケールは、そういう目的にちょうどよかった。もっとも、うまくはいかなかったけどね。調整の時間が少なかった。キナト、おまえの師はとても優秀な男だよ、正直殺すのがもったいなかったくらいだ。まあ敵にする場合は面倒だから、殺しといて正解だったとも言えるだろうけど」

 彼は、他者の心を理解できないというような存在でもなかった。

「少しほっとしたな。だが後でがっかりしないよう、先に言っておいてやるが、わたしはこうなった以上は、自分の力でこの国の民も殺し尽くす予定だ。本来はこの兵器が行なっていた程度で止めるが」

 それはまた、キナトたちがまったく思いつきもしなかったような理由であった。彼は、計画を早めすぎたせいでうまく機能させれなかった、兵器として使用された場合のそれのサンプル例をどうしても記録したかった。だから、それがしっかり機能した場合に起こっただろう悲劇を、自分の魔術で擬似的に再現するつもりと、平然と語ったのだ。

「なに、わたしに目をつけられた時点でこの国の運命は決まっていたようなものだ。悲しいかな、この重要なサンプルのためにはどうしても1つは犠牲にせざるをえない。他が犠牲になるよりはまだ、すでに終わっていたも同然のこの国をそのまま使うほうがいいだろう」

 彼がそこまで言った時点で、怒りを爆発させたのはキナトでなく、ウィルミクの方だった。しかし、単純に魂の力、魔法こそ彼よりも弱いものの、戦闘訓練を積んでいて緊急時における勘も鋭いキナトは、シャルクナという魔術師の、ただ狂気なだけでない不気味な感じを察していた。

「ウィルミク」

 だが今度はまた、物理的に止めれなかった。その周囲にまとった暴風ごと、敵に対して突き進む、ウィルミクの怒り任せの風の魔法攻撃は、キナトを寄せ付けない。

 それでも、シャルクナを少しでも動かすことすらできなかった。

「やめろ」

 彼の攻撃を手助けすることも止めることもできない。キナトはその場においてあまりに無力だった。どうやってか暴風の影響をまったく受けない魔術師に、物理的ではない何か苦しみを与えられた王子と同じくだ。

「うわああ」

「ウィルミク」

「おまえの方が、わたしには興味深いが。だがどっちにしても、このままじゃ殺すしかなさそうだな。今は消えてくれ」

 それが、その時にキナトが聞いた、男の最後の言葉だった。

 それまでの生涯で、間違いなく味わったことがない奇妙な感覚。魔術なのかテクノロジーなのかも全然わからない。おそらく、時空というか世界が歪んでいた。その時、キナトとウィルミクとその魔術師と、3つの生物を取り巻いていた、仮想的な世界が。


 そして、次に気が付いた時、ふたりはもうユグドラシルにいたのだった。


ーー


 WA8699、7月7日。


 ウィルミクの方は別の部屋でまた寝ていると聞いて、彼が目覚めるまでキナトは起きてようと、眠気を誘うベッドから、そして家からも出た。

 家の中は明るかったが、外はけっこう暗かった。庭なのだろう、家の周囲は柵の向こう側に比べると、地面の土を隠す草群は短く、木もない。

「今、何時くらいなんですか?」

 自分についてきたフィオミィに、キナトは聞いてみた。

「レザフィカでは20時くらいです。ユグドラシルここでの時間の定義は、わたしはよく知りません。ただ、ここが今暗いのは、単に偶然そういう時というだけです。ここは枝ですけど、巨大な葉っぱの下でもあるんです。その葉の気まぐれによって、この辺りを照らす光の量も色も変わるんです」

 それはまたキナトにとって興味深い事実だった。ユグドラシルというのはとてつもなく巨大な木だが、木というのなら、つまり生物なのであろう。だがその巨大な葉もまた単独で生きていたりするのだろうか。そう考えることができるなら、キナトの知識の上では、それは機械生物的だ。

 平時の時なら、こんなところにはいないだろうが、だが今が平時だったなら、とても興奮して、もっと色々と彼女に聞きまくったろう。

「ナフナドカが今もまだあるなら、今のここよりもきっと暗いか」

 ナフナドカも普通に夜が暗い地域ではあったが、暗くなるのが少し早くて、一番暗い時間帯は21時くらいだった。

「今日が7日なら、ぼくらが消されてから、もう1週間以上」

「どうにかして、あなたたち、戻る方法があったとしても、もう遅すぎるでしょうね」

 フィオミィに言われるまでもなくわかっていたことだ。ただ、キナトは間違っていたし、フィオミィも、嘘をついている気がなかったなら間違っていたということだ。

「そんな強力な魔術師なら、もう目的は達しているでしょうけど、いくらなんでも国1つ滅ぼすようなことしでかした後に、いつまでもその世界に残ってたりはしないはず。そんな危険な存在ならその世界中がほっておかないだろうし、強力な魔術師だって、他にもいるはずだし」

 つまり、故郷の者たちを助けることも、復讐することもできないはずだった。レザフィカに戻れたとしても。


ーー


 WA8699、7月25日。


 可能であるならばだが、自然生物をさっさと殺すには、もちろん直接に魂を傷つけるのがよい。キナトには知識としてあっただけ。ウィルミクは実際にそういう事態に直面していた。

 実際に魂がどうなっているかなんて確認できなくとも、その物理的構造、その表面的な部分にも、彼が死への歩みを加速させていることを示唆する変化はいくらも確認できた。ようするに彼は、異常と言える速度で急速に老化していた。


「本当に、どうしても助けられないの? ぼくの命だって使っていい」

 白髪となり、体中シワだらけで、歯もいくつか抜けて、かつて美少年と呼ばれていた頃の面影などほぼ完全に失ってしまった、寝たきりのウィルミクを見ながら、キナトはそう言って、少し涙も溢してしまう。もし彼が起きていて、聞いていたなら怒りさえ感じたかもしれない。だけどキナトはただ、彼を助けたくてただ必死だった。

「わたしは機械生物です。物理構造をどうにかできても魂の消耗だけはどうしようもありません。自然生物の命を使って何かをするなんてことも」

「でも、ここは機械生物だけの世界じゃない。ユグドラシル、ネイズグには」

「ええ、わたしも、彼をどうにか助ける方法がないと断言はしません。ですが、それを求めて、あなたが外を歩くのはあまりオススメできませんよ。あなたが辿った道、確かめてみました。ここにたどり着けたのは奇跡としか言いようがないです。ここが、この木の世界の小世界外の領域がどれほど恐ろしいのか、あなたはきっと知らない。知識として知っているかもしれませんが、間違いなくそれよりもずっとここは恐ろしいところですよ」


 確かに、知識としてならキナトにもあった。ユグドラシルのほとんどの自然環境、あらゆる場所で、互いにひたすら殺し合いを続けているらしい巨大な怪物群。そしてフィオミィの家と庭は、怪物を避けるための"機械魔術"、つまりハイテクノロジーを駆使した魔術によって形成された安全地帯。

 だがキナトはもちろん、いきなりその安全地帯に飛ばされてきたわけではない。彼は、特になんの警戒もせず、少なく見積もっても数十時間と、ただひたすらに歩いていただけ。無防備なヒト族が、そんな数十時間生きていられたなんて、信じられないような世界がユグドラシル。


「わたしは あなたは彼の最後を見届けるべきと思います。あなたがありもしない希望を求めて、ここを出ていってしまったら、結果がどうあれ、あなたが戻ってくる頃、もう彼は死んでいるかもしれません。たった独りでです。あなたたちがふたりであったことは、きっとあなたたちにとって不幸中の幸いでもあります。あなたは彼が、最後に何かを言おうとする時に、彼が最後に何か伝えたいことがあった場合に、それをちゃんと聞いてあげるべきです」

 そんなことだって、やっぱり言われるまでもない。

「フィオミィ、1つ、これはきっととても失礼な質問だと思う。あなたを怒らせてしまうかもしれないけど、だけど聞くよ」


 ナフナドカは、レザフィカという世界の中では、魂の有無のための種差別があまり強くないとよく言われていたが、キナトはそんなものはあくまでも、周りがひどすぎるための相対的な評価でしかないと思っていた。彼はそういう変わり者。


「もし彼が機械生物であったら、ぼくは彼を救えたと思う?」

 自分でも曖昧な質問とキナトは思う。しかしフィオミィは、ちゃんとその意図を正しく読み取ってくれて、そして少しばかり考えてから、彼女なりの答を返してくれた。

「これって心の話でしょ? そういうことなら、確かにそうですね。今ここにあるテクノロジーを使えば、機械生物の心なんていくらでもコントロールできます。仮に彼が機械生物というなら、どういうふうに考えればいいのか難しいですが、とにかく彼を物理的に救う方法がまったくないのだとしても、その心を救うことはできるでしょう。今あなたが彼を救えないと考えているなら、それは多分あなたたちが自然生物だから」

「嫌な質問だった?」

「別に。まあ わたしはあまり感情が豊富な生き物でもありませんしね」

「ぼくも」

 いろいろ懐かしい場面も浮かぶ。

「感情があまり強くない生物だって思われたこともあった」

 ただ、そんなの間違いもいいとこだと、キナト自身いつだって理解していた。

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