小さな変化

 その日の夕刻、オルガ嬢が目を覚ました。

 令嬢が倒れたその日に専門の医師を呼び、診察を受けていた。医師によれば安静にしていれば良いとのことで、約30分の診察を終えるとさっさと帰ってしまった。なんでも次の患者がいるのだとか。

 医師は加護の暴走による体の異変や悩まされる症状についてら研究している女性だ。加護の専門医などそういないため、専属の医師にはなれないと言われてしまっている。

 医師が帰った後はソッフィオーニが看病をしていた。ビビのほうは仮面やベールがない令嬢と接することはできない、とはっきり告げられている。ソッフィオーニもそれは了承し、調理や掃除のほうに回ってもらっている。

 うっすら目を開いた令嬢に駆け寄り、

「おはようございます。ご気分はいかがですか?」と水の注がれたコップを渡す。

「ありがとう」

 小さな口が動く。弱々しく、小鳥のさえずりのような声。久しぶりに主の声を聞いた。ベールも仮面もしていない状況で声を出すとは珍しい。目が朦朧としているため、そういった意識が働いていないのかもしれない。

 受け取った令嬢はちょびりと口をつけた。

「どこか痛いところはございませんか?」

「痛いところ?どうして──」

 ハッと令嬢の目が小さくなる。どうやら気を失うまでのことを思い出したようだ。青ざめていく令嬢は眼帯と仮面、ベールを探しだす。メイドは慌てて「大丈夫です」と手を握る。

「いまは、大丈夫なんです。ラヴィール殿の力のおかげで悪魔の力はすっかりなりを潜めているので。頭痛などもいまはないのではありませんか?」

 メイドの言葉に「たしかに」と令嬢は狼狽えながらもうなずく。

 眼帯を外した令嬢の左眼は、いつも毒々しい紫の色だった。恐ろしいと感じたことはないが、どうしても憐れむ気持ちが湧いてしまう。

 しかしいまは、右眼と同じ青みがかった美しい緑色の瞳になっている。いや戻っているといったほうが正しいだろう。人形のように整った顔立ちと華奢な体。この容姿と家紋の力に群がる者は山ほどいる。


──それが「呪われた令嬢」になったとしても。


 縁談を求める手紙は後を絶たない。けれど令嬢はどれも断ってしまう。見え透いた下心のせいなのか、令嬢自身が呪いを気にしているのか定かではないが、近々婿は決めないといけない。

 令嬢が若騎士を受け入れた際、暗に当主から頼まれていた。そろそろ伴侶も受け入れることができるのではないか、と。当主からの頼みは、いわば命令ともいえる。拒否権など一介のメイドにあるはずもない。だがこのままだとあの王子が縁談の相手となってしまう。

 なんとかしなければ、と思うものの案が浮かばないのだからどうしようもない。ソッフィオーニは「すくなくともいま切り出す話ではない」と切り替え、

「ラヴィール殿の加護の力の影響で悪魔の力が吸われたらしいので、しばらくはなにも身につけなくて平気かと」

「ダンデリオンさんが……」

 つぶやく令嬢に「失礼します」とソッフィオーニは頭上からネックレスをかける。

「これは、……耳飾りよね」

「片方は割れてしまったらしいですが、もう片方は無事だったみたいです。なので長いネックレスにして外からは見えないように加工しました。持っているだけで効果があるらしいので……それとこちらですね」

 とソッフィオーニは白い箱を令嬢に渡した。箱を開くと、中には黒のベールが入っていた。以前使っていたベールは黒糸で縫われた薔薇の刺繍のみだったが、箱に入っているのは端が銀色の糸で縫われた葉の形の刺繍とデザインが違う。

「これは……?」

 見覚えのないものに令嬢が首を捻る。

「聖品です。ラヴィール殿が天使の加護の力を使ってくださったんです」

 ほらここ、とソッフィオーニは葉の一部を指す。示された葉は不格好な形をしていた。どうやらあの若騎士が糸を潜らせて縫ったものらしい。

「それは……受け取らないと失礼ね」

 くすくすと笑いを忍ばせながら、壊れ物にでも触れるようにやさしい手つきで箱から取り出す。


(やはりどこかぼうっとしていらっしゃる……)


 どことなく頬が上気しているような、とメイドは目を細める。

「お嬢様、失礼します」

 令嬢の額に手を当てたメイドは神妙な顔になる。べつに熱がないわけではないが、高熱というわけでもない。それなのに頬が紅潮しているのはどういうわけか。

 引き締まった表情のメイドに、

「どうしたの?」と令嬢は首をかしげる。

「いえ 顔が赤いので熱でもあるのかと」

 メイドの指摘に令嬢はさらに頬を赤く染めた。

「その……ちょっとだけ暑いから」

 別荘地は避暑地ともいえる。そこまで気温が上がらないどころか、肌寒い場所なのだ。メイドは深刻そうに眉をひそめ、

「お嬢様、やはり医師を呼び戻しましょう」と令嬢の肩に手をかけた。

「いえ 本当に大丈夫よ。お願いだから呼ばないで」

 主を本気で心配するメイドと下手な言い訳をしたことを後悔する令嬢との攻防は陽が沈むまで続いた。



***



 コンコン、と扉が叩かれる。

「どうぞ」

 令嬢に許可を得たソッフィオーニが促した。

 ガチャ、と扉が開くなり電光石火の勢いで令嬢に突進すた。だがその手前で、当然のようにソッフィオーニが「それ」を受け止めた。

「こんばんは アレクさん。遅いお目覚めでございますわね」

『疲れたんだようるさいな!』

 顔を合わせるなり喧嘩を始める二人をオルガ嬢が「まあまあ」と宥める。

 アレクも同行していたのだが、慣れない長旅の途中眠りにつきそのまま目を覚まさなかった。傷の回復に専念するため眠くなりやすく、また睡眠時間が多くなるのではないかというのがアレクを診た医師の推察だ。

 獣姿のアレクはぐるる、と唸りながらソッフィオーニを睨みつける。ソッフィオーニはといえば意に介した様子もなく視線を無視し、

「それではお嬢様、私は下がりますがなにか御用があればベルで知らせてくださいね」

 と小さなハンドベルをテーブルに置いて部屋を出ていった。

『ほんとあのメイドムカつくなぁ。なんであんなの雇ってんだ』

「……他人ヒトに頓着がなくて冷たく思われることも多いけど、わたしにはすごく優しくしてくれるし、すごく頼りになるからだよ。わたしは他人からよく思われてないのに堂々とすることなんてできないから……ソフィがいなきゃずっと背中丸めて部屋から出られなかったと思う」

『ああ 悪魔憑きだもんな』

 忖度のないアレクに、令嬢は苦笑を返しつつも本気で嫌がってはいない。

 令嬢に悪魔の加護があるとアレクが知ったのは出会ったときだという。獣人はもともと人間界ではない場所の生き物の血を継いだ変異種だ。ゆえに悪魔の匂いは辿りやすいのだとか。

『俺は天使なんかよりよっぽど居心地よく感じるんだけどな。天使はなんか……生気が吸われるっていうか、力が吸い取られるんだよな』

 とのことだ。天使を嫌って悪魔を好くような者などこの世界では「異端」であり「魔女信仰をしているのではないか」という疑いにも繋がりかねない。

「ソフィが、いまのわたしにしてくれたのよ。だからすごく感謝してる」

『……で、その感謝してる人間にもうまく言えないことがあると?』

 アレクの指摘に令嬢は言葉を詰まらせる。

 医師を呼ぶ、呼ばないの攻防は着地点が見つからず、折れかけた令嬢が「アレクが見当たらなくて心配だったの!」と口走ったのだ。

「……そうだね。どう言ったらいいのかわからないだけだけど」

 獣人の背中を撫でながら令嬢は頬に手を当て、困ったように視線を落ち着きなく彷徨さまよわせる。

「たぶん、天使の加護のせいなんだけどね……すごくキラキラして見えた人がいて。真剣な顔がずっと頭に残ってて」

 雪のように白い頬がほんのり染まっていく。

「そのとき、映る景色もその人も、目に映るもの全部がすごく綺麗だなって思ったの。そのときのことを思い出すとなぜだか恥ずかしくなっちゃって赤くなっちゃって……でもそれをソフィに言うのはなんでか気が引けて」

 と令嬢は熱をもった頬に手を当てる。

 アレクは『ふぅん』と相槌をうつ。


(……そりゃ、身内に「好きな人ができたの」って暴露するようなもんだしな)


 だがこの自己肯定感の低い令嬢のことだ。色恋だのは自分にできるはずもないと思っているに違いない。もし自覚したら必死に隠そうとして余計拗れることになりかねない。

 アレクはなにも言わないスルーことを選んだ。

『そりゃあれだ。隠し事したくなる年頃なんだよ。反抗期ってやつだろ』

「は、反抗期……!」

 令嬢は深刻な顔つきになる。胸のざわつきの原因は反抗期説で納得してしまったらしい。

「は、反抗期っていけないことなんじゃないの?いいの?ソフィが困るんじゃないの?」

 ときめきではなく反抗期への不安が勝ったようだ。狼狽える令嬢に『べつに反抗期ってのは悪いことじゃなくて』とアレクはこれ幸いとばかりに話を逸らしていく。

『自分の言いたいこといえる時期になってるってことだ。親とかだれかの言いなりじゃなくて、自分がなにをしたいかどうしたいかって考えられるようになってるっていうのが反抗期って言われてるだけだよ』

 獣人の毛を撫でながら令嬢は「そっか」とうなずく。反抗期に対する誤解は解けたようだ。

「ひとりじゃそんなことわからなかったし、ずっとモヤモヤ考えてたかも。アレクがいてくれてよかった」とはにかむ。

 天使のような愛らしい微笑みに、アレクはぐっと眉間にしわを寄せ『小悪魔め』とつぶやいた。

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