メイドの思い

「なるほど」

 硬い声にラヴィールは俯きそうになる顔を意志の力でなんとか堪える。だが冷や汗が出るのだけは止められない。

「お嬢様が誘拐されかけ、子どもたちの誘拐犯と疑われ、挙句お嬢様の加護の力が暴走しかけた……と。そういうことですか?」

 メイドの声は静かだ。それが逆に怖い。普段から能面というか表情がないのだが、不機嫌なときはすぐに顔が歪む。というのに、いまはその兆候もない。怖い。

「まあ あなたがお嬢様の力を抑えることのできる人だったのが幸いでした。それがなければ今ごろ森はもっと荒れていたでしょうから」

「……嘘をついてしまい、申し訳ありませんでした」

 聖品を知らなかったと偽ったこと、なにより加護の存在など知らない素振りをしていたこと。メイドと令嬢に対して申し訳ないという気持ちがじわじわと膨らんでいたラヴィールは謝罪した。

「こちらもお嬢様の力について隠していたので、あなたのことをとやかく言うことなどできません」

 メイドは一息置いてから「ラヴィール殿」と真っ直ぐラヴィールを見つめる。


「ありがとうございました」


 メイドは腰を折り深く頭を下げた。長い髪が床につきそうだ。丁寧すぎる礼にラヴィールは硬直する。

「え、と……」

 怒られることしかしていない気がする。続く言葉が見当たらずに視線が彷徨う。

「お嬢様をお守り下さり、本当にありがとうございました」

 怒りなどそこにはなかった。ただ令嬢が無事に戻ってきたことにひどく安堵しているようだった。


──ああ、本当にオルガ様のことを大切に思ってるんだ。


 今までそのように思っていなかったわけではない。だがメイドの背中を見ていてふと思ったのだ。

 頭を上げたメイドは自責の念と己に対する怒りに顔を歪めていた。

「お嬢様は、死を所望しているのです」

 苦悶の表情でメイドが言う。ラヴィールはさほど驚きはしなかった。その反応に「気づいていましたか」とメイドは静かに目を伏せる。

「お嬢様は加護の力を制御できていません。ゆえに、生きているだけで人に迷惑をかけ、だれかを幸せにすることなどできるはずもないと思っておいでで……今回も、きっと進んで殿しんがりを買ってでたのではありませんか」

 メイドの推測にラヴィールは小さくうなずいて肯定する。令嬢は自らの意思で残り、子どもたちを逃がした。ヒーローのような行動だ。ふつうなら賞賛されるだろう。けれどメイドの表情は明るくない。

「以前、お嬢様が幸せそうではないと言いましたね。私もそう思います。お嬢様は自らが幸せになることを望んでません。幸せを掴もうとすることが罪だと思ってらっしゃる、といったほうが的確かもしれません」

「それは……迷惑しかかけていないから、ということですか」

「そうです。……そんなことないのに」

 メイドは低くつぶやいた。令嬢本人に伝えられない歯痒さが伝わってきた。

「お嬢様はそのようにご自分のことを恐れておりますので、だれかを巻き込むということをひどく嫌がっておりました。けれど、あなたのことは渋々ながらも近くにいることを了承しました。これがどれだけ大きな出来事だったか……」

 そういえば5人もの騎士を追い返したと言っていたな、と思い返す。悪魔の加護が付いているうえにコミュニケーションすらまともにとれないときたら、たしかに辞退してしまうかもしれない。


──……辞退、ではなく「追い返した」?


「…………えっと、たしか5人ほど専属騎士になれなかったと聞いたんですが」

「ああ、その話ですか。最初のひとり目が相当デリカシーのない輩で……金銭と称号と地位目当てで近づいてきた人でした。お嬢様は普段ベールをとらないでしょう?それがどうも気に入らないだか素顔を知りたいとか不気味だとかで、お嬢様にベールを外すよう言ったんです。当然拒否したのですが、掌を返したように横暴な一面を見せまして……すっかり怯えてしまったお嬢様に代わって、私が相手をして丁重にお帰り頂きました。あとの4人は、その一件でお嬢様が専属騎士に対して恐怖を感じてしまったので丁重にお断りしたんです」

 要は時期と最初の相手が悪かったということらしい。逆をいえば最初の騎士が優秀であればラヴィールにお鉢は回ってこなかったということだ。そう考えると本当に、仕組まれているのかと疑いたくなるほど運命的な邂逅である。


「それで、どうなさいますか」


 問いの意図が分からずラヴィールは首をかしげる。メイドは一枚の証書をテーブルに置いた。

 ラヴィールがアランジュ家の当主と結んだ契約書だった。

 なぜこのメイドが持っているのだ。困惑するラヴィールにメイドが説明する。

「万が一お嬢様が解雇すると仰ったときのために、私が預かっておりました」

 怖いな。ラヴィールは声にこそ出さなかったが指先が冷たくなるのを感じた。

「今回の件でお嬢様の力のことは分かっていただけたかと。意図的にお嬢様の力のことを隠していたこちらに非がありますので、謝礼金や、必要なら慰謝料もきちんとお支払いさせて頂きます。……専属騎士を、辞退されますか?」

 メイドの声はひどく機械的で、感情は一切滲んでいない。ラヴィールの一存で決めて良いのだと、彼女なりに配慮しているのかもしれない。


(……いや、それはないな)


 彼女が機械的な対応をするのはいつものことだ。令嬢のことで感情的になるのを見たばっかりで、つい彼女が気遣いのできる素晴らしい女性かに捉えてしまったがそんなことはない。あるとしてもそれは令嬢に限定した話だ。

 そう、令嬢に関することだけこのメイドは真っ直ぐだ。愚直といってもいいかもしれない。なぜそこまであの令嬢に入れ込んでるのかはわからない。もしかしたら「私が守ってあげなきゃ」という精神が働いているとも考えられる。しかしほかの人間に対してあまり興味を持たなそうなメイドが仕えたいと思う主とはどういう人間なのか、それは近くで知りたいと思った。

「いえ 続けます。……というか、断りづらい話をしてから本題切り出すのやめてくださいよ」

 げんなりしながら文句を垂れたラヴィールに、メイドは「あら」と目を瞬く。長い睫毛に縁取られた碧眼が細められ、淡く色づいた唇が弧を描いた。

「交渉とはそういうものですよ」

 メイドの恐ろしくない微笑みを見たのは二度目だ。だがそう簡単に慣れるものではない。逸る心臓に対して苛立ちを感じながら、ラヴィールは「引き続きよろしくお願いします」と一礼してその場を離れた。

 あのメイドに対しての甘い感情など、勘違いに決まっていると言い聞かせながら。

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