03・機械スライム
レザフィカの球体大地で、名前が与えられている国家外地域には、どこであれ、戦う術を知らない生物にとって危険な生物が多く生きている。
特に、どこかの魔術師が、迷惑な悪ふざけとして創造したような地域固有種の場合、その生物が有する危険な部分への対策もあまり知られていないことが多い。
「何も見なかったですわね」
半日ほどでヴェノ湿原と呼ばれる地域を抜けて、隣接する荒野との境界になっている岩石地帯に足をつけた少年の隣に、また姿を見せた映像タカ。
「そうだな」
一応予想通りではある。ヴェノ湿原には深くて濁った沼群に、いくつか危険なのも含む、多くの生物が潜んでいるものの、空中を行く者はあまり関心持たれないというのは有名な話だ。
「だけど消耗が激しい。位置的には運がよかったかもしれないけど、実質、場所的には運が悪かったな」
そもそも、球体大地のどこに現れるのかがまったく謎であったのに、エンデナ大陸のナフナドカに近い国家外というのは、彼らにとってはなかなか都合がよい位置。しかしそれが、おそらく彼らには対処が難しい危険生物を避けるために、長時間、魔法を使い続けなければならないようなヴェノ湿原というのは、面倒だった。もっとも、彼の元素属性を考えると、沼を避けやすいため、やはり幸いと言えるのかもしれないが。
「ネリー、どれくらい経った?
ネリー。と、少年は映像タカのそのお嬢様(?)をそう呼んだ。
「13時間くらいですわ」
「やっぱり船で時間を使いすぎたな。エネルギーパックももう切れたみたいだ」
「別にキッカオンでなくとも、文明地域までの距離を考えると、なかなかまずいですわね」
「水と食い物、どこかで確保しないとな」
「このまままっすぐキッカオンまで行くなら、アキアスという平原地帯か、ランクルという森を通るみたいですけど、単に文明地域でまず休むならラグラナが近いと思いますが」
ラグラナは国の名前。ヴェノ湿原を東側に抜けたばかりの現在位置からさらに東のキッカオンの領土までの間にある、北東の平原と、南東の森までと、そう変わらない距離を北に行けば着くだろう。
「ラグラナは避けた方がいい。一応は地方都市に2年暮らしてたキッカオンと比べて土地勘全然ないし、だいたい小国な上に、ハーピィ族がたくさんいる環境らしいから、旅するヒトなんてかなり目立つかもしれない」
ハーピィは、腕が翼、足も鳥のそれであるヒトキメラの知的種。マーメイド族同様、というかヒトキメラの多くがそうであるように、構造的な制約のために女性しかいない。普通は、普通のヒト族には過酷なほど風の強い高地を好む種族とされている。
「で、ランクル森は普通にかなりやばい。もちろん大げさなのかもしれないけど、何度も恐ろしい噂を聞いたことある。凶暴な精霊が"
「そんな話、ありえますの?」
「最初はみんな精霊てところにひっかかるんだけど、よくよく考えたらむしろそっちの方がありえそうにも思える。そもそもそんな噂のせいで、普通は誰でもそこを避けるってのに、気長に罠仕掛けて待ち続けれるなんて、物質構造に縛られた存在では難しいだろうからって」
自然生物の本質は魂。だから別に、物質構造を持っている物質生物とは限らない。物質構造を失った魂を"
物質生物と精霊には、物質構造の有無のための多くの違いがあるが、特に精霊は魔法が強く、物欲が弱いことはよく知られている。
そう、精霊は物欲というものをあまり理解せず、ゆえに攻撃的な性格となりにくい。凶暴な精霊なんて、かなり奇妙な感じの表現と言える。
「消去法、ですわね」
「そうだな、平原を行こう」
アキアス平原。という名前はついているが、そこはひたすら平らな野原が続くというようなものでもない。小さな山や川もある。そして、やはり危険なものも含め、多くの生物がいる。飲まず食わずでいるわけにいかない少年にとっては、望むところでもあった。
ーー
WA8712、3月1日。
まだ見つけていないのだから当たり前だが、行方を探す彼の行動とは関係ない。太陽船を発ったメリメは少年に先んじて、キッカオン最大の都市"ドゥラウマティミ"に来ていた。
まずテクノロジー文明の発達した都市にやってきた目的は、追っている者たちと同じ。つまりは調べ物のため。
具体的には、様々な情報ネットワークにアクセスできるコンピューターが目的。通常、大国家の都市ともなれば、
どこでもよかった。適当に、第八らしいエリアに来て、いくつかMIにおすすめされた情報ネットの内、"アジアンネット"というのを選択する。
(確か、ヨッド・ヘンルト・スプ、なんとか)
そのフルネームを思い出せたわけではなかったが、ヨッド・ヘンルトまでで大丈夫だった。検索ワードにそこまで設定した時点で、 一番の候補として示されたから。
(そうだった。ヨッド・ヘンルト・スプゲジャだ)
メリメは、その名前を憧れの存在として何度も語ってくれた、今追いかけているはずの彼とは違う少年のこともよく思い出す。
(あいつも、いるのかな。生きてたのかな)
でも、だとしたらどうだというのだろう。少なくとも自分にとっては、あいつは兄ほどに親しい存在ではなかった、と思う。
だけど、あの子たちにとっては……
(いや、今は)
そう、何よりもまず先決なのは、彼にせよ、彼らにせよ、生きているなら、会うことだ。だから自分は、この可能性が、もっと客観的にどのくらいありえそうかを調べに来たのだ。
太陽船で、マシェランの土魔法を防御したその風の魔法は、その動作も強さも、明らかに彼のものに思えた。一方で、彼はおそらく単独で、さらには機械に詳しいケアン曰く、魔法さえ使わなければ機械生物と思われるような節が多かったらしい。
メリメの兄、ウィルミク・ネド・ナフナドカは、確かに天性の才を有する、強力な風の魔法使いであったが、一方で、機械どころか、特に変わった物質構造とも縁のない、普通のヒト族だったはず。
例えば機械生物には、自らの構造を部分的に(自身は生物であると確信した上で)無生命の機械、つまりはロボットに変えたりするテクノロジーがあると聞く。しかし自然生物の場合、そのような複雑な改造は魂を殺してしまう。つまり実質的に不可能だというのが通説。のはずなのだが。
とにかくメリメは、今自分に必要な生物学の知識が欠けていると感じていた。だからまずは調べないと、という訳である。
そして、ネイズグでなく、レザフィカだけに限定しても、 これまで学びのための本を書き残した生物学者は数多くいるが、彼女は迷うこともなく、"フィーアル"という遠い小世界で生きていたらしい生物学者ヨッド・ヘンルト・スプゲジャの《生物理論》という専門書を参考にする書として選んだ。実のところ彼は、メリメが誰に聞くでもなく知っていた、というより覚えていた唯一の生物学者。
ーー
アキアス平原という区域を行く少年が、肉食に困ることはなかった。ヒトが獲物にしやすい動物は珍しくなかったし、彼自身の魔法では操れない調理のための火も他の生物、ようするに火を吐く生物を利用して確保できた。さらには、気軽に飲めるきれいな水の川もわりとあった。
そして十分なエネルギーを飲食物から確保できる訳だから、魔法使って、危険な生物から身を守ることもできた。
「機械生物が多すぎる」
彼らは、魂の有無を感知できる機能を有していた。そして、アキアス平原で、今や多くの生物が魂を持たないことを、短い間によく実感した訳だが、そもそも機械生物であることが考えられないような生物まで機械らしい、という状況に直面したところで、彼はついにその疑問を口にした。
「あなたがいた時からではないのですか?」
一緒に岩影に隠れながら、その生物を観察していた映像タカ。
「いや、ぼくはそもそも、
一応は噂で、機械生物の数が増しているという話は聞いたことがあったが、よくある都市伝説だろうと、あまり気にしてもなかった。
「だいたいスライムの機械生物なんて」
その時、彼らが観察していた液状の体を有する生物種。
彼らが遭遇したのは、おとなのヒトひとりをちょうど包めそうなくらいの大きさの、丸みを帯びた形状である緑色のスライムだったが、この種は形も色も、状況によってかなり多様である。
しかし、少年を特に驚かせたのは、そのスライムという生物種が、彼の知識の上では、間違いなく"フェアリー"であるはずということ。フェアリーとはつまり、機械で再現することができないとされる自然生物の総称。ようするに魂を持たないスライムなんて、それこそファンタジー創作でしかありえないような存在のはずだった。
「フィオミィの言ってたものと、関係あるのかしら」
「いや、多分関係ない」
相棒の推測を即座に否定した彼だが、実際はそういう可能性も十分ありえるだろうと認識してはいた。
そもそも自分が、機械生物の友と一緒に、このレザフィカという小世界に戻ってきた目的と関係している、例のアレは、自分たちにはまったくの、どころか自分たちにその存在を教えた彼女にとっても、やはりかなり謎な存在だろう。ようするに、極論それが原因で何があってもおかしくない。
ただ、知的種のあまりいない区域に奇妙な機械生物、これには少し心当たりがあった。
「存在できるはずがなかった機械生物。それが目的なのか副産物なのかわからないけど、ナフナドカを滅ぼしたやつが造ったものなのかもしれない」
「イカれた魔術師、と言ってましたわね、確か」
「ぼくにとっては、きっと今でも昔でも同じ、ただ恐いものだ」
そう、ただ恐いもの。彼にとっては、彼の哲学の上では。
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