第2話 曰く付きの出会い




 俺がこのやかましい女と出会ったのは、今から半年ほど前のことだった。


「今週も相談者は0人、と」


『この仕事』を始めてから2年目に突入した5月。この八王子支部に配属されてか1か月が過ぎた日曜。俺は週ごとに提出しなければならない書類をパソコンで作成していた。

 ちなみに、今週もと言っている通り、東京都の八王子という割と良い立地なのにも関わらず4週連続で相談者は0だ。配属された当初は『八王子支部の相談者が少ない理由とその対策を考えろ』的な事を言われたが、どうせ上も真剣に考えるつもりなどないだろう。異動のごたごたが終わってからあまりにも暇だったため少し考えたが、時間を5分つぶすことさえも叶わなかった。

 まあ報告書は書き終わったし理由としては、主に2つが挙げられる。


 1つは先ほど述べた立地についてだ。

 安楽死相談所は国が運営、管理を一括して行っており、働く人員も全て公務員という扱いになる。そこに民間企業が入り込む余地はない。

 これは当たり前だろう。曲がりなりにも人の命の行く末を決める仕事だ。営利目的でやられてはたまったもんじゃない。

 そのため東京都やその他の道府県でも国立と名のつく病院には、相談所が含まれている場合がある。相談者は、病院の受付にて『相談をしに来た』と伝えれば、他の患者と見分けがつかないように案内される流れだ。相談所に行ったことを周りに知られたい人間なんて居ないだろうし、これ自体は良い配慮だと思っている。


 そこで思い出してほしいのが、この支部見た目についてだ。


「……こんな馬鹿みたいに看板掲げたら、相談者が来ないのも当たり前だな」


 思わずそんな愚痴が漏れてしまった。……ずっと1人で働いていると独り言が多くなってきて嫌になる。全国に70近くある支部でもワンオペで運営している所なんてここだけだろうが、元より相談者が来ないことなど想定済みなのだろう。クソ上司から電話がかかってくることもない。もう俺の顔も見たくないといったところだろうか。

 話が逸れたが、相談者が来ない理由の1つがこれだ。わざわざ人に見られる危険性を伴ってまで、不愛想な男が1人で運営している所になんて来たくないだろう。俺だって逆の立場なら絶対行かない。


「……すみません」


 もう1つは……ん? 


「えっと、その……」


 ……はぁ、精神力には自信があったんだが、孤独は人をおかしくするという噂は本当だったみたいだ。目の前に若い女の幻覚が見える……って。


「マジか」


しに来たんですけど、ここで合ってますよね?」


 どうやらまだ高校すら卒業していないであろう、目の前の子供がこの支部初めての相談者らしい。

 となれば、ここでボーっと突っ立っているわけにもいかない。笑顔は苦手だが、極力人当たりの良い笑みを浮かべ、声のトーンを一段階あげて返す。


「はい。こちらで合ってますよ。では、部屋へとご案内いたします」


「……お願いします」


 どうも信用されてないっぽい。……まあ、こんな薄暗い部屋の中顔色の死んでいる男が1人しかいないんだ。闇金の事務所と言われた方が100倍納得できる。

 じっとりとした視線を背中に感じながら、オフィスの奥へと続く扉を開け電気を付けた。


「あ……すごい」


 雰囲気の違いに驚いたのだろう。後ろから感嘆の声が聞こえてきた。とりあえずソファに座るように促すと、彼女は遠慮がちに小さく腰掛けた。


「他支部の世話焼きな先輩が綺麗にしてくれたんですよ。私1人しか使わないオフィスと違って、ここは相談者様が使う場所だからって。飲み物を用意しますが、コーヒーと紅茶どちらが良いですか?」


「コーヒーでお願いします。って、1人?」


「ええ。この支部は、私1人で運営させて頂いております……はい、どうぞ。砂糖とミルクは付けますか?」


 部屋に備え付けられているウォーターサーバーでお湯を入れ、そこにインスタントコーヒーを流し込む。こいつも俺以外の人に使ってもらって嬉しいだろう。


「大丈夫です」


 そう言って彼女は上品な所作でカップに口を付け……そして眉をひそめた。


「では失礼します。本日はご相談とのことでしたが、まずは自己紹介から」


 とりあえず見なかったことにしよう。コーヒーをブラックで飲みたがる子供はいつの時代もいるらしい。このように、一見アホとしか言えない行為でも、相談者の地雷が埋まっている可能性がある。迂闊に踏み荒らさないようにするのが吉だ。

 そして胸ポケットから名刺を取り出し、彼女の前へと差し出す。


「安楽死相談所 八王子支部の支部長を務めさせていただいております、来栖 朝陽くるす あさひと申します。支部長と言っても、部下は1人もいないんですけどね。本日はよろしくお願いします」


「よ、よろしくお願いします。鈴原楓……です」


 名刺を受け取った彼女・鈴原楓は俯きながらそう返した。


「鈴原さんですか。では戸籍情報を確認するので、指紋を読み取らせて頂いてよろしいでしょうか?」


 5年ほど前に政府が導入した制度で、生まれてから一生変わることの無い指紋をサーバーのデータベースに登録、そこに個人の年齢、住所、家族構成等の情報を紐付けるというものだ。

 導入時に小、中学校に通っていた世代は登録が義務付けられていて、今では子供が生まれた瞬間に自動的に登録されるようになっている。

 導入当初はプライバシーの観点から反対の声がポツポツと上がっていたが、登録すればお小遣いが貰えると知ってからは皆手のひらを返して登録し、今や普及率は80%近くだった記憶がある。


「……はい」


 俺の言葉に鈴原はびくりと小さく肩を震わせ、少し間をおいて右手を差し出した。何か後ろめたいものがあるような反応だったが、何も珍しい反応ではない。

 使用する機関によって閲覧できる情報はまちまちだが、相談員は年齢、住所、家族構成、学歴、職歴、精神疾患含む持病の有無等の最高レベルのクリアランスが与えられている。要するに見知らぬ人間に個人情報が覗かれるのだ。気持ちの良いものではないだろう。


 と、思いながら端末で指紋を読み取り、情報を確認していたが……どうやら彼女が乗り気でなかった理由はにあったようだ。


「……失礼ですが、お父様のご職業を教えていただいてもよろしいでしょうか」


 思わず声が出そうになったがそれをグッと堪えて問いかける。実際、備考欄に親の情報も書かれているため聞かなくても分かる話だが、俺の脳ミソは現実を受け入れたくないようだ。


 しかし、そんな淡い願いは彼女の言葉で粉々に打ち砕かれることとなる。




「……父、鈴原直樹は……政治家で、厚生労働省の大臣です」




 上司の更に上司の娘じゃねえか……きっつ。



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